十三話「人を使うのは慣れてますから」
竜苑寺は知れず、微笑んでいた。
「おにーさん」
「なんだい?」
「楽しい?」
竜苑寺の人生で、すんなり済んだものなどひとつも無かった。すべてが一か八かで、身体を張った博打の連続だった。すべてが伸るか反るかの勝負に、身を投じてきた。それが成り、安定期を越えて竜苑寺は、自分の人生を持て余し始めていたというのが本当だった。
だからこれは、すべてを零に戻しての改めての挑戦ともいえた。
しかもどれをどうすれば勝ちという基準のない、途方も勝算もない勝負。
勝利の美酒は、さぞや美味いことだろう。
「ああ、楽しいね」
「じゃあ、かなも行く」
「――へ?」
「お、お嬢様?」
唐突な言葉に竜苑寺は呆気にとられ、それに執事も驚き戸惑っていた。しかし神仔はいつもの調子で、
「かなも行く。おにーさんが楽しいこと、かなも見たい」
「い? いや、あの、お嬢様それは少し……」「神仔ちゃん?」
動揺する執事に代わり、メイドの燕が優しく声をかける。それに神仔はいつもの無邪気な様子で振り返り、
「なに?」
「神仔ちゃんは、このオジ――」
ジッ、と見ている視線を感じ取ったのか燕は途中で言葉を変え、
「……お兄さんのこと、好きかしら?」
「好――」
好き、と言うのかと思った。
「……わかんない」
勢いで答えようとしたらしい。まことに子供らしい。うむ、自分には合わない類だなと竜苑寺はひとり腕組みして確信を深めた。
「そう、わかんないんだ」
「うん、わかんない」
「なら、かなちゃんは、なんでお兄さんと旅に出たいのかしら?」
「わかんない」
「……オイオイ」
さすがに耐え切れず、竜苑寺は小さく呻いた。本当に理屈なしか、この子は? というか本当に中学生なのか、この知能指数は? ていうかそうかさっきも聞いたがなるほど確かに小学生の言動だな、うむ。
「そっか、わかんないか、かなちゃんは」
「うん。もういい?」
「うん。いいよ」
なにがいいんだ?
疑問に思ってる間に、神仔はこちらを向いた。
向いて、笑った。
「おにーさん、どこ行くの?」
その初めて見る無邪気な笑みに、心惹かれる所がなかったといえば、嘘になった。
困った。竜苑寺は心底そう思っていた。どこ行く? と聞かれても連れていく気はさらさらなかった。だがそれを言ったところで聞き入れるような娘ではないのはもう重々承知していた。
いっそ逃げようかとも考えた。足なら、絶対に負けない。間違いなく。それだけは断言できた。
だがそれでいいものかと聞かれると、実に難しい問題だったりした。
案件だった。もはや。
なんとなく、竜苑寺は燕を見た。変わらず、ニコニコしていた。この子は案外ダメなのかもしれないと思った。方向性が、どちらかというと神仔に近いと感じていた。それで惰性的に、もう一人の執事に視線を向けていた。
なぜか、肩をいからせていた。
竜苑寺は眉を、ひそめる。
「あの? ずいぶんと怪訝な顔をしてますが、どうかして――」
「竜苑寺様」
どこか、決意したような声色を感じた。それに竜苑寺は、背筋を伸ばす。なにか、この偉丈夫にあったのか――?
「な、なんでしょう?」
「どうしても、行かれるのですか?」
「それは、どういう――」
「どうしても、"お嬢様を連れて"行かれてしまわれるのでしょうか?」
しまった、と思った時にはもう八方塞がりだった。
そうなるか。
いや、確かにそうなるか?
確かにこのまま出ていけば、このお嬢様が付いてくるのを阻止することは難しい。となれば自分は、このお嬢様を連れ去っていく誘拐犯のようなものに近い立ち位置、という事になってしまう。結果論ではあるが。
困った。本格的に。
――どうする?
どうすればいい? どうすれば正解だ?
こういう事態に遭遇した場合竜苑寺は、あれこれ考えるのをやめて、直感に頼るようにしていた。理屈でダメなら、経験がものをいう。自分を信じられないようなら、会社など畳んでしまった方がいい。
竜苑寺は、言葉を発した。
「連れて、行きませんよ」
「では、残っていただけると?」
当然の即答だった。竜苑寺は口から出るままに、
「そういうわけにも、いきません」
「……では如何様に?」
「それを貴方に、お聞きしたい」
場が、静まり返った。
元より三ツ石しか喋っていなかったから、彼が黙れば必然そうなる。
三ツ石は目を、丸くしていた。
「……私、ですか?」
「そうです。私はいったい、どうしたらいいのでしょうか?」
丸投げだった。