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いとをかける

作者: tatsuya

社会人の大変さはいくつもあると思うが、一番大変なのは休みもまた仕事のためにあるという点だろうと愚考する。体力を回復させる、身だしなみを整える、病院へ行く、お金周りを整理する。そういった休日にする全てのことが仕事に消費されてしまうもの悲しさが社会の厳しさの一つと言える。現に今、災害規模の台風を前に、仕事のためにビジネスホテルへ向かう企業戦士が一人いた。私だった。


 


「・・・・・・ふぅ」


 


 右手には手提げかばん、左手には母が用意してくれたコンビニの食料品たち。背中には着替えをつめこんだバッグを背負ってタクシーに揺られていた。外を眺めると日曜日とは思えないほど見通しの良い博多駅前の広場が見えた。博多駅のまわりをぐるりと回りこんで筑紫口側を走っていたタクシーは急に止まると、運転手は「ここでいいですか」と振り向くことなく聞いてきた。


 


「ここでおろしてください」


 


 今日泊まるビジネスホテルは初めて泊まるホテルだ。ホテルで働いている父にもっと話を聞いてくればよかったとも思ったが、その父も泊まり込みで仕事だ。ホテルマンが本当にホテルに泊まるだなんて、当たり前のような、そうでないようなちぐはぐさがある。


 


「ありがとうございました」


 


 あいまいな挨拶は夜に溶けて、私は足を前にすすめた。いったん荷物を置いてスマホで検索を、なんて考えていたら、その足を止めるために、脇にそれた先が目的地のホテルだった。


 


 ホテルのなかは一本道で、入ってすぐに受付がり、受付の左右それぞれにエレベーターがあった。9000円しただけはあって貧相ではない印象だが、玄関に入ってすぐ右手になぜか電子レンジがあったりと、どこか取り繕ったような滑稽さがある。


 


「いらっしゃいませ。お名前を教えていただけますでしょうか」


 


 受付はなるべく接触がないようにするためか、機械での受付だった。署名も本人確認も機械で行い、ルームキーまで端末から発行されたときは感心さえ覚えた。


必要は様式をたやすく変化させるのだ。


 


 部屋についてみたが、そう驚くようなことはなかった。ビジネスホテルとしては高いが、サービスの充実したホテルと比べると物足りないような、ありきたりな一室だった。あえて文句を言うならば電子レンジが一階にしかないことと、枕から他人の頭皮のなんともいえない、使い古された匂いがすることだろうか。今までわからないと思っていた、自分の枕でないと眠れないという気持ちをはじめて理解できた。


 


 スマホのメッセージの通知に気が付いたのは風呂から上がってのことだ。一番下の妹から、動画サイトで兄妹3人が好きなアイドルのライブが始まるという知らせだ。もう上の方の妹は準備万端のようで、めったに入らない一番風呂に入ったらしい。


 通知が来ていたのは風呂に入っている間のことだったようで、もうライブがはじまって30分がたっていた。動画サイトに送ってもらったリンクからサイトに跳ぶと、曲の途中だったらしくゴキゲンなサビときらびやかなステージ、そして光にうかぶアイドルがはっきりと見えた。少しかくついた映像がなめらかになったとたん、堰を切ったようにスタンプとコメントが、それこそ台風のように渦を巻いていた。台風の目である彼女たちは目には見えない風を気にすることなく、静謐なステージで思うがままに空を舞い、のどを震わせる。


 


 この映像を、同じように妹たちもみているなんて。妙な気分になったと同時に、テレビと変わらないのにどうしてこうも、友達と長い間話したような充足感があるのだろうかと不思議にも思う。寝そべってスマホを天にかざして参加している私もいれば、妹たちのように熱狂している人もいて、世界のどこかで本当に画面の中のドットたちと同じ踊りをしている人間がいるんだという事実が、胸を躍らせる。


 


 せっかくの日曜が仕事のためにすり減らされるような倦怠感を感じていたが、なんだか楽しくなってきた。この気持ちを十全にかみしめないともったいないように感じた私は自販機にアルコールを求めることにした。長く湿った髪をおしつけた枕からはシャンプーの香りがした。

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