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十七の巻 美麗様とご対面

 幽霊騒ぎに遭遇した翌日。帷様と私は数時間ほど睡眠したのち、奥女中達の住まいとなる長局(ながつぼね)二之側(にのがわ)に向かっていた。


「一体、美麗(みれい)様は私達に何の用があるんでしょう」

「まぁ、昨夜の事だろうな」

「なるほど」


 寝不足で隈が色濃く残る顔、重い足取り。私と帷様は欠伸を噛み殺しながら、私達を呼び出した美麗様の待つ二之側へと向かう。ほどなくして二之側の長局に到着した私は、美麗様の部屋方(へやかた)だという女中の案内で、長い廊下を奥へと進む。


「うわぁ、四之側《よんのがわ》と中の構造が全然違うんですね」


 私は素直に感想を漏らす。


「初めて来たかのように言うな」

「だって、昼と夜では全然見える景色が違いますから」


 夜廻りでは確認できない部分に目を光らせるため、私はキョロキョロと辺りを見回す。

 外から見るとどの長局も同じように見える。しかし中に足を踏み入れると、明らかに四之側の長局に比べ、一之側はゆとりを持つ間取りとなっていることがわかる。


 (流石御目見得(おめみえ)以上のお住まいよね)


 私は大奥における職制身分の差を、しっかりと肌で感じつつ、通りすがりにチラリと座敷の中を(のぞ)く。すると八畳ほどの部屋の中には、立派な床の間や違い棚などがあり、屏風(びょうぶ)も上等なものが置かれているのが確認できた。それに加え部屋の隅々まで掃除が行き届いているのか、目につく場所には(ちり)一つ落ちていない。


 (一体どうなってるの?)


 一日に何度拭き掃除をしたらここまでピカピカの状態を保てるのか。浮かんだ疑問の答えを探っていると。


「こちらでお待ち下さい」


 そう言って美麗様の部屋方は足を止めた。そして帷様と私を八畳ほどの部屋に通した。それからほどなくして、美麗様が共の者を連れてやってきた。甘い香りが座敷に充満する中、帷様と私はサッと頭を下げる。


 (早くお顔を拝見したい)


 願うものの、ここはきっちり縦社会が敷かれた大奥だ。美麗様のお許しがなければ顔をあげる事はかなわない。


 (一体どんな人なんだろう)


 頭を下げながら、期待に胸を膨らませる。


「おもてをあげていいわよ」


 こちらにしなだれかかるような甘く()びた声。予想通りだなと思いつつ、私は顔をあげる。

 最初に目についたのは、臙脂(えんじ)に染められた生地に、金糸や銀糸で華やかな刺繍が施された打掛(うちかけ)だ。


 (流石御中臈(おちゅうろう)様)


 それから視線を上にあげる途中で、私の目はあるものに惹きつけられた。


 (あっ、可愛いもの発見)


 私は帯の上にちょこんと乗る、手毬(てまり)を模したような根付(ねつけ)に目ざとく反応する。


 そもそも根付けとは、煙草入れ、印籠(いんろう)巾着(きんちゃく)などの小物を帯に吊るす時につける留め具のことだ。小さな根付けは細工や彫刻に凝った物が多く販売されており、皆自分の気に入った根付けを帯の上に留め、粋な着こなしを楽しんでいるのである。


 私が一瞬にして目を奪われた美麗様の根付は、艶やかな漆塗(うるしぬ)り。丸く湾曲した表面に描かれた美しい松葉牡丹(まつばぼたん)は、よくよく目を凝らすと、べっ甲、白蝶貝(シロチョウガイ)珊瑚(サンゴ)象牙(ゾウゲ)などを使った、実に精巧(せいこう)象嵌(ぞうがん)細工が施されたものだった。


 (もはや芸術品だわ)


 思わず無礼を承知でつい、見惚れてしまう。


 (素敵ねぇ)


 感嘆の声を心で漏らし、今度こそ寄り道をせず、美麗様の顔をじっくり拝見しようと視線を上げた。


 (そういうことか)


 私は目の前に座る、美麗様が何故「浅草小町(あさくさこまち)」とうたわれていたのか。と同時に、共同台所仲間のお寿美(すみ)ちゃんが「男に()びる」と表現していた、その理由がストンと胸に落ちた。


 美麗様は確かに美しい女性だ。


 顔の真ん中に通る、スンとした鼻筋。切れ長の目は、少しつり上がっているものの、涙ボクロと相まり(つや)っぽく、むしろ魅力的に見える。しっかりと紅をひいた唇は、ぷっくりとしていて思わず触れてみたくなるほど。


 そして何より特記すべきは、はちきれんばかりの胸元だろう。


 (あれを嫌う男の人はいない)


 私は確信する。


 そして御湯殿(おゆどの)でついうっかり、手を出してしまったという、光晴(みつはる)様のお気持ちが悔しいけれど、ようやく理解出来てしまった。

 彼女の声や表情や仕草から伝わる「女」を前に、コロッといかない男はいないはずだ。


 (きっと帷様も、魅了されているに違いない)


 チラリと横に座る帷様を盗み見ると、いつも通り無愛想な顔をしていた。


 (こ、好みは人それぞれだものね)


 とにかく色気を武器とする女性は、異性受けはいいが、同性に理解されにくい。だからきっと、お寿美ちゃんも、あまり良いように思わないのかも知れない。


 伊桜里様が全ての花が霞んでしまうような美しさを持つ女性だとしたら、彼女は。


 (全ての花を養分とし、枯らしてしまう)


 そんな危険な美しさをはらむ女性だ。私の中に密かに眠る女の勘が、他の()同様、友達にしたら危険だと訴えかけていた。


「今日ここにあなたたちを呼んだのは」


 不意に言葉をかけられ、ハッとして美麗様と視線を合わせる。すると彼女はクスッと笑った。


「そんなに緊張しないで」


 ニコリと微笑む美麗様。


「それであなたも見たのね?」


 そう口にすると、彼女は私のほうへ身を寄せた。その瞬間、ふわりと甘い香りが濃くなり、思わずドキッとする。


「何を……ですか?」


 動揺を隠すように平静を保ちつつ訊ねると、美麗様は妖しげに微笑んだ。


「とぼけないで頂戴。死装束(しにしょうぞく)を着た伊桜里様の幽霊よ」


 美麗様は言葉を切る。


 (さて、何と答えるべきか)


 慎重に解答しようと、黙り込む。そんな私に、美麗様は待ちきれなかったようだ。


「昨日あなた達は、幽霊が駆け足で消えていった現場にいたじゃない」


 どうやら昨夜の騒ぎを、美麗様もしっかりご覧になっていたようだ。私が黙って小さく首肯(うなず)くと、彼女は突然私の手を握った。


「お願いがあるの」

「えっ……なんでしょう?」


 突然の行動に戸惑いながら答えると、美麗様はゆっくりと口を開いた。


「この件を公方(くぼう)様にお伝えして欲しいの」

「無理です」


 私は失礼を承知で即答する。


「あら、私の願いを断るだなんて、いい度胸ね」


 ぶんと大きく一振り、私の手を乱暴に離す美麗様。


 (そう言う問題じゃないんだけど)


 ため息をつきそうになるのを堪え、口を開く。


「失礼ながら、私は御目見得以下の御火乃番(おひのばん)です。ですから、公方様にお目にかかる事はかないません。御中臈である美麗様が直訴(じきそ)されたほうが」


 そこまで言って、失敗したと悟る。目の前の美麗様の顔からわかりやすく笑顔が消えたからだ。


「一体どこで会えるわけ?公方様は大奥によりつかない。もうずっとよ」


 美麗様は不満げな顔になる。


「誰も取り合ってくれないから、あんた達に頼んだんじゃない。全く察しが悪い女ね。存在価値がないも同然。それに――」


 美麗様は思いつく限りの言葉で私を(けな)し始めた。どうやら逆鱗(げきりん)に触れてしまったようだ。


 (ほんと、失敗した)


 外にいた頃は、天花院(てんかいん)様対貴宮(たかのみや)様といった、嫁姑戦争の方ばかり話題に上がっていた。だから正直美麗様の存在をあまり気にかけていなかった。


 (でもこれ。かなり存在感たっぷりなんだけど)


「――あなたの目は垂れていて、情けなく見えるし、しかもやだ。そばかすがあるの?女は肌が命なのに?美意識の低い女は嫌いなのよね」


 美麗様は言いたい放題だ。


「申し訳ございません」


 もうよくわからない状況なので、ここは謝っておく事にする。


「とにかく役立たずね。じゃあなたは?」


 美麗様は私から顔を背け、何故かうつむいたままの帷様に向き直る。


「無理です」


 帷様は私の真似をした。


 (やっぱ、そうなりますよね)


 正直光晴様のお耳に入れようと思えば、父に頼むなり、正輝に頼むなりすれば出来ない事もないだろう。


 (でも無理)


 何故なら傷心中の光晴様に、伊桜里様の幽霊が出ただなんて、口が裂けても言いたくないからだ。


「あなた……何処かで見たような」


 美麗様がうつむく帷様の顔を覗き込む。


「お会いした事がございません」

「そう、気のせいかしらね。それで、その声はどうしたの?まるで男の人みたいじゃない。病気なの?」

「はい。実は風邪をひいておりまして。コホコホ」


 帷様は胸を押さえ、大袈裟に咳き込んだ。


「ぶ、無礼者。美麗様にお風邪をうつすでない」


 部屋の端に控えていた、小豆(あずき)色の着物を身に(まと)う女中が大きな声を出した。


「早くお帰りなさい」


 鬼の形相と言った感じで、女中が私達を睨みつける。


「さ、はやく」


 まるで犬を追い立てるように、帷様と私は女中から出ていくように急かされる。


「美麗様、同じ空気を吸ってはなりませぬ。さぁ、こちらへ」


 女中が美麗様の肩を抱える。そして美麗様が立ちあがろうとした、その時。


「きゃあ」


 美麗様が見事、畳にすっ転んだ。


 (と、帷様!?)


 私はこれ以上ないくらい目を見開く。何故なら、立ちあがろうとした美麗様の打ち掛けの(すそ)を、帷様がしっかりと掴んでいたからだ。


 (も、もしかしてわざとやりました?)


 帷様に視線を送る。すると帷様はニヤリと意地悪く口元を歪ませた。


「美麗様、お怪我はありませんか?は、鼻血が!!誰かぁ、誰かぁ。早くこちらに」


 女中が叫び声をあげると、廊下からバタバタと急いで歩く足音が聞こえてきた。


「さ、いくぞ」

「はい」


 帷様と私は混乱に生じ、美麗様の部屋を(あと)にしたのであった。

お読みいただきありがとうございました。


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