陰キャ能力者のアオハルノート
五月の陽射しは柔らかく、屋上に吹く風は心地よい。
穏やかな昼休みだ。
春にこの高校に入学して以来、旧校舎の屋上はすっかり俺──高望昇太にとって昼休みの憩いの場となっていた。
食べ終えたナポリタンドッグの袋を丸め、ペットボトルのメロンソーダを流し込む。
あとは昼休みの終了まで、この給水塔の陰で惰眠を貪るだけ。
目を閉じて仰向けになると、まぶた越しに日の光を感じる。
そして俺は眠りの世界へと──
「宮坂!」
睡眠を妨げるは、野太い声。
なんだよ、騒がしい。
上体を起こし、握り込んだナポリタンドックの空袋をくしゃりと丸める。
溜息ひとつ、傍らに置いたベッドボトルを傾け、刺激を伴う甘さで喉を潤す。
ついでに声がした方を覗き見る。階段室の前あたりに、女子の背中が見えた。長い黒髪が初夏の風に踊っている。
だが、聞こえたのは男子の声だ。
もう少し身を乗り出すと、女子と向かい合わせで立つ、背の高い男子が見えた。あの男子が声の主か。
「宮坂、オレと付き合ってくれ」
「ごめんなさい」
うわぁ。これが噂に聞くアオハルってやつか。
いいねぇ。
眩しいねぇ。
ま、勝手にやっててくださいよ。できれば俺のいないところで。
青春に縁の無い陰キャな俺は、昼寝で忙しいのだよ。
独りごち、再び皐月晴れに身体を横たえた時──男の怒鳴り声が鼓膜に響いた。
「は? 何でだよっ」
泰平の、眠りを覚ます、何とやら。
出来れば男子の怒声より、美少女の囁きを所望したい所存。
しかし、口振りからして、男子はよっぽど自信があるのか。うらやましい。その自信を少し分けて欲しい。
「理由が必要ですか?」
「当たり前だろ、それが礼儀だろうがっ」
思わず噴きそうになった。勝手に告白しといて、礼儀も何もあったものではない。
「あなたを全く知りませんので。以上です」
「そんな理由で納得出来るかよ」
え、これ以上食い下がるの? 馬鹿なの?
女子の言葉を聞いたよね。断言だよ、あれ。
「では、その前に……」
涼やかな声音が耳をくすぐる。
「まず、私に告白するに至った経緯をお聞かせください」
「そんなもん理由は一つだろ。好きになったからに決まってる」
「では、なぜ全く面識のない私に、好意を抱くに至ったのでしょうか」
え、面識無いの?
初対面の相手に告白しちゃったの?
そんな特攻が上手くいくのは物語の中だけだよ?
よく知らんけど。
「おい、宮坂。よく考えろよ」
すげぇな、あいつ。この期に及んで、論点をすり替えようとしてる。
自分勝手もここまでくると尊敬しそうになる。
「二年生のオレが! 一年生のお前に! こうして頭を下げて告白してるんだぞ!」
おっと新たな情報だ。
男子は二年生で、女子は俺と同じ一年生か。
てか、何が「こうして頭を下げてる」だよ。ずっと誇らしげに胸張ってるじゃねぇか。遠い惑星から地球の平和でも守りに来たのかよ。クリプトナイト投げるぞ。
しかしだ。
まずい状況になってきているのは確かだ。確実にあの先輩男子は苛立っている。
幸いにも奴等と俺は、屋上の端と端。被害を被ることは無いと思うけど。
すっかり眠気を飛ばされた俺は、身体を起こして胡座をかく。
さて、どうしよう。
面倒事に巻き込まれる前に、早々に屋上から退散したい。
しかし彼らは、階下へ続くドアの近くに陣取っている。
徒歩で屋上を去ろうとすれば、確実に彼らに遭遇するのだ。
「……瞬間移動で逃げちゃおうかな」
幸い今は、ナポリタンドックを食べた直後。エネルギーはある。非常に疲れるくらいで済むだろう。
「さて、どこに着地するか」
ごちて、すぐに却下する。
瞬間移動した先で誰かに見られたりしたら、これまで目立たない様に過ごしてきた努力が水の泡になる。
ただでさえ中学の時に色々あって、じいちゃんの所に居候させてもらっている身だ。これ以上の迷惑はかけたくない。
ちらりと、中庭を挟んだ向こうの新校舎を見る。
向こうの屋上までは、およそ二百メートル。人はいない。
だが、じいちゃんや妹ならいざ知らず、俺の弱い能力では、あそこまでの瞬間移動は無理だ。
さて困った。
その時、違う理由で困っていた女子は、男子へ告げた。
「なら、一つお願いを聞いてください。叶えてくれたら、考えます」
「おおっ、なんでも言ってくれ!」
男子の声が弾む。可能性ありと考えたらしい。
だが、無情にも可能性の芽は摘み取られる。
「空を、飛んでください」
思わず噴き出しそうになった。人間が空を飛べる筈は無い。そんな事が出来るのは、うちのじいちゃんか妹くらいだろう。
もちろん、能力に劣る俺には出来ない。しばらく試してないけれど。
「ふざけてんのか」
今度は男子が困惑する番だ。
「ふざけてなど、いません」
「じゃあ体力の話か。走り幅跳びなら六メートルは……」
「それはただのジャンプ。空を飛んだことにはなりません」
不可能な事を条件にする。妥当な断り方だ。だが、それも相手が納得すればの話。
納得しなければ──
「どうやらあなたは、空を飛べない様ですね。では私はこれで失礼──」
「おいふざけんな!」
「きゃあっ」
──こうなるよね。
男子の脇をすり抜けて、階下へ繋がる階段室のドアを開ける女子。その女子の手首は、男子に掴まれた。
「はにゃ、離してくださいっ」
本気の拒絶だ。まあそうなるよね。
てかあの女子。今「はにゃ」って言わなかったか?
いや、今はどうでもいい。
「このっ、無感情の癖にっ」
え。無感情って、なんだ。あと「はにゃ」ってなに。
「宮坂って、感情が無いらしいな。そんな宮坂に、このオレが、感情を取り戻させてやるって言ってるんだ」
「……私は望んでいません」
「遠慮するなって、ほら、ほらぁっ」
「やめてくださいっ」
事態は悪い方へ動いている。迷っている暇は……あまり無さそうだ。
正直、無感情という意味も気になるが、それは棚の上にでも上げておこう。
さて。
女子を助け、かつ俺自身が目立たずに屋上から脱出する方法。
「──疲れるけど、仕方ないか」
能力を使うことを念頭に、素早く簡単な作戦を立てる。
まず、俺が使える能力は、二つ。
瞬間移動と念動力だ。
瞬間移動はおよそ百メートル、念動力は自分の体重より重い物は動かせない。
ひ弱で使い勝手の悪い能力だが、要は使い方だ。
今回は、この両方を使う。
まず、蓋を開けたペットボトルを能力で飛ばして、男子の頭上に移動させ、男子に浴びせる。女子に被害が無いように気をつけなきゃ。
奴が混乱してる隙に、屋上のドアの向こうに瞬間移動して、偶然を装って登場。
そして、叫んで空気を完全にぶち壊して、トンズラ。
うん、我ながら完璧だ。
ボトルを傾けて一口。まだ半分くらい残っているけど、お別れだ。
俺は手に持ったペットボトルへ、精神を集中させる。
──念動力!
ペットボトルは、ふわりと高く浮かび上がる。
イメージは、ペットボトルの口の部分を摘んでぶら下げる感じ。
──いけっ!
空高く舞い上がった中身半分のペットボトルは、俺の貧弱な念動力でも十分な速度と安定感をもって飛んでいく。
そして男子の頭上に到達したペットボトルを、ひっくり返して──溢す。
「あひゃ!?」
甘い液体が男子の後頭部にかかる。
「ふごっ!」
続いて、とどめとばかりに空のペットボトルが男子の頭にヒット。
今だ!
開きっぱなしの屋上のドアの奥に視線を合わせ、集中する。
──瞬間移動!
直後、俺は屋上のドアの向こう、階段を上った場所に降り立っ……え!?
着地した瞬間、美少女が階段室に走り込んできた。
「きゃっ!」
「ごっ、ごめん!」
咄嗟に謝罪して、大きく後方へジャンプ……あ。
足の下に、床が無い。
身体が浮揚した感覚が消え、重力に引っぱられる。
逆光の中に浮かび上がるのは、美少女が驚く顔。
「と、飛んだ……」
女子の声を聞きながら、俺はゆっくりと落ちていった──
──消毒液の匂いがした。
直後、眩しさを感じて目を開ける。
寝返りを打つと、クリーム色のカーテンが見える。
そして俺を見つめる美少女──え?
「気がついた?」
なんだ。なんなんだ、この状況。跳ね起きて、辺りを見回す。
美少女……宮坂と呼ばれていた女子か?
でも、何故その宮坂がここに?
「ど、どういう状況?」
「ここは病院です。あなた、階段から落ちたんです。覚えていませんか?」
「病院……?」
「大……丈夫、ですか」
「あ、ああ。まあ、大丈夫」
不安げな声にしどろもどろで答えると、宮坂は一瞬安堵の表情を浮かべて、居住まいを正した。
「……ごめんなさい」
きっと、瞬間移動した直後にぶつかったことを謝っているのだろう。
「そ、そっちは、怪我は」
「おかげ様で、何ともありません」
宮坂は長い黒髪を揺らしながら、首を横に振った。
「これを……」
宮坂が何かを差し出し……え?
「では、また」
去り際、宮坂に渡されたのは──俺が能力で飛ばしたのと同じ、メロンソーダのペットボトルだった。




