十七話「老兵との駆け引きは心踊る」
そして紅茶を受け皿におき、居住まいを正し、立ちあがった。そして真っ直ぐに三ツ石の目を見て、
「――それで? 御門さんは私に、如何様な仕事を御所望でしょうか?」
試されている、と三ツ石は感じていた。なるほど、竜苑寺グループの会長を一介の執事などに落とし込み、それで次はどうするつもりだと。この返答次第で、自分の株は決まるのだろう。
血が、逆流するような感覚が三ツ石を包んでいた。意味も無く大声を出し、この場から逃げ出したいような衝動が襲っていた。ここが戦場のようにすら感じる。まあさすがにそこまでは大げさだったが。
三ツ石はニヤリ、と口元を歪めた。
舐めるなよ、小僧?
「まずは、お嬢様を起こしていただきましょうか?」
「はい」
竜苑寺は三ツ石の指示にくるり、と振り返り神仔の傍まで歩いて行き、二度ほど声をかけた。それに神仔は目をしょぼしょぼさせながらふにゃり、と起き上がる。
「……くぁ」
「おはようございます、お嬢様」
実に板をついた話し方をする、と三ツ石は感心する。それにお嬢様は寝ぼけ眼で目を擦りながら、
「……ふぁ?」
「今朝は、よいお目覚めでしょうか?」
「あ……オジ」
「おにい」
「……おにーさん、どしたの?」
「本日付けで、お嬢様の執事となりました」
「……なんのゴッコ?」
「執事ゴッコでございますね」
ピシリ、と三ツ石はその言葉にそれこそ自身が岩になり亀裂が入ったようにすら感じられた。
「……あの、竜苑寺様?」
「なんですか、御門さん?」
「あの……これから竜苑寺様は執事となる以上、一応御門さんという呼称は、その……」
「あぁ、そうですね"御門さん"。ではこれからは"御門さん"のことを"御門さん"以外ではどのようにお呼びしたらよろしいでしょうかね、御門さん?」
この野郎。
ひくっ、ひくっ、と三ツ石は頬を痙攣させた。そういうことか、と三ツ石は納得していた。まったくもって、手に負える相手ではないようだった。あしらわれている。この、還暦に届こうとしている、手練手管でここまで上り詰め――しかしいまやこのお嬢付きの執事という立場に甘んじているこの、私を――
愚弄するか!?
「…………」
と激昂しかけたが、そこは歳の甲。三ツ石は表情にも出さず、なんとか痙攣だけで抑えた。ここで怒りを出しては元も子もない。さらにバカにされる要素を増やすだけ――
「で、どうなんですか御門さん?」
「御門さんと呼ぶなといっておろう!」
三ツ石は激昂しバンっ、と掌でテーブルを叩いてしまった。気づいた時には、後の祭りだった。三ツ石はハッ、としたあと慌てて手を引き青ざめながら、
「あ――いや、今のはその……」
「いや失礼致しました。なにかやらお気に触られたようで、この竜苑寺深くお詫び致します」
沈痛そうな面持ちで、竜苑寺は深く頭を下げた。そこに嘘いつわりなどまったく見て取れるところなどないことがまた、三ツ石には憎たらしかった。
「……いや、」
そこで三ツ石はコホン、と軽く咳払いをして、
「これから先はまぁ、そうですな……ひとつ、ミッチーとでもお呼びくだされ」
初めて竜苑寺が、呆気にとられたような表情をして顔を上げていた。
それにようやく三ツ石の溜飲は、下げられた。
「いやほら、三ツ石ですし」
「今度はなんのゴッコ? おにーさん」
状況を理解していないのは、やや成長が早い小学生のお嬢様だけだった。
そして二人は、並んで廊下を歩いていた。先導するのは、三ツ石。とりあえず何事もまず格好からと、竜苑寺に執事服を見つくろってからこれかの事を決めようと言う段取りになっていた。
背の高く恰幅の良い老紳士と青年が縦に並んでキビキビ歩くさまは、まるでどこぞの海軍の行進のようだった。
「それで、ミッチーさん? 今日のご予定はどうなっているんでしょうか?」
もう順応したか? と喉まで出かかった言葉を三ツ石はなんとか押し留めた。もう無駄な抵抗は止めようと思っていた。この男は、自分が手に負えるようなレベルではない。だからせめてと、お嬢様とうまくなるように取り図ろうと。なんだかここ10分そこらで一気に老けこんだ気分だった。
三ツ石は気づかれぬよう小さく息を吐き、
「……本日は偶然にも、日曜日です。ですからお嬢様はお昼過ぎまでお屋敷でゆっくりとまどろまれたあと、折を見て気の向くままどこかにお出掛けになったりもします」
その言葉に竜苑寺はやや意表を突かれたが、まぁ意表だらけの結橋家のこと、もう慣れた事とばかりに淀みなく歩みを進めた。
進めて、ふと廊下の端に目をやった。
「そういえば、この家のあちこちに飾られているコレクションは、結橋財閥の総帥、暁成氏のご趣味でしょうか?」
「いえ、飾りですな」
さすがの竜苑寺も、いまの言葉には意表を突かれた。