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二十五の巻 帷様は不在

 光晴(みつはる)様が警備の為、大奥へお渡りになる日の夜。

 私は一人寂しく長局(ながつぼね)の部屋で、塩おにぎりを食べていた。


 今日のおかずは、茄子のぬか漬けと卵ふわふわ。ものすごい手抜きだ。とは言え、(とばり)様がいないのに、思いのほか贅沢な食事になってしまった。


 というのも、江戸近郊の百姓家(ひゃくしょうや)が野菜を売りにきたついでにしか手にする事が出来ない、貴重な卵を一個ほど。一人でまるまる食べられるからだ。因みにどのくらい卵が高級かと言うと、うどんや蕎麦(そば)一椀(いちわん)十六(もん)なのに対し、水煮した卵は大体一個二十文。よって普段は卵なんて、そうそう食べられる代物(しろもの)ではないのである。


 けれど今日は、共同台所に食材を売りにくる御広敷(おひろしき)御膳所(ごぜんしょ)の料理人から、偶然余った卵を入手出来たのである。


 (今日は公方様の夕餉(ゆうげ)も卵ふわふわだって言うから)


 何となく浮かれた気分になりたかった私は真似をして奮発した。

 そもそも卵ふわふわとはその名の通り、溶き卵に調味しただしを卵の倍くらい加え、厚手の鍋に入れ弱火で加熱し、ふんわりと凝固させたものだ。


 (寒い冬にはぴったりだし、ふわふわしてて美味しいけど)


「何だか味気ない」


 いつも向かいで「うまい」と言ってくれる相方を失い、私は自分の料理がそこまで美味しくない事に気づく。


「うぬぼれてただけかも」


 (とばり)様が()めてくれるから、私は料理の腕が良い。


 (すっかりそう思い込んでいたけれど)


 それは大きな勘違いかも知れない。共に食事をする人がいるから、料理は美味しくなるのだと、私は今日気付いた。


「今頃選ばれし御火乃番(おひのばん)の人達は、浮足立っているんだろうな」


 光晴様自らが陣頭指揮(じんとうしき)を取るという、前代未聞(ぜんだいみもん)夜廻(よまわ)り隊は本日で三日目。


 最初の一回を終えた、面々が言うには。


 『公方(くぼう)様からご苦労様と(ねぎら)ってもらったの』

 『そうそう。労いのお饅頭(まんじゅう)を頂いたのよ』

 『しかも鶴屋(つるや)のお饅頭』

 『とっても美味しかったなぁ』


 当番の子を取り巻き、その話を聞いて私は「流石公方様」だと思った。何故なら、鶴屋は個数限定、行列必須。なかなか手に入らない、町方でも大人気の饅頭屋だからだ。


「くっ、お饅頭を私も食べたかった」


 仕方ないと、(はし)茄子(なす)糠漬(ぬかず)けを(つま)んで口に放り込む。変色しないよう、塩を塗り込んだ茄子はいつもよりしょっぱい気がして、つい顔を(しか)める。


「帷様にお出ししなくて良かったかも」


 今度漬ける時は、もう少し塩加減を調整した方が良さそうだ。


「それにしても、公方様にお会いしてみたかったなぁ」


 私は他にやる事もないので、またもや回想に(ふけ)る。


 あれは確か三回目の夜回りに参加した子達を取り巻いている時だった(はず)だ。

 その日は、みんなが心に閉じ込め、しかし一番聞きたいと思っていた件を、ついに尋ねた勇気ある子がいたのである。


 『ずっと気になってたんだけど、公方様ってどんな方だったの?』


 その言葉を聞いた瞬間、聞き逃すまいとみんなが一歩前に進んだ。その結果、お勤め帰りの子を取り巻く輪が、一回り小さくなった事は、記憶に新しい。


 『それがさぁ、色白で肌もスベスベ。その辺の男が霞むような容姿端麗(ようしたんれい)って感じなんだけど、魅入(みい)ってしまうような怪しげな美しさって言うか』

 『わかる。なんかとてつもない、色気を感じるのよねぇ』

 『そう、色気。あと、何かいい香りがした』

 『白檀(びゃくだん)の香りじゃなかった?』

 『あ、それそれ。私も感じた』


 光晴様を間近で見た御火乃番達は、うっとりとした表情を、全く様子の分からない、居残り組に向けていた。

 既に夜廻りに参加した本人達は「わかる、わかる」と公方様が醸し出す色気とやらについて共感し合っていたが、私にはさっぱり分からなかった。


 そもそも男の人なんて、伊賀者(いがもの)しか知らない。勿論伊賀者の中にも、見目が良い人がいるけれど、私は恋愛対象外。


 何故なら双子は双子を産みやすい。そんな風に言われているからだ。


 眉唾物(まゆつばもの)だと思いたいが、なんせ周りに双子という存在がいないので、統計的に正確な事はわからない。


 (だけど、そう言われてるから)


 私と婚姻を結びたがる物好きはいない。私は一人どんよりとした気分になる。どうも一人きりでいると、余計な事まで思い出すし、考えてしまうようだ。よくない。


「えーと、何だっけ。そうそう、光晴様の色気だっけ」


 私は暗くなる話題を封印し、明るい気持ちになる話題に思いを()せるよう気持ちを切り替える。


 (色気のある男の人ねぇ)


 歌舞伎(かぶき)役者の女形(おやま)のような感じなのだろうか。脳裏にふと、帷様が目を細め、しみじみと発す、「うまい」と料理を褒めてくれるいつもの光景が浮かぶ。


 (なるほど。帷様みたいなのは、確かに色気があるって言うかも知れない)


 しんみりと、ただ「うまい」と呟くだけなのに、何処かこっちが照れたように、何となくむず痒く感じてしまうのは、まさに「色気にあてられた」という状況のような気がする。


 (なるほど、そういうこと)


 私はようやく、()に落ちた。それにしても。


「いいな、誰かお腹でも痛くならないかなぁ」


 光晴様を一目見たい。そんな諦めきれない気持ちを抱える私は、物騒(ぶっそう)な事を、ついうっかり呟いたのであった。



 ***



 光晴様と楽しく夜廻りをする会も、既に今日で五回目となる。

 夜廻りに参加した面々による情報提供から、光晴様という人物について、私なりにぼんやりと光晴様のお姿が形成されてきた。


 言葉遣いが丁寧で優しく、中性的な美しさを兼ね備えた、色白で華奢(きゃしゃ)な男性。そして鶴屋の饅頭をくれる、下の者への心遣い溢れる慈愛に満ちた人。うっかり微笑みを返された日には、ポーッとして極楽浄土(ごくらくじょうど)に旅立ちそうになるそうだ。

 見た目的にはすっかり帷様を想像している。けれど、帷様の微笑みは、何処か胡散臭い時があるので、極楽浄土には旅立てない。


 (一体どんなお方なんだろう)


 私の好奇心は募る一方だ。


 私は井戸で水汲みをしながら、まだ見ぬ光晴様に思いを馳せていた。するとそんな私に、顔馴染みが声をかけてきた。


「あ、いたいた。お(こと)ちゃん、お疲れ様」


 御火乃番のお(せん)ちゃんだ。何処かいつもより浮かれた様子に見えるのは、本日夜廻り当番に抜擢(ばってき)されたからだろう。


「あのさ、おしろいこって持ってる?」

「うん、部屋に行けばあるよ」

「お願い、貸して欲しいの」

「いいけど、何に使うの?」


 私の問いかけに、お仙ちゃんは目を丸くする。


「何って、お化粧だよ。それ以外に使う事あるの?」

「……ないかな?」


 私は確かにそうだと苦笑いになる。そんな当たり前の事も尋ねてしまうだなんて、どうやら私も、大奥中の浮かれた雰囲気にしっかりと飲み込まれているようだ。


「今日の夜番、私なんだけど、うっかりおしろいを切らしちゃって」

「夜番なのにお化粧するの?」


 通常、夜は日焼けもしないし、そもそも薄暗くあまり見えないため化粧はしない。


 (しっかりするのは、変装している帷様くらいなもんよね)


 勿論私もわざわざ夜番の時に化粧はしない。昼間だって、軽く叩く程度だ。


 (だからそばかすが出来ちゃったんだけど)


 お嫁に行く予定は生涯ないので、それについてはあまり気にしない事にしている。


「いつもは私も、夜番の時は流石にお化粧なんてしないんだけどさ、というか、公方様がお渡りしてなかったからずっとお化粧してなかったんだよね。だから切らしている事、忘れてたんだけど。というか、あったはずなんだけどね。勘違いしてたみたい」


 興奮気味なお仙ちゃんは、そこで一旦息継ぎをした。そして大きく息を吸うと、また話し始める。


「今日は公方様にお会いするでしょ?万が一って事もあるかも知れないし、きちんとお化粧しておこうかなーと思って。まぁ、ないとは思うけど、(そな)えあれは(うれ)いなしって言うしさ」

「あ、なるほど」


 確かに万が一。それがないとは言い切れない。光晴様がどのような子を好むのかなんて、その場の雰囲気で決めるかも知れないのだから。


 しかも身染められたら、御目見得以下(おめみえいか)の下級職。御火乃番から華々しく卒業できるのである。


 (そりゃ、お化粧もしなきゃって、張り切るよね)


 私は納得する。


「じゃ、お琴ちゃんの昼番が終わったら、借りに行っていい?」

「うん、いいよ」

「そう言えば、最近帷ちゃんを見ないけど、具合でも悪いの?」


 私はドキリとする。何故なら帷様は、光晴様の夜廻りが始まってから、御広敷番(おひろしきばん)のほうが忙しいらしく、不在が続いているからだ。しかも光晴様の夜廻りが一段落するまで、しばらく帰れないかも知れないと、今朝(けさ)書簡が届いたばかり。


 しかし、それは秘密ごと。


「帷ちゃんは、ご実家で不幸があったみたいで、しばらく戻れないみたい」


 私は咄嗟に嘘をつく。


「それなら仕方ないね。っていうか、夜廻りする前で良かったよ」

「え、どうして?」

「だってあんなに美人なんだよ?そりゃねぇ」


 お仙ちゃんは意味深な視線を私に向ける。


 (あー、そういうこと)


 つまりお仙ちゃんは、帷様が「お手つき」になると言いたいようだ。


 (確かに帷様は絶世の美女だけど)


 そもそも男だ。それに光晴様とお会いした事があるらしいので、その心配はなさそうだ。


「あ、もう行かなきゃ。夜廻りの為に仮眠しとかないと。()れぼったい顔で公方様にお会いする訳にはいかないもんね。あぁ、でもお風呂も最低三回は入らないとだし。(いそが)しいったらありゃしない。じゃ、後でね!」


 早口で言いたい事だけ話し終えると、お仙ちゃんは元気に走って消えて行った。


「あんなに気張(きば)ってて、夜まで持つのかな……。でもいいなぁ」


 私はあんなに嫌だった夜廻り当番に()がれる気持ちになる。


 (出来れば誰か交代してくれないかなぁ)


 やっぱり密かに願ってしまうのであった。


 そしてその日の夕方。人々がつい顔を上げずにはいられない、美しい茜色の空が、あっという間に迫り来る、忍びの時間。すなわち闇夜(やみよ)に半分ほど覆われた時。

 私は急に御火乃番頭(おひのばんがしら)であるお(きよ)様に呼び出された。


「あなたに今日の夜廻りをお願いしたいのだけど」

「えっ、いいんですか?」


 (でも美麗様が嫌がるんじゃ)


 咄嗟に出そうになった言葉を呑み込む。言わぬが仏。お清様が私を選んでくれたのに、横槍(よこやり)をいれる必要はない。


「実は今日の夜廻り担当のお(たつ)が腹痛を起こして、無理そうなのよ」

「それは心配ですね。でもそういう事なら。私で良ければ、お受けします」


 喜びが顔に出ないよう、神妙な顔をつくる。しかし内心は。


 (やった!!急いでお化粧しないと)


 相当浮かれていたのであった。私は駆け出したい気持ちを堪え、神妙な顔付きのまま、お清様の元から去る。そしてお仙ちゃんの元におしろいを届けるついでに、その場で化粧をしっかりと施した。


「お仙ちゃん、何だかとっても綺麗」

「お琴ちゃんも、いつもよりずっと大人っぽい」

「これは」

「万が一があるかも」


 いつもより念入りに化粧をし、白っぽい顔になったお互いが可笑しくて、お仙ちゃんと二人で顔を見合わせて、大笑いをした。確かにいつもよりは整った。けれど、美麗様や伊桜里様に比べたら、残念ながら垢抜(あかぬ)けた子とは言えない。お互いそれは充分わかっていて、それでもはやる気持ちを抑えきれないのだ。


「でもほんと、お仙ちゃんいい感じだよ」

「お琴ちゃんもね」


 確認するように、二人でお互いを褒め合う。そして私達は光晴様が陣頭(じんとう)指揮を取る、夜廻り隊の集合場所に、浮かれた気分のまま向かったのであった。

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