二十五話「若人迷いしその時年寄りは?」
この結橋家別邸では、主人である神仔が食事をするダイニングとは別に使用人用の食堂が用意されていた。といっても一般的な社員食堂のそれよりは随分こじんまりしたものだったが、しかし長机が三つと椅子も18ほど用意された、しっかりしたものだった。6人しか使用人がいないのにこれほどの設備があると、逆に孤独感を感じずにはいられなかったが。
そして荒川は竜苑寺と、差し向かいで座ることになった。さすがにそうそうは動じない荒川も、背筋が伸びる思いだった。
「あの……」
「今日の昼食は、肉じゃが定食だそうだよ。大変美味しいから、早くよそってもらうといい」
「は、はぁ……?」
促され、荒川はせっかく一度座ったのに席を立って、盆を手に取り配膳に向かう羽目になった。カウンターの向こうに立つのは、出来メイドの燕だった。それに頭を下げ、味噌汁に肉じゃが、麦ごはんという栄養満点の夕食を受け取りついでに素敵な笑顔に恐縮してから、席に戻る。
竜苑寺は一口も、口をつけていなかった。
荒川はさらに、恐縮する。
「あの……お待たせしました」
「いや気にせずに。では、いただこう。いただきます」
「はい、いただきます」
お互い黙想に手を合わせて、食事に手をつける。それからしばらくは会話も無く、淡々と食事の時間が進んだ。食事は静かに、噛みしめてが信条の荒川にとってそれはこの上なく好都合だった。
おかずの7割も制した所で、竜苑寺から声がかかった。
「いや実に味わい深い食事だね」
異存なかったので、すんなり会話に入れる。
「はい、自分も大変満足させていただいております。ここの食事は、自分の生きがいのひとつであります」
竜苑寺もあくまで食事の手は止めずしかし口にはものが入っていない絶妙の間で、
「食事が生きがいとは、若いのにわかってるねぇ。私なんてその人生の真理を理解出来たのは25を越えてからだっていうのに」
とても、不思議な人間だった。
それが、荒川の正直な感想だった。そも、会話というものがこの世の中なかなか成りたたないのが、荒川の実際だったりした。時折訪れる客には見向きもされず、お嬢様には相手もされず、執事とメイドには冷たい視線と笑顔だけを送られ、同僚とは業務連絡だけ。しかし人生の中で交わしてきた数すくない経験の中で見ても、こういう――自分と近い感性を共有された経験は、一度もなかった。
だからこういう時、荒川はどうリアクションしていいのか経験としてわからなかった。
「…………はぁ」
だから気のない返事しか出来なかった。正直内心、ドキドキしていた。気を悪くしないかと。この、大事な客人が。
「――――」
しかしその予想に反し、竜苑寺からはなにも言葉がなかった。それにちらりと、横顔を盗み見た。楽しそうに、鼻唄でも歌ってそうな表情をしていた。
安心と複雑という相反する感情を抱え、荒川は食事を再開した。
ふとしたタイミングだった。
「それで荒川くんは、いまの生活に満足していると言ったね」
さりげない突然の会話の再開にも、職務上の経験から荒川は心落ち着いて答えることが出来た。
「はい、言いました」
「そこで質問なのだが、」
「はい、なんでしょう?」
じゃがいもを齧ると、口の中でほろほろ崩れた。
それに一抹の幸せを、噛み締めていた。
「きみは、青春というものに興味はあるかい?」
それはまったく、想定外の質問だった。
「…………はいぃ?」
素っ頓狂な声を出してしまう。こんな声を出したのは、以前を思い出せないぐらい久しぶりな事だった。それはそれぐらい想定外で、そして予想外な言葉だった。
なにしろ荒川は青春だなんて、字で見る以外思い浮かべたことすら無く、考えたことなんて論外なくらいの人間だったからだ。それを飛び越えて興味などといわれても、返答どころか言葉にすら困るというのが実際だった。
荒川は改めて、竜苑寺の顔を見てみた。世界はなぜ生まれたのか、というような哲学的な問いに想い悩むロダンの作品のような彫りの深い顔をしていた。なんだか感心してしまうくらい、それは絵になる男だと思った。
「…………」
「それで? 荒川くんの意見を、私は待っているわけだが?」
「あ、はい……あの、青春でしたっけ?」
「そう、青春……あぁ、甘美な響きだな」




