四十五話「ラスボス前は心踊るね♪」
どっくん、とひと際強く仁の心臓が鳴った。合わせた掌には、べったりと汗が滲んでいた。鼓動が速くなっていた。
「さて、降りようか」
軽く言って、竜苑寺は颯爽と開いたドアから外に飛び出していった。それにお嬢様も、神妙な面持ちで続く。外を見ると、三ツ石がドアを支えてどこか期待しているというか愉しげなそんな表情で、こちらの動きを待っていた。
このまま外に出ず、車の中で身体を丸めてじっとしていたらどうなるだろうかと考えたりもした。
だがまるで慣性に導かれるように、その身体は外へと足を踏み出していた。
まるで雲の上を漂っているかのように、現実感が無かった。ふわふわと、足元がおぼつかない。そして、力が入らない。思考が働かない。なぜ自分がここでこうしているのかが、わからない。理解できない。
まるで城のような屋敷だった。その部屋にたどり着くまでに、幾人ものSPと出会っただろうか? 挨拶は、キチンと出来たのか? 幾人ものメイドとすれ違っただろうか? 必ず先に頭を下げられた気がする。そしてどれほど長い廊下を越えて、階段を上り下りし、そして幾たびもの竜苑寺との取り次ぎを経て、数え切れないほどの扉を開けた先に、主はいた。
「――今日アポを取ったのは、この為か?」
先が計り知れないほどの広い部屋の最奥で、マホガニーの机に両足を乗せ、肘かけの上で頬杖をつく姿はまるで世界の王のように映った。
竜苑寺は、ジャケットの前を開けていた。そしてネクタイも外し、シャツもボタンを上下ふたつづつ開けて、両手はポケットに突っ込んでいた。
対して暁成は臙脂の燕尾服をカッチリ着込み、その胸元にもスカーフ、赤っぽい髪はいつものように天を突いていた。
「…………」
傍に控える形になっている仁は、もはや混沌の極みにいた。まるで部屋全体が、ぐるぐると渦を巻いているようにも思えた。これからなにがどう起ころうが、それは自分の思慮の外であろうことだけは確信を持って言えた。
暁成の両脇には、5,6人の執事服を着込んだ男たちが右往左往していた。秘書や執事やSPや世話係だったりするのだろうか。自分とは違う世界の、自分とは関わりのないその人物たちに、抱くべき気持ちを仁は持ってはいなかった。
ただ、嫌な感じがした。
なにをどう受け取ろうとしても、その様子は好意的には見えなかった。
「この為、という直接的理由ではありませんでしたが、まぁ、私の直感が鐘を鳴らしていたというのは事実でしたがね」
「直感ねぇ、若ぇのがよく言うよく言う」
周りがシャキシャキ動いている最中、暁成は欠片もそれに加わろうという気配すら見せなかった。不思議だった。雑用はともかく、ハンコを押したり、指示を出したりなどの、そういう絶対必要と思われる業務すら放棄しているとでもいうのだろうか?
わからない。
屋敷の、外は――混沌だ。
「若いっていうのは、年齢がですかね? それとも経験不足? もしくは精神的な――」
「くくっ、若っけぇな!」
いきなり噴き出し、バンバンバンバン、と机のうえをぶっ叩く。まるでひとが変わったような豹変ぶりだ。それに軽く、背筋が寒くなる心地がした。
それに、竜苑寺は左腕を腹のうえ、その手の甲の上に右腕で頬杖をつくような形を作り、その右手で顔を覆うようにして――笑っていた。
「くっ……くくくく、いや楽しい?」
「楽しいねー、いやいや。竜苑寺グループの会長がどんなやつかと思ってみてみれば、お前前回はネコ被ってやがったな?」
「ネコ被ってたというか、被らざるを得なかったというのが本当でしょうかね?」
「おうおう、言う言う、お前そんなんじゃ世間の荒波を渡っていけねーぞ?」
「御心配なく、既に充分揉まれ、まぁそれなりの金と地位は手にしてますから」
「言うねぇ、坊主が」
「その言い回しは三ツ石さんからの引き継ぎかい?」
「育ての親っていうか、帝王学の先生っていうか、ま、今の自分を形成してくれた大本とかっていうべきかねぇ?」
「大本とはまぁ、大仰な言い回しですねぇ」
くくく、と笑い合う。それを見て、仁の脳裏には疑問符が浮いていた。
竜苑寺は、なにをしにここに来たのか?
てっきり、なにかの訴えをしに来たのだと思っていた。その結果として対決しても構わないほどの。でなければ自分とお嬢様を連れてくる理由がわからない。
なのに暁成様と、愉しげに笑い合っている。
と思っていたら、唐突に笑いは止まっていた。
「――んで、なんの用だ?」
「お嬢さんの親権と仁嬢の労働契約書を、こちらに譲ってもらませんかね?」
「本気か? 冗談か?」
「超本気っ」




