第25話 捨て身の交渉
怪鳥の鉤爪に囚われながら、上空からジェイクと『標的』の隊長であるルークが剣を交えて戦う様子を、ルチルはもどかしさに苛まれながら眺めていた。
ジェイクは勝ち目のない相手に何の策もなしに立ち向かう命知らずではない。セラーラ川やチサーラ丘陵付近の洞窟での戦闘で彼が罠を仕掛けたり相手の挑発したりして勝機を見出してきたのは、普通に戦っては勝てないと理解していたからだ。
規格外の能力を持つルークと戦うにしても、その考え方は変わらない筈だ。
だからそんな彼が『標的』の中で一番の実力者とされる相手と正面切って戦おうとしているのを見た時、彼は追いつめられているのだとルチルはすぐに理解し、思わず叫んでいた。
地面に降り立ってもサブリナ操る巨大な鳥の鉤爪からは解放されないルチルは、遠目でジェイクの無事を確認してひとまず胸を撫で下ろす。
「仲直り、だと?」
サブリナの言葉に、ジェイクは表情の険しさを増す。
「サブリナさん、何を言っているのですか?」
ジェイクと交戦していた、燃え盛る炎を帯びた剣を持つ少年もまた、困惑の言葉を返す。
いともたやすく帝国兵達を焼き払い灰に帰した『標的』の一員、ジェイクが倒してきた二人の超能力者よりも強いと彼の仲間が断言する、ルークという名の実力者。
「先輩、私その子に私興味持っちゃったのよぉ。斬って捨てるには勿体ないと思ってねぇ」
「……見逃せと言いたいのですか?」
「逃がしはしないわよぉ。その子は人を殺す才能を持つ逸材だわぁ、だから将来有望な王国の
兵士として登用させてあげようと思ってねぇ」
「登用? まさか、我々の側に寝返ってもらおうという考えですか!?」
怒気を強めた声で、ルークは問い詰める。
「その通りよぉ、悪い話じゃないと思わないかしらぁ? 先輩」
仲間の前でも姿を見せようとはせず、サブリナは調子を崩さぬまま二人の戦闘に水を指した理由を語るが、ルークは余計に混乱したようだった。
「あなたは分かっているのですか!? この方はダグとマリーンを討った張本人、我々の戦友
の仇なのですよ!?」
「そうねぇ、それは残念だったけれどぉ、剣士として先輩に次ぐ実力者のダグ君と、私達より
遥かに高度な能力を持っていたマリーンちゃんを倒せるだけの力を持ってるなんて、魅力的
だと思わなぁい?」
まるで挑発でもするかのような口ぶりでサブリナは告げ、ルークは冗談ではないと激昂する。
「では、あなたの召喚獣が連れている少女……彼のお知り合いを連れてきたのはなぜです」
「んもぉ、そんなの言わなくても分かるでしょお? ねぇ、ナイト様」
怪鳥の視線がジェイクの方へと向き、サブリナの魂胆を訴えかける。
ジェイクはとっくにその行為の意味に気付いているらしく、大して動揺もせずこちらに冷めた視線を送っている。
「仲間の仇である彼を王国軍の一員にするなど、正気ですか!」
「先輩、頭を柔らかくしてみてぇ? その子は能力のないただの少年なのに、能力者を二人殺
す実力を持っているのよぉ? これは脅威ではあるけれど、味方にすれば彼の力は色々便利
に使えそうじゃなぁい?」
「必要などありません。我々が先陣を切って進軍を続けていけば、それだけで我が王国はこの
聖戦に勝てます。仇を仲間にするなどという屈辱をあえて受けて何になるのです!」
意見が対立するルークとサブリナ、その様子を黙って見つめながらルチルは思案する。
(ここからよ……私が大人しくここまで連れてこられたのは、ただ単にジェイクを助けるため
じゃない……!)
このままではジェイクはルークに殺されてしまうかもしれない、そう言われてサブリナと共にチサーラ丘陵からこの名も知れぬ村までやってきたが、ルチルはジェイクの命を救うために、彼に王国軍に寝返ってもらうための人質に甘んじるつもりはなかった。
ルチルの本来の目的は、あくまでも村の皆を徴兵から救い出す事。ここでジェイクが王国側に寝返れば、その希望は今度こそ皆無になってしまう。
諦めればそれでも良い、村の仲間よりもジェイクの命を選ぶのならば。
だが生憎、ルチルはそこまで諦めの良い人間ではなかった。
(足掻いてみせる……!)
叶う希望の少ない願いのために、利用出来るものは利用する。
その機会を、ルチルは息を潜めて淡々と伺う。
「先輩、先輩は日頃戦なんて起きない方が良い的な事、よく言ってるわよねぇ? なら仇を討
つよりも、穏便な解決を選ぶべきじゃないかしらぁ?」
「っ……さすがは、戦略的な考え方ですね。確かに、今冷静なのはあなたなのでしょう」
ルークはふぅっと息を吐いて、気持ちを落ち着かせるようにする。
「……水に流す気などさらさらありませんが、王国にて然るべき処罰を、通常の捕虜と同じ扱
いを受けさせるのならば、一考しても良いかもしれませんが」
「要するに何かで償わせろって事でしょお? それが前提なら交渉してもいいわよねぇ?」
ジェイクを斬り仲間の仇を討ちたいという気持ちを全面に出しながらも、ルークは剣から炎を消して一応停戦の意を示した。
「はぁいナイト様、始めまして、私のツバイちゃんがお世話になったわねぇ」
「……腹話術の能力か何かか?」
「ドライちゃんは賢いのよぉ? 私の言葉をそのまま真似してくれるんだからぁ。ツバイちゃ
んはちょっとおバカだけど、命令はちゃんと聞いてくれるんだからぁ。見た目の割に怪我す
るとすぐ逃げ出しちゃう所はもうちょっと鍛えないといけないけどぉ」
「そうか、さっきの獣はお前の飼い猫か」
つまらなそうに言うジェイクの様子から、彼はサブリナ操る召喚獣とやらとなんらかの接触をしたようだ。
やはり、ジェイクは敵陣のど真ん中に飛び込むという危険な行為に出ていたらしい。
ルチルと別れても、ジェイクは危険から離れて逃げる事はしなかった。
自分の願いのために、今もなお強大な敵と対峙している彼をなんとかして助けたい、そんな気持ちで胸が締め付けられるルチル。
「さっきは警戒させてただけだけどぉ、本気出させたら怖いわよぉ?」
「さっさと本題に入れ」
サブリナの回りくどい喋りに、ジェイクは苛立つような喋りで要求する。
「君さぁ、物凄い強いのに盗賊なんだってぇ? そんな立場に甘んじちゃって勿体ないって自
分で思わないのぉ?」
「余計なお世話だ」
「またまたぁ、同じ人殺しでも、人から称賛されるのと疎まれるって全然違うじゃなぁい?」
「そんなのは他人の後付けだ。俺は今の立場に満足はしてないが嫌気も指してはいない」
健気ねぇ、と鳥の嘴越しにサブリナの声が漏れる。
「女の子のナイトを気取るのがそんなに楽しいのぉ? だったら、一緒に招待してあげてもい
いのよぉ? これから負け続けるだけの帝国よりも、未来ある王国についた方が身のためだ
と思わなぁい?」
「……ルチル!」
まさか名前を呼ばれると思ってはいなかったルチルは、声をどもらせながら「はいっ!?」と応える。
「お前はどっちが良い」
「どっちって……」
「俺はお前の目的に沿って動いてきた。だからお前に判断を聞いている」
ジェイクはあくまでも、ルチルに選択を委ねるつもりらしい。
彼の目は真っ直ぐにルチルを射抜き、無言でこう問いかけてくる。
『妥協して自分達の命を大事にするか、無謀な目的をまだ諦めないのか』
ルチルの返答は決まっている、だがそれを口にする勇気を持つまでには若干の時間を要した。
これが本当に、最後の機会。
真偽は定かではないとはいえ、単なる農奴でしかないルチルと盗賊崩れのジェイクを保護してくれるなどという美味しい話は、もう二度と来ないだろう。
「……ふぅ」
だが、覚悟はとうに出来ていた。
洞窟で別れた後も彼が協力関係を破棄していないのを知り、ウイナが巻き込まれた身でありながら自分の願いを尊重してくれた時に、とっくに抱いていた。
今更後戻りし、自分がやってきた我儘を蔑ろにする気など、毛頭ない。
「……いちいち聞かないで。あんた言ったでしょ、証明してみせろって」
心を落ち着かせてそう答えると、ジェイクは軽く肩を竦めて鼻で笑う。
「分かった。おい、鳥女」
「それって私の事言ってるのぉ? この子はドライちゃんって名前があるのよぉ?」
「知るか。それより俺の雇い主様が決めたみたいだぞ、お前の申し出への回答」
ジェイクは剣を鞘へと戻し、背負っていたリュックを地面へと下ろす。
「そぉ、賢明な判断ねぇ」
戦う意思を失ったと判断したのか、サブリナが満足げな声を漏らす。
「俺はこの国に未練はないし、お前等の国に関心もない」
ジェイクはそう答え、リュックの中からあるものを取り出す。
「お前等の申し出には何の関心も抱いていない、だから期待しない方がいい」
「んん? 何を言っているのかしら?」
頭の上に疑問符の浮かんだサブリナの声に、ジェイクは行動で答えて見せた。
リュックから取り出した何かを右腕で放り投げようとする。
「っ、何を企んでいる!」
ルークは目を再び剣に炎を灯してジェイクに飛び掛かろうとするが、間に合わない。
投じられたそれは怪鳥の顔に当たる軌道で宙を舞い、怪鳥は嘴を動かしてゴミを払うようにそれを弾くが、
「っ、ドライちゃん!?」
サブリナの慌てる声の後、怪鳥の顔が天へと向き、突然グギャアアアアアアアアアとおぞましい雄叫びを上げた。
「何がっ……あっ!」
あまりの声の大きさに耳を塞ぎそうになったルチルは、怪鳥が取り乱し暴れた事で自らの動きを封じていた鉤爪から解放されている事に気付き、うっかり踏みつぶされないよう気をつけながら急いでその場を走り去る。
そのまま全速力でジェイクへ駆け寄っていき、彼の目の前で立ち止まった時、ルチルは自分の胸が張り裂けそうなくらいに速く大きく鼓動している事に気付く。
「ジェイク!」
肩で息をしながらルチルが彼の名を叫ぶと、ジェイクはジロリと彼女の全身を見回して、
「しぶとい奴だな、二回も誘拐されておいて」
以前と変わらず小馬鹿にするような調子で、そう言葉を返してきた。
間違いなくこの少年はジェイクだ、鋭い双眸に乱れた髪の毛、引き締まった体つきと会話の時の抑揚の少ない声を確認して、ルチルの目頭が熱くなる。
「あんたこそ……まだ逃げ出してなかったのね」
「やる事がなくてな。お前の無謀な願いに関わっていた方が、体も頭も悩まなくて済む」
そう言ってジェイクは右手を腰ではたいてから、再び腰の剣を抜き、まだバタバタと地団駄を踏み翼を羽ばたかせて落ち着かない怪鳥の方を見る。
「今のは、何を投げたの?」
「ラシマの実、毒はないが汁が多い、あのルークとかいう炎の剣士には使う隙がなくてな」
と、急激に体の触れている空気が熱くなっていくのを感じ、ルチルはその原因を視界の端で捉えてハッとする。
それは投降の意思を示さなかったジェイクに対し、ルークが能力で生み出した火炎を浴びせかけようとしている光景だった。
「チッ!」
いち早く反応したジェイクに首元を引っ張られ、迫る攻撃から何とか逃れるルチル。
「油断ならない方です、やはりあなたは敵として討たなければ!」
ルークは敵意を剥き出しにして、ルチルとジェイクに燃え盛る炎の剣を見せつける。
「どうどうどう……っと、まさかここで抵抗するなんてねぇ、ドライちゃんが踊っちゃった
じゃなぁい。さすがの私もちょおっと怒っちゃうわよぉ?」
怪鳥がようやく大人しくなってから、サブリナも声に若干の陰りを含めてそう告げてくる。
「交渉決裂です、サブリナ。これ以上粘る必要などありません!」
「う~ん、本当にいいのぉ? そっちのお嬢ちゃんまで殺しちゃう事になるけどぉ?」
「……あなたは、そちらの彼の主のような立場らしいですね」
ルークは少し間を置いてから、ルチルにそんな質問を投げかけてきた。
やや大仰な言い方だとは思ったが、こちらから協力を持ちかけて彼がそれを受けて行動しているという形なら、あながち間違いでもない。
ルチルが首を僅かに縦に振ると、ルークは敵意に満ちた眼光を鋭くして、
「あなたも、彼と同じく、我々に与するという選択はしなかったと考えて良いですか?」
仲間の仇であるジェイクと同罪だと言いたげな聞き方だったが、実際嘘ではないためルチルも否定はしない。
「そうですか……残念ですね」
「おかしいわねぇ、大人しく連れてこられたのは、ナイト様と一緒の死に場所を探すためだっ
たのかしらぁ?」
ルークもサブリナも、ジェイクを仕留める前提で言葉を発している。
そう、状況は未だにルチル達に不利なのは変わりない。
「……逃げるぞ」
そこへ、ジェイクは顔を傍に寄せてきて耳元でそう囁いてきた。
「えっ」
「目暗ましに使えるものは全部投げつける。あのデカブツを怯ませている内に退路を探す」
とはいうものの、明確な逃走方法の案はまだ浮かんでいないのだろう、彼の顔から焦燥感が滲み出ている。
「全くもう、もうちょっと脅しておかないとダメだったかしらぁ?」
それを見抜いたのかサブリナがまた嘲るように言うと、村の外から獣の咆哮らしきものが聞こえ、周囲に広がる草木の闇の中から四本足で蠢く影が現れる。
「……面倒だな」
ジェイクとルチルの近くで立ち止まったのは、鋭利な牙を覗かせて目を血走らせた見るからに獰猛そうな肉食獣、狼に似て非なる特徴的な外見を持つそれは、やはりサブリナの召喚獣なのだとすぐに分かった。
「索敵させてたんだけどぉ、四の五の言ってられないものねぇ」
「……諦めがついたか?」
「今からでもこっちについてくれると嬉しいんだけどねぇ」
幸か不幸か、サブリナはまだジェイクを引き込む気が完全に無くなった訳ではないらしい。
(これだけ引っ張るって事は、冗談って感じでもないみたいね)
心で小さく呟いて、ルチルは一つ深呼吸する。
「後ろを固められたか……仕方ない、あのデカイ鳥の傍を突っ切るぞ。踏まれないよう気を付
ければ、炎使いの攻撃を遮る壁になってくれるかもしれん」
苦肉の策といった感じに、牽制用の道具を出すため地面に下ろしたリュックに手を突っ込んでジェイクが指示を出す。
「……ううん、違う」
が、ルチルは穏やかな落ち着いた声で、首を横に振る。
「ん、なんだって?」
ジェイクが聞き返すよりも先に、ルチルは深く息を吸い込んでから大声を上げる。
「鳥女ああああああ!」
裏返る程の甲高い声に、ジェイクや敵のルークが目を丸くして驚く。
「あんた、どうしてもジェイクを味方にしたいの!?」
ルチルが大声で問うと、鳥の口を介してサブリナがゆっくりと答える。
「……そうねぇ、良い人材は積極的に登用するのが、勝てる軍の基本だからねぇ」
「そう。だったら、ジェイクを手に入れるためならどこまで歩み寄ってくれるのかしら」
「どこまでってぇ?」
「例えば、侵攻そのものをやめてくれるとか」
自分で言っていて、あまりの突拍子のなさに苦笑いそうになる。
各々の殺気や敵意に満たされたその場から、僅かに緊張感が抜けていくのが肌で感じられた。
「んくっ、あっははははははははは!」
水を打ったように静まり返った空気を破ったのは、やはり怪鳥の口から漏れたサブリナの高笑いであった。
「ナイト様に負けず劣らず、君もかなりぶっ飛んだ人間みたいねぇ!」
「さぁてね、ジェイクにあてられたのかもね」
振り向かなくても、ジェイクから「何を言っているんだ」という感情の込められた刺すような視線が感じられる。
冷や汗を滲ませながら、自分がこれ以上ない賭博に身を投じている事を自覚しながら、さらにルチルは続ける。
「私にとってジェイクは、私の目的のために必要な存在。それをあんたは奪おうとしてる、な
ら代償を払ってもらってもいいんじゃないの?」
「あらあら強気になったわねぇ、ナイト様と一緒だと主様も鼻が高くなるのかしらぁ?」
「えぇ、ジェイクがいる限り私は強い。私に出来ない事はない。それくらい価値のあるジェイ
クをあげるんだから、それに見合う何かをしてもらわないと」
自分より遥かに強く、自分の目的の障害である敵を前に、虚勢を張る表面の下で恐怖に怯える体が震え、骨の芯まで凍えるように冷たくなっていく。
ジェイクと距離を置いて睨み合うルークは出方を伺って刃のようにとがった視線を飛ばしてくる。下手な事を言えばすぐに攻撃に転じてくる、そんな雰囲気がひしひしと感じられた。
「ナイト様を引き入れる対価が、進軍の停止だっていうのぉ? それはあまりに盛り過ぎじゃ
なぁい?」
「あんたこそ、それくらいの価値があると思ってもないくせに、図々しくジェイクを手に入れ
ようとしているの? ジェイクは帝国軍を倒しまくってきたあんた達の仲間を二人も殺した
のよ? あんた達王国の脅威が味方してあげるんだから、当然でしょ」
引いては駄目だと、ルチルはサブリナの言葉にすぐに反論する。
「ルチル」
そうして怖さを紛らわすために自ら作り出した興奮状態の彼女は、ジェイクに先程より強く重い声で名を呼ばれ、冷や水をかけられたように冷静さが戻ってくる。
「何を考えている、死に急ぐ気か」
「……その時だと思ったの、目的のためには手段を選ばない、行動に出るべきは今だって」
「脅しにもなってないぞ、お前の場合」
「……それでも」
脅しているつもりはない、伺っているだけだ。
こうして立場に不相応な態度を取っているのも、少しでも相手を動揺させて交渉に活路を見出すための、思いついた唯一の策。
「逃げるのが一番の判断なのは分かってる、でもギリギリまでやらせて欲しいの。あいつがあ
んたに興味を持っている今だから、まだこうやって話が出来てる。だから……!」
無茶苦茶な事を言っていると、ジェイクは目で訴えかけてくる。
ちらりと彼に向けていた視線をすぐに前へ戻し、サブリナの怪鳥へ向き直る。
「今更我儘で悪いとか言っても仕方ないから、もっと我儘させて。引き際の手は思いついてるんでしょ? 本当に手詰まりになると思ったら、勝手に逃げ出してくれていいから!」
「……」
ジェイクが重く溜め息をつくのが聞こえる。
俄かに意思疎通が取れていないのを察したのか、サブリナは嘲るように笑ってから、
「百歩譲ってそうだとしてもぉ、条件を私達が呑まなかったらどうするつもりなのぉ?」
「……対等な交渉にならないのなら、ジェイクは渡さない。対等じゃないのに無理矢理奪おう
とするなら……」
ルチルは一呼吸おいてから、ジェイクを指差し意を決して告げる。
「奪おうとするなら、ジェイクは死んでもらう!」
その発言に、仲間への仇討ちに突き動かされ炎剣を構えるルークは驚きを隠さず表情を歪め、サブリナも戸惑うように言葉を詰まらせるのが分かった。
冷静に考えれば一番立場の弱いのはルチルだ、そんな少女がここまで過激な主張を貫き通してくるとは予想もしていなかったのだろう。
「……あっはっは、面白い発想ねぇ。他人のものになるくらいならいっそ、って奴ぅ?」
「そうよ」
「愛情の暴走ってのは昔から怖いって色々な文献でも言われてるけどぉ、それみたいなものな
のかしらねぇ。さすがにびっくりだわぁ」
サブリナの声色は動揺というよりも、どこか気持ちの据わった雰囲気が伴っていた。
それが何を意味しているのかは読み取れないが、サブリナという敵の感情に何か影響を及ぼせてはいないだろうかとルチルは祈る。
「サブリナ、これ以上の言論は不毛でしょう」
だが、ルークが豪快に炎剣を横に振り熱風を起こし、ルチルの言葉を一蹴する。
「ここまで突拍子な事を言われて、まさか真に受けているのではないでしょうね、サブリナ」
「んっふっふ~、若い子の必死さには応えてあげたいと思う性分なんだけどねぇ」
ルークの敵意は相変わらずだが、問題なのは彼に『不毛』と称されたジェイクの獲得についての交渉をサブリナが続ける気がまだあるのかの方だ。
「っ……要求は呑めないって事?」
「軍のためにナイト様を手に入れる代わりに、軍の任務を放棄するなんて、こっちは何の得も
なくなっちゃうじゃなぁい」
言われなくたって、理解はしていた。
自分の言っている事が支離滅裂で自分勝手な言い分で要求だというのは、とっくに。
それでも口に出す事で、自分の願いに繋がるきっかけが見いだせるかもしれないという思いで、賭けに出たのだ。
「さすがに無理よぉ、君一人だけつけるならともかくねぇ。皇帝の首と引き換えに、ってぐら
いじゃないと侵攻なんて止められないでしょ」
正論にケチをつける気にもならない。
(ジェイクの身柄と引き換えに進軍の中止は出来ない……ならどうすべき!?)
これ以上何を言えば、形勢逆転に繋がるのだろうか。
思考を回転させ、利用出来る情報を脳内に求める。
「……っ、だったら!」
そうして使える事柄を掻き集めた次なる主張を口にしようとした時、
「なら、村一つならどうだ」
ジェイクが一歩進み出てルチルと肩を並べて、サブリナにそう進言する。
「村?」
「俺はこの国に未練はないが、俺の主は生まれ故郷への愛着が強くてな。主に関わりのある人
間の安全が確保出来れば、俺がお前等と戦う理由はないんだよ」
「へぇそう、そういえば主様は農奴だったわねぇ」
本当ですか、とルークはハッとしてこちらを向く。
怪鳥に連行される中で質問され、サブリナにはルチルの身分が知られていた。
そう、ルークが進んで保護してきた者達と同じ、農奴だという事を。
「農奴の方がなぜ、我々を敵に回すのです」
「……っ、あんた達が侵攻してきたからでしょ!」
尋ねられて、ルチルが抑え込んでいた『標的』への感情が口から噴出してくる。
「僕達が?」
「難しい話じゃねぇだろ。奴隷が戦時下に前線に動員されている事を、お前等はよく知ってい
る筈だ。そしてその大半が既に戦死している事も」
ルチルの気持ちを代弁するように、ジェイクはリュックを手で持ち離脱する準備を解かないまま、さらに進み出て言葉を続ける。
「お前は哀れに思えて救ってきたつもりなんだろうが、全部が全部って訳じゃないだろ?」
「……尽力はしてきました」
「お前はそうなんだろうな。けどお前等だけが進軍してきている訳じゃないだろ? それに、
農奴の人間は助けてやるって堂々と宣言している訳じゃないよな?」
「……敵が指揮系統を失い、軍として機能せず分裂したのを見計らってからです。我々能力者
といえども、剣で斬られ矢で射られれば死にます。軍団との戦闘の最中に敵を選んで見定め
する余裕などないのです」
いくら彼等が強大な力を持っていようとも、軍の拠点には万単位での兵士が存在し、白兵や投擲等様々な策を畳み掛けるように仕掛けながら束になって押し寄せてくる兵達を殲滅するのは、不可能ではないにしても簡単ではないだろう。
ましてや、その敵軍の中に潜む無理矢理動員された者達だけを殺さずに勝利しようというのはあまりに難しく非効率的だ。
だからルークは帝国軍を叩きのめして敗走兵の集まりと化した後、残るはその地を平定するための戦後処理の段階で、生き残った奴隷達を助けてきたという。
「救ってもらった農奴の連中はお前の事を慕っているようだが、戦場に出て生き残れた農奴な
んて数える程しかいないだろうさ。殆どはお前やお前の仲間に殺され、存在すら知られる事
なく野ざらしになっているだろうよ」
「っ、分かっています! 僕の力では、救える人に限りがある。それでも、救わない訳にはい
かないじゃないですか!」
「お前のやってる事が間違いだとは言ってねぇよ。王国軍の精鋭なんだろ? なら敵を倒さな
いといけないもんな。その過程でお前等に殺される農奴の中に、俺の主の関係者を入れない
で欲しいって言ってるんだ」
ジェイクを鞍替えさせる代わりに、ルチルの村の人間を戦死の危機から救う。
ルチルがルーク達を討つ事からルーク達に取り入る事へ指針を変化したのを理解した口振りで、ジェイクは言葉で攻めていく。
「ここらは元々お前等ユストアの土地だってんだろ? なら、一つの村と村の人間くらい見逃
して、王国の一部として静かに存在させてやってくれるぐらい出来るんじゃないのか?」
「んっふっふっ、そうねぇ。帝国の奴隷は本来帝国の人間じゃないって考え方からも、理屈は
通るのかもしれないけどぉ」
翼の手入れをする鳥の嘴から出てくるサブリナの言葉はどこまでも落ち着いていて、且つ自分達の優位性を忘れていない余裕が伴ったものだ。
「うーん、確かに帝国軍の拠点さえ抑えられれば、わざわざ村の一つや二つ潰す必要なんてな
いものねぇ」
「それはっ、そうですが……!」
戦に強引に動員された者は救いたい、などという感情を抱いているからこそ、ルークは悩んでいるのだろう。
そうでなければ、ルチルとジェイクは単なる仲間の仇でしかなく、ここで命乞いとも取れる交渉に耳を貸そうなどと思いはしない筈だ。
「保護した農奴達は、戦後もちゃんと保護して貰える。その確証がないのに今まで何人も拾っ
てきた訳じゃないよな?」
「……、難民として保護してもらうと、軍上層部と話をつけてあります」
「用意周到な事だ、勝つ前提でないと出来ない話だ、上から目線で気に食わないが」
「っ……自分の出来る範囲で出来る事をする、あなたと考え方は大差ありませんよ」
「フン」
ジェイクとルークの間には、聞かなくても分かる敵対心が漂っていた。
油断すればすぐに彼等は剣を交える、そうなればこの交渉を続けている場合ではなくなる。
「っ……!」
そう感じて、ルチルはジェイクの前に入れ替わるように進み出て、それからルークの正面に立ち彼を見据える。
「……あんた達の仲間を殺したのはジェイクで、殺す原因を作ったのは私。それは否定しない
しするつもりもない」
「……」
「でも、それは徴兵された私の村の皆が殺されるのを回避しようと、大切な人を守るために必
要と思ったから……決して生半可な覚悟でした訳じゃないの!」
火に油を注ぐだけになるかもとは思ったが、変に取り繕ってもこのルークという剣士の自分達への憎しみは治まらないと思い、嘘偽りのない言葉で訴えかけるルチル。
「殺さないで済むなら、私だってそうしたかった! でも私にはそれを出来る力なんてない、
農奴が上の身分の人間の命令に逆らう権利なんてないから。その中でなんとかしようと考え
て思いついたのが、徴兵されないといけない原因になったあんた達敵を倒す事。大軍じゃな
く、少ない人数だからもしかしたらって、小さな可能性に賭けてきたの!」
「それで、僕の仲間を手にかけたのは仕方のない事だったと?」
「許されないのは分かってる、今だって胸が痛いし、誰かが死ぬのを見ると気分が悪くなる!
けど……大切な人達を守るためにやったって事だけは分かって欲しいの。同情はされなくて
も、私とジェイクがやってきた事は決して単なる盗賊行為でないと……!」
少しでも、ルークが自分達と村の皆を救おうという気を強くしてくれないかと、ルチルは思いのたけをぶちまける。
喋っている間に、村から飛び出してからのこの数日経験してきた血生臭い出来事が思い出され、自然と目頭が熱くなる。
そんなルチルの肩を、ジェイクの手がポンと叩いて、
「お前等二人を殺したら、王国軍の侵攻は止まるか?」
「いいえ、いくら我々が敗れたとしても代わりになる能力者は王国に何人もいます、本隊の兵
力の量も生半可なものではありません。そう簡単には……」
「なら、救ってくれよ。この俺の主の、農奴をよ」
ここでダメなら、もう離脱して次の策を考えるしかない。
それを分かった上で、ジェイクは最後までルチルの我儘に付き合ってくれているのだ。
「さぁてどうするぅ? 決定権はこちらにあるみたいよぉ? 隊長さん」
サブリナは尚楽しむような口調で、少しだけ声を落ち着かせてルークへ尋ねる。
「……っ」
ルークもまた、仲間の仇を救う事への抵抗感を拭えないでいるようだったが、
「……あなたが助けたい方々がどこにいるのかは、分かっているのですか?」
否定の言葉ではなく、ルチル達の提案に初めてまともに取り合うような返答をしてきた。
「えっと……今はチサーラにいる」
「本当ですか?」
「見たの。あんたの仲間の鳥に運ばれて、空を飛んだ時に」
サブリナの怪鳥に連れて来られた際、チサーラの全貌を上空から確認する事が出来た。
その景観の中で、荒野の一部に他の野営とは雰囲気の違う地点があった。兵士と思われる連中に囲まれるように、貧相な野営の建物の下に体を寄せ合っている人々の姿があった。
あれは集められた農奴達を兵士達が逃げないよう監視していたのだと思われる。
そんな場所に、刹那の瞬間だけ視界が捉えた女性の姿にルチルの目が止まった。
みすぼらしい服装に、火に照らされて映えるやや長い金髪を風に揺らし、炊き出しの鍋らしきものを他の女性達と共に野営の中で作る事に奔走している女性、あれはルチルの母親に違いなかった。
見間違いではない、派手でもなければ目立ちもしなかったものの、ルチルが短い人生の中で最も多く見てきた愛する人物の顔だと直感したのだ。
「チサーラは現時点での帝国側の最前線の拠点だ。わざわざ捨て駒に使う農奴の連中を後方に
置いておく必要はない、チサーラにはお前が哀れに思う農奴がわんさかいるだろうよ」
ジェイクの乱暴な口ぶりに一睨みを利かせてから、ルークは一呼吸つけて気持ちを落ち着かせるようにして、
「……農奴を戦に巻き込むのは、本意ではありません。戦局や行軍に悪影響を及ぼさない限り
は、戦に駆り出されようとする民を救う事を拒む必要はありません」
「ほ、本当に? じゃあ村の皆を……!」
「極力、です。無論、帝国軍の戦力を排除する事が最優先ではありますが」
助けてやるとはっきり答えはしないが、ルークはルチル達の交渉に応じてくれた。
そう気づいた瞬間に、緊張と恐怖で塗り固められていた体の内側があっという間に熱に包まれ、それから興奮で顔面が火照っていく。
ついに願いが手の届く範囲まで近づいたような気がして、再び目頭が熱くなっていくルチル。
「あらあらぁ、なんか勝手に話が進んじゃってるようねぇ」
サブリナがそう言ってせせら笑うと、ジェイクの傍で低く唸りを上げていた獣が数歩後退し、気のせいか向けていた敵意を薄れさせていく。
「まとめると、そっちのナイト様は私達の仲間になってくれるって事でいいのよねぇ? 先輩
も了解したって事よねぇ?」
怪鳥が首を左右に振って各々に尋ねると、まずルークは溜め息をつき、
「仲間ではなく、王国の味方になる事を、ですが」
それを聞いて、今度はジェイクが重い息を吐いて、
「味方じゃなく、敵じゃなくなるだけだ」
軽く鼻を鳴らして吐き捨て、互いに睨み合う。
不穏さが拭われる事はないものの、それでもルチルの心は久方ぶりに暖かく眩い希望の光に照らされていた。
「よくやったな」
そこへジェイクが半身を翻して語りかけてくる。
「ジェイク……私、その……」
しかしルチルは、返す言葉が思いつかない。
村の皆を救うという願いの実現、そのためにジェイクを王国へ売ったのだから。
「あんたなら、あいつ達も倒せるかもって思った。でもやっぱり、あんたが殺されるかもって
不安の方が強くて、それで……!」
言い訳にしかならない言葉を並べるルチルを、ジェイクは涼しげで無愛想な顔のまま、
「俺があいつ等に勝つ可能性は低い、それは俺が一番よく知っていたさ」
「じゃ、じゃあなんで……!」
なんでやめようと思わなかったのか、そうルチルが口にする前に彼は答える。
「俺はお前の協力者だからな。それに俺はやりたい事が欲しかっただけだったみたいだ」
「え……?」
「捕まって盗賊を続ける事も出来なくなって、ただ逃げるだけの生き方よりもお前の無謀な願
いのために動く方がやりがいがあると思ったからな」
その言葉を聞いて、ルチルは胸が余計に苦しくなった。
叶う可能性が限りなく低い自分の願いの実現に協力する事に、彼はやりがいを感じてくれていたのだ。だからこそ今まで彼は、奇怪な能力の持ち主相手に怯む事なく挑み、いつ死んでもおかしくない戦に身を投じてきてくれたのだろう。
父がレチオンに残した財産程度では到底埋められないくらいの、あまりにも危険な戦に。
「……ごめん」
それをルチルは、自分の目的のために必死に戦ってくれていた彼の努力を、自分の目的のために無下にしてしまった。
気づいてももう遅く、かといって撤回しようとも思えず、ただただ彼への申し訳なさから謝罪の言葉が口をつく。
「気にするな、むしろ妥当な判断だ。お前の願いのために俺が動いて、獲得出来た選択肢をお
前が選んだだけだ」
いつものように低く抑揚の少ない声だったが、その時の彼の表情からは硬さが抜け、口元を崩していたように見えた。笑顔にしてはささやかで、僅かに垣間見えた彼の優しげな感情は、ルチルの選択を肯定している事を現していた。
「まだ感涙するのは早いぞ」
気持ちを高ぶらせるルチルを制するように、ジェイクは険しさを声と目に戻してから呟く。
「希望が見えただけじゃ駄目だ、叶えるために行動しないとな」
「……うん」
目頭の涙を拭い、ルチルは俯き気味だった顔を上げる。
そう、ルチルの村の人間を救うという目的は、まだ達成してはいない。
実現するための協力をルーク達に取り付けただけだ。
「では、具体的な話をしましょう。あなた達の目的を叶え、尚且つ僕達の願いも叶えるために
どうすべきかを」
「んふふ~、良かったわねぇ。お互いに納得出来て」
「他人事のように言わないでください、サブリナさんが全てのきっかけなのですから」
「もぉ、分かったわよぉ。心配しなくても、ちゃんと取り組んであげるんだからぁ。ナイト様
の主のお知り合いを助けながら、帝国軍を蹴散らす算段をねぇ」
心から信用は出来なくても、協力者となったルーク達に、ルチルとジェイクは向かい合う。
今度は戦うためではなく、両者が戦わずに目的を果たすために。




