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第4話 意識の違い

 翌日、ルチルはジェイクと共にレチオンの外にいた。

 レチオンの南部に広がる、冬でも青々とした木々が生い茂る名もなき樹海、その中央には国境沿いにある別の都市とを繋ぐ太い街道が通っている。国が行軍のために整備し、農奴の村の監査の際に軍が使用する事もあって盗賊が現れにくく、普段は商人や旅人が多く利用している。

 その道の上を、ルチルは手綱を見事に操るジェイクの背中に抱きつく形で馬に同乗していた。

「うわっ、おぉ!? ちょっ、危なっ……!」

 中々に気性の激しい馬なのか走りが荒く、常に体が大きく揺らされて振り落とされそうになるのを、ジェイクの服を鷲掴みにして引っ張りなんとか体勢を保つルチル。

 ジェイクは時折鬱陶しそうに視線を後ろへ向けながらも、特に何も言わずに馬を操るのに集中している。

 二人がレチオンを出たのはこの日の未明、太陽が昇る前のまだ空が暗みに包まれている夜中であった。ひたすら南に進み、ルチルの住んでいた村のあった地域の横をあっという間に通り過ぎ、さらに南へと馬の脚力に頼って走り続け今に至る。

 必要なものをどんな手を使ってでも集めろ、そう指示されたルチルは日が落ちるまで必死で街中を走り回り、目的の物を探した。物を買えない以上、物を集める方法は主に三つ。貰うか、拾うか、奪うかだ。

 ルチルが最初に選んだのは『貰う』だった。

 みすぼらしい農奴の服を着ているのを利用して、家々を回ってお恵みを要求したのだ。無論大体は除け者扱いされたが、運良く心優しい人物からパンや毛布を貰う事は出来た。ただ量はたかが知れない程度だったため、やむを得ず何軒かの家や店から蝋燭や服、手に入れた物を入れる小さな鞄を盗んでしまった。

 なんとか言われた通りの物を集める事が出来、彼女とは別に自前で必要品を集めていたジェイクと合流すると、今度は日が沈み闇夜に包まれた街の中を彼の後を追って、街を脱出した。

(これで私もドロボーか……)

 生まれてずっと村から出ず、限られた人間とだけ接して育ったルチルは、他人から物を盗むという行為自体があまりピンと来なかったが、悪い事であるぐらいは知っていた。

 偶然出会った盗賊の少年と都市を脱出するために無我夢中でやってしまったが、自分が罪を犯したという事に違いはない。

 意外にあっさりだった、とルチルは複雑な思いを感じ口元を紡ぐ。 

「どうした?」

「え? あーっと……馬乗るの上手いのねって思って」

 胸の中のもやもやを隠すようにとりあえずそう返してみたルチルだったが、実際ジェイクの馬を乗りこなす様子は素人目でも分かるほど中々に様になっていた。

 兵士から奪った剣を腰に携え、処刑人用の服の代わりに都市の道で拾った質素な服を着た彼が手綱を振るい馬を進める姿はたくましく見える。

「盗賊って結構器用なのね」 

「父から教わった。攻めるにも逃げるにも、足が速くなければ常に後手に回る。盗賊は少しでも安全で楽に物を奪う事で命を食い繋ぐ生き物だからな」

 淡々と答えるジェイクから父という言葉が出てきた事に、ルチルは少しだけ驚いた。

「父さんって、あんた生まれつきの盗賊だったりするの?」

「そうだ……別に良いだろ、その話は」

 あまり広げないでくれ、とでも言いたげにジェイクは軽く肩を竦めた。

(親子二代で盗賊……? 盗賊って代々受け継がれていくものなの?)

 村の外の人間とちゃんと話すのは初めてのルチルは、彼の生い立ちについて興味が湧いてきたが、今の自分にそれを知る必要はないとすぐに思考を切り替える。

「で、これからどうするつもりなの。そもそもどこに向かってるのよ」

「お前の村の人間の現在地は常時探すとして、まずはそいつらを徴兵から解放するために、帝

 国に刃向うか敵を退けるか、どちらがまだ現実味が高いかを調べる。この森を抜けて、さら

 に南にある山岳地帯の中に、帝国軍の要塞がある。今はそこを拠点として、前線への支援や

 兵の投入を指示している」

「よく知ってるわね。街で拾った新聞にでも書いてたの?」

「俺のいた盗賊はこの辺りの地域を縄張りにしていた。効率よく、軍の目を避けて動くために   

 下っ端が偵察に出て毎日情報を仕入れていた。要塞に軍が入って連日慌ただしく動いている

 のは目立つからな……それに街には軍に関する情報は特に無かった」

「え、なんで? 敵が侵攻して来てるのって一大事でしょ? なら教えないと」

「一大事だからだ。お前は村での農作業以外の知識を殆ど無いようだから教えてやるが」

「っ、悪かったわね!」

 さらっと小馬鹿にされてムッとするルチルを無視して、ジェイクは続ける。

「帝国の人間、特に戦いとは無縁の都市の中で育った人間にとって、戦争は遠くの地で起きている、単なる『出来事』の一つでしかない」

「出来事?」

「国土を増やし、資源を手に入れ、労働力である奴隷を確保する。帝国の繁栄のために日々行われているが、当の市民の大半は戦争に関わる事は殆どない。どこぞの街で殺人事件が起きたとか、どこかの川で魚が大量に獲れたとか、新聞で流し見るぐらいの関心しかない事柄という事だ」

 一瞬よく意味が分からなかったルチルだが、自分もまた昨日まで帝国が戦争をしている事は知っていても詳しく知るつもりはなかったのと同じなのだろうと納得した。

「そんな戦争に疎い奴等が、自分達の住んでる地域に敵が迫ってきてるなんて知ったら平静を

 保っていられなくなるだろう。帝国民は帝国軍が負けるという考えがまずないからな」

「へぇ」

「変に国民の不安を煽るのは、さらなる混乱を招く。そういう悪い面は出来る限り隠すのが国

 家ってもんだ」

 冷静にすらすらと、的を射ている(のかルチルにはあまり分からないが)事を話すジェイクの様子を見ると、彼が人を襲って金品を奪う野蛮で欲に塗れた盗賊とは思えなかった。素っ気ない態度ではあるが、ルチルの要望を無下にする様子はない。

 正直盗賊と行動を共にする以上、何らかの危害を加えられる可能性も考えずにはいられなかったのだが。

(いや、まだ油断しちゃ駄目。私に街で食べ物や色々な道具を集めさせたのは、街から離れた

 ところで裏切って私から奪うつもりなのかも……!)

 自分で協力を持ちかけておいて疑うのも失礼だが、同時に自分が行動を共にしている相手が得体の知れない人物である事を忘れてもならないと自分に言い聞かせるルチル。

「ともかく、少なくとも一週間前から帝国軍は南部の要塞に駐留している。敵の侵攻を食い止

 められているかいないか、それを見極めるためには帝国軍の動向を探るのが一番だ」

「そう。ところであんたは帝国が苦戦してるっていう敵については何も知らないの?」

「……国名はユストア王国、衝突しているのはその軍と有志による義勇軍の連合だ」

 ユストア王国、その名前にルチルは聞き覚えがなく、反応に困ってしまう。

「ユストアは歴史こそ帝国より長いがここ十年で領土の三分の二以上を帝国から奪われ続けて

 きた、戦争では負け続きの小国だ」

 それを見越したように、ジェイクはルチルが気になっていた事柄について説明をしていく。

「っ……そうなんだ。そんな弱い国に、なんて帝国は攻め込まれてる訳?」

 考えを先読みされている気分に少しイラッとしながら、ルチルは新たな質問を返す。

「……俺は盗賊だ、この辺りの地域での戦況についてしか知らない。帝国全体での戦況知らん。

 農奴が徴兵されているという事実をお前から聞かされて、それほどに前線は兵士不足なのだ

 と予測しただけで、実際にその状況を目撃した訳ではないからな。ただ……」

「ただ?」

「一度だけ、戦った事はある」

「えっ」

 それってどういう、と聞こうとしたところで乗っていた馬が急停止し、ルチルの体が勢いよく前に振られ、ジェイクの背中に顔をぶつけてしまった。

「いったぁ……何よ急に!」

「情報源だ。疎開してきた南の都市の人間か?」

 ぶつけてヒリヒリする鼻を摩りながら、そう呟くジェイクの視線の先にルチルも目をやると、道の向こうにいくつかの人影が小さく見えた。

「そういえば、初めて通行人に会う気がするわね」

「この地域と南方の地域は山岳によって遮断されている。加えて要塞がある以上、戦火を逃れる疎開民はこっちの方面に逃げる事はあまりないからだろう」

 言いながら手綱を軽く振るい、馬をゆっくりと前進させるジェイク。

 見えてきた前方の人々はどうやら家族のようで、肥えた中年の男とその妻らしき女性、それから二人の若い少年少女の四人組。ルチルや少年の質素な服と比べて皆やけに立派な装いをしているが、各所に破れや土の汚れが見栄えを悪くしてしまっている。四人の内の男二人はやけにパンパンに中身の詰め込まれたリュックを背負っている。

「おはようございます。もしかして疎開民の方ですか?」

 近づくやいなや、ルチルは自分が抱きついている少年から発せられた声にハッとした。

「っ……あぁ、そうだが……」

「じゃあもしかして山の向こうから来たんですか?」

「……それが何か?」

「良かった。僕達南へ行きたいんですけれど、この道使うの初めてで……真っ直ぐに進めば山

 を超えられるんでしょうか?」

 どこか挙動不審気味な中年の男に、ジェイクは実に落ち着いた丁寧な言葉遣いで対応する。

 今までの突き放すような無愛想な話し方とはまるで別人の、育ちの良い好青年のような印象を聞いた者に抱かせる彼の喋りに、彼の後ろで静かに驚くルチル。

(こいつ……ほんと器用な奴ね)

 兵士を素手で倒せる強さやルチルの無茶な申し出を冷静に分析出来る賢さ、馬を扱えるという技能に加え、相手によって態度をガラリと変えて話す事も出来る、今時の盗賊はこれくらい色々と能力を持っていなければやっていけないのかと本気で考えてしまう。

「南って……君達分かってるのか? 向こうでは戦争してるんだぞ!」

 中年の男はあからさまに取り乱した様子で声を荒げる。他の三人も揃って顔色が悪いようだが、ここまで歩いてきた疲れによるものと別の、何かに怯えているような感情が垣間見える。

「分かってますよ。山の向こうにある街にいる知り合いと都市で合流する予定なんですけど、

 疎開に必要な道具が多くて大変だろうと思って迎えに行く途中なんです」

「そ、そうか……だが、やっぱり危険だぞ! 戦場がどれだけ危険な状態か知らないから、近

 寄ろうなんて思えるんだ!」

「そうなんですか?」

 そうだ! と切羽詰まった表情で男が訴えかけてくる。

「何が常勝無敗の帝国軍だ! あいつら連戦連敗しおって、負ける訳ないと思って生活してた

 わしらが馬鹿じゃったわ!」

「敵軍ですか……そんなに強いんですか?」

「ここ半年で帝国南部方面の領地の半分以上が奪われおったんじゃ! 常駐軍の拠点はほぼ制

 圧されて、あっという間にこの辺りの地域まで撤退してしもうたんじゃ!」

「かなりまずい状況になってるんですねぇ」

 必死で敵軍の強さを説明する男の言葉を、ジェイクは涼しげな笑顔で聞いている。

「何を呑気な……! 超えたければ勝手にせい。早くせんとここもすぐ敵の手に落ちるぞ!」

 忠告したからな! と警告するように叫んで、男は家族に先に進むよう顎で促し足を進めた。

「……他に逃げてきた人はいないの?」

 とぼとぼと歩き出して四人をしばらく黙って横目で眺めていたルチルがボソリと呟いた。

「っ」

 その時、中年の男の動きが一瞬ぎこちなくなったのを、ジェイクは見逃さなかった。

「どうかしました?」

「い、いや、わしらは逃げるのが遅かったからのう。他の者はもう逃げ終えてると思うぞ」

「そうですか……ところで一つ聞いていいですか?」

 笑顔を崩さないジェイクの問いに男は鬱陶しそうにしながら「なんだ」と返す。

「皆さんはどうしてこちらに逃げてきたんですか? 南にある大きな街はトーリアぐらいしか

 覚えがないですが、そこからならわざわざ山を超えなくても別の都市へ行ける平坦な街道が

 あった筈ですけど」

「あー……知人がおるんじゃよ、こっちの方に」

「はぁ、大変だったでしょう。あの山、越えるだけで一日はかかるんじゃ?」

「んんっ、ま、まぁな」

 ジェイクの言葉にまたも動揺した素振りを見せる中年の男。

(何かこいつら、変な感じ)

 ルチルも不審さを覚えながら、黙って彼等の会話を眺める。

 戦いを恐れて逃げてきたのだから動揺を隠せないのだとしたらそれも分からなくもないが、どうにもそれ以外の『何か』に怯えているようにも見えた。

「という事は、夜の間に山の中を? 盗賊がどこに潜んでいるか分からないというのに」

「ん、それはそうだが……戦争に巻き込まれないためなんだから仕方がないだろう!」

 とっとと行かせてくれとでも言いたげな男の苛立ちを、ジェイクは相変わらず作ったすまし顔で受け流す。それがさらに男をイラつかせている。

「なんでそこまでして引き留めるのよ」

 猫を被って礼儀正しく話す少年の服の端を引っ張って、彼にだけ聞こえるような小さな声でルチルが呟く。

「いやいや、あの山の街道はかなり粗悪って聞きましたが……そんなに大きな荷物を持ってて、

 よく越えられましたね」 

 当然のようにそれを無視して、ジェイクは男との会話を続けようとする。

「あぁそうだよ! 死にもの狂いで逃げてきたんだ! だからもう行かせてくれよ!」

 さすがに鬱陶しかったのか、中年の男は怒った様子でルチル達に背を向け、今度こそ他の三人と共にその場を立ち去ろうとする。

「すいません、呼び止めてしまって」

 ジェイクも形だけ謝って、それ以上無理に話を繋げようとはしなかった。

「この道はあの山とは直接は繋がっていない街道なのに、山を超えてきたと言うあなた方が気

になってしまって」

 その代わりに、馬から降りて一拍息を吐いてから一言、そんな言葉を声に出した。

 途端に、中年の男の顔が一気に青ざめていく。

「お、お前は、なんで……」

「もしかして街道以外で山を超えられる近道があったりするんですかね?」

 そう言葉を続けるジェイクの、表面上は優しい淡白な笑顔の中に、してやったりといういやらしい彼の本音が見て取れた。

 あまり村の仲間以外の人間を見た事がなく、人の表情から感情を読み取る程目が肥えていないルチルにもそれは分かるくらいに、はっきりと。

「お前! 何を根拠にそっ、そんな事を!」

「根拠などないですよ。僕の勝手な想像です。もしかして当たっちゃいましたか?」

「おい! いい加減な事を口走りおってこの小僧!」

 頭に血を上らせて言い迫ってくる中年の男。それをジェイクは黙って眺めた後、

「……普段から道を歩く人間は必要最低限の物だけを装備する。お前達は違うみたいだな」

 声が低く冷たくなると同時、突如男に足払いをかけた。

 無駄のない素早いジェイクの片足の動きに中年の男は反応出来る訳もなく、小太りな体を派手に地面の上に転げ倒してしまった。

「き、貴様ぁ!?」

「己を誇示する華美な服装、移動に不必要な貴金属、武器にもならない鑑賞用の剣に、かさば

 るだけの鎧。葡萄酒……はまだ有用性はあるがな」

 倒れた拍子に男の背負っていた鞄から飛び出してきたのは、どれもこれもルチルが見たことのない、しかし見るからに売れば高そうな物品ばかりだった。

「何この布、絨毯?」

「馬鹿者! それは我が家に代々伝わる家紋の旗だ、触るな!」

 よく分からない模様の描かれた旗を拾い上げようと、馬から降りたルチルが伸ばした手からそれを奪い取った男が声を荒げる。

 なによ、と言い返そうとしたルチルだが、ジェイクが手を目の前にかざして制止してきた。

「お前にとってどれだけの価値があるかは知らんが、こっちから見れば布でしかないという事

 だ。例えその旗の紋章が、この辺りの領主であるカーセム家を現しているとしてもな」

「かっ……小僧、なぜそこまで知っている!?」

「知った経緯はお前には関係ない。それよりも、戦時下には要塞と化す城の主であるカーセム

 家の人間が、なぜ砦である城を離れてここにいるかが重要ではないのか?」

 淡々と告げられるジェイクの言葉に、男と男の家族が揃ってバツの悪そうな顔をする。

「勿体ぶった言い方しないでよね、何が言いたいのよ」 

 ジェイクと中年の男の会話を黙って隣で聞いていたルチルが、ようやう話に割って入る。

「……つまりこいつらは逃げてきたって事だ」

「逃げたって、どこからよ」

「城、敵軍の侵攻を抑えるための前線基地である城塞からだ。有事の際は私兵を率いる指揮官

 として戦いに参加する事が義務付けられている領主でありながら、だ」

 ジェイクの言葉に、中年の男の顔が苦虫を噛み潰したような歪なものへ変わっていく。

「帝国の領主は戦時下に兵力や食料等戦いに関する全ての事柄で帝国軍に協力するのが掟の筈

 だ。逃亡した際は一族揃って極刑なのは、知っている筈だが?」

「っ、だからってお前に何の関係がある!」

「関係はない。ただこの先お前達がどう行動するつもりなのか、少しだけ気になっただけだ」

「通りすがりの小僧が偉そうに……!」

 声を荒げ、男は見る見るうちに顔を真っ赤にして怒気を強める。

「わしらだって最初から逃げる気だった訳じゃない、もし敵軍を退けて戦果を上げれば陛下か

 らより高い爵位と報酬をいただく事が出来るんじゃからな!」

 じゃが、と付け加え、カーセム家の人間らしい中年の男は自らが逃げてきた理由を口走る。

「あんな奴等、いくら兵士を投入しても倒せる訳がない! 奴等の強さは非常識じゃ! 予め

 駐留していた六万近くの兵の半分以上が開戦して一日で蹴散らされ、残った連中からも脱走

 する奴が出て指揮系統が混乱して、それでも現状の戦力で対応せよと帝都への援軍要請は 

 突っぱねられ、それでどうやって戦線を維持しろと言うんじゃ! カーセム家が領主になっ

 て二百年、領地には敵軍が侵攻してきた事すらないというのに!」

「……それで、逃げてきたのか?」

「当たり前だ! 勝ち目のない戦いに付き合って、家族全員殺されてたまるか!」

 余程の恐怖を感じているのが喋り方と声の震え方から伝わってくる。そこまで怯えてしまうような出来事が戦場では起きているのかと、ルチルは得体の知れない恐怖に息を呑んだ。

 中年の男の後ろで、家族らしき他の三人は黙ってこちらの様子を見つめている。正体に気づいた少年に対しての冷ややかな目線と、自分達が逃げてきた理由を知られて複雑な感情が現れた硬い表情が印象的だ。

 取り乱す男を眉一つ動かさず黙って凝視していたジェイクは、男が本音を吐き出し終えたのを見てから、ゆっくりと口を開ける。

「お前達の行動に悪い点は一つもない」

「何じゃと?」

「戦って死ぬよりも逃げる方を選んだ、それは領主の責務より自分の命欲しさの方が勝ったと

 いう事だ。人は自らに危機が迫れば己を守るための手段を取る、当然の事だ」

 ジェイクは戦場から逃げてきたという男を責めず、その行動を認めるような言葉を放つ。

「そ……そうじゃろ!? そうじゃ、逃げて何が悪い、あんな……」

「あぁ、そうだな」

 乾いた返事をしたジェイクは、数歩男に歩み寄って、

「戦場から逃げたなら今のお前等は領主カーセム家ではない、単なる通行人だ」

 そう呟き、自らの腰へと手を伸ばした。

「だから、ここで見知らぬ人間に襲われ野垂れ死んだとしても、文句は言えないよな?」

 レチオンの街で兵士から奪い取った、厚い白銀の刃を持つ剣が携えられた腰へ。

「っ……!」

 その瞬間、彼の体から明確な殺気が立ち上り、近くにいたルチルは咄嗟に一歩後ずさった。

 彼女が感じた殺気、それは初めて彼と会った時、兵士達を組み伏せた際の獣の如き獰猛且つ純粋で明確な鋭い殺意と全く同じものであった。

「なっ……こ、小僧、追剥ぎか物取りの輩か!?」

 ジェイクの圧力を持った殺気に男は慌てふためき、後方の家族も身の危険を感じて顔を真っ青に染めて動揺する。

「城や都市の外ってのは常にそういう危険が潜んでいるものだ。どれだけ地位があって金を

 持った奴でも、『外』では一人の人間にしか過ぎない。運が悪ければ狙われる」

「くっ、うおおお!」

 中年の男は自分のリュックから落ちて地面に散らばっていた物の中から刀身の短い剣を掴むと、大声を上げながらがむしゃらにジェイクめがけて突進してきた。

「危なっ……!」

 思わず叫ぼうとしたルチルだったが、それよりも先にジェイクの体が動いていた。

 男が剣を突き出してきたところでジェイクは一歩だけ横に動いて攻撃の軌道から体を外しつつ、左手で男の手から剣を叩き落とし、続けざまに右拳を懐へ叩き込んでその場に蹲らせる。

「ぐふっ……うぅ……」

「あなた!」

 男の妻が悲鳴じみた声を出すが、ジェイクの無駄のない動きから繰り出された攻撃の威力は凄まじいようで、腹を押さえて膝をついた男は返事をするのもままならない様子で呻いている。

「敵に向かう度胸が無い訳ではないようだな」

 ジェイクは苦しむ男を見下げてそう言うと、改めて腰から剣の引き抜き構えた。

「ちょ、ちょっ、ちょちょっと待って!」

 これから彼が何をしようとしているかを想像したルチルは慌てて駆け寄って止めに入った。

「……何だ」

「何だじゃないわよ! 本気で襲うつもりだったの!?」

「俺達は持っている物資が圧倒的に少ない。手に入れる機会があれば活かす。それが今だ」

 ジェイクの言葉に迷いはない。当然だろう、彼は元々盗賊だったのだから。

「お前が俺に協力して欲しいのなら、俺がどんな手段を使っても許せる覚悟がなければならな

 いと言った筈だが?」

「っ……」

 ジェイクはルチルの協力者である以前に盗賊であり、罪人であり処刑人でもある。彼は今まで人を傷つけ物を奪う生き方をしてきた人種、ならば必要とあれば普通の人間には非道とも思える行為も平然とやってのけるのだろう。

 ルチルもまたそれを重々承知した上で、村の皆を助けて貰うために協力を求めた。その彼が、これからの行動のために人を傷つけて物を奪う必要があると判断すれば、ルチルにそれを拒否する権利はない。

「そっ、そうだけど……そうだけど!」

 頭の中では分かってはいるが、いざその場面となって、彼女は反射的に彼を止めようとしてしまっていたのだ。

「殺さなくたっていいじゃない! その、物だけ置いていってもらえれば……その……絶対に

 相手を傷つけなければいけないなんて決まりないでしょ? だから……」

「……チッ」

 ジェイクは面倒そうに舌打ちをすると、咳き込みながらもやっと立ち上がって息を整える男へ尖った眼光を向け、

「食い物と酒、衣服を男女用それぞれ数枚、それから貴金属を幾つか置いていけ。この薄っぺ

 らい刃の剣は返してやる」

 落ちていた男の剣を放って返し、ジェイクはそう言って自らの剣を鞘に収めた。

「くぅ……小僧が生意気に……」

「なら刃向かってくればいい。お前にとってその選択が正しいと思えるのなら」

 ジェイクには敵わない事を身を持って理解した男はそれ以上抵抗はせず、苦々しい顔をしながらも言われた通りの所持品を地面に置いていく。

「これだけか、少ないな」

 差し出されたパンや葡萄酒、衣服や鎧を一瞥したジェイクはそう呟き、離れた位置にいる男の家族の方に視線を向ける。

「かっ、家族には手を出さないでくれ!」

 男はふらつきながら少年の前に移動し、必死な形相で訴えかける。

「……まぁいい。お前のリュックは貰う、必要なものは勝手に持って行け」

 ジェイクが顎でさっさと離れるよう指示をすると、男はリュックの中の残りを両腕で抱きかかえ、ジェイクの素振りに注意を払いながら家族の方へと後ずさりしていく。

 このままこの家族とはお別れかと、事態が一段落すると思って小さく安堵するルチル。

「待て、一つ聞かせろ。お前が家族を連れて逃げ出す程恐ろしい敵ってのは、どんな奴だ」

 だがジェイクは男を呼び止め、新たに一つの質問を投げかけた。

「……あいつらは、人間じゃない」

 男はビクリと体を震わせた後、覇気の無い弱々しい声で答える。 

「圧倒的に強い軍隊という事か?」

「違う、軍などではない、あいつ等は化け物じゃ! あんな化け物相手に戦争を続けようとす

 る帝国が間違ってるんじゃ!」

「……化け物?」

 男が口にした一つの単語に、ジェイクが眉をひそめる。

「あ、あぁ! 訳の分からない現象を起こして、大袈裟でもなんでもなく、六万の軍勢をあい

 つ等は数人で殲滅しおったんじゃ! 文字通り、根こそぎじゃ!」

「……何を言ってるの、あの人」

 戦争に無縁なルチルでも、男の口にしている言葉の内容があまりにぶっ飛んでいる事ぐらいは聞いていて分かる。

 戦争とは軍隊単位の大勢の兵士が、二つの勢力に分かれて衝突し殺し合うものだ。帝国は領土を広げるためにそれを繰り返しており、ルチルの村の人間はその戦争に参加させられるために徴兵された。

 敵軍が強いために帝国軍が敗戦を続けているのは少年から教えられて分かってはいたが、その敵はあくまで多くの兵士が集まった『軍』だと想像していたのだが。

「敵を自分の目で見たのか?」

「直接は見とらん、じゃが戦況報告の伝令兵は揃いも揃って、武装した帝国兵や騎馬隊が一人

 の敵に惨殺されたと言っておった! 城からも見えたのじゃ、敵軍らしき姿がないにも関わ

 らず、防衛線の兵士達が片っ端から薙ぎ払われるのをな!」

「……そうか、分かった。行け」

 それ以上は聞こうとせず、少年は今度こそ男に立ち去らせる。

「フン、お前等も死にたくなければ山の中にでも籠っておるんじゃな! 盗人風情が!」

 捨て台詞のようなものを震える声で投げかけた男は、半ば腰を抜かしてまともに歩けなくなったのを家族に支えられながら、ルチル達が馬で走ってきた道を進んでいった。

「いつから気づいてたの? その、領主だって事」

「気づいてはいない。トーリアの方から来たと言いつつトーリアの方に続いていない街道から

 来たのが怪しく見えて、正体を探ってやろうと思った。領主だと分かったのは家紋の描かれ

 た旗を見た時だ、ただ常に周囲に怯えて歩く様子から『外の世界』に慣れてない連中だとは

 思っていたがな」

「じゃあ、通路がどうこうってのはさっきの人を揺さぶるための嘘だったの?」

「嫌、それは事実だ、言っただろ、俺のいた盗賊にとってこの辺は縄張りだ。特に洞窟は兵士

 から身を隠すのに使えるから、どこにあるのかぐらいは頭の中に入ってるんだよ。まぁ、領

 主ご用達とは知らなかったがな」

 そんな事は別に気にすることじゃないと、男が置いていった物を、同じく男が置いて行ったリュックに詰める少年。

「……奴等がレチオンに向かったとしたら、処刑人と一緒にいたと報告されるかもしれんぞ」

「何が言いたいのよ」

「物を奪った相手に顔を覚えられると後々面倒になる、意味は分かるだろ?」

「知らないわよ、別にいいでしょ! 食べ物は手に入れたんだから!」

 目的のためならどのような悪事も許す、それは分かっているつもりだが、だからといってそれを気分良く見過ごせる訳ではない。

「他人に甘くしている余裕は無いぞ」

「甘かったら物盗ったりなんかしないわよ!」

 ジェイクの言う事は分かるが、それでもルチルの中では悪事への拒絶反応が消えはしない。

 フン、とそっぽを向いて、ルチルはジェイクの話から逃げるように、少し離れた位置で道草を食う馬に向かって歩みを進める。

「……チッ、面倒な奴だ」

 小さく溜め息を漏らしながら、ジェイクはリュックを左肩に担いで後に続く。

「……ねぇ、ところでさ」

 しばし先行して歩いた後、ルチルはジェイクと中年の男との会話を横で聞いていて気になっていた事を尋ねようと、立ち止まって振り返る。

「何だ」

「あれって本当なのかな、敵はたった数人って……」

「……現実的に考えればありえないんだろう。ただ、まだその戦場とやらを俺は見ていない。

 なら断言は出来ん」

 そう答えながら、ジェイクは立ち去った男から手に入れたリュックに、同じく男から手に入れた食べ物や服を放り込んでいく。

「どっちにしろ俺達は戦場を見に行く、敵についてもいずれ分かる事だ。あまり気にするな」

「そうだけど……」

 村の人間が戦わされる敵が、あの領主の男が言っているように六万もの帝国軍の兵を数人で蹴散らす恐ろしい強さを本当に持っているのかもしれないと思うだけで、ルチルの胸の中で不安が増殖していく。

 敵軍について、ルチルは何も知らない。敵軍が本当に恐ろしい存在なのか、そうではないのか、それが分からないという事が何よりも彼女にもどかしさを募らせる。

「あ、ねぇあんた、敵……王国軍と戦った事があるって言ってなかった?」

 直後にカーセム家の人間と遭遇した事で忘れてしまっていたが、彼は確かにそう言っていた。

「……あぁ」

「それ本当なの?」

「嘘を言っても意味がない」

「じゃあ知ってるんじゃないの? あの領主の男が言ってた敵について」

「……俺が過去に戦った相手と、今回向かう戦場にいる敵が同じとは限らない。変に喋ってお

 前の不安を煽っても得はないからな」 

「何よ、人を無知扱いしておきながら、知ろうとしたら教えてくれないんだから」

「人の知識を簡単に得られると思うな。それになんでも知っていればいいものでもない」

 あっさりと返答を回避され、ルチルはさらに不機嫌になって口元をムッと結ぶ。

「……ただ、あの男が言っていた事は嘘でないだろう」

 リュックを担ぎ直した少年は、ルチルと肩を並んで歩きながらそんな言葉を口にする。

「領主なら必ず持っている、皇帝から与えられる家紋の描かれた旗が何よりもその証拠だが、

 それを除いても素性を知られたくない人間は大抵巡礼者か旅人か帰郷者のフリをするものだ。

 街道を進む人間の類は大して多くない、罪人であれ何であれ、正体を隠す人間は『どこにで

 もいる人間』を演じるものだ。わざわざ領主などと無駄に目立つ嘘をつく必要はない。加え

 て、カーセム家の城が要塞として使われ、帝国軍が利用している事を奴は知っていた。これ

 は俺が盗賊にいた頃に仲間と共有していた情報と重なる。現実味は高い」

 立ち去った中年の男が言った戦場の状況が真実だとすれば、ルチルにとって望ましくない現実がこの先待ち受けている可能性がさらに高まってくる。

「怖気づいたか?」

「え?」

「俺はお前の村の人間を助ける事に協力している。そしてどうすれば助けられるかを探るため

 に戦場の状況を確かめる。だが当然戦場に近づけば危険も伴う、それにお前の望みを叶える

 には十中八九力技を使わなければ解決出来ないだろう。金や権力を行使して解決出来るよう

 な立場に、俺もお前も存在していないからな」

 言われずとも分かっている、ルチルは今までろくに村の外に出た事のない農奴であり、ジェイクは他人から物を奪って生きてきた盗賊である。どちらも社会的に下層に位置する人間であり、戦争という国家の政の一部である行為に干渉し状況を思いのままに変えられるような権力は持っていない。

 ならば、物理的な行為で変化をもたらすしか術はない。少なくとも今はそれ以外に術が思いつかない、だからこそルチルは荒事に慣れた『力』を持つ少年に協力を持ちかけたのだから。

「今ならまだやめられるぞ。俺達はまだ戦場に関わってはいない、お前の村の人間を救う過程

 では必ず帝国軍か敵軍のどちらかに干渉する事になる。そして成功するか否か以前に、戦場

 に関われば命を落とす危険が高くなる」

「……諦めろって言いたいの?」

「まだ諦められるという事だ。俺は暴力でしか結果を得られない、お前の望みを叶えるために

 俺は他人に暴力を行使する。それは帝国軍でも敵軍でも、だ。軍は国の一部、俺もお前も帝

 国か王国を敵に回す事になる。後で謝ってもどうしようもならなくなる」

 ジェイクの言う事は理解出来る。戦いに参加するために軍に連行された村の人間を戦いから救うには、戦いを止めるか戦いから逃れる方法が必要で、前者は王国に、後者は帝国に対峙しなければ得られない方法である。

 元々無謀な望みで、叶う可能性が低い望みなのをルチルは重々承知している。

 それでもあえて少年が諦められる事を伝えてきたのは、本当にこれから『後戻りの出来ない状況』に足を踏み入れようとしていると知らせようとしたからなのかもしれない。

「……大丈夫」

 しかし、ルチルは一つ小さく息を吐いてから、そうはっきりと返答した。

「確かに怖いわよ。正直村の外にいるだけでも、ずっと心が落ち着かないし、人が殺し合って

 る戦場なんて近づきたくもない。けどそれ以上に、そんな危険な場所に村の皆が送られるっ

 て方が余計に嫌なの」

 兵士が武器を持って殺し合い、殺され合っているところに村の皆が参加させられる。それだけは何があっても止めたい。

「諦めて前線から離れた街でただの市民として生きていきたくはないのか?」

「生きるなら、皆と生きたいもの」

「……その我儘にこだわって、後悔するなよ」

 ジェイクはつまらなそうにそう言って、馬に腰を下ろし手綱を掴む。

「それにここでやめたらっ……っと、盗賊のあんたに襲われちゃうでしょ?」

 彼の後に続いて、小さな体を精一杯に使って鞍に前のめりに乗りながら、心の余裕を見せつけるように笑顔で冗談を口にするルチル。

「……フン」

 それに対し、ジェイクは視線をルチルから外しながら、返事の代わりに鼻を鳴らした後、

「今の俺は盗賊じゃない、単なるお前の協力者だ」

「え? なん、うわっ……!」

 呟きが聞こえなかったルチルが尋ねようとするも、彼は手綱を引いて馬の脚を進めさせた。


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