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第27話 足掻いた二人の弱者のその後

 吹き抜ける風は暖かく、茶色く染まって地に落ちていて枯葉が宙を舞う。

 半年前は疎開民の移動と兵士達の交戦によって荒らされ尽くした大地も、時が過ぎれば何事もなかったかのように自然の緑が蘇っていた。

 オスティム帝国とユストア王国の戦争は未だ続いており、相変わらず帝国側は劣勢で領土の約半分を奪われ、帝都侵攻も間近だと噂されていたが、最近は前線地域に変動がなく、戦況は停滞しつつあった。

 戦では常に王国側の圧勝ではあったが、ここにきて進軍を中断すべき事情が発生したのだ。

 残された文献等で示された、かつてはユストア王国のものであったとされる土地を帝国から取り返す事を大義名分に始まったのが、王国による帝国への侵略戦争であった。

 片っ端から敵の領土を奪い取る方法は帝国が今までやってきた事と同じでも、帝国に奪われた土地を取り戻すという意味をつける事で対外的にも帝国との差別化を図った。

 王国軍はその、かつて王国のものだった土地の大半を既に手中に収めていたが、それは逆に言えば、戦争によって取り返すべき土地はもう存在しないという意味でもあった。

 実質侵略である事に変わりはない以上進軍を続ける事も出来たが、その先の戦闘は正しい行為である聖地奪還という意味が付与されなくなる。

 加えて帝国と違い人口が少なかった王国の兵力では、既に制圧した帝国の広大な領土を自国の管理下として統治するだけでも限界に近かった。

 これ以上侵攻を続けてしまえば、侵攻に動員する兵力と領土統治のための兵力を両立する事が出来なくなる、ある程度の領土確保が出来た今、無理に進軍を続ける必要もないと王国軍は判断したのだろう。

 いくら抗おうとも止まらなかった敵国が、侵略に割く力が無くなったからという理由で戦争をしなくなったというのも滑稽な話だ。帝国の民は奇跡が起きたと歓喜に沸く者もいれば、好き勝手にされたあげくろくな抵抗も出来ないままなのは屈辱だと反転攻勢を掲げる者もいたが、帝国軍がこれからどのような行動に出るかはまだ発表されていない。

 そんな世間事情とは隔離されたように、人気がなく葉の擦れ合う音や鳥のさえずりのみが断続的に聞こえる山中に、くり抜かれたように開かれた小さな村がポツリとあった。

 かつては帝国領内にて農奴達が一年中農作業を強制される場所として使用されていたが、現在この辺りの地域は全て王国の支配下にある。

 王国によって制圧された都市部には王国から多くの兵士が流入し、逃げ遅れた帝国の民の生活を管理し自由な移動を禁止している。やがては王国から民を多く移住させ、生産業を中心に新たな経済圏を発生させる王国の政策を行うための下準備をしている段階らしい。

 帝国領内にあった農村で村人が運良く生き残り離散していない所は、収穫物の七割を王国へ献上をする事を条件に現状維持を許されたが、それは統治した帝国領内で生産されていた食糧を確保するのが目的なのだろう。

 結局国の名前が変わっただけで、国に農作物を税として徴収される形態は継続されているが、戦後処理が終わればある程度行動の自由が許されるという話もあるとかないとか。

 この村もその対象の一つであり、住まう者も全員帝国の農奴だった人間だ。

 今日も朝から農民全員で作物の収穫作業を行い、汗水で服を濡らしながら実った作物を獲っては一か所に集めるのを繰り返していた。

「っ、ふぅ~、あっついなぁ」

 農作業で鍛えられたたくましい体つきの男達に混じって、乱れ気味の金髪が見た者の目を惹く、小柄で華奢な体つきの少女がいた。

 名前はルチル、この村で生まれ育った元農奴であり、この村に住む人間の多くを間接的だが救った人物でもあった。

「おーいルチルー! ちょっと来てくれー!」

 任せられた範囲の畑での収穫を粗方終え、半分近くジャガイモで埋もれたカゴをそばに置いて土の上に腰を下ろしていたルチルは、遠くから作業全体を指揮する役割を担う男ロンが自分を呼ぶ声を聞いて、振り返りながら「はーい」と元気よく返事する。

「何かあったんですか? ロンさん」

「お前にお客さんらしいぞ、なぁダグ」

 ロンと並んで畑に挟まれた畦道に立っていた、ルチルの三つ年上の少年ダグは頷いてからルチルの方に視線を動かし、

「軍人だってよ、お前の事を知ってるみたいだったぜ」

「私を……?」

「いつも来る徴収の兵士の連中より見た目は片っ苦しくないが、目付きはキツかったな」

 四ヶ月前から外界へと続く道と繋がっている村唯一の出入り口の門番を任せられているダグは、頻繁に訪れる王国兵とよく顔を合わせており、支配層と被支配層の関係上威圧的な態度を取られる事を経験している。

 ある程度そういう見下されに耐性ある彼がキツイと言って顔をしかめるのだから、普段訪れる兵士よりもクセのある人間が来たのだろうとルチルは察する。

「気を付けろよ」

「うん。その人は私を名指ししたの?」

「あぁ、年は俺とあんまり変わらない感じだったけどな」

 何気なく飛び出したダグの言葉に、農作業で疲れて回転率が下がっていた思考が突然働いて、訪ねてきた人物についての予測結果が瞬く間に脳裏に浮かび上がる。

「もしかして……!」

 ハッとしたルチルは弾かれるように走り出し、広い畑を横目に村の出入り口に向かっていく。

 やがて雨ざらしで朽ちかけた木製の両開き式の門の前にいくつかの人影が見えてきて、その中にいる一人の人物の姿が目に映ったところで、彼女は自分の予測が正しかった事を知る。

「ジェイク!」

 肺の空気を全て吐き出すようにしてルチルは大声でその人物の名を叫び、突然聞こえてきた甲高い少女の声に門の前にいた者達は面食らったように驚いた顔を彼女の方へ向けた。

 ただ一人、表情を殆ど変えず、彼女の接近にいち早く気づいていた様子の少年を除いて。


 村を訪ねてきたのはジェイクと付き添いらしき無愛想な男女二人組、聞けば今の彼の同僚であり、監視役でもあるという。よく見れば装備している鎧のうち、三人共左肩の部分だけ黒色をしていて、聞けば部隊の証のようなものらしい。

「ごめん、人を持て成す事がない村だから、紅茶なんてなくて……これで我慢してね」」

 汲んだばかりの井戸水を木のコップに入れて差し出しながら、ルチルは苦笑いする。

「喉を潤せるだけ十分だ」

 対してジェイクは受け取ったコップにすぐに口をつけ、ささやかな笑顔を返した。

 同僚二人は頭を僅かに下げたものの、手をつける様子は一切ない。被支配層とはいえ元敵国の人間に持て成されるつもりはないのだろう。

「よく見つけられたわね、ここを」

 古びて今にも脚が折れそうな木の机に腰を下ろした彼等のうち、ジェイク以外の二人は自ら口を開こうとはしない。

 仮にも彼等から見てルチルやこの村の人間は元敵国の民、投降して支配を受けているとはいえ必要以上に接したくないようだ。

「一応この辺りの山に住んでいたから、迷いはしない。少し遠くに行ってたせいで、森の表情

 が様変わりしていて焦りもしたがな」

 ジェイクは相変わらず抑揚の少ない低い声で淡白に答える。

 その素っ気ない態度が久しぶりに目や耳で感じる事が出来て、ルチルは懐かしさから変に胸が熱くなった。

「税の徴収……じゃないわよね?」

「俺は奪うのが専門だ、そんなまどろっこしい事をするために雇われてる訳じゃない」

「じゃあ、なんでここに? まぁ、あんたの顔が見れて、少し安心したけどね……」

 半年前、チサーラでの戦闘で帝国軍が敗走した後しばらくして、ルチルとジェイクは離ればなれになった。

 王国の超能力使いの兵士ルークとサブリナとの交渉で、ジェイクはある条件と引き換えに王国軍に鞍替えする事が決められていたからだ。

 ルチルと過ごした僅かな日数の間に彼は二人もの非現実的な能力を使う敵を単身で討ち、帝国侵攻の快進撃の立役者となるであろう王国の英雄を殺す事が出来た実力を認められたのが理由であり、あの後サブリナの助言もあって正式に王国軍の兵として認められたらしい。

 最も、ちゃんと王国軍に迎え入れられたという事自体、彼に今こうして伝えられるまで知らなかったのだが。

「この近くで仕事があってな、休暇を申し出たら許可が出た、だから寄ってみてやろうと思っ

 たんだ。お前が取り戻そうとしていた村がどんなとこなのかは知らなかったしな」

 見張りつきだがな、と両隣に座る仲間をそれぞれ一瞥するジェイク。

「何も珍しくない、普通の村でガッカリした?」

「そうだな、どこにでもありそうな、質素でのどかな場所だ。世の中は戦争のせいでまだ情勢

不安だってのに、一瞬それを忘れそうになるくらいだ」

 称賛というよりも皮肉に近いジェイクの言葉に、ルチルは複雑な気持ちになって苦笑する。

「……ほんと、あんたには頭が上がらないわね」

 気が付けばそんな言葉がルチルの口から零れていた。

「何がだ?」

「今あんたが言ったように、こんな風に毎日農作業が出来てるのは、あんたのお陰だもの」

 半年間抱き続けていた彼への感謝の念、それを伝える事が出来て安堵するルチル。

 ルチルは戦後処理で王国軍が入ったチサーラの内部にて、彼女がずっと探し求めてきた者達と再開した。

 それが、今この村でせっせと汗を垂らして農作業に励む村民、ルチルが生まれ育った村で共に生活してきた人間達であった。

「正直ちゃんと交渉を守って貰えるかは怪しいと思っていたが、あのルークが糞真面目な奴な

 のが救いだったな」

 仲間の仇であるジェイクを王国軍に組み入れる事を嫌悪していたルークだったが、無理矢理戦わされている人間を保護したいという気持ちに偽りはなかったようで、約束通り彼はチサーラでの戦闘後サブリナと協力してルチルの村の人間を見つけ、元いた村へ戻って王国の庇護を受ける事に尽力してくれた。

 超能力者、王国内では英雄と呼ばれる彼等の影響力はかなり強いらしく、ルチルとルチルの村の人間が故郷に戻ってから今まで、税の徴収以外で王国軍が干渉してくる事はなく、驚く程に平穏のまま過ごす事が出来た。

「地位は相変わらず低いままだけど、昔と同じように生活出来てるし、皆このまま過ごせるな

 ら外の情勢なんてあまり気にしてないみたい」

「そうか。俺が職を得た引き換えにお前も目的を遂げたと分かって、満足だ」

 そう言ってジェイクは椅子の背もたれに背中を預け、だらりと天井を仰ぐ。

「あんたの方はどうなの? 仕事って、戦争に参加したりしてるの?」

「そんな大層な仕事は今のところ貰えてない。外様だからな、扱いが良い訳じゃない。サブリ

 ナとかいう女の口添えで一応奴等の仲間を殺した罪で裁判にかけられたりはしてないが、所

 詮非国民って事で風当たりは強い方さ」

「そう……」

「まぁでも実力は評価されてるみたいだ。王国の能力者……英雄を二人討ち取った実力をな」

 英雄とわざわざ言い直したのは、王国内では超能力者が帝国から領土を取り戻し、戦争に勝利した立役者故に崇められる存在として通っており、王国の兵として相応しい呼び方に変えるべきだと判断したからだろう。彼の同僚も彼が発した言葉の中で能力者の部分の時だけ不愉快そうに眉をひそめたのを見てもそれは明らかだ。

「今は戦後に発生した盗賊等の排除が目的の遊撃隊に所属している。元盗賊だから盗賊の行動

 に詳しいだろうって理由らしい」

 そこまで喋ったところで、隣に控えていた付き添いの男がジェイクの脇腹を軽く小突く。

「あんまり詳細な情報を漏らすな」

「ん、あぁ、分かってる」

 一応同僚らしいのだが、間違っても友好的な関係ではないようで、ルチルがこの家屋に招く間の道中でも彼等は一言も会話を交わしていなかった。

「……ごめんね」

 自然と口をつく、謝罪の一言。

「あんたが望んだ訳でもないのに、無理矢理王国に寝返らせるような真似させちゃって」

「今更だな」

「あの時はあの方法しか思いつかなくて……あのまま戦ってたら、あんたは絶対殺されちゃう

 って思って、だから……」

「……まぁ、それは俺も同意見だ。正直俺も、あの状況を打開する策なんて無かったからな」

 ルークの圧倒的な力を誇る発火能力と、サブリナの未知なる猛獣を操る能力を前にした時、抗う術どころか逃げ出す事すら叶わなかった。

 それくらい、当時のルチルとジェイクは窮地に立たされていたのだ。

「なら普通逃げるもんでしょ」

「そうだな」

 言い合って、互いに苦い笑顔を交わす。

「……」

 それからしばらくの沈黙、次に何を口にすべきか、両者共探っているようだった。

「レチオンに罪人として処刑されるのを待っていた時、怖くなったんだ」

 気まずさを先に破ったのはジェイク、発した言葉はルチルと出会った時の心情を振り返るものだった。

「殺す殺されるの世界で生きてきたってのに、抵抗出来ないまま死ぬのを待っているのがどう

 しても我慢ならなかった。剣で何度も斬りかかられても抱かなかった、殺される恐怖がはっ

 きりと感じられたんだ」

「それで、逃げたの?」

「あぁ、行先は考えず、とにかく俺を捕らえようとする奴から逃げたかった。逃げていればそ

 れだけで、自分が黙って殺される恐怖から離れられると思った」

 そんなジェイクが駆け込んだ宿屋に偶然居合わせたのがルチルだった。

「結局レチオンも王国に支配されて、父さんが隠した財産もどうなったか分からなくなっ

 ちゃったわね」

「最初から、そこまで期待してはなかった。協力しろというお前の申し出に乗る事で、あての

 ない逃亡に意味をつけたいと思ったんだ」

 強大な敵との戦いに身を投じ、どれだけ危険でも彼は途中で逃げ出す事なく、村の人間を救いたいルチルへの協力を続けた。

「その考え方はあんまり理解出来ないけど、あんたがいたから私は人生を変えられた。身分を

 偽って隠れるんじゃなくて、もう一度村の皆と生活出来るようになれた。だから本当、感謝

 してもし切れないわね」

「王国の一部になる事で目的を達する、それを決めたのはお前だ」

「あんたがあの……王国の能力者を倒せたから、交渉出来たのよ」

 ルーク達がルチルとルチルの村の人間の保護を認めてくれたのは、王国に寝返らせたいとサブリナが感じるくらいにジェイクの戦闘能力の高さがあったからだろう。

 彼が傍にいなければ、ルチルがいくら訴えかけても相手にされなかった筈だ。

 ルークの性格なら見返りがなくても受け入れてくれたかもしれないが、村の外に出た事すらなかったルチル一人ではまず彼等と接触する事すら不可能に近かった。

「……ま、せいぜい平穏に暮らす事だ。俺の仕事は盗賊が出た所に移動して、討伐したらまた

 別の盗賊を潰すために移動するの繰り返しだから、当分ここに近づく機会もないだろう」

 ジェイクは言うと、椅子を引いてすっくと立ち上がる。

「え、もう帰るの?」

「今の俺は王国の兵士だ、ここにいてもあまり良い事はないだろ」

 ジェイクが窓の方に顔を向けたのを見て、ルチルも後を追うように視線をそちらへと動かす。

 すると、畑で作物を収穫していた村人のうちの数人が作業の手を止め、彼等もまたこちらへ視線を向けている事に気付く。

「あっ……」

 目に映った彼等の表情を見て、ルチルはジェイクの言葉の意味に気が付く。

 どれだけしんどい作業をしてもサボらず笑ってやってのける村の男達が、汚らわしいものを見るような冷淡で刺々しい眼光で、今までルチルが見た事のない敵意を示していたのだ。

 その視線の先にいるのは村を訪れた王国の兵士達、そこにはジェイクも含まれていた。

「元々俺は盗賊で、今は敵国の兵士だ。お前等とは相容れない立場にいるんだよ」

「そんな、村の皆を救えたのはジェイクのお陰じゃない!」

「だとしても、単に国が変わっただけで農奴扱いされてるのは一緒だろう?」

 そんな事ない、と言い返そうとしたが、ルチルは言葉に詰まってしまった。

 ルークの力によって保護され、村の皆と再会した時、ジェイクという少年の協力で村人全員が戦争に巻き込まれる事が回避され、再び村で生活出来るようになった事を説明した。

 だがその時の村の皆の反応は実にまちまちであった。

 間接的に命を救ってくれた恩人だと思う人もいれば、敵国の人間の傘下に入るなど御免だと激昂する人もいた。

 最後はルチルが精一杯奔走してなんとか掴み取った結果だと、誰も欠ける事なく村で生活出来るようになっただけでも幸運に思うべきだという意見でまとまったのだが。

「……じゃあ、元気でな」

 同僚の二人を促してから、ジェイクは出口の方へ歩いていく。

「あっ、待っ……うん」

 思わず呼び止めそうになって、しかしこの場に居づらいから立ち去ろうとしている彼を止める言葉が思いつかず、そのまま彼等が家から出ていくのを見送る事しか出来ない。

 ジェイク達がいなくなり、閑散となった家の中で一人立ち尽くすルチル。

 次に彼と会う機会はいつになるのか、見当もつかない。

 なら、こんなあっさりとは別れたくない。

 彼女の胸の奥には、半年間抱いていた彼への様々な感情が未だ溜まったままでいたからだ。

「追いかけたいんじゃないの?」

 そんなルチルを見かねたように、後ろから一人の女性が落ち着き払った声で尋ねてきた。

「……聞いてたの、母さん」

 二部屋しかない家屋の、就寝時のみ使う方の部屋に隠れていたらしいルチルの母は、長い金髪を後ろに束ねた、家事をする時の姿をしていた。

 これからルチルや彼女の父の昼ご飯を作る準備をしようとした時に、ちょうどルチルがジェイク達を連れてきて、とりあえず隠れていたらしい。

「お邪魔しちゃまずいと思ってね」

「お客なんて招いた事なんてないから、焦っちゃったじゃん」

「良い経験よ。それより、追いかけなくていいのかしら、あの人」

 控え目な笑顔を崩さないまま、母は声を若干低くして再度訪ねてきた。

「……何でよ」

「そんな目をしてるわ。ルチルはもっと、思った事をはっきりという子だから、遠慮してると

 すぐ分かっちゃうの」

 目も合わせず台所へ向かう母にそう言われ、見透かされた気がしたルチルはムッと口を紡ぐ。

「よく分からないけど、あの人は私達の村を助けようとしてくれた人なんでしょう?」

「うん」

「それで、しばらくは会えないんでしょう?」

「っ、うん」

「だったら、まだ言いたい事があるんじゃないの?」

 感謝はした、謝罪はした、村を救ってくれた彼に対して言うべき事は伝えたつもりだ。

 けれども、ルチルの口には何かを言いたそうな、もごもごとした歯がゆさが残っていた。

 表情からそれを読み取っていたのだろうか、母は料理に使うために用意していた、台所の上に並べた野菜を切るために包丁を手にしながら、さらに続ける。

「彼はあなたの、いえ、この村の皆の命の恩人。本当は皆で彼に頭を下げるべきなのかもしれ

 ないけど、大人っていうのは色々難しくてね。素直になれないの」

 それは分かる、ジェイクが村を救ったと言っても、村人の社会的地位は最下層のままだ。

 そして彼は自分達を支配する側の国についた、そんな彼に必要以上に関わりたいとは思えないのだろう。

「だから、あなたに任せたのよ。彼に唯一、本心を言えるあなたにね」

「ん……」

「でも、あなた自身が言いたい事は、まだ言えてないんじゃない?」

 言われなくても分かっていた、まだ彼に何か言いたがっている自分がいる事に。

 ただ、言おうとする勇気がほんの少しだけ足りなかったのだ。

 遠い存在になってしまい、今度こそ自分と身分が違う立場になった彼に、あの時から抱く私的な感情をぶちまけていいのか、悩んでしまっていたのだ。

「……言えてない」

「言わなくても、あなたはいいのかしら?」

「……ダメ!」

 弾かれるように、ルチルは外に向かって駆け出す。

「ありがとう、母さん」 

 背中を押してくれた母に感謝の言葉を残して、立ち去ったジェイク達の背中を追う。

 彼等は既に村の門にまで近づいていて、ルチルは慌てて彼の名を叫んだ。

「ジェイクゥゥ!」

 甲高い叫びにジェイクが立ち止まってこちらに振り返ったのを確認し安堵したところで、ルチルは足をもつれさせ体勢を崩してしまう。

「うわわっ!」

 全速力で走っていたせいで中々自身の動きを制御出来ず、前のめりのままジェイクと衝突しそうになる。

 若干警戒して身構える同僚二人から一歩進み出て、ジェイクは大して慌てもせず、両腕で上手く包むようにして突進してきたルチルの小さな体を胸板で受け止める。

「っと、どうした?」

 少し動揺しながらも落ち着いた声で声をかけてくるジェイクの胸から顔を離し、彼の目を見据えるルチル。

「……っ! ……私、あんたとまた話したい!」

 そして胸に秘めていた言葉を、躊躇いなく声に出す。

「あんたと一緒に行動出来て楽しかった! あんたが守ってくれて嬉しかった! あんたとい

 ると安心した、心強かった! あんたがいなかったら、私は今ここでもう一度普通の生活を

 送っていられなかった! えっと、だから……」

 これから長い時間、彼とは会えなくなるのは避けられないだろう。

 だから、彼と過ごした僅かな時間の間に抱いていた、単純明快な彼への感情を伝えたかった。

 本当ならもっと後、彼と共有する時間を多く経験してから言うべきだと思っていた想いを。

「私はあんたと離れたくない! 一緒にいたい!」

「っ……俺は盗賊で、敵国の……」

「その前にあんたは、私の恩人だから! だから、いつか会いに行く!」

「馬鹿、お前は勝手に村からは出れない決まりで……」

「一回やった事だもの、もう怖くない。今度は悩みなんてない、やりたい事をやるために」

 農奴であるルチルが、自由に村から出て行動出来るようになるのがいつかは分からない。

 それでも、あの絶望の淵からここまで這い上がれたのだ、出来ない事など想像がつかない。

 だからルチルのこの想いに偽りも迷いもなかった。

「……チッ」

 やけに長い時間の後、ジェイクは露骨に顔をルチルから背けながら、一つ舌打ちをする。

「せっかく普通に生きていけるようになったってのに、馬鹿な事を考えるな」

「私の無茶な願いに付き合ったあんたに言われたくないわよ」

 ルチルがすぐに言葉を返すと、彼の表情が面を食らった状態から緊張の糸が解れた苦笑に変化していく。

「ハッ、なら次はお守りはしてやらんぞ」

「んっ……大丈夫よ、多分」

 まだ情勢の安定しない世界の中で、いつまた自分達が戦争の余波を受けて今の生活を奪われるか予断を許さない。

 それでも、何が起こるか分からないからこそ、自分の求めるままに行動しておかなければ、何か起こった時に後悔してしまう。

「あんたと一緒に行動して、後先を考えず自分のやりたい事をするのが無駄じゃないって分

 かった。だから、あんたに私から会いに行くっていう新しい願いをいつか叶えたいの」

「勝手にしろ。どんな手を使ってもやってみせろよ」

 素っ気なく言って、ポンと頭を軽く手で叩くと、ジェイクはルチルに背を向け同僚の二人と共に村の門へと向かっていった。

 ルチルもそれ以上彼を追う事もなく、その場に立ったまま静かに村から立ち去っていく彼の背中を見送る。

「次に会うまで、ちゃんと生きてなさいよ!」

 門を潜り抜け、いよいよ姿が見えなくなりかけたところでルチルは咄嗟に叫んでいた。

 静寂な森に囲まれた村の中に響いた少女の甲高い声に、畑にいた村人が戸惑う中、ジェイクが再び足を止める。

「……それが俺の、次の目的って事にしてやるよ」

 そしてルチルを一瞥してから、本気なのか冗談なのか分からない調子で言い返してきた。

 その時の彼の横顔には、控え目だが後を引くもののない爽やかな笑みが浮かんでいた。

「……はは、いいわね、それ」

 ルチルは独り言のように呟いて、朗らかな笑顔を返した。

 異邦人がいなくなり、村は漂っていた不穏な空気が抜けきって普段の穏やかな雰囲気に満たされる。

「おーい! 昼飯にしようやぁ!」

 誰かがそう呼びかけ、作業している者が一斉に手を止めて各々の家に足を向けていく。

 誰もが笑い、他愛のない会話を交わし、今を楽しそうに生きる村人達。

 もしかすると、戦乱に巻き込まれて命を落とすかもしれなかった彼等。

 それを眺めてから、ルチルは改めて実感する。

「……戻ってきたんだ、私の育った村に」

 自らが望み、ジェイクが尽力し、仮初めの平和の上に成り立った、みんなが楽しく暮らす村。

 叶わないと思っていた願いが成就したのだと理解し、胸に熱い気持ちが湧き上がる。

 それは村を取り戻した喜びと感嘆、その立役者である少年への淡い思いが入り混じった、言葉に表すのが難しいながらも、純粋で確固とした感情であった。

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