表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/58

十六の巻 幽霊騒動

 一度だけお手つきになった美麗(みれい)様。そんな彼女が「伊桜里(いおり)様の幽霊を見た」と騒いでいる。

 その事実を奥女中仲間のお寿美(すみ)ちゃんから聞いた時、私はてっきり光晴(みつはる)様のお渡りを願う美麗様の狂言だと思った。


 寵愛を受けていた伊桜里様の名を出して騒げば、それなりに話題にあがる。そしてその話が光晴様の耳に届けば、「何事か?」と大奥へ足をお運びになるかも知れない。


 (単純だけど、効果的ではあるよねぇ)


 正直、亡くなった人を幽霊に仕立てるという、そのやり方には賛同出来ない。しかしただ何もせず、首を長くしてお渡りを待ち続ける事。それに我慢ならない気持ちは理解できなくもない。


 (だってここは大奥。お世継ぎを残す事をみんなから期待される場所だもん)


 だから、自ら仕掛けようとする気持ちが湧くのは当たり前だと思うし、実際行動した部分に関しては、ある意味尊敬にあたるとも思う。


 (自分の人生がかかっているしねぇ)


 自ら運命を切り開こうと行動すること。それは当たり前であって、その事自体を誰かが(とが)めるのは、違うような気がした。

 

 結局のところ、今回の美麗様はやり方を間違えただけ。


 (しかも幽霊だなんて、誰も相手にしないに決まってるし)


 そんな感想を(いだ)き、私はこの件を楽観視していた。そして、私がお寿美ちゃんから美麗様の件を聞いた二日後のこと。


 (とばり)様と昼番を終えた私は、割り当てられた長局(ながつぼね)もどきに戻り、「今日の夕餉ゆうげは何にしようかな」とあれこれ考えながら、共同台所へ向かう準備をしていた。しかしそこへ、慌てた様子の御火乃番(おひのばん)仲間が現れる。


「お(こと)ちゃんと、帷ちゃん。まだいてよかった。お(きよ)様が今すぐ部屋に集まるようにだって」

「部屋?どこの?」

三之側(さんのがわ)にあるお清様の部屋。だからそこに集合だって。その辺の人に聞けばわかると思う。じゃ、後で」


 旋風が巻き起こったように、去っていく同僚。


「ええと、帷様。私達はまた出かけないと行けないようです」

「ふむ、頑張れよ」


 私は何事もなかったかのように、お風呂に向かおうと、横を通り過ぎる帷様の小袖(こそで)を掴む。


「帷様、どちらに?」

「……」


 極まり悪い顔をして立ち止まる帷様。それから盛大にため息をついた。


「面倒極まりないな。しかもこっちは今の今まで働いていたんだぞ」

「お気持ちはわかりますが、呼ばれたからにはひとまず行かないと」

「お前が行けば良い」

「しっかり「帷ちゃん」もあたま数に入ってましたよ?」

「チッ」

「舌打ちしない!」


 私は不機嫌全開の帷様を無理矢理連れ出し、指定された場所に向かった。


「こっち、こっち」


 見知った顔に手招きされ向かうと、既に招集場所と思われるお清様の部屋の中は満杯だった。仕方がないので帷様と私は部屋からはみ出た、廊下部分に正座する。


「中にすら(はい)れぬのであれば、帰っても気づかれないのでは?」

「ダメです、点呼があったらどうするんですか」

「お前が」

「お断りします」


 帰りたくて仕方がないらしい帷様を(なだ)めつつ、私は集められた面々を確認する。そしてすぐに気付く。


「どうやらここにいるのは、御火乃番(おひのばん)()く者だけのようです」

「みたいだな」

「何かあったのでしょうか?」

「知らん、だがすぐにわかるだろう」


 そう言って、帷様は(あご)を少し動かした。私は顎で示されたほうに顔を向ける。すると|御火乃番頭(おひのばんがしら)、つまり私達の(おさ)であるお清様が、部屋の上座に現れた。


「急に招集をかけてすまないね。先程岡島(おかじま)様より、御達(おたっ)しがありました。しばらくの間、美麗様の御部屋(おへや)の前。特に渡り廊下の夜廻《よまわ》りを強化されたし、とのことです」


 お清様は淡々とした口調で告げる。


「よって、それぞれの(いとま)を削り、見廻(みまわ)りに出てもらう事になると思います」


 お清様は申し訳なさそうな表情を私達に向けた。


「皆様、色々と思う事はおありでしょう。しかし私達は公方(くぼう)様のお膝元で安全を守る大事な職についております。その事をしかと心に刻み、励みましょう。追って夜廻りの割り振りは知らせます。それまでは、通常通りで火の番につくこと」

「美麗様の件に当たるのは、今日の夜からですか?」


 前方に座っていたお(たき)様が、鋭い質問をぶつける。


 (うわ、勇気あるなぁ)


 流石饅頭(まんじゅう)で帷様と私を売っただけある。しっかり者だなと、思わず感心してしまう。


「岡島様から「早急に手配するように」と承りました」

「つまり今日の夜からって事か……」


 お滝様の意気消沈といった声が響き、一斉に肩を落とす私達。勿論私も例外ではない。


 (たかがでっちあげの幽霊騒ぎにみんなが駆り出されるなんて)


 御火乃番は、朝昼晩を問わず、常に大奥内の火の用心と警護のため、決められた場所を二人一組で巡回している。そして御火乃番につく女中は総勢十八名。つまり実質九組で全体を見廻る事となる。それだけいれば充分だと思われがちだが、ここは大奥。恐ろしく広い場所だ。よって常にカツカツの人員配置で当番を回しているのである。


 (美麗様の部屋を夜廻りかぁ……帷様のお食事を作る時間は、果たして取れるのだろうか)


 この時はまだ、私にもそんな余裕があった。


 しかしそれから数日後、事態は急変する。


 急遽組み直された当番表にそって、美麗様の居住区になる二之側(にのがわ)の夜廻りをしていた御火乃番二名。その二名が「伊桜里様の幽霊を見た」と口を揃えて言い出したからだ。


 その件を受け、お清様がみんなに通達する。


 『皆を不要に怖がらせてはなりません。この件はくれぐれも他言せぬように』


 しかしお清様の言葉を他所(よそ)に「御火乃番も伊桜里様の幽霊を見たらしい」と、あっと言う間に大奥中に知れ渡る事となる。


 そして。


 『やっぱり美麗様が見たというのは、本当だったのよ』

 『そうね。御火乃番が見たんだもの。間違いないわ』

 『本当に伊桜里様が化けて出るんだわ』


 今まで信じていなかった者達までもが、手のひらを返したように、美麗様の話を信じるようになった。そして幽霊話はどんどん大きくなっていく。


 大奥では「白い影を見た」だとか、「井戸の近くで「熱いよ」と泣いてる声が聞こえた」だとか、「家に帰りたいと(すす)り泣いている子どもを見た」だとか。

 三歩歩けば幽霊話に当たる、と言った感じ。あちらこちらで幽霊の目撃情報が囁かれるようになってしまった。


 そしてついには。


 『開かずの部屋となる、宇治(うじ)()の前で伊桜里様を見た』


 というとんでも話が、大奥内を早馬のごとく駆け巡る事となってしまったのである。


 そして大奥は恐怖の波にのみこまれる事となる。

 何故なら――。


 『宇治の間の前に幽霊が出た時。それは不幸が起こる前兆』


 古くからそう言い伝えられていたからだ。



 ***



 ガサガサと揺れる葉の音。

 ホウホウと鳴く鳥の声。


 それから私の肌を突き刺すような、冷たい風。

 辺りに人影はなく、静まり返る大奥。


 昼間明るく活気ある場所ほど、夜になり闇が濃くなると、途端に不気味さが増すものだ。


「みなさま、火の用心なさりましょう」


 片手に手燭(てしょく)を持ち、長廊下(ながろうか)をゆっくりと進みながら私は声をあげる。


「火の用心、火の用心」


 私はさらに声を張り上げる。


 現在帷様と私は御火乃番の仕事中。ゆっくりと進む長廊下は美麗様のお住まいである二之側のもの。つまり、大奥内を恐怖に陥れている、幽霊騒ぎの発端となった場所ということだ。


「あいつらは寒いから、怖がっているフリをしているに違いない」

「それはないかと。皆様本当に怯えていらっしゃいましたから」


 答えながら、身を撫でる夜風の冷たさから身を守ろうと、藍色に染めた綿入りの小袖の襟元をしっかりと握りしめる。


 (まぁ、帷様が文句を言いたくなる気持ちはわかるけど)


 幽霊騒ぎが加熱の一途(いっと)を辿った結果、美麗様が幽霊を見たと証言した場所の夜廻りを、皆が揃って辞退した。そのため帷様と私は「お主達しか残っておらぬ」と、御火乃番頭のお清様から泣きつかれてしまったのである。

 その結果、帷様と私は、毎日この場所を夜廻りする羽目になった、というわけだ。


「全く夜廻りは好かん」

「私も好かんです」


 答えてから、私はすぅと息を吸う。


「火の用心、さっしゃりましょう」


 喋るとバレる。だから声をあげられないという帷様の分も私が、という意気込みで声を張り上げた。


「帷様は一連の騒動をどうお考えですか?」

「実にくだらん。それに尽きる」


 帷様はいかにも面倒くさいといった顔で答えた。どうやら夜回りに納得していないようだ。


「そもそも、幽霊なんぞ、いるわけがない」

「確かに」

「しかしそう思うからこそ、このような面倒事を押し付けられる羽目になったとも言える」

「仰るとおりです。これからは多少なりとも怯えてみせたほうがいいかも知れません」

「そうだな」


 私達は顔を見合わせ苦笑する。


 幽霊がいるかどうか。実際のところはわからない。けれど、少なくとも私は幽霊なんて見た事がない。


 (だからいないと思うけど)


「火の用心、火の用心、火の用心」


 三回分ほどまとめて連呼してから、常々疑問に思っていた事を帷様にたずねる。


「そもそも幽霊を見たという人は、何を見て、幽霊を見たと言っているんでしょうか」


 私の問いかけに帷様はしばし考える素振(そぶ)りを見せた。


「俺は幽霊など信じていない。その観点から想像するに、ここの者達は、同調行動をしているのではないだろうか」

「同調行動。それって、みんなに合わせてしまうことですよね?」


 大勢の人間が同じ言動をしていると、それが正しいと思い込み、自分の判断力が鈍くなる事がある。その結果、意識的にも無意識的にも、その場の雰囲気に合わせた行動をとってしまう。それが同調行動だ。


「つまり、みんなが幽霊を見た。そう言っているから、私も見た。そのように嘘をついているという事でしょうか?」

「全ての人間が嘘をついている訳ではないだろう。幽霊がいると思い込んだ結果、誰かの影を幽霊だと勘違いしている場合もあるだろうからな」

「それはあるかも知れませんね」

「大奥は閉鎖的な場所だ。この場所で平和に暮らすには、うまく人付き合いをしていくしかない。それも(みな)に合わせてしまう要因だろうな」

「事を荒立てない為にも同調しておく。その結果、ここまで大騒ぎになってしまったと。火の用心!!」


 私は投げやりな掛け声をかけておく。


「でも怖いですね。何か良くない事が起こらなければいいのですが」


 呟くように言うと、帷様が呆れたような声を出す。


「まさかお前は宇治の間の噂を信じているのか?」

「信じてはいないですよ。ただ、もし何か偶然的に良くない事が起こった場合、今ならもれなく伊桜里様のせいにされちゃいます。それが嫌なだけです」


 伊桜里様は無実の罪を着せられても釈明することができない。だから罪を着せてもいい。そうはならないし、なってはいけない。


 勿論(とき)として、幽霊のせい。そう言って誤魔化した方が楽な場合もある。しかし今回ばかりは、心が痛いし、見過ごせない。


「自分亡き後でも、己の名誉を守ろうとする者がいる。伊桜里もきっと喜んで」


 帷様は突然口を閉じ、足を止めた。


「みなさま、火の用心なさりましょう。って帷様、どうかされました?」


 不審な動きをした帷様を怪訝(けげん)な顔で見つめる。


「おい、あれを見ろ」


 真面目な顔をした帷様が、手燭を掲げ前方を指す。一体なんだろうと、私もその先を見る。するとそこには、ぼんやりと白い影が見えた。


 (あれ?)


 違和感を覚えた私は集中し、目を凝らす。


「誰だ! そこで何をしている!?」


 帷様が大声で問いかける。すると白い影は私達に背を向けると、突然走り始めた。


「あっ!」


 思わず声をあげる。


「逃げるな、待て」


 帷様が女性を追おうと、大きく足を踏み出す。とその時。


「出たのですね!!」

「きゃー!!」


 突然部屋から小袖姿の奥女中達が飛び出してきた。


「伊桜里様の幽霊だわ」

「皆様、塩を、早く」

「除霊しないとですわ」

「あぁ、なんまいだー、なんまいだー」

「どうぞ、安らかにお帰り下さい」


 一心不乱に塩を振り巻く者。何故か手に竹箒(たけぼうき)を持ち振り回す者。それから、数珠を手に南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱えはじめる者。


 その姿に圧倒され、帷様と私はその場に固まる。


「一体これは」

「なんでしょう……」


 帷様も私も、ひたすら唖然(あぜん)とするしかなかったのであった。

お読みいただきありがとうございました。


更新の励み、次作品への養分になりますので、続きが気になるなー、おもしろいなー等、少しでも何か感じていただけましたら、★★★★★からの評価やブックマーク、いいね等で応援していただけるとうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ