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魔人エドガーの足跡

【ブリュス共和国、ある傭兵から】



 エドガーを追うなどやめた方がいい。

 きみにどんな理由があるにせよ、死んでしまえばすべては意味を失くす。

 よく考えた方がいい。少しでも命が惜しいなら、あれに触れてはならない。


 ……そうか。忠告はした。

 では、どこから話そうか。


 あの日の事はよく覚えている。

 気味の悪いぐらい、青く晴れた日の出来事だった。


 この国にはかつてブランキーニという豪商がいた。

 武器も売る、女も売る、男も売る、クスリも売る。およそ売れるものは何でも売る。そんな男だった。

 あの丘の上に大きな屋敷が見えるだろう。あれもブランキーニの屋敷だった。

 派手な生活をしていた。当時あの男の下で働いていた俺はいつも羨ましく、妬ましく眺めていた。

 もちろん、多少はおこぼれにもあずかったがね。

 今の門番なんかよりずっと収入もよかった。


 そう思うと少し惜しい気もするが、それでもブランキーニが死んでよかったと思う気持ちに変わりはない。

 元より悪趣味な男だったが、あそこまで悪趣味に至れば裁かれて当然だ。


 ……うむ、すまない。エドガーの話だったな。

 あれは、いつものようにコレクションを運搬していた時だった。


 コレクションの中身が我々に知らされる事は一度もなかった。

 すべてが厳重、極秘扱い。勝手に中身を探ろうものなら家族から殺されていただろう。

 だからあの時もいつも通り、この門からあの屋敷まで荷馬車の警護をしていた。

 荷から女の悲鳴のような声が聞こえたのを覚えている。だがそれにしたってよくある事だ。俺も、他の警護の連中だって誰も気にしていなかった。


 ブランキーニの荷馬車が通れば、道行く者は誰もがその前を空ける。邪魔者を殺せばボーナスが入る契約だったからな。


 しかし、あの日だけは違った。

 目の前にエドガーが立ち塞がった。


 風が吹けば倒れてしまいそうな、細く小柄な老人に見えた。

 伸びた白い顎ヒゲを見て、捨てる前のペン先のようだと思ったのを覚えている。あとは……そう、それだ。着流しという服だ。今は亡きマグラカン帝国の伝統衣装を纏っていた。ひどく汚れた黒に近い土色をしていた。


 老い先短い老人に見えても、腰に妙な剣を提げ、荷馬車の進路を阻んだからにはボーナスの対象だ。

 四人が先に動いた時、俺は後れを取ったと思った。

 それでも職務怠慢で減給されるのは避けたかったから、間に合わないと知りながら俺も動こうとした。

 だが不思議な事に、動かなかった。

 今の今まで当たり前のように荷馬車の隣を歩いていた俺の身体が、完全に俺の意志ってやつを否定したかのように感じた。


 あの時、生死を分けるのは実に些細なタイミングでしかないと悟った。

 肉体など魂を運ぶ小舟に過ぎない、そう実感した。


 槍で襲い掛かった二人、剣で襲い掛かった一人。

 三人とも、黒い炎に焼かれて灰になった。


 これも生き残ったから思える事だ。きっと三人は今でも自分が死んだとは気付いていないだろう。

 一体誰に予想できる?

 世捨て人のような、薄汚い老人の身体から、骨も残さないような黒い炎が吹き荒れるなんて、誰にだって考えられないだろう?


 ……うん? ああ、先に四人動いたと言ったな。間違いではない。

 一人は弓兵だったんだ。荷の上にいたから直接は見ていないが、黒い炎が荷の上まで、まるで自動反撃型の魔法のように牙を剥いて伸びていたから、きっと同じように灰になったのだろう。


 馬に乗っていた御者が変な声を上げて逃げ出し、街は悲鳴と混乱に包まれた。

 俺も殺されると思った。ゆっくり、ゆっくりと、エドガーがこちらに向かってきていた。黒い炎は消えていたが、そんな問題ではない事ぐらいきみも分かるだろう。

 華奢で小柄な体躯から、死そのものが立ち上って見えた。


 だが俺の身体はまともに動いてくれない。勝手にへたり込み、震え始めていた。逃げろ、逃げるんだ、逃げろ! 

 心の中ではそう叫んでいたが、口には出なかった。乾いた血が張り付いたみたいに喉が干上がっていた。


 そうしていつの間にか、嵐の中心には俺と荷馬車だけが取り残されていた。

 エドガーは俺を見下ろし、白く長い顎ヒゲを撫でた。

 それだけだった。荷に振り向いたエドガーは悠々と妙な剣……そうか、刀というのか。その刀とやらを抜き、幌を斬った。


 中には首だけを残しあとはミスリル銀に固められた少女がいた。

 あまりにも――あまりにも悪趣味極まるコレクションだ。ブランキーニが悪趣味なのはよく知っていたはずなのに、それでも俺は吐き気を覚えた。


 きみは騎士のようだし知っているだろうが、ミスリル銀は火炎魔法の中でも一部の上級魔法でしか溶かせない。溶けている時間だってごく僅かだ。硬度も値段も魔法の触媒としても最高クラスの鉱物だ。

 そんなもので人間を固めようとする発想がまず異常だ。

 普通ならあまりの高温に一瞬で焼け死ぬ。

 その時に気付いてもよさそうなものだが、それでも死んでいない少女もまた異常だと気付いたのは、もう少しあとだった。


 エドガーの顔を見るなり、緑色の髪にネコのような耳を生やした少女は嬉しそうに笑った。


「おじーちゃん!」


 そう、おじいちゃんだ。少女はエドガーの事をおじいちゃんと呼んでいた。

 屈託のない、何の罪もなさそうな笑顔でそう呼んでいた。

 それから二人はしばらく言葉を交わしていた。もちろんよく覚えている。


「見つかっちゃったからー、私の負け?」

「おぬしは何をしておる」

「かくれんぼ? かもしれない」

「勝手に儂から離れるでない」


 それからのエドガーの剣捌きは、まさに神業と言う他なかった。

 刃物では傷もつけられないはずのミスリル銀を、まるでバターのように斬り分けていったのだからな。

 ネコのように身を震わせ、少女はミスリル銀の檻から抜け出した。ガラガラと破片が飛び散る中、宙で身体を捻り、悠然とエドガーの前に着地した。融解したミスリル銀を浴びたはずなのに、少女の身体はきれいなものだった。

 その時、ようやく理解した。

 ネコのような耳と長い二本の尾――少女は魔物だった。

 そこで初めて異様な老人の正体に繋がった。

 この老人こそ、あの魔人エドガーなのだと。

 丁度同じようなタイミングで、魔物の少女と目が合った。魔人エドガーのそばにいながら、俺がまだ生きている事に気付いたのだろう。少女はこんな事を言った。


「おじーちゃん、あの人食べていい?」と。


 自らの死を実感した者はもっと抗うものと思っていた。

 だが現実はそんなものではなかった。明らかな、余りにも明らかな死の宣告を耳にした時、人はあっさりと生を手放す。

 もう自分には未来がないらしいと悟った時、命はとても軽くなる。

 くれてやっても構わないと思うほどに、命の価値を失ってしまう。


 だが俺は今もこうして生きている。正直なところ、この辺りの記憶は曖昧だ。参考になるか怪しいものだが、一応伝えておこう。

 長い白ヒゲを撫でながら、俺を見下ろしてエドガーは言った。


「よしなさい」

「食べちゃだめ? どうして? おじーちゃん、私お腹減った」

「黙りなさい。……おぬし、この娘をどこへ運んでいた」


 理由は分からないが、どうやら俺は助かったらしいと気付くのにしばらく。

 魔人エドガーから質問されていると気付くのに、もうしばらく。

 言う事を聞かない俺の腕が、勝手にブランキーニの屋敷を指差した。


 ブランキーニを殺してほしいと思った訳じゃない。

 仲間を売ろうとした訳じゃない。

 だがこうすれば命が助かる、しなければ殺される、そういう判断を迫られた時、身体ってのは勝手に動くものなんだ。


 ……それから多くの者が死んだ。

 屋敷を守るブリュスきっての精鋭達が押し寄せ、ある者は灰も残さず焼かれ、ある者は斬られて死んだと聞く。

 生き残ったのはエドガーに抵抗しなかった者だけだ。ブランキーニのコレクションだとか、召使いだとか、そういう連中だ。


 エドガーが屋敷から戻ってくる事はなかった。

 確証はないが、おそらくブランキーニが作っていたトンネルを通って山の向こうへ抜けたのではないだろうか。

 俺が知っているのはそこまでだ。


 今にして思うのは、生き永らえた今だからこそ思うのは、あの時、俺の身体が動かなかったのはエドガーの力ではなく、ましてやネコの魔物の力でもなく、まだ死ぬべきではない運命の歯車に、たまたま俺が選ばれただけではなかったかという事だ。


 もちろん根拠などない。だが、きみに話していてそう感じた。

 あるいは、きみに伝えるために俺は生かされたのかもしれない。

 知らないあいだに抱えていた重い荷を下ろしたような、そんな気がした。


 だがもう一度言う。何度でも繰り返そう。


 エドガーを追うなどやめた方がいい。

 きみにどんな理由があるにせよ、死んでしまえばすべては意味を失ってしまうんだ。


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