花陰に微笑む私
「ねえ、お姉さま。私に全て譲って下さらない?」
三年前の夏の終わり。二歳年下の妹が放った言葉は、私がそれまで過ごしてきた世界を丸ごと消し去った。
婚約者だった王太子を妹に奪われて婚約破棄。薄々彼らの仲に気づいてはいたが、まさか国がひっくり返るほどの騒動を起こすとは思わなかった。それだけも大きな瑕であり、私はすでに二十一歳。この国では十分に行き遅れの年であり、優良物件はすでに売り切れ状態だった。
しかも、これだけでは終わらなかった。妹は私を徹底的に追い詰めたかったらしい。妹のオネダリによって私は侯爵家を勘当され、平民としてほぼ無一文で追い出された。それに加えて、元婚約者も元婚約者で、これ幸いとやってもいない罪状を私に着せて、めでたく私は国外追放。形だけの裁判の被告として出廷した時、かつてよくしてくれた国王陛下から侮蔑の視線を向けられたのを今でも覚えている。
ほぼ全てを奪われた当初、妹や元婚約者をはじめとする国の連中に対して、復讐しようと考えた。だが、ただの平民である私には到底叶わないもので、絶望から死にたいと何度も思った。
残された数少ないモノである二歳年下の従者、リカルドはそんな私にずっと付き従ってくれた。気持ちが落ち着いたころ、名前を『カメリア・アマルフィ』とし、長かった栗色の髪の色も長さも変えた。そうすれば、『アメリア・フォルツァンガ』を消すことができると思ったからだった。そして、足跡を消すために国を越えて引っ越し続け、今はアリスデリス王国の都市、マルメラに住んでいる。私はリカルドに平民の日常生活を習い、今では『遠い国から移住してきた商家の娘』という設定でのびのびと暮らすことがきている。
もちろん、あの時の憎悪を忘れてはいない。だが、コングレ公国で出会ったあの方から、今の商売を紹介してもらったおかげで生きがいができ、しばらく、彼らのことは考えずに生きてきた。
今日もその下準備を行う。鏡の前に立った私は、染め直したての短い黒髪を確認し、素顔がばれないように濃い目にした化粧も落ち度がないか確認した。
「カメリア様」
出かける準備が整い、確認のため、予定を手帳で確認していた私を焦った声で呼び止める声がした。その声の主は現在、私の秘書として働いてくれているリカルドだった。
「どうしたの?」
今日は新規顧客候補との面接にこちらから出向く手はずだ。それにもかかわらず、彼は出かける準備をしておらず、むしろ、私を家に押しとどめようとしている。
私の問いかけに煮え切らない顔をしたリカルドの後ろに誰かがおり、怪訝に思って見ると、そこには背の高い紺色の髪の若い男性がこの場にはふさわしくない、さわやかな笑みを浮かべて立っていた。その人は長い髪を無造作に束ねており、澄んだ青色の瞳は面白そうにこちらを見ていた。名前も知らない客人をとても美しいと思ってしまった。
また、彼はリカルドよりも背丈があり、筋肉もしっかりとついていることを考えると、騎士か軍人か。それとも、運動好きな貴族か。着ているものも飾りは一切ついてはいないが、見ただけで一級品とわかる物で、どのような形であるともかなりの身分があるようだった。
この商売を始めてから多くの男性と会ったことのある私だが、見たことのない人物だっった
「ごきげんよう、閣下」
私の言葉に何かしら怒りを覚えたのか、彼は一瞬、表情を険しくした。だが、彼はすぐに元の表情に戻り、口を開いた。
「――――私はレオ・バルゼディッチです。初めまして、カメリア・アマルフィ嬢」
男性の名乗りに、思わず私は驚いた。どうやら彼は今から会いに行こうとしていた新規顧客候補だが、何故、彼がここまで来たのか理解できなかった。
バルゼディッチ家はこの国の筆頭公爵家であり、レオ様は現公爵の一人息子で私よりも二つ上。現在は彼と同い年の王太子の筆頭護衛騎士のはずだ。そうそう気軽に出歩けるような身分ではないはずだが、供もつれずに、一人でここまで来ている。行動が予測できない人だと、感じてしまった。
「本当でしたら、あなたと約束していた場所でお待ちしようとしていたけれど、どうにも待ちきれなくて。紹介してもらった人に容姿は聞いていたから、近くで聞き込みをして、この家だと分かってね」
レオ様は私が考えていることに気付いたのか、微笑んでそう言う。次期公爵とだけあって、その微笑みは優雅だ。
「それに、あなたの行っている商売というものに、細やかながら私もお手伝いしたいと思った次第だよ」
彼の続けた言葉に、私は固まった。
私が行っている商売。
私はこの商売を決して綺麗なものではないし、正しいことではないと理解している。むしろ、この商売が明るみになったら、少なくとも私は処刑は免れないだろう。リカルドもあの方も――――。
そんな商売にこの国の貴族、それも次期筆頭公爵を巻き込むわけにはいかなかった。彼がこの商売に手を貸したことが周囲に知られた場合、何が起こるのかは自明だろう。
「私は日陰のもの。レオ様がおられる場所ではございませんのよ?」
私は彼に忠告した。すると、レオ様は不敵な笑み浮かべ、リカルドを押しのけるようにして部屋に入って来た。その足取りは迷いがなく、数歩で私の目と鼻の先までやって来た。
本来ならば家主に対し無礼にあたる行為だが、私は彼を糾弾することもできず、むしろ、彼の行動から目を離すことができなかった。
「全て承知の上だよ、カメリア嬢。でも、あなたはこの国でのコネクションが欲しいだろう?それを作ってあげると言ったらどうだい?」
彼は私の頤をそっと持ち上げた。その所作はまるで王子様のようだった。彼の眼差しに、身動きの取れなくなった私はただ頷くことしかできなかった。
「じゃあ、決まりだね」
彼はそう言って微笑んだ。私と彼の共犯関係が出来上がった。
もちろん、本題である彼の依頼も忘れていない。私は彼に席を勧め、リカルドにお茶の用意をさせた。
「あなたに依頼したいのはこの人物なんだ」
レオ様は手のひらサイズの肖像画を私に差し渡した。肖像画には一人の女性が描かれており、ぱっとみただけで分かるその姿は思い出したくもない人だった。
「この方は?」
私はその絵姿からそっと目を離し、きっと私の見間違いだ、そう願いながら震える声を抑えて尋ねた。レオ様は微笑んで答えた。だが、先ほどとは違い、今の彼の目は笑っていなかった。
「隣国、バドスのユリア・フォルツァンガ侯爵令嬢だよ」
ああ、やっぱり、と、私は崩れ落ちそうになった。しばしば肖像画は盛って描かれるそうだが、その肖像画は盛られておらず、ありのままの彼女が描かれていた。私とは違う鮮やかな金髪と宝石のような碧眼。私にそのどちらかでもあったのなら、婚約破棄されなかっただろうかとあの時、両親を呪ったんだっけ。
「何故、この方に対しての依頼をなさるの?」
現在の私の職業は復讐代行、依頼人の復讐を代行することだ。細やかな悪戯から、陰謀への復讐まで多種多様な依頼をただ粛々とこなしてきた。だが、今回は私自身の感情も入ってしまうだろうと感じられた。
「この令嬢は公爵家門下の伯爵との婚約話をいきなり破棄したんだ。お膳立てした公爵家としては面目丸つぶれだったよ。抗議した時に遣わした別の伯爵にこの女は横恋慕。既婚の伯爵もそれに乗っかって、奥さんと離婚しようとしたから、奥さんの実家である王家との関係が悪化したのさ。
結局、二人は破局して、あちらの王太子の婚約者だというが、三年経った今も、あちらからは一切謝罪されてないのさ」
彼がユリアに復讐をしたい理由が分からず尋ねると、レオ様は私の問いに苦々しく答えてくれた。その後なんとか、王家からお許しは頂いたんだけれどね、と締めたレオ様の言葉は、私の胸の内に深く突き刺さった。あの時分からこの騒動のことは知っていたが、今の今までこの騒動が解決してない事を知った私は身内として申し訳ない気分になってしまった。だが、それをこの場では言えないので、そっと胸の内にとどめておくだけにした。
「この仕事がどんなに難しいかは理解している。だが、あなたは全ての依頼を成功させていると聞いている。私はあなたに賭けたい。もちろん、これがいかに大変で、全てが明るみに出れば私自身も終わることを理解している」
この依頼に限らず、どんな内容であろうと復讐依頼が明るみに出れば、私も依頼者も一連托生。彼はその覚悟を持っているようだ。
復讐代行者は依頼者にあらゆる形で尽くす日陰者。さびれた一軒家でリカルドにあの方を紹介してもらった日、私は今まで感じたことのなかった生きがいというものを感じた。だからこそ、あの方に恩を返すため、私はすべての依頼を成功させてきた。だからこそ、自負できる。
失敗しない、と。
「依頼を断る気はないだろう?」
レオ様はダメ押しでそう尋ね、私は迷わず頷いた。今までで最高難易度の依頼だろうが、拒否する選択肢は私の中にはなかった。私もそれを成し遂げたい、そう強く願っていたからだ。
その願いが叶えられようとしている。
リカルドが戻ってきて、二人分のお茶を淹れたのち下がった。部屋から出て行くのを見やると、レオ様はそういえば、と続けた。
「本当は彼女の姉に対しても復讐して欲しいんだ」
その言葉に私は思わず、目を瞠った。だが、そんな私に構うことなく言葉を続ける。
「でも、それはできないよね?」
そう、そんなことできるわけがないのだ。だって。
「アメリア・フォルツァンガ元侯爵令嬢はあなただもんね?」
全てを知り尽くした笑みはとても綺麗で、残酷だった。