鳥網の夕暮れ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
網、と聞いたときに君が真っ先に思い浮かべるものはなんだろうか。
虫取りに使う網、魚を獲るときに使う網など、物体が多いんじゃないだろうか。
実際、網は「連絡網」という言葉があるように、広がりとつながりを感じさせる言葉だと思っている。
ときに、ターゲットの知らぬ間に張り巡らされ、いざことが起こればもはや逃げ場なく、からめとられるしかすべがなくなる。罠をあらわす言葉としても、適しているといえるだろう。
最近、友達から聞いた話があるんだ。耳に入れてみないかい?
夕方になって、カラスが群れを成して巣へ帰っていく。
枕草子でも語られたような季節の風物詩であり、絵になる景色だ。
だがその飛び方について、君はつぶさに観察をしてみたことはあるか? 視界の端から端へ、彼らの移動の一部始終を見届ける人はあまりいないのではないだろうか。
よしんば、じっくり眺めるときがあったにせよ、何事もなく済んでしまい、さして印象に残らないまま……ということもあるかもしれない。
だが、友達が出会ったものは、それまで見たのとは様子が違ったそうだ。
その日は、たまたま夕陽の沈む方向が帰り道だったという友達。
石につまずきかけたことがあってから、視線はややうつむき気味に歩くようになっていたそうだが、やがて行く手を赤信号にはばまれる。
くっと顔をあげた。真っすぐ伸びる市道は、このまま数キロ進めば大きな川を横切る橋へたどり着く。その向こうの山々さえ、遮るものがほとんどない見通しのきくポイントだ。
暗くそびえる稜線。その谷間に、いま西日が差し掛かって赤々と燃えているところだったという。
その陽の中を、さっと左から右へ横切らんとする影が見えた。
カラス。見慣れた黒い身体が、羽を広げて飛んでいくものの、その時はめったに見せないフォーメーションを組んでいた。
飛んでいるのは三羽のみ。線で結べば、横から見た「く」の字になる。
上下を固める二羽がやや先行し、中央の一羽がやや後方に。
普段は同じような隊形であっても、もう何羽かが互いの空間を埋める形で飛んでいくはずだ。それがどうして今回に限って、このような……。
ここの信号は変わるまでが長い。待たされている間に、同じような隊形のカラスが二度、三度と横切っていく。
つい、ちょっとあごを突き出すような格好で見入っていた友達も、歩行者信号の青には敏感に反応。とことこ横断歩道を渡り出すも、カラスたちはおとなしくなるばかりか、動きを別にしてきた。
今度は「く」の字の反対、入れ替わった不等号のような形で、向きも右から左へ変わり、さかさまとなったカラスたちが飛ぶ。
歩道を渡り切るころには、すでに第二陣も過ぎ、第三陣がのぞき出していた。
いとこはまた足を止め、あらためて目を凝らしてみる。カラスたちはなお右から左へ、左から右への、往復を繰り返している……。
ようやく見えた。
彼らは視認しづらくなる、山々の影。沈みゆく陽の中を渡りきった後に待つ暗闇の中で旋回し、向きを整えていたんだ。
あそこにあるのは5陣、15羽限り。それがひたすら往復を繰り返し、幾度も陽の中を陰らせ続けている。
家までは、いましばらくこの道を進まねばならない。友達はやや足を早めながら、カラスたちの動向を見守り続けていた。
距離を詰め、わずかながら大きくなっていく彼らの姿は、じきにスパンが短くなってくる。
山の影へ、隠れたそばから、すぐ陽の中へ。とぎれる間隔はじょじょに狭まり、一連のよどみのなさはフォークダンスもかくやという、回転ぶり。
友達が間を詰めていくうち、カラスたちはとうとう陽の中をぐるぐる回り始めるように。
――包囲網だ。
友達の頭によぎったイメージは、それだった。
あれは囲みだ。何かを狙い、追い詰めるためにカラスたちはあそこに集ったんだ。
そして今は、大詰めの段階。そう思った。
ところが。
すっかり陽の中で、黒い帯を成そうとしていた一部が、ぱっと壊れて散った。
乱れた網。こぼれる陽の茜色。そしてその真下で、どっと柱のような土ぼこりが上がったんだ。
グラウンドのものを思わせる、黄色い粒たちの塊。
最初の柱が沈み切らぬうちに、ずっと背の小さい砂たちが波となって、幾度も地表近くでかすかに湧き立つのが見えた。
しかも、そいつはこちらへ近づいてきているらしい。
悟った時にはもう、数百メートル先の田んぼが被害に遭っていた。
刈り取りも終わった土地の土たちが、大きいモグラでもいるかのように盛り上がり、すぐ形を崩して、わずかな泥を宙へ吐いていく。
市道の脇は、ここに至るまで民家はなく、ただ田んぼときどきあぜ道が横たわるのみ。人の走りよりずっと早く迫る土の盛り上がりは、いよいよガードレール越しにいとこのすぐ手前までやってきたんだ。
その正体を、友達が見ることはない。
たちまち、友達の視界に映る田んぼのほとんどを、うごめく黒い影たちが隠してしまったのだから。
信じられないことだった。
瞬間に見た景色が確かなら、この影たちは先ほどまで陽の中にいたカラスたち、そのもの。
つい先ほどまで、何キロ向こうにあったか分からなかった連中が、ぐぐんと瞬く間に距離を詰め、ここに現れたのだから。
いま友達は、無数のカラスが囲む輪たちの中にいる。
いや、本当にカラスかは疑わしい。彼らの身体が黒く見えるのは、背から羽にかけての部分のみ。
じかに見る首から足にかけての内側は、おのおのが目もくらみそうな銀色の光を放っていたのだから。
照り付ける光の中、円陣を組む彼らの爪先には、同じく銀色の細い糸がくっついている。
円を描くたび糸たちは互いによじれて太くなり、車輪のスポークのごとく、カラスたちの足と足とをつないでいく。
ひとつ、赤子を思わせる声が響いた。
それにわずか遅れて、カラスたちはあっという間に高度を上げる。
まばたきした時には、すでに上空にゴマのごとき姿を残すばかりとなっていた。
ほんの数秒足らずの奇怪な出会いだが、田んぼの土たちの不可解な盛り上がりだけが、先のことが事実だと物語っていたらしい。
いかなる捕り物だったのか、友達は今でも想像をめぐらせることがあるそうな。