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第5話 偵察

 ジェイクが指摘したカーセム家の隠し通路は実際に存在した。

 山の麓の天然の洞窟を利用したもので、一応人一人分通れるだけの広さはあるものの、所々出っ張った岩で壁や足場がデコボコになっており、歩くだけで疲労困憊になりそうだった。

 その通路を使うのかと思ったルチルだったが、カーセム家が城から逃げるための通路だとするならば、すなわち戦闘真っ最中の帝国軍の要塞と繋がっているという可能性も否定出来ない。もし要塞が陥落しているとすれば、敵兵が通路を使う可能性がある。鉢合わせすれば身が危険なのは言わずとも知れている、それを避けるためにあえて馬での移動を彼は選択したのだ。

 峰を超えるとその先にまた別の峰が見え、新たなる緑が目に映り込んでくる。

「っ、疲れた……」

 長らくジェイクの背中に抱きついたまま、走る馬に揺さぶられ続けてきたルチルは、やや力の無い声でそう呟いた。

 馬に乗る事に慣れていなかったせいか、村で一日中重労働をした後よりも数倍の疲れが圧し掛かっていたのだ。

「もう少しだ、我慢しろ」

「つっ……喉乾いた……」

 兵士に見つからないよう空が暗いうちにレチオンを飛び出し、そのまま今いる山岳に辿り着くまで口にしたのは街で奪ったパン二つと少量の水のみ、馬に乗っているだけとはいえ、まだか弱い少女のルチルの体には過酷過ぎた道のりだったようだ。

 それでもジェイクは振り返りもせずに手綱を引いていたが、次の峰の頂上が見えてきたところでだんだんと馬の走る速度が落ちてきた。

 やがて動きを止めた馬を近くの木に手綱で繋ぐと、ジェイクはルチルに馬から降りるように指示してきた。言われるがままに斜面に足をつけたルチルだったが、ドッと疲れのようなものを感じて体勢を崩してしまう。

「しっかりしろ」

 そんな彼女の腕をジェイクが素早く掴んで防ぎ、そのまま肩を組んで体を支えてきた。

「飲め」

 そう言って腰につけていた水袋を差し出し、ルチルはそれを受け取って無言で口につける。

 長時間の移動で温くなっていたが、今の彼女の喉にとっては恵みの水分に変わりなかった。少しだけのつもりだったが、反射的に全部飲み干してしまう勢いで水を吸い込む、

「食糧も水も限られている、限界ぎりぎりまでどっちも我慢してもらうぞ」

「っ……これは……」

「全部飲んでも良い。我慢し過ぎて死なれても困る」

「うん……分かった」

 胃袋に水が落ちていく感覚に安堵し、一息ついたルチルはぎこちない返事を返し、彼に引っ張られる形で峰の頂上を徒歩で目指す。

 やがて峰の一番上に近づき、向こう側から漏れる日の光が見えてきたところでジェイクはルチルの体ごと身を屈めて斜面に膝をついた。

「向こうを見てみろ。あれが要塞だ」

 そう言って彼が顎で峰の向こう側を指す。

 あっという間に袋の中の水の殆どを飲みきったルチルが言われるがままに指示された方へと視線を向けると、さらにいくつもの緑の峰を超えた先にある山の中に、年季の入った石造りの荘厳で立派な城がそびえ立っている光景が目に飛び込んできた。

「すごい……」

 白い城壁と赤い屋根の単純な色合いながらも、見た者の目を惹きつけて離さない圧倒的な建物の大きさに丁寧な造りの外観は一種の芸術品と呼んでも良いだろう。

「あれも人が造った物なの?」

「そうだ、人と金と材料と時間を大量に注ぎこんでな。戦争時に敵軍の侵攻を食い止めるだけ

 の頑丈さと戦いを見渡せるための視界の広さ、それから長期戦になった際の兵の宿泊場所や

 食料を蓄えるための空間を確保しながら、平時では権力を宣伝するにはあれくらいの大きさ

 と派手さが必要になってくるらしい」

「へぇ……」

 レチオンの街並みですら壮観だった農奴のルチルからしてみれば、カーセム家の城塞はとても同じ世界の建物とは思えなかった。村で自分が住んでいたのは雨風を防ぐだけの最低限の厚さの壁と屋根で出来た木造の長屋だったせいで余計に造りの差、もとい生きている世界の違いを見せつけられた気分になる。

「といっても主が逃げ出して、ちゃんと要塞として機能しているかは分からんがな。飾りとは

 いえ指揮官が消えたと知れば、兵士は動揺するものだ」

「……あれに住んでたのが、さっきあんたが絡んだ人」

 そしてあの城の主は、先程少年にあっさりと持ち物を奪われた中年の男だという事に、ルチルは違和感を覚えた。相当な権力と財力を持っている事はあの城を見れば分かるが、道であの男と男の家族に会った時にはそんな『力』を感じる事は全くなかった。レチオンの街を歩いているとすれ違う名も知らぬ人間と何ら変わりない、そんな普通の人間にしか見えなかった。

 そんな人物が領主として、あのように立派な城に住まい、裕福な生活をしていたというのをどうにも受け入れられなかった。それはあの男と、都市に溢れる普通の市民との決定的な違いがルチルには感じられなかったからだろう。

 領主らしい何か、それがあの中年の男には見られなかった。

「……領主と農奴の差って、何だと思う?」

 ルチルは思わずジェイクにそう尋ねた。

「持っている力の差、俺とお前がお前の村の徴兵を止めるには僅かな可能性に賭けなければならないのも、俺とお前にその力がないからだろ?」

「じゃあ、力を持つ持たないの差は何なの?」

「……一概には言えんが、たまたま生まれた時に持っていたか持っていなかったか、だ。たま

 たま上流階級の人間から生まれたか、スラムで生まれたか、持っているかいないかは最初か

 ら決められてるものだ。世の中そんなもんさ」

 盗賊の少年の身も蓋もない、しかし正確な答えにルチルは小さく息を漏らす。

 それは彼の答えが自分の考えと同じであり、自分が聞きたくないものでもあったからだ。

 ルチルは農奴の村で生まれたから農奴になった、それと同じように領主の人間は領主の家系に生まれたから領主になった、それは当人が選択した訳ではない、たまたま生まれた環境が富裕層だったり貧困層だったりしただけの話だ。

 そんな事で、人生に差が生まれる。

 ならば、村の皆もたまたま農奴として生まれ育ったから、徴兵の対象になったのか。領主はたまたま領主として生まれ育ったからあんな立派な城に住み、農奴から集めた作物をたらふく食べて生きていたのか。

 そうなのであろうと分かっているものの、認めれば自分の中のもやもやが濃くなる一方だと分かっているルチルは、溜息をつく事で気を紛らわせた。

「安心しろ」

 そんな彼女の肩に、ジェイクがそっと手を置いて小さく声をかけてくる。

「大した違いがないのなら、引っくり返せる。どっちも同じ人間だからな」

 道端で遭遇したカーセム家の男を難なく組み伏せ、当然のように所持品を奪い取った少年が言うと、妙な説得力があった。

 盗賊と農奴が足掻いたところで出来る事など限られている、そう分かってはいても、頼れる相手のいない村の外で唯一の協力者である彼の言葉はルチルには心強かった。

「そう、ね」

 水で潤した唇で小さな笑顔を作り、ルチルは少し気が楽になる。

「しかし、やけに静かだな」

 ジェイクは城に視線を固定したまま、怪訝そうに呟く。

「そう、なの?」

「あぁ。盗賊征伐に来た兵士から身を隠している時みたいに、あちらこちらに殺気が潜んでい

 るような……嫌な感じだ」

 盗賊として生きてきた事で鍛えられた感覚を持った少年だからこそ感じ取れる異様な空気が、この辺りに溢れているのだろう。

 ルチルにはその感覚は分からないが、彼の言葉がとにかく良い意味ではない事は理解出来た。

「さて、探るには近づくべきだが……どうするか」

 次にどう動こうかと考えるジェイクがやや膝を上げて身を乗り出し、城の様子を確かめようとしたその時だった。

 二人が眺めていたカーセム家の立派な城塞の壁が、大気を轟かすような爆音を立てて盛大に弾け飛んだのは。

「ひっ!? な、何!?」

「動くな」

 突然の事に驚き飛び上がりそうになるも、ジェイクの手で背中を抑えられ無理矢理地面に突っ伏せられるルチル。

「一体何が……」

 爆発の直前、城近くの森の中から強い光が瞬いたように見えた。

 それが何なのかは分からないが、自然の中ではありえないような現象が目の前で起こったのは確かだ。あれだけ頑丈そうな石の壁が一瞬にして勢い良く砕け散るには、壁の強度が耐えられない程強い力を衝突させなければならない。

 硬い硬い石の集合体を強引に打ち砕いてしまうような、爆発的な力が。

 問題なのは、その力がどうやって発生し、どこから放たれたのかだ。

「動けるか」

 ルチルを気遣ってか、ジェイクが体の調子を尋ねてくる。

「平気よ、水飲んだから」

 まだ体がだるいのは否めないが、目の前であんな爆発を見せられた場所で落ち着いて休息出来る自信はない。

 仮にも戦場の要である城塞に近い以上、兵士がどこに潜んでいるかもしれず油断は出来ない。ここからは隠密性を上げるため馬は一旦近くの木に繋いで休ませ、徒歩での行動となった。

 常に身を屈めた状態で草の根を踏み分け、近くに見えてまだまだ遠い城の方へと進む。

 四方に変わり映えのしない緑色の光景が延々と続き、真っ直ぐに歩いているのに迷ってしまわないかと不安になったが、ある時を境にその景色が唐突に開けてきた。

 森の中の木々を円形に切り倒した更地の上に小さな村が存在しており、それはそのままルチルが住んでいた村を真似して作られたかのような形の建物や畑が存在していた。

「ここって……」

「農奴の村だな。最もこれだけ前線に近いなら、とっくに全員徴兵されてるんだろうが」

 つまりルチルの村と同じ境遇に遭った村という事だ。

 見たところ人影は一つも見当たらず、長らく人が生活していた名残も感じられない。寂れたという言葉がピッタリの暗い雰囲気が全体に漂っている。

「調べるぞ」

 そう言ってジェイクはさらに歩みを進めようとし、ルチルも彼に続こうとしたが、

「待て」

 すぐさま正反対の事を言われたかと思うと、強引に腕を引かれて近くの茂みの陰まで連れていかれ、肩を押されて座らせようとしてくる。

「つっ……何よ、どっちかはっきりしてよ!」

「静かにしろ」 

 一際ジェイクの眼光が鋭く研ぎ澄まされたものとなり、その迫力に圧されておずおずしゃがみこんで口を閉ざすルチル。

「何よ、どうかしたの?」

「村の奥の方を見てみろ」

 ジェイクの示した村の奥には村と外部を繋ぐ入口があり、そこを目を凝らして見つめてみると、複数の人影が走って村に向かってくる姿が見えた。距離があってはっきりとは分からないが、銀色の重々しい鎧を纏っているのが見える事からおそらくは帝国軍の兵士と思われる。

「何かから逃げているのか?」

 彼の言うとおり、村に現れた五人の人間は皆しきりに後ろを振り返りながら走っている。それもバタバタと荒々しい足取りで時々躓きそうになったりして、気が動転しているのが見るだけで伝わってきた。

「あ、もっと奥に何か見えない?」

 そんな兵士と思われる人物が村の入り口を過ぎた時、彼等の後方からさらに多勢の人間の姿が木々の中から飛び出てきたのがぼんやりと見えてきた。  

「ねぇ、兵士がいるって事は……戦争してるの?」

「あの様子は戦闘というより敵から逃げてるって感じだがな」

 言われて、ルチルは自らの背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 近くに敵がいる、負けない事で有名だった帝国軍が負け続けている敵が、この近くにいる。そう思った瞬間、恐怖と不安で急激に心臓の鼓動が早まっていく。運動していないのに息が上がって苦しくなる。

「動くなよ」

 もう一度肩に手を置かれ、ジェイクが忠告してくる。

 ルチルは黙って頷き、無人の村に現れた兵士達の動向を眺める。

 すると、それから殆ど時間が経たないうちに、後続の兵士達が眩い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には周囲の草木ごと紅蓮の業火の中に飲み込まれた。

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