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第26話 敗走直前

「第一防衛線担当の部隊は全て戦闘準備態勢に入れ! 南西から来るぞ!」

 チサーラ前線拠点の指揮系統の最上位である、帝都から来た本隊の兵士による命令に従い、夜が明けた荒野に待機していた部隊が戦の用意のために慌ただしく動き出す。

「お前等ぁ! 全員武器と鎧の装備は終わったなぁ!?」

 それはウイナの属するグード隊も例外ではなかった。

 野営の道具を片付け単なる更地となった荒地の上で、自身の馬に跨りながら隊長のグードが声を上げる。

 彼の言葉に応じて、向かい合って整列する部下の兵士達が「はい!」と野太い声を返す。

 皆昨夜の待機中の時のような緩んだ空気は完全に消え、剣を携え重量感のある鎧を身に纏い、刺すように尖った眼光を宿し、とっくに死地へと臨む覚悟を決めていた。

「よぉし! 我々の役割は昨夜伝えた通り、単純明快だ! 迫る敵軍を迎え撃ち、このチサー

 ラへの敵の侵入を許さない! それだけだぁ!」

 戦意を高揚させるため、グードは普段よりもさらに大きな声で叫ぶ。

 それに部下達も大声で返事をする中、ウイナだけは陰鬱そうな感情を顔に残して力なく返事をしていた。

(結局、どこに行ったのか分からないままッスね)

 昨夜、保護していた友人のルチルが姿を消した。

 その前後の時間帯に何人かの兵士がチサーラ周辺で謎の突風を感じたり、大きな鳥のような生き物が夜空にいたのを見たといった証言があり、それと何らかの関係があるのではと思われたが、結局何も分からないまま朝になり、そして開戦の時が近づいてきてしまった。

 ウイナは出来る限り夜遅くまで探し回り、今朝も早くから捜索し本当ならまだ続けたいところだったが、戦への参加を無視する訳にはいかず、浮かない表情を作るしかない。

(第一防衛線って言い方は良いけど、結局は時間稼ぎ。捨て駒扱いされてる事ぐらい分かって

 るッスよね、隊長も)

 ジトリとした目を向ける先で、グードはこれから殺すか殺されるかの極限の状況へ向かっていく事への悲壮感など微塵も感じさせず、気迫に満ち溢れている。

 しかし、同時に誰も彼もが本心では気づいている事だろう。

 自分達だけでなくこのチサーラにいる兵士の全てが、やがてやってくる敵の力によって容赦なく一掃されるであろうと。

 敵は得体の知れない能力を操り、個人で大軍を相手に出来る化け物だ。

 ウイナはその人物を目の当たりにした、仲間も何人か殺され、自身も危うく死にかけた。

 だからこそ分かっている、自分達は今度こそ、死ぬために戦場に向かう事を。

 チサーラに集う帝国軍の最上位の権力を持つ帝都からの精鋭部隊が、反転攻勢に出る事はせず籠城を前提とした迎撃態勢の布陣を敷いたのも、端から勝ちではなく逃げを考えた戦いを想定していたからだろう。

 勝てるとは誰も思っていない、それでも帝国軍の一兵士として逃げる訳にはいかない。

 セラーラ川にて敵と対峙した時と全く同じ陰鬱な感情が胸に充満し、はぁと深い溜め息をつくウイナ。

(ほんと、神出鬼没過ぎるッスよ、ルチルは)

 接した時間は少ないものの、年が近い同性の人間と知り合えてウイナは嬉しかった。

 心を開いて気を許せる数少ない相手だったため、もっともっと話したかった。

 彼女は農奴であり、徴兵される事を拒否し、とある目的を果たすために、危険な道を選んで行動してきた。盗賊の少年と手を組んでまで、自分の願いを叶えようと必死だった。

 その結果、ウイナ達は彼女の願いを阻む敵国の超能力者の攻撃に巻き込まれ仲間を失ったが、それを責めるつもりはない。

 不器用ながらも真っ直ぐな彼女の純真さに心を惹かれ、彼女の手助けをしたいと思えた。

 だからこそ、中途半端に別れたままにしたくなかったのだが、もう一度会うという機会は訪れそうにない。

 しこりを心に残しながら、ウイナは仲間の兵に続いて馬を進ませる。

 そこに、耳をつんざくような爆音が遠方から聞こえ、同時に砂煙が舞い上がるのが見えた。

「っ、何スか!?」

 煙が上がったのは要塞化された丘陵の北西部、ウイナ達のいる地点からは離れた位置だが、何か只事ではない混乱が起こったのは疑うまでもない。

「敵襲!? 早すぎるぞぉ!」

 グードが驚きの声を上げ、隊員達も酷く動揺する。

「どうしますか、隊長」

「ええい、安易に任せられた持ち場を離れるのは避けるべきだが……ライアン!」

 グードは付き合いの長い部下の一人を呼ぶと、左手で煙の立ち込める方角を指し、

「何人か連れて探ってこい! 時間はあまりかけるな、とにかく情報を集めろぉ!」

 大きな声で命令し、ライアンは「はっ!」と短く答えてから近くの兵士数人を選んで、煙が昇り騒ぎが広がる方へと馬を走らせていった。

「うろたえるな! いつ襲撃が来ても良いよう備えておけ!」

 近くにいる他の部隊も援軍に向かうべきか迷っているようだ。

 それ以上に、恐ろしい力を持つ敵がもう近くにまで来てしまったのかと慄いて、戦闘に臨む心構えが出来ていないのだろう。

(はぁー、急に来るもんスね。死期ってのは)

 遠征前にいたクホウスでこなした任務も危険なものが多く、実際対峙した敵に殺されかけた事も何度かあったが、今彼女が感じているのはその時感じた恐ろしさではなく、どうせこれから死んでしまうのだろうという諦めに近い感情であった。

 やり残した事、知りたかった事、思いつくもの思いつかないもの全て含めて名残惜しむように、ウイナは小さく溜め息を吐く。

「っと?」

 そんな時、脇腹を軽く手で小突かれるような感覚に気付き、視線を四方にめぐらせるウイナ。

 だが部隊の仲間は皆馬に騎乗した状態で、ウイナの体に触れられる程近くにいる者はいない。

 おかしいなと思っていると、今度は肌に触れる風の流れの変化に気付いて、眉をひそめる。

「ついてきて」

「えっ?」

 誰かが囁いたような声が聞こえ、同時に今度は右腕を何者かに引っ張られ、ウイナは自分に見えない何かが接触してきているのを察する。

(今の声、ルチル……?)

 聞き慣れた声に引っ張られるように、ウイナは馬を進ませる。

 仲間にどこに行くのかと呼び止められたが、用を足すと適当に嘘をついて、声がした方向へ引っ張られるように片付けられず放置されていた野営の陰まで移動する。

「誰ッスか? こんな手品みたいな事して……」

 言い終わる前に、ウイナの前にフッと幻のように人影が現れた。

 やつれ気味ながらも目を惹く金髪に、こじんまりとした体つき、薄汚れた地味な服装をした少女の姿をしたそれは、ウイナがもう一度会いたいと思っていたルチルであった。

「ルチル!?」

 何が起こったか分からず気を動転させながらも、馬から飛び降りて駆け寄ろうとするウイナ。

「待て」

 しかしルチルらしき人物は逃げるように一歩退いてから、手を突き出し彼女を制止する。

「私はお前の知るルチルという人間ではない」

 それからやけに起伏のない声で、そんな言葉を口にした。

「え、いやいや、何言ってるんスか。どう見たってルチルじゃないッスか……!」

「ルチルは今別の場所にいる。私はユストアの英雄が作り出した幻影のようなものだ」

 何を言っているのか分からないと目を丸くしたウイナだったが、しばらくして、

「……仲間をあんな風に殺されるのを見た後だと、信じられなくもないッスけど」

 帝国が敵対するユストア王国、その国の英雄とは彼等の軍の精鋭の兵、僅かな人数で帝国軍拠点をいくつも陥落させてきたデタラメな力を持つ、一騎当千の猛者の事を指すのだろう。

 そしてこのルチルのような見た目をした人物は、ユストアの英雄と何らかの関係がある事を示唆した。

 自分達が敵対しているのは、理屈で説明のつかない超能力を持つ者。その力の強さと異様さを目の当たりにしたウイナなら、多少現実離れした現象でも実際に起きていると理解出来る。

「じゃあ誰ッスか、あんたは。なんでルチルの姿をしてるんスか」

「ルチルはユストア側についた。もうお前の元には戻らない。それを伝えにきた」

「……っ! なにを言ってるッスか!」

 告げられた言葉にウイナは呆気に取られた後、背筋を駆け抜けた寒気に肩を震わせる。

「ルチルをどうしたんスか、誘拐でもしたんじゃないッスか!?」

「否定はしない。私の主はルチルを昨晩この拠点内で発見し連行した。その際に交わした会話

 の中で、ルチルはユストアの保護下に入る事を選択した」

「嘘ッス!」

 ルチルの声でルチルの予想外の行動を語られ、ありえないという思いと彼女が彼女自身の願いを放棄したと遠まわしに示すこの『ルチル』への嫌悪感から、ウイナの言葉の怒気が強まる。

「ルチルは探してたんスよ! ルチルが生まれた村の人達を取り戻そうと、心も体も疲れ切っ

 てるのに必死になってたんス! それなのにユストアに寝返って何の得が……!」

「そう、ルチルは自分の住んでいた村と村民の保護を求めてきた。私の主は、条件をつけてそ

 れを認めた」

「えっ……!」

 気持ちの整理がつく前に放たれる新たな衝撃の言葉に、ウイナは今度こそ頭の中が真っ白になって思考が固まりそうになった。

「認め……えーっと……どういう……」

「ルチルの望みは確認している。私の主はルチルの従者に兵士の素質があると見込み、ユスト

 ア軍に引き入れようと考えた。その交換条件として、ルチルはルチルの村と村民の安全確保

 を要求した」

「っ、色々予想外過ぎて頭が痛いッスけど、要するにルチルは村の人達を見逃せってあんた達

 に言った訳ッスね?」

「そう、そして私の主はそれを認めた。ルチルとその従者によるユストアへの敵対行為を止め、

 従者はユストア軍に与する事を条件として」

 この場合の従者というのは、ルチルと行動を共にしていた、彼女の兄と身分を偽ってウイナ達と接触した盗賊の少年の事を指すのだろう。

 洞窟での一件で彼が只者ではないと思ってはいたが、まさかユストア王国軍が仲間にするために勧誘したというのか。

「そんなの……信じろって言われても中々無理ッスよ」

 苦笑いを浮かべてそう言ったのは、未だ動揺が収まらない事を悟られないようにする小さな抵抗だったのだろうか。

 声色がぎこちないせいで取り繕いにもなってはいなかったが、目の前の『ルチル』は眉一つ動かさないまま、さらに言葉を続ける。

「私がここに来たのは、ルチルからの依頼です」

「え、ルチルが……?」

「ユストア軍は予定通りこの拠点を攻め落とす。ルチルはその際にルチルがウイナと称す少女

 及びその者が属する部隊が巻き込まれる事を嫌った、私はそれを伝えにきた」

「伝えるって、それは王国の情報を帝国に漏らすって事じゃないッスか! そんな事しても、

 そっちに何の得もないッスよ!?」

「ない、だからこれは一度限りの警告。ユストアは北西部からこの拠点を攻める、それ以外の

 情報は伝えない。知って尚交戦するというのなら私は止めない」

 彼女の言うとおり、爆炎が上がり騒ぎが起きているのはチサーラの北西部、やはり今あそこには敵が襲撃してきているのだ。

 彼女が言う事が事実だとすれば、自分はどうすればいいかとウイナは疑問符を浮かべる。

「……ルチルの村の人達がどこにいるのか、分からない筈ッス! 知らないうちに巻き込んだ

 りしたら……!」

「理解している。故に今侵攻しているユストアの英雄は帝国軍指揮官級を狙い短期決着を図っ

 ている。私は戦が終わるまでにルチルの村の者の居場所を探し出す役割を与えられている」

「探すって……ルチルの村の人達の顔なんて……」

「私はルチルから聞いた、ルチルの父母及び村民数人の特徴を記憶している。同じ村の農奴が

 まとめて徴兵されているならば、一人を見つけ出せば芋づる式に他の村民達も発見出来る」

「そんなの無謀ッス!」

「私は容姿の特徴に関する情報からお前を発見した。私は人ではなく、主が召喚した獣、知覚

 能力に関しては人並ではない」

 淡々とめちゃくちゃな事を言ってのけるこの『ルチル』と本物のルチルが手を組んだ事はまだ信じられないが、聞き流す訳にもいかない。

 今ウイナが出来る事は何か。

 部隊の仲間の安全のためなら、既に戦端が切られている北西部に向かわないように進言すればいいだろう。

 だがルチルの願いである、ルチルの村の人間の安全のために出来る事は何一つない。

 ルチルはこの『ルチル』を作り出した王国の能力者によって連れ去られた後、村の人間の安全を王国の能力者に託したのだ。

 そして帝国の中にいるよりも、王国の側に鞍替えする事で自身や自身の村の人間の安全を確保しようとしたのだろう。

 だとしたら、今のウイナに彼女のためにしてやれる事は何もない。

 帝国の兵士であるウイナが、友人であるルチルの願いを叶える事を望むのなら、自分がこれから首を突っ込むよりも常識を覆す王国の超能力者の力に任せる方が、可能性を考えれば妥当な筈だからだ。

 ルチルの願いは叶いそうなところまで来ている、しかしそれに自分が関われず、しかも敵であった人間の力を借りて実現しようとしている事がどうしようもなく虚しく感じて仕方がない。

「では、報告はしましたので」

「あ、ちょっと待てッス!」

 ウイナの制止を聞かず、ルチルの姿をした人物はその場を小走りで立ち去っていく。

 急いで後を追ったウイナだったが、野営の布の奥に一瞬彼女の姿が消え、駆け寄った時には既にどこを見渡してもそれらしき人物の姿は発見出来なかった。

「もうっ! 訳の分からない事ばかり起きるッスね、本当に!」

 弄ばれているような気がして思わず怒鳴ってしまうウイナ。

 ルチルが生きており、自らの願いのために行動しているとすれば嬉しいが、それが正確な情報なのか確信は出来ない。

「どうすりゃいいんスか、まったく」

 ウイナは嘆息して、頭を抱える。

 先程までそこにいた、ルチルの姿をした敵国であるユストアの超能力者によって作られた幻影のようなものは、ルチルが侵略してきたユストアの超能力者と協力関係を結んだと言った。

 さらにその事実をこうして伝えてきたのは、ルチルがウイナ達がユストアの侵攻に巻き込まれる事を嫌ったからとも口にしていた。

「帝国を見限ったのに、変に気を遣ってくれてるんスかねぇ」

 望みの少ない目的を叶えようとする無謀さがあるかと思えば、目的のために敵だった勢力の力を借りる現実的な面も持っている、にも関わらずまだ自分達の身の安全を案じてくれている。

「未練が残るのはなんか嫌ッスけど、みすみす死ぬつもりもないッス。ありがたく厚意に甘え

 させてもらうッスよ……!」

 敵の襲来を事前に教えてもらえたのは、ウイナがルチルと出会っていたからだ。

 そんな偶然が巡り巡って、前線に臨むウイナに生き残る機会が与えられた。

「……あの盗賊の兄さんが頑張ったお陰ッスか、やれやれ」

 ジェイクはルチルを人質にしていたとグードや部隊の仲間は思っているが、それも彼の計算のうちなのだろう。わざわざグード達の前でルチルと敵対する素振りを見せたのは、ルチルと彼が本当は仲間である事を隠すためだ。

 仲間意識もないのに、あの洞窟で暴れ回った超能力者の前に臆せず飛び出してまで彼女を救おうとするものか。

 隠れて逃げ延びた方がとことん身が安全だというのに。

 結局二人は合流して、目的の達成のために奔走していたのだろう。

 その二人のお陰で与えられた生き残る機会を無下にする気にはなれなかった。

「なら、生き延びさせてもらうッス。元気でやるッスよ、ルチル」

 この場にいない友人に向けて、ウイナは軽く微笑みながら天を仰ぎ、そして馬を部隊の仲間の元へと駆けさせた。

 それから彼女は隊長グードに、前線に向かうべきではない旨を伝え、駄々をこねるようにして援軍に向かおうとするグードを説得した。

 軍人としての責務を果たそうとする強い意思を持つ彼を納得させる事は出来なかったが、ウイナの目的を達するためには口論に擁した多少の時間で十分だった。

 始まったばかりだと思われていた戦は、実は既に終局に差し掛かっていたらしい。

 程なくしてチサーラ丘陵の上に立地する帝国軍拠点からも火の手が上がり、中から大勢の帝国兵達が溢れ出し、敵が襲撃してきた方角とは反対へと一斉に撤退していく事になった。

 それはウイナ属するグード隊も同じで、敵と接触する事なく彼等の防衛線は敗走という形で幕を閉じた。

 後で分かった事だが、敵のあまりの進軍の速さに対応出来た部隊は殆ど無く、前線で防壁扱いされる予定だった農奴の部隊も出番が来ないまますぐに撤退に転じたらしい。

 逃げ延びた兵は後方の別の拠点や都市に向かって散り散りになり、その際一緒に後退した農奴の多くの半分近くが行方不明となった。

 戦闘に巻き込まれたのか、混乱に乗じて逃げ出したのかは分からない。

 その中にルチルの住んでいた村の人間が含まれていて、その後王国軍に保護されたのかは、ウイナには知る由もなかった。

 帝国の、王国の侵攻を止めるための戦争は、終わりの兆しすら見えていない。

 無数に存在する農奴の一部の消息を特定するために時間と労力を費やす余裕など、誰も持ち合わせてはいなかったのだから。

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