十話「子どもの相手は難儀だな…」
何度呼ばれても、この呼称は慣れそうになかった。一瞬表情が崩れそうになったがなんとか持ち直し、声がした方――ドアの方を振り仰ぎ、
「や、やあお嬢ちゃ――様。ご機嫌、いかがでしょうか?」
「? なに、なんかのごっこ?」
竜苑寺の的確な御挨拶も、推定年齢中学生には通じなかった。というかこの子、いったいいくつだ? と疑問が湧かなくもなかったが、これ食べたらお暇しようと思っている竜苑寺にはなんの関係も無い話だと思い直した。
とりあえず竜苑寺はニコニコ笑っておいて、
「いえいえ、なんでもないですよ? それで本日のご夕食ですが、キッチンをお借りして私も少々お手伝いさせて頂いたので、よろしければ御一緒させていただきたいと――」
「オジちゃま、言い方、変くない?」
丸っきり子供だ。まさかのこのスタイルで小学生疑惑さえわくほどの。
どうしようか、数瞬考える。というかやや面倒になってきたなとか竜苑寺は思ったりもして、
「ま……まあまあとりあえずご飯食べませんか?」
「ん? んー……いいけど?」
「! じゃあ、さささどうぞっ」
言質を取ったとばかりに竜苑寺は一気に後ろに回り込み、肩を掴んで持ち上げて、奥の席まで持っていき――
「およ?」
逆の手で椅子を引いてそこにストン、と座らせた。それに執事はポカンとしていて、しかし燕さんは笑顔から特に変化は無かった。当然一番驚いていたのは、
「おぉ――!?」
「さささ、ビーフシチューどうです?」
二の句を繋がせず、皿を前に持ってきて、そしてスプーンを添える。次いでコップも持ってきて、オレンジジュースを注ぐ。お膳立ては終了した。さて、これで食べるしかあるまい?
「あ、うん」
言質を取った、さあ食べろ。そして私も食べて、それで終わりだ!
「…………」
と思ったのだがしかし、お嬢様――神仔に動きは、なかった。
『…………』
そして執事、燕さんにも動きはなかった。なんだ? と竜苑寺は眉をひそめた。なぜ、動かない? なぜ、食事を始めない? なにか間違えたか? もしくはひょっとして、自分が知らないだけで金持ちもしくはこの家では暗黙のルールでもあったりするのか?
竜苑寺は意を決し、
「……あの?」
丁寧に、燕さんに振り返る。とりあえず、共同作業を経て多少の交流を持った彼女に助けを求めるのが上策だろう。この質問自体が致命傷になることは、まず無いはずだ。
「はい、なんでしょう?」
予想通り、燕さんは笑顔で応えてくれた。それに竜苑寺は一旦安堵し、
「あの……なにか、食事をとる前に行っていることなど、あるのでしょうか?」
「いえ、特になにも?」
ないのか。
ならば、なぜ――
「なら、あの……いただきますなど?」
「それはまぁ、お嬢様の気分次第で」
いいのかメイド&執事? とは思ったが、今のキモはそこではない。
「あの……ならばなぜ、食べ始めないのでしょうか?」
「それはわたくしたちが、お嬢様に食べさせてさしあげていないからでございます」
絶句。とともに、今のゆとり世代の弊害という言葉が頭をよぎった。だから今の二世タレントはろくなのいないんだよ、いや関係ないが。
「は、はぁ……では、どうぞ」
「や」
と思って促したのに、なぜかお嬢様はわけわからん擬音を発していた。それはよくよく聞けば――
「や、というのは……どういう意味ですか?」
「オジちゃま、食べさせて」
オイオイ。
まさかと思ったが、本当に拒絶の意味の嫌だったか。いやまったく、金持ちの発想というのはよくわからんと聞く人が聞けば物投げられそうな感想を元社長は抱いたりした。
どうしようもなく渋面を作り竜苑寺は、
「ど、どうして私、なのかね? ほら、いつものように燕さんや執事の――」
「オジちゃま、食べさせて」
「い、いやあれだよ、君も、赤ん坊じゃなくてそこそこイイ歳というかアレなんだから、食べ物くらい自分で――」
「オジちゃま、食べさせて」
「だ、だから私は――」
「オジちゃま、食べさせて」
繰り返される、無機質な言葉の羅列。
それに竜苑寺の堪忍袋の緒が、切れた。
「…………ハァアアぁ」
ぐぐぐぅ、と湧き上がってくるなにかを堪え、そして代わりのように大きなため息を吐き出して、頭を抱えて、お嬢様の隣にドカッと座り、そして無造作にガツガツとビーフシチューを貪り始めた。我ながら、トマトピューレと合わせたドミグラスソースのコクが濃厚で、ビーフがホロホロで柔らかい、絶品ビーフシチューだった。腹も減っててそれもまた最高のスパイスとなっており――
「オジちゃま?」