七話「いやまぁ呼称なんてどうでもいいけどさぁ…」
なんでもない振りして立ち上がり、向き直る。嘘なら竜苑寺はつき慣れていた。というかむしろ素の感情を出さないように散々訓練してきたから、それは日常とさえ呼べるものだったり。
そしてしれっとさりげない口調と歩調でベッドまで戻り、
「それで、"お兄さん"外に出たいんだけど――」
「"オジちゃん"、お家ないんでしょ?」
竜苑寺はモロに参ったという感じで頭を抱えて、
「ああ……無いよ? っていうかそれ、言わなかったっけ?」
「だったら、おうち貸してあげるよ」
――なんですと?
「え、いや……それは?」
「いいでしょ。おうちないと、大変だもんね」
「いや……ちょっと待とうかお嬢ちゃん?」
猛烈に頭痛くなってきて、竜苑寺は額を押さえた。なんなんだ、私は? こんな子供に、生活を心配されるような身分なのか? 自ら選んだ道とはいえ、惨めだった。
「どうしたの、オジちゃん?」
「いや……その前に、いい加減オジちゃんはやめてくれないかな?」
「だってオジちゃんはオジちゃんでしょ?」
「いや、その……一応私はまだ29歳で、30代じゃないから、オジちゃんというよりお兄さんと呼んで欲しいというか……」
「うん、わかったオジちゃま」
わかってなかった気もするが、でもオジさんからオジちゃんで、さらにオジちゃんからオジちゃまに、格上げ――したような気がしないことないような気もしないこともない気がするから、矛を収めておくのもまた大人の処世術かと納得しておくことにする、うむ。
竜苑寺は頭を切り替え、
「それで、オジちゃま帰らせてもらってもいいかな?」
「? お家ないんでしょ?」
「いや、その……」
「遠慮なさらずとも!」
そこで。
なぜか突然ジッ、と古代ギリシャの彫像のように直立して動かなかった執事が、割って入ってきた。
それに竜苑寺はやや面喰らい、
「は、はぁ……?」
彫像はやはり直立不動のまま声を張り上げ、
「我が邸宅は、其方のような御仁のひとりやふたりで傾くような柔な経済状況をしておりませぬ! 故! どうぞっ! ごゆるりとッ!」
「はあ? い、いやちょっと……」
「む?」
と、執事の顔が近くに寄った。それに竜苑寺は再度面喰らい、
「なっ、なんですか?」
「いえ、貴方、どこかで拝見したことが――」
先に竜苑寺のほうが、ピンときていた。
竜苑寺グループとして行った、かなり大きな商談のひとつ――大財閥の結橋家との取引をした際のこと。先方の代表として現れたのが、この男だった。随分と渋く、かつ捌ける男だったとは思っていたが、まさか執事だったとは――さらにはまさかこんな冗談みたいな屋敷で、映画のようなお嬢様に仕えているとは。現実は小説よりも奇なりもいいところだった。
なにはともあれ、誤魔化さなければ。
「い、いや、気のせいでしょう? 私の方は、一度も……」
「お名前は、竜苑寺さまと仰るのではないでしょうか?」
――マジか?
背筋がビクン、ビクン、と痙攣してきた。大きな商談や、もしくは武道やスポーツの大会の時のそれに近いものだ。ここを乗り越えなければ、明日は無い。
竜苑寺は気を引き締め、
「いや、私の名は……」
「竜苑寺グループの会長であられます、竜苑寺賢城さまですよね? なぜこのようなところに? いったい、どのような御用件で?」
お嬢様が頭を傾げ、
「じい、知り合いなの?」
「えぇ、我が結橋家が行った大きな取引相手の、代表取締役社長さま兼会長様でして……」
執事が確信を持ち、それにお嬢様が食いついてしまった。将棋でいえば王手飛車取りといったところか。もう、多くは望めまい。だとするなら、せめてなにかひとつは守らなければ。
「あれ? でもオジちゃま、お家ないって……」
「メイドさん」
お嬢様に最後まで言わせず、竜苑寺はあえて三人目に水を向けた。それに二人は言葉を止め、注目する。まず、一手。だが問題は、次の一手だった。
なにがなんでも、会社には連絡させん。
「はい、なんでしょう?」
メイドさんは、この異常事態にも不変の笑顔で対応してきた。慣れている。出来るメイドのようだ。女性はこうでなくては、むしろ私の秘書に欲しいなおっと脱線したか、と竜苑寺は0,8秒で頭を切り替える。




