第7話 恐怖と不穏
「何よ、あれ……」
自分の目で見たものを信じる事が出来なかった。
人が燃えている、しかも火が発生する源は見当たらなかったというのに、突如炎が発生し兵士の男達を瞬時にして焼き尽くしたのだ。
あまりに衝撃的な光景を目の当たりにし、しばしの間ルチルは呆気にとられた後、
「うっ……!」
人が死ぬ瞬間、しかも焼き殺されるという壮絶な死に様を目撃し、急激に彼女の喉に強烈な吐き気がこみ上げてきた。
燃やされる兵士達の阿鼻叫喚の悲鳴、のたうち回る姿、そしてそれらが時間が経つに連れて少なくなり、やがて命を奪われていく。そんな無惨な死に方がこの世で起きている事が信じられず、ルチルの中の嫌悪感を掻き立てる。それに対する拒絶反応が表れているのだろう。
「我慢しろ」
ジェイクが慌てて口を手で押さえるルチルが落とした水袋を拾い上げ、そっと差し出す。
ルチルはグッと喉に力を入れ、彼から水袋を受け取り残った水を全て口の中へ流し込んで、せり上がってきたモノを無理矢理飲み込む。
「驚いて叫ばなかったのは褒めてやるが、貴重な食べ物を戻して無駄にするな」
「分かってる……それより、何なのよあれ」
「知らん。帝国兵を襲っているのを見ると、おそらくは敵軍の人間なんだろうが」
フン、と鼻で笑ってから、ジェイクは口の端を緩める。
「カーセム家の野郎の証言もあながち出鱈目じゃないように思えてくるな、あれを見ると」
道中出会ったカーセム家の男は、帝国軍は数人の敵によって圧倒されていたという趣旨の発言をしていた。戦場での恐怖のせいで混乱して誇張したのかと、ついさっきまでは真実かどうか疑わしく思っていたのだが。
「……確かに、あの剣を持った奴、一人でたくさんの兵士を楽々倒してる……わね」
目を細め、なるべく燃える兵士を直視しないようにするルチル。そうしなければ胃に戻ったモノがまた逆流してきそうだからだ。
それくらい、前方の村で起きている惨状は酷く、見るに絶えないものだったから。
「知識の多いあんたでも、あの火については分からないの?」
「……知らんな、兵士の全員が油まみれで、そこに火の粉でも撒き散らしたんじゃないか?」
少しだけ思案するように間を置いてから、ジェイクは軽く首を傾げる。
「あんなのに見つかっちゃったら……ど、どうするのこれから」
「どうもしない、動向を確認する。城塞よりもこっち側にいるって事は、既に前線は突破され
たのかもしれんな。無論、帝国軍が敗走したのは事実なんだろうが」
「……それって、まずいのよね?」
「まずい。敗走兵の追撃に敵が動いているとすれば、遭遇してしまう可能性もある。一応俺達
は帝国の人間だ、兵じゃないから無関係という言い訳は通用しないからな」
どのみち今は身を潜めておくしかない、ルチルはしゃがんだまま出来る限り前傾姿勢になって、涼しい顔で兵を焼く少年に見つからないようにする。
火を放つ剣を持った少年、ルチルやジェイクと殆ど変らない年齢に見えるあの少年には、ジェイクが常に漂わせている殺気に似た迫力を持っている。
「ねぇ、また同じ質問をするんだけど、前にあんたが戦った敵ってああいう……」
「待て」
質問しようとしたルチルを黙らせ、ジェイクは村にいる剣を持つ少年への目つきを鋭くする。
仕方なくルチルも視線を村の方へと戻すと、剣を持つ少年が動かなくなった兵士の亡骸を一瞥してから、振り返って遠くに見える城の方へ視線を向けるのが見えた。
「わっ!? 何!?」
直後、爆発とはまた違った耳をつんざく轟音が辺りに響き渡った。
驚きの声が出てしまったルチルはすぐさまジェイクに口を塞がれ、後頭部を掴まれ身を低くさせられる。
ほぼ同じ時、声が聞こえたのか剣を持つ少年の視線が峰の中腹、ちょうどルチル達が隠れている茂みに向けられた。しばらく様子を伺うように凝視した後、彼はまた城へと向き直る。
城の近くの森からは野生の鳥が何かから逃げるように飛び立ち、その下ではチカチカと眩く何かが発光するのと共に地鳴りと爆音が何度も発生している。
一体何が、息を押し殺すルチルが疑問符を額に浮かべながら、硬く口を閉ざし険しい表情のジェイクを視界の端で確認する。
今の二人は敵に見つかってはいないが、見つかってもおかしくない位置にいる。そして見つかるという事は命を狙われる危険があり、炎を生む剣を持つあの少年相手に生き延びる可能性はわざわざジェイクに尋ねるまでもない。
そんな緊迫した状況で、声を出すのも許されないこの状況で、ルチルは唯一の味方であるジェイクを見る事で、不安に潰されそうな自らの心に安心を抱かせているのだ。
気付けば、村の入り口付近に複数の人影が姿を晒していた。
数は二、一人は青と黒の鎧と重々しい剣と盾を装備し、もう一人は女性のようで鍔のやけに広い紫の帽子と幅の長いローブという変わった服装をしている。
「青と黒……王国の国旗に使われている色と同じか、やはり敵軍の連中だな」
茂みに少しでも体を隠すためにルチルに覆いかぶさるような体勢のジェイクが囁く。
「鎧の奴は王国軍の兵と似た装備をしている、女の方はよく分からんが……武器を持っていな
いのが変だな」
ジェイクの言うとおり、奇抜な服装をした少女は剣のような武器どころか、身を守るための鎧や盾すら装備していない。華奢で腕っぷしが強くも見えない彼女がそのような軽装で戦場に立っていて良いのか疑問を抱かざるを得ない。
そんな風に頭の中でルチルが思案していると、奇抜な服装の少女が手を動かし、持っていた杖を軽く頭上に掲げる。
少女は何かを呟く、すると反応するように杖の上部が淡い緑色に発光し出した。
何をしようとしているのか、ルチルとジェイクが注目を少女へ強めると、二人はさらに不可思議な光景を目の当たりにする。
比喩でもなんでもなく、突如村の中に総勢三十人近くにもなる人間の姿が出現したのだ。
ジェイクに塞がれたままのルチルの口からまたも驚く声が漏れる。
手品でも見せられた気分であった。誰もいない場所に、多数の人物がいきなり登場する。虫や蛙が草木に紛れて擬態するのとは根本的に何かが違う、いなかったものが一瞬後には当然のようにそこにいたのだ。
「……手の込んだハッタリって訳じゃなさそうだ」
呆れるように吐息をつき、ジェイクは顔を茂みに近づける。
「出てきた連中……現れたって言うべきか、どいつもこいつもみすぼらしい格好だ。多分農奴
だろう、折れやすそうな細い柄の槍と胴体部分だけの最低限の鎧の組み合わせは下っ端の兵
の武装の証拠だからな」
(農奴って、え、じゃああれって帝国の人……?)
ジェイクの言う事が本当だとすれば、あの村には今敵である王国の人間と帝国の農奴の人間が一緒にいる事になる。
しかし彼等は交戦しようとする様子はなく、あろうことか剣を持つ少年を中心に談話のようなものをし始めたのだ。
「どっちも敵意はなさそうだな。となると、どっちかが軍を裏切って協力しようとしているか、
どっちかを既に降伏させた後なのかのどちらかだが……」
農奴の方は皆剣を持つ少年や他の男女二人に対して頭を下げたり手を合わせたりしている。それは命乞いではなく、何かを感謝しているように見える、友好的なものだ。
「ん~~!」
さすがに息苦しくなったルチルがもがくと、ジェイクは大声を出すなと目で訴えかけながら静かに手を口から離した。
「っ~~……で、どういう事なの、あれって」
「今考えてるところだ。だがカーセム家の男の言う事が本当なら、敵軍の戦力はあの三人で半
分か、もしかすると全部かもしれんぞ」
「え、なんでよ」
「敵は数人だとあいつは言っていた。大抵数人といえばあれくらいの数だろう」
あくまで推測だがな、とジェイクは付け加える。
「さて、どうする」
「どうするって?」
「馬鹿が、お前の目的忘れたのか?」
頭の片隅に棚上げにしていた事案を思い返し、目を伏せるルチル。
「お前の村の人間はおそらく次の帝国軍の拠点にいる。ここの戦線はもう瓦解している、すぐ
に次の拠点付近に戦線が移動するだろう。敵にあんなカラクリを使う奴等がいるんじゃ、物
量で押し切る戦いしか出来ない帝国軍は対処出来ないだろうから、結果は見えているがな」
「……じゃあ、敵を倒す案は無理って事ね」
後は帝国軍に逆らって、なんとかして徴兵を止めさせる。敵が訳の分からない『手品』を使って無惨な殺し方をすると分かれば、尚の事村の皆を敵軍と戦わせる訳にはいかない。
行動指針がはっきりした、ルチルは気合を入れ直すように大きく深呼吸しようとするが、
「いや、むしろそっちの方が楽かもしれん」
そこに聞こえてきたジェイクの言葉に、ルチルは肩すかしを食らった気分になった。
「え、は? どういう意味よ」
「そのまんまの意味だ。帝国という国が作った規則に逆らうよりも、帝国が倒すべきとしている敵軍を滅ぼした方が、後に引きずるものがない。だが数千数万の兵士をお前の村の人間が交戦する前に俺達でなんとかして止めるのは不可能だ」
数千数万の大軍ならばな、とジェイクは強調する。
「……数が少ないなら、倒せるって事?」
「敵の数や戦力についてはっきりしていないから断言は出来ないが、今思い浮かぶ限りでは一
番現実味のある話だ。敵は数人というのが真実だとすれば、な」
「でも……勝てるの?」
敵のうちの一人、目の先の村にいる剣を持つ少年は原理の分からない炎で瞬く間に多数の兵士を焼き払う力を持っている。それに奇抜な服装の少女も光る杖を使ったりと、証拠はないが突然の多くの農奴の出現に何かしら関わっているように思え、得体が知れない。城の方から聞こえた轟音も、おそらく彼等が何らかの『攻撃』を行ったからのように思える。
数が少ないとはいえ、そんな不可思議な力を使う人間を倒す事など出来るのだろうか。ジェイクが同じように変わった力を持っていれば別だが。
「勝てない、正面からぶつかれば当然だ」
「じゃ、じゃあ……」
「じゃあじゃあうるさい奴だな。勝てない方法で戦いを仕掛ける訳がないだろうが」
村では農奴達が建物の中にぞろぞろと入っていき、剣を持つ少年は奇抜な服装の少女と鎧の男に何か指示をしている。
その後少女はまた杖を掲げ緑色に発光させる、と思った時には既に彼女と鎧の男の姿が見えなくなっていた。
「……あいつらを探る。つけ入る隙があるかどうかをな」
そう口を動かした時見た彼の顔は、この孤立無援の緊迫した空気の中においてなぜか嬉しそうで、それによって硬い表情が綻ぶのを堪えているように見えた。
ある意味で、彼が初めて感情を見せた瞬間にも思えた。
その感情が喜怒哀楽どの類のものなのか、はっきりとは伺えなかったが、ルチルは彼の冷たい表情の下にある見えない感情に、不可解な胸騒ぎを感じてしまっていた。