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第2話 あの日の記憶

 オスティム帝国人には三つの種類が存在する。

 一番上の地位に存在するのが国や領地を支配し管理する皇族や貴族、その下で統治された社会においてある程度自由に職に就き生活する市民、そしてそれら二つの人間のさらに下に存在するのが奴隷である。

 奴隷にも種類があり、帝国によって支配された国や部族は前線に兵士として駆り出される奴隷兵となるのが殆どである。

 それとは別に、農奴という者達も帝国の奴隷制の歴史で欠かせない存在である。名前の通り農業に従事する奴隷で、領主である貴族に献上したり市場に流通させたりするために、指定された農村で一日の休みもなく指定された作物を育てる事を領主に強制される。定期的に作物の採取量と品質の検査があり、もし基準に届かなければ何らかの罰が領主より与えられる。

 自分達で育てた作物の大半は税として領主や商人に献上する事になり、基本的に村から離れるのは許されておらず、限られた空間の中で決められた作業を日々続け、僅かな食糧を食い繋いでいく貧相な生活を強いられる。常に死と隣合わせの奴隷兵に比べれば恵まれている環境ともいえるが、それでも上の人間のためにひたすら働き続けさせられるという点では苦しい身分である事は変わりないだろう。

 ルチルが育ったのは、そんな農奴の村の一つであった。

 四方を山と森に囲まれた閉鎖的な空間で、土もあまり良いものとは呼べない状態であったが、毎年なんとか規定量の作物を納め安定した生活を農奴達は送る事が出来ていた。

 元々数が少なかったせいで少子化が進み、ルチルより年下の農奴が一人もいなかったが、年上の男子達に交じって毎日農作業の合間を縫っては村や森を駆け回って遊びにふけっていた。気が強く男勝りな性格に育った彼女は、村で只一人の少女として他の村人から可愛がられ、人一倍大切に育てられていた。

 生まれつき村の内部の事しか考えずに育ったため、帝国への忠誠など欠片もなく、生活に直接関係のない前線の戦況も全く気にする事もなかった。

 だからある時期を境に、時折やってくる監視の兵士が漏らした言葉から農奴達の間に広がった、『帝国が敗戦を繰り返している』という噂が流れていても、ルチルは大人同士の難しい話程度にしか思っていなかった。

 ある日、いつもと同じように朝目覚めると外が騒がしかった。住居である木造の家屋から飛び出そうとすると、先に起きていた母親の手で制止された。

 母は詳しくを語らなかった、子供に説明しても分からないと思ったのだろう。

 ただ簡潔に、外に出てはいけないと、それだけを告げられた。

 ルチルは母に建物の裏口から連れ出されると、極力音を立てないように注意されながら村の周囲に生い茂る森へ向かった。途中後ろを振り返った彼女は、村の入り口で鎧と槍を身に纏った兵士と口論する、村の力自慢の男達の姿が目に映っていた。

 ボロボロの靴のまま、足場の悪い森の中を走り続け、どの方向を見回しても木々が乱立する光景が広がるまでに奥深くまで進んだところで、母はようやく足を止めた。

 あがりにあがりきった息を整える事もままならず嗚咽を繰り返す少女のルチルに、母は振り返って凛とした目を向けて両肩を掴んだ。

 普段物静かで大人しい母らしくない強い力と迫力に、ルチルは違和感を覚えた。

「っ、ルチル……あなたは、強い子よね?」

「……?」

「いつも早起きして、男の子でも疲れる農作業を率先してやってる。夜に獣と遭遇した時も、

背中を向けないように注意しながら決して怖気づかずに、お父さん達が駆けつけてくるまで

我慢してた。あなたは強い人間なのよ、ルチル」

 なんで母は今、私をわざわざここまで連れてきて、こんな事を話し出すのか、ルチルには理解が出来なかった。

 ただ、今まで見た事がない母の焦りと必死さの混じった様子に、母の話は自分にとって大切だという事ぐらいしか。

「ルチル、これから先お母さん達は帝国のため仕事をしないといけないの。大事で大変なお仕

事をね」

「帝国って……もしかしてチョーヘイって奴?」

 数日前、ルチルは父と仕事仲間の大人達が昼休み中に億劫な表情で話をしているのを目撃した。こっそり近くの建物の陰に隠れて聞き耳を立てた時、彼等が物騒な内容の話を、半分程も理解出来ないながらに聞いていたのだ。

「あらら、どこかで聞いちゃったのかしら……そうよ、私達は帝国の人間、その帝国が今敵に

襲われて助けが必要なの。私達大人は助けないといけない、帝国の人間としてね」

「嘘! お父さん達いつも言ってるじゃん! 帝国のために働いてるんじゃないって、村の皆

がずっと暮らしていくために、帝国の必要な作物を作ってやってるって!」

「……そうね。でもね、これは義務なの。拒否すれば村の皆に迷惑がかかるの。皆にね」

 帝国は村で作った作物を、たまに来ては自分で作った訳でもないのに感謝もせずに根こそぎ奪っていく嫌味な連中だとルチルは思っていた。その帝国から生きるのに必要最低限な物資を受け取って生活してきた事を知っているものの、上から目線で生意気な帝国人にはどうしても好印象を持つ事は出来なかった。

「じゃあ、私も一緒に……」

「ダメ」

 自分も同じ村の人間として共に徴兵されてやる、そんな気持ちを伝えようとしたルチルの言葉を、母の短く重い一言が制止する。

「女は半分ぐらいが拠点での看護や雑務に回されるって話だけど、あなたはまだお料理もお裁

縫も苦手でしょう?」

「それはっ……」

「だとしたら戦闘に参加させられる。私は……ううん、村の大人は村でもう殆どいない子供の

 あなたまで、死にに行かせるような事はさせたくないの」

 母の眼差しは刺すように鋭く、諭すような喋り方なのに反論を許さない迫力があった。

「死ににって……もしかして、私だけ逃がすつもりなの!?」

 えぇ、と母は否定せず、

「これは村の総意よ。作物の輸送にお父さん達が都市まで連れ出された時に聞いた話だと、帝

 国は外敵に負け続けてる。敵は強い、だったら戦いに出て生き残る可能性は高くない」

「でもっ!」

「だから、私達はあなたを逃がすの。前に兵士が村に来た時、村にいる男の人の数を確認して

いたわ。それにそれぞれの配偶者についてもね。その時あの人はあなたの事を喋らなかった、

向こうもいちいち詳しく聞いてはこなかったみたい」

 母はルチルの肩を掴む力を強め、繰り返し彼女に語りかける。

「逃げなさい……ああ見えてお父さん昔からやんちゃでね、都市に行った時に市民の喧嘩騒ぎ

 に巻き込まれて、その隙に輸送車から離れたらしいの。その時入りこんだ賭博場で運良く大

 金を当てたんだけど、兵士に見つかるのが怖くて近くの空き家に隠したんだって」

「……?」

「それが、あなたが自立するためのお金って事。今まで村から出た事が無かったから、それが

 どんなものかすら、言葉でしか分からないでしょうけどね」

 それから母は手短に説明した。父がギャンブルで偶然手に入れた金を隠したのは一年前、隠した場所は都市の南西にある二階建ての木造の空き家の二階の床下、都市に入るには出稼ぎの田舎者を装えば怪しまれない、農奴だと気づかれれば兵士に取り押さえられるから絶対に秘密にするように、と。

 すらすらと話せるあたり、村の大人達はかなり前からルチルを逃がすつもりだったのだろうか。その時が来たらルチルにどうやって安全に逃げれるか説明しようと、母は常に心に抱きながらいつも通り生活していたのだろうか。

「なんで……私だけ特別扱いされるの? 私、皆と一緒に……!」

「ごめんなさい、でもあなたは特別なの。特別で大切な、村の皆の子供なのよ」

 母親の決心は固く揺るぎない、いくら反対されても自分を逃がすつもりなのだろうと、ルチルは悟った。

 戦いに参加したい訳ではない、徴兵後具体的にどう行動させられるかは分からないが、戦争に参加させられるのなら確実に命の危険を冒す事になるだろう。

 だが、それ以上に村の皆と離れたくない。村の皆は望まない徴兵を受けるのに、子供だからという理由で自分だけ逃がされるという事に対して、村の皆に申し訳ない気持ちが今のルチルの心を蝕んでいた。

 それでも、母から伝わってくる意志の強さに、ルチルは逆らえなかった。

 母も一緒に逃げようとルチルは言ったが、母はそれを拒絶した。母は以前兵士に顔を見られていたから、いなくなればいらぬ騒ぎが起きる事を恐れたのだろう。

 それからルチルは走り続けた。息を切らして、木々の間をすり抜け、岩を飛び越え、時に転びながらも、彼女はほとんど休まずに一日中走り続けた。母から手渡された食物と水を少しずつ摂り、夜は偶然見つけた洞窟や大木の洞に身を隠し雨風を凌いで、数日かけて森を抜け、山を超え、都市へと続く街道を見つけた。

 盗賊に見つかる危険はあったが、気にしている余裕はなかった。遭遇しなかったのは、単に運が良かったからだろう。

 そうしてルチルは都市へ辿り着いた。

 村の皆が望むとおりに生き延び、村の皆とは無関係の一市民として生き長らえるための第一歩を踏み出す位置まで、なんとか辿り着いたのだった。


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