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十二の巻 大奥で歓迎される

 (とばり)様と私が井戸部屋で仲良く水を汲み上げていたところに乱入してきたのは、二人の奥女中。彼女達は私と同じ、黒帯に同系色の縞模様(しまもよう)が入った地味な藍色の小袖を着ている。


 勿論、打掛(うちかけ)はなしだ。


 そもそも大奥と聞いて連想しがちな、豪華絢爛な打掛を身にまとえるのは、中臈(ちゅうろう)上臈(じょうろう)のみ。というのも、奥女中には身分により生地、色、模様などが細かく規定されているからだ。


 そんな中で打掛は目で見てわかる、権威の象徴というわけだ。


 つまり、現在井戸部屋に現れた二人は私と同じ小袖を着ていることから、御目見得以下(おめみえいか)の下級女中ということがわかる。


 因みに御目見得以下とは、その名の通り、将軍に会う資格がないということ。


 (公方様は天上人(てんじょうじん)だものね)


 そうそう簡単に拝見する事は叶わない尊き御人(おひと)なのである。


「あんた達が噂の新参者ね」

「ふーん、噂通り、綺麗な子じゃない」


 井戸の脇で満杯になった玄武桶(げんぶおけ)を持ち上げようとしていた私が目に入らないのか、それとも敢えて無視されたのか。二人は井戸から水を汲み上げていた帷様を取り囲む。


「でもガタイが良すぎない?」

「そうね。骨太で可愛らしさには欠けるかも」

「つまり、公方様の好みからは外れるってことね」

「ふふ、残念ね」


 二人は帷様の顔を見上げ、口々に勝手なことを言い始める。


「お滝さんから聞いたわ。この寒い中、水汲みなんて偉いわねぇ」

「しかも言われるがまま、みんなの分を率先してやってくれるだなんて、感心しちゃう」


 先程から小馬鹿にするような物言いばかり。

 私は黙ったまま、二人の女中の顔を見つめる。


 (可もなく不可もなく。いや、(たぬき)(きつね)っぽいかも)


 少しふくよかな方がたぬきで、痩せて背の高いほうが狐。ありがちな例えではあるが、的を射ていると思う。


 二人は若干目つきが悪いように見える。それはこの場の雰囲気がそう思わせているだけの可能性もあるが。

 ちなみに目の前の二人には伊桜里(いおり)様や帷様のように飛び抜けた美しさは感じない。強いて言うなら狐の方が、磨けば光りそうではある。


 (ま、私が言うなって感じだけど)


 感じが悪い人なので、ここは良しとする。


「あら、こっちにも」

「あなたが噂の腰巾着(こしぎんちゃく)ね」


 どうやら二人は井戸の脇に座る私に気付いてしまったようだ。


 (腰巾着か……)


 現在の私は帷様に仕える身なので腰巾着。その通りで間違いないが、他人に指摘されると、少しイラッとしなくもない。


「可哀想に。相方が美人だと、霞んじゃうわよね」

「ほんと。単体でみたらあなたは随分可愛らしいのに」

「お滝さんに相方を交換したいと、相談してみたら?」

「そうね、何なら私から言ってあげましょうか?」


 私にすり寄ってくる二人。


 (なるほど、そういうことか)


 どうやら彼女達は帷様の美しさに危機感を覚え、孤立させようと画策しているようだ。


 (問題は自分達の意思で動いているかどうかって事だけど)


 今ここでそれを聞いても答えてはくれないだろう。それに顔さえ覚えておけば後で探る事はいくらでも出来る。


 (果たしてどう出るべきか)


 私の目的は伊桜里(いおり)様に何が起きていたかを探ることと、書き置きらしき書簡を探すこと。


 だとするとここは飛んで火に入る夏の虫とばかり。偶然現れた性悪二人組の子分になっておく。


 (うん、それがいいかも知れない)


 私は帷様にチラリと視線を送る。しかし帷様は私を見る事なく、むっとした表情のまま口を開いた。


「くだらん」


 ドスの効いた低い声が帷様から発せられた。短い言葉で、しかし嫌悪感たっぷり。


 (うわ、だめだってば)


 私は男である事がバレると慌てる。


「あれれ、どこから聞こえたんだろう?」


 私はわざとらしくあたりを見回す。しかし帷様はそんな私の動揺など全く気にせず、女中達を睨みつけた。


「さっきから聞いていれば好き勝手に。大体、お前たちは一体誰なんだ? まず名を名乗るのが筋であろう」


 帷様の正論に、二人は怯んだ様子を見せる。しかしそれで引き下がるような人物であれば、最初から私達に絡んできたりはしない。


「名乗る価値もないから、名乗らないだけ。御目見得以下とは言え、どうしてあなたのような不気味な声をした人が奥勤めに採用されたのかしら」

「本当。身のほど知らずとはまさにこの事だわ」


 (うわぁ、支離滅裂だ)


 それに贔屓目(ひいきめ)に見ても、帷様の声は明らかに男の声だった。それなのに、目の前の二人は帷様を女性だと疑いもしていない。


 (ここが大奥だから)


 女性しかいないという先入観に囚われ、違和感に気づかないのかも知れない。


「だいたい、私達の方が先輩なのだから偉そうにしないでよ」

「そうよ、新参者のくせに生意気ね」


 どうやらまだまだ、帷様に対し言い足りないらしい。帷様への言いがかりに近い文句を口にすると、威嚇するように、ジッと睨みつけている。


「私達が新参者だからといって、随分な態度を取るものだな。お前達、名はなんという」


 帷様も帷様だ。


 完全に素の声になると、井戸の脇に立つ二人の前にズンと歩み出た。


 (えーと、隠密捜査の意味、わかってるのかな)


 私は慌てて帷様に駆け寄る。


「まあまあ、喧嘩なんてしても仕方がないですよ。これを受け取りに来たんですよね?どうぞ、どうぞ、お持ち下さい」


 私は足元にあった、満タンになった玄蕃桶を「よいしょ」と持ち上げる。


「ふんっ、そうだな。相手にするだけ時間の無駄か」


 私の意見を尊重してくれたらしい帷様。不機嫌そうな表情のまま、再び定位置へと戻っていく。その様子を横目で確認し、私はホッと胸を撫で下ろす。


「あらあら、腰巾着が仲裁してくれるみたいよ」

「ほんと。お優しいこと」

「でも、私達の味方じゃないみたいね」

「折角だからもらっておくわね」


 狸の方が私に歩み寄ると、私の手から玄蕃桶を受け取った。そしてニヤリと口元を意地悪く歪ませる。


 (あ、やな予感)


 そう思った瞬間。


「ご苦労さま」


 狸は満面の笑みで受け取ったばかりの玄蕃桶を私に向け、ひっくり返した。

 サッと避けたものの、バシャンと勢いよく私の足元に水がかかる。


「あなた達は何をしているんですか」


 声を押し殺し、私は告げる。


「何って、水の中に虫が入っていたから。汚い水を美麗(みれい)様にお届けする訳にはいかないでしょう?」

「そうそう。私たちは優しいから、新参者のお手伝いをしてあげてるのよ。美麗様に叱られないようにってね」


 悪びれる様子もなく答える二人。しかし私は二人の口から飛び出した名前に惹きつけられる。


 (美麗様?それって誰だっけ)


 何処かで聞いたと、私は記憶を遡る。確かあれは、くノ一連い組の飲み会だったような。


 (あ、御湯殿(おゆどの)に派遣されて、一度だけ公方様のお手付きになったと噂された人)


 確かその子の名が、美麗だったはずだ。


「もう気が済んだだろう?」


 帷様は呆れたようにため息をついた。そして意地悪な狸の手から空になった玄武桶を取り上げる。


「その辺にしておけ。長居が過ぎると自分の首を締める事になるぞ」

「あら、心配してくれてるの?ありがとう。せいぜいその美貌を武器に、公方様に取り入るといいわ。まぁ、無理だと思うけど」

「それじゃあまたね、腰巾着さん」


 二人はクスクス笑いながら立ち去って行った。


 (大奥、こわい)


 私は理由もなく悪意をぶつけられた事に恐怖を感じた。


 (でも美麗様という情報を残していってくれたから)


 儲けものかも知れない。


「おい、大丈夫か?これを使え」


 帷様がどこから取り出したのか、真っ白な手拭いを差し出した。


「あの人達、美麗様と口にされていましたね。それにここに来たのに玄蕃桶を持っていきませんでした。もしかして、帷様の偵察に来たのかもしれません。それは彼女達の意思なのか、それとも誰かの指示なのか」


 何か見落とした点はないか、二人とのやりとりを思い返そうと、腕を組む。


「美麗様か……」


 その名を口にしてみるが、特に情報は思い出せない。


 (そもそも外にいる時はあんまり話題にあがらなかった人だけど)


 大奥内ではそれなりに派閥を築いているようだ。これは調べておく必要があるかも知れない。


「おい、後でじっくり考えれば良いだろう?とりあえず濡れた場所を拭いておけ。風邪をひくぞ」


 視界に入る男らしい骨太な手。その手にはしっかりと布が握られている。

 確かに濡れた所に風があたり、足の爪先がかじかんできたような。


「ありがとうございます。お借りします」


 私はありがたく受け取り濡れた足元を軽く拭う。


「そうだ帷様。(とが)めるとか、そう言うつもりはないんですけど、今のような場合、先ずは私があの性悪二人組の子分になる方が、手っ取り早く情報を入手できたと思うんです」


 私は自分の足元を拭う手を止め、真面目な顔で帷様に告げる。

 

 あの時帷様が口を出さなければ、今頃私は狸と狐の仲間入りをし、二人の身分を難なく知り得ていた可能性がある。


 (うーん、残念だ)


 私は再度腰を折り、着物の裾にかかった水を拭き取る。そして頭の中では早速いつ、どうやってあの二人の素性を探り出そうかと、策を練る。


「確かにそうだな。しかし、今のお前は俺の部下だ。よって、単独行動は許さん」

「え、でも」

「俺が困る」

「……なるほど」


 先程の様子を振り返って見ても、帷様を一人でウロウロさせるのは危険だ。期間限定で私の上司となった帷様が職務を全う出来るよう、お力添えをすること。それが私の任務でもある。


「承知いたしました。私は引き続き、帷様の元で任務に励みます」

「うむ、頼んだぞ」

「御意。ではあと少し、水汲みを頑張りましょう」


 私は帷様に借りた手ぬぐいを袂に入れると、足元に置かれた玄蕃桶をひょいと手に取る。


「全くお前は」


 何か言いかけて、帷様は飲み込む。


「何ですか?」

「いや、真面目だなと思って」

「それっていけない事なのでしょうか?」


 思い切って帷様に尋ねる。


「いいや。むしろ褒めるべき事だと思っている。ただ、そんなに気張らなくとも、もう少し肩の力を抜いても良いと思っただけだ」

「でもこれは任務ですし。相手に隙きを作るためにも、物わかりの良い女中を演じておくべきです。ですからたかが水汲み、されど水汲みだと思うのですけど」


 私は仕事にかかろうという意味で、玄蕃桶を掲げて見せる。


「そう言えば、お前は昔から頑固だったな」


 帷様はまるで頑固が良いことであるかのように、楽しそうに口元を緩める。それから井戸の前に立つと、縄の先についた桶を手に取った。


「さ、残りを片付けるぞ」

「はい!」


 力強く返事をする。そんな私を見て、何故か帷様の顔にはしっかりと笑みが浮かんでいたのであった。

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