第20話 足掻きと転機
ルチルが次に目を覚ましたのは、亜麻色の布と木で作られた簡易式の天幕の中であった。
幕の向こうから降り注ぐ日差しは橙色で、もう夕刻に差し掛かっている頃だろうか。
背の短い草に塗れた地面の上に敷かれた質の悪い布から背中を起こし、まだ眠気でもやもやとする意識の中で、ルチルは外から漂う騒がしい音に気が付く。
複数の男達が会話をしたり怒鳴り合ったりする声が入り混じったやかましさの中に、慌ただしく走り回る人間の足音が色んな方向から絶え間なく聞こえる。
耳を澄まして聞き取れた言葉の多くが「出撃」や「戦況」といった戦に関わるもので、自分がいる場所もまたそれに関連した所なのだろうとなんとなく理解出来た。
「ここは……?」
外に出て探ろうか迷っていると、雑音に交じってゆったりした小さな足音が聞こえてきた。
入口部分が開かれ、オレンジ色の光が差し込んでくる。
「お、起きたッスね」
その陽光を背にそう呟いて姿を現したのは、見覚えのあるウェーブがかった茶髪を持つ少女、ウイナだった。
鎧を外し、麻布の衣服と剣を腰に携えただけのサッパリした軽装をしているのがまず目に入ったが、それより目を引いたのは、彼女の額や左腕に巻かれた包帯と、右腕で杖を使ってなんとか体を支えている不安定な立ち姿であった。
「ウイナ……」
「よく眠ったッスねー、もう夕食の時間が近いッスよー? よっぽど疲れてたんスねー」
ウイナは緩い笑顔を浮かべて中へ入ってくるが、赤黒い染みの見える頭の包帯や肩を使って包帯で固定された左腕、怪我をしている左足を引きずって歩く様子を見て、ルチルは返す言葉が思いつかず、ただ息を呑む。
寝起きでぼんやりとした意識が一気に覚醒し、自分が目を覚ます前までの出来事が脳裏に蘇って一気に全身の体温が冷却されていく。
「ウイナ、ここは……?」
「チサーラ丘陵の上に建つ要塞、ついさっきオスティム帝国南部戦線の前線の拠点として指定
された防衛の要……の外に設けられた臨時の駐屯地ッスよ。余所から来た田舎兵士を泊めら
れる程、要塞の中は広くないって事らしいッス」
ウイナの話によると、ルチルは丸一日近く眠り続けていたらしい。その間にウイナの所属するグード隊はチサーラ丘陵にある拠点に辿り着き、援軍として参上したものの要塞内の臨時の前線司令部も混乱状態であり、とりあえず外で待機していろと命令され、今はそれに従って他の援軍部隊と同じように野営を作って行軍の疲れを癒しているところだという。
「寝たままの私を、運んできたの?」
「そうッスよ。あそこに放っておく事は出来ないッスし、資材運搬担当の人達に頼んで背負っ
てもらったんス。ちょっと手荒に扱っても起きなかった辺り、相当深い眠りだったんスね」
やはりあの出来事は夢ではなかったのだと、ウイナの姿や言葉からでも容易に確認出来た。
そう分かれば分かる程、ルチルの体が恐怖で震えあがっていく。
「おぉいウイナぁ! どこだぁ!?」
幕の向こうから、腹に圧し掛かるような中年男の大声が聞こえてきた、ウイナの所属する部隊の隊長であるグードの声だ。
「こっちッスよー」
「おぉ! ここにいたか……おぉぉぉ! ルチル君、目が覚めたか!?」
豪胆で大袈裟な喋り方で、鎧に覆われた厳つい体躯を入口から滑り込ませ、カッと目を見開いて身を案じてくるグードに、ルチルは気圧されながら頷く事で返事とする。
「念のため後で我が隊の医務担当のサムに見てもらうといい、彼は医者から兵士に転身したか
ら腕は確かだ、安心するといい!」
「は、はぁ……どうも」
気遣ってくれるその優しさは先日の宿屋の時と変わりないが、今のルチルにとってはそれが不気味に思えて仕方なかった。
自分は疎開民などではなく、徴兵から逃げ出した農奴であり、処刑される予定だった盗賊の逃走を手助けする代わりに、戦場に駆り出されるために連れて行かれた同じ村の農奴を取り戻すという目的のために、ウイナ達を初めとする多くの人間を危険に巻き込んだ身の程知らずだ。
その本性はマリーンという超能力使いによってウイナに全て見られてしまった。そしてルチルを仲間の仇として恨んでいたマリーンによってウイナの仲間が殺された。単に、ルチルと面識があったというだけで。
だがグードの対応を見ると、そういった事実を知っているようには見えない。
「お腹を満たしたいなら我が隊の誰かに言ってくれ! 一日寝続けたという事は、一日何も口
にしていないという事だからなぁ、我慢すると良くないぞぉ! 色々と大変だったろうから
なぁ! 人質だと気づけなかったのは我々の責任である、遠慮せず言ってくれたまえ!」
「は……人質?」
ふと、違和感のある言葉を聞いて、ルチルが首を傾げる。
「あ、あーっとっとっと! 隊長、後はあたしに任せてくださいッス! これから拠点の上官と行軍してきた部隊長との会議があるって言ってたじゃないスか、急いだ方がいんじゃないスか?」
「んん!? おぉう、そうだったなぁ! どれだけ時間がかかるか分からんが、一先ずウイナ
はルチル君と一緒にいてくれたまえ!」
「どうせ邪魔だからうろちょろすんなとか、前線で戦えーって命令されるだけッスよ~? 出
る意味あるんスか?」
「なぁに馬鹿な事言っておるかぁ! 上層部に従わない兵士など、軍の規律を乱すもっともな
原因であるぞぉ!」
「分かったッスからとっとと行ってくださいッスよ。うるさ過ぎて起きたばかりのルチルが疲
れちゃうッスって」
なんだとぉ! と怒号を上げるも、外から他の兵士がグードを探している声が聞こえてきた。
「ほらほら、探してるッスよ~」
ウイナに「しっし」と手で除け者扱いされたグードはまだ色々言いたそうだったが、職務を優先するためにドタドタ大きな足音を鳴らしながらその場を後にしていった。
「空間が狭い分余計耳に響くッスよ~」
少しの間ケラケラと持前の笑みをこぼした後、グードの影が見えなくなってから、ウイナはルチルの方へ向き直った。
「さて、色々説明したり聞いたりしないといけないッスねぇ」
笑顔はそのまま、だが彼女の目と声音からふざけた空気が抜け、冷えていくのが分かった。
「あの、人質って……?」
「一応隊長達は、ルチルが実は盗賊の少年に誘拐されてる途中だったって事になってるッス」
いきなり意味不明な説明に、まだ意識が本調子でないルチルの頭の中がこんがらがる。
「で、王国軍にあたし達の情報を流して、ルチルはあたし達をおびき寄せる餌として洞窟に連れて来られていた。あたし達はまんまとその罠にハマって無惨に負けちゃいましたッス」
「……えっと」
「そういう筋書きにしてあげてるって事ッスよ」
親しみのある声に混じる、距離を置いた雰囲気。
その肌に刺さるピリピリとした空気は、気絶する前にあった出来事をこれから振り返り整理するために、ウイナが静かに気を引き締め直したように思えた。
「とりあえず、ルチルは先進的な都市のイケてる都会人じゃないってのは本当ッスね?」
「あ、うん……」
「そりゃあ残念ッスね~、でも同じ田舎者だったって点は親近感湧くかもッスよ」
ウイナらしい切り出し方なのは、ルチルがこれから何を聞かれるのか分かった上で怯えているのを見抜いているからだろう。
「徴兵を無視したってのも、本当ッスか?」
「うん」
「あの兄さんは兄さんじゃなかったってのも、実はあの人は盗賊だったってのもッスか?」
「……洞窟で見せられたんでしょ? 私の記憶とか、全部。そのままの通りよ、多分」
ウイナは本当のルチルに関する情報を知っている。今更誤魔化す必要もなく、意味もない。
「ごめんなさい……!」
目覚めてからずっと抱いていた思いを放出するように、ルチルは深々と頭を下げた。
「嘘ついてた事とか、騙してた事とか、巻き込んじゃった事とか、後……」
何より『標的』の能力者が自分への恨みを理由にウイナを傷つけ、ウイナの仲間を殺してしまった事が申し訳なかった。
上半身を折り曲げ頭を必死に下げて謝るルチル。
「……」
ウイナは心情の読めない複雑な顔で、そんなルチルの様子を眺めていた。
「私は……今まで通りの村での生活を取り戻したくて、必死に走り回ってた。世間の事が分か
らなくて、国のために村の皆が戦いに参加させられる事に納得がいかなかったから……」
弁解するでもなく、ルチルは村を飛び出してからの経緯とその理由について、ただただ説明していく。もうウイナは全部分かっているかもしれないが、それでも心を許した相手には自分の口で伝えるべきだと思ったから。
「村の皆は私だけ逃げ延びさせようとしてくれた、その思いに従って身を隠して生きていこう
と思ったりもした。でもやっぱり諦めきれない気持ちもあって、心が不安定のままレチオン
の街に入った。そこで会ったのが、ジェイクだったの」
「……運命の出会いって奴ッスか?」
「さぁ……でも彼と出会って、彼の強さと迷いのなさを感じた時、足掻いてみたくなったの。
頼れるものはとにかく頼って、村の皆を戦争から取り戻したくなったの」
今まで知らなかった外の世界、その世界の理に縛られず自身の思うがままに行動する意思と実行する力を持つジェイクに、ルチルは賭けてみたくなった。
だから父親が託してくれた隠し金を餌にしてまで協力関係を求め、かろうじてまだ村の皆を救うという望みが叶う可能性を低いながらも繋いでいる。
「それで、ユストアの軍をなんとかしようとしたって事ッスか? さすがに無謀過ぎっすよ」
「……私がカーセム城塞の近くで見た限り、敵の軍は変な能力を使う数人で戦ってた。だから
その数人をなんとかすれば、進軍が止まるかもって……ジェイクが言ったの、倒せるって」
「ほんとッスか? あの人も勇気あるッスねぇ。あんな化け物を倒そうだなんて……」
洞窟内での出来事を思い出したのか、ウイナの表情に陰りが増す。
「カーセム城塞がどんな風に落ちたのかは分からないッスけど、前線で王国の異能兵が暴れ
回ってるってのは遠征前に聞いた戦況報告で知ってたッス。だから洞窟であの浮遊女を見た
時は、ほんと笑えなかったッスよ」
ウイナのぎこちない作り笑いは、あの時感じた恐怖が脳裏に蘇ってきているのが見て取れる。
「けど、ルチルの兄さん……じゃなくて、あのジェイク、さん? は倒したんスよね。少なく
とも二人、あの化け物人間を」
「うん……ジェイクは、あのままどこかに?」
「そうッス。隊長達があの洞窟の周辺を探索したんスけど、空振りだったッス」
そちら側に戻れ。
別れ際に、ジェイクはルチルにそう囁いた。
彼が何をもってそんな言葉を放ったのか、気絶する直前の彼女が抱いた疑問の答えは、目が覚めてもまだ分からない。
「すごいッスねぇ、洞窟の時もそうッスけど、あたし達が渓谷の上でビビっている間に、あの
人は当たり前のように戦って勝っちゃうなんて」
ウイナが見たルチルの記憶には、ジェイクが渓谷にて『標的』の一人の剣士ダグを殺した場面も含まれていたのだろう。
「え……あの時ウイナ達、近くにいたの?」
「崩れた橋のすぐ近くにッス。丁度敵に遭遇して、戦おうとしてたところだったんスよ。結果
的にルチル達が仕掛けた罠のお陰で化け物達と戦わなくて済んで助かったッス」
いつの間にかすれ違い、ウイナ達の危機を一度は救っていた事に小さな驚きを抱くルチル。
「でも、結局はウイナやウイナの仲間の人達を巻き込んじゃって……、死なせ、」
「やめて」
嘆きの言葉をバッサリと一言で遮られ、唐突に沈黙が二人のいる空間を包み込む。
何を言ってもウイナの死んだ仲間が返ってくる訳ではない、無言のまま見えない針で心を突かれているような苦しさに、自らの罪の大きさを痛感するルチル。
しばらくどちらも喋らない時間が続き、ルチルが息苦しささえ感じ出した頃、
「っ、あっはっはー……やーっぱ慣れないッスねーこういう雰囲気」
それを打ち破るように、ウイナがカラカラと笑い声を上げた。
「気にしないでいいッスから、ルチルは」
「そんな……」
「ロバーツさん達を殺したのはあの浮遊してた女ッス。その女に殺されそうになっていたルチ
ルがなんで悪い事になるんスか」
「だって、私があいつ等を倒そうとジェイクに進言して、あの女の仲間を殺したからあの女は
怒ってて……」
「だーかーらー、そんなの結果論じゃないッスか! 言いっこ無しッス!」
自虐的な発言が漏れるルチルな口をウイナが人差し指で閉ざさせる。
「……クホウスで兵士になってから初めて里帰りをした時、あたしの父さん腰を痛めて寝込ん
でたんスよ。母さんから、あたしが故郷の田舎から出発した後、あたしがやっていた分の農
作業を受け持ったせいで疲労が溜まったのが原因でぎっくり腰になったらしいんスよ」
耕し、埋めて、水を撒き、虫を除け、収穫し、整地する。農作業の工程は変化こそしないものの、共通して肉体に負担のかかるものである。ルチルも一日中出来た作物を中腰で獲り続けた結果、翌日足腰に鈍痛が残った経験が一年の内に何度もあったから、その辛さは分かる。
「あたしが村を出たせいで、只でさえ少ない村の働き手がさらに減って父さんが無理して体を
壊したんだと思って、結構責任感じちゃったんスよ。んでクホウスに戻ってからも、故郷に
ずっといなくていいか気になって、ちょっとスレて仕事にやる気出してなかったたッス」
「……」
「あ、今も変わらないじゃんって思ったッスね!?」
「い、いやそういう訳じゃ……!」
間にからかいを挟んで、張りつめた空気を和ましてくれるだけ、心が不安定な状態のルチルには心地よかった。
取り乱すルチルを見て軽く笑ってから、ウイナは話を戻す。
「で、色々サボったりヘマしたりを繰り返してる内に、ほんと除隊させられる手前までいった
んスよ。盗賊を狩るくらいしか仕事のない田舎の軍隊で使えないと判断されたら、もうクビ
になるしか末路はないッスから、まずかったッス」
「実際には、ならなかったって事?」
「その時あたしに構ってくれたのが、今のあたしの隊長ッスよ」
あの声のうるさいグードっておっさんスよ、とにやけながら付け加えるウイナ。
「女ってだけでも他の兵士に比べて力が劣るってのに、やる気がなくて命令を聞かない奴なん
て放っておけばいいのに、隊長はあたしを必死になって励ましてくれたッス。父親の事を話
したら、隊長こう言ったんスよ。人生の中で選択をする時、どっちの選択肢にも良い事悪い
事が含まれているものだって」
どこに繋がっているか分からない二手に分かれた道の前に立った時、どちらの道中が安全か危険かなど、進んでみなければ分からない。だが道が敷かれているのがどちらも険しい山の中だとすれば、二つともある程度の危険は潜んでいると考えた方がいいだろう。
地盤の安定度、見える景色、治安の状況、それらは場所や時間帯によって変わったりする。危険の種類や度合は変わるものの、両方危険を伴う以上どちらの道が良かったかは一概には言えない。
グードがウイナを励ました時に伝えようとしたのは、おそらくそういう意味だったらしい。
「弊害の発生しない行動なんてない、そんな当たり前の事を気にしてどうする! って耳元で
怒鳴られたッス。でも確かに隊長の言うとおりだと思ったッスよ、だって何の害も起きない
行動だけを選ぼうとしたら、いつまで経っても見つからないと思うッスから」
「それは……」
「だから田舎の故郷の事はあまり気にしないようになったッス。仕事でもそうッス、暴徒を組
み伏せる時も、罪人を探し回る時も、盗賊を狩る時も、余計な事を考えないようになったッ
ス。兵士は剣を振るって力で治安を守るもの、それは誰かを傷つける事になるッスけど、そ
れは無益な行為じゃなく治安を守って、それでお金を貰えて自分と家族のためになるって考
えれば、差し引きゼロって思えるようになったッス」
ウイナはルチルが感じている、ウイナ達を巻き込んだ事への罪の意識を和らげようとしてくれているのだろう。
その厚意が余計にルチルの胸を苦しくする。
「自分がそうしたいと選んだ結果何が起きても、選ぶ事が悪い事にはならないと思うッスよ」
「でも、私の場合、人の命が……」
「……ルチルは、なんとなくの気持ちであのジェイクって盗賊と手を組んでまで、村の人を救
おうとしたんスか? 漠然とした思いで?」
揺るぎない眼光で見据えられながら尋ねられ、ルチルは少し間を置いてから首を横に振る。
「……違う、覚悟は、あった」
レチオンの街でジェイクと出会った時、ルチルは彼に聞かれた。ルチルの願いを叶えるために彼がどんな卑劣な行為に及んでも見過ごせる覚悟があるかと。
連れていた農奴を盗賊に襲わせる事で『標的』を足止めし、その内にダグを殺した時も、自分の望みを叶えるために生まれた犠牲だと思って心が苦しくなった。今胸中を支配する気持ちはこれと同じ類で、数倍濃いものだ。
その時彼に言われてたではないか、押し殺せと。
他人の命を奪ってしまった事への罪悪感は忘れないまま、全ては自分の目的を叶えるための行動による結果、覚悟していなかったなんて言い訳は通じない。
「なら、割り切って欲しいッス。でないとあたしも、気にしちゃうッスよ」
笑みは消えないものの、仲間を殺された事への悲しみがその下に見え隠れしていて、ルチルは弱々しく頷く事しか出来なかった。
「……グードさんとか、他の人達は知らないの? 私についての、本当の事は……」
「知らないッスよ。まだ」
声をもう一段低くしてウイナが答えた。
「どうして黙ってるの? 私は罪人よ、ウイナ達を騙してた……」
「んー、本当のルチルを知っちゃったからッスかね。行動だけじゃなく、思いの強さとか」
マリーンによってルチルのこれまでの行動を全て『見て』しまったウイナは、それでもまだ自分を罪人として扱っていない。
その寛大さが胸に染みて、それがまた彼女に対する申し訳なさを増長させてしまった。
こんな軍隊の拠点のど真ん中で、いつ自分の正体が知られて捕えられるか分からない状況で、今なお他人の気遣いによって支えられている、そんな自分が情けない。
「それに、あの人がそれを期待してたみたいッスし」
「期待……? ジェイクが?」
「そうッスよ。分かんなかったッスか? 隊長達が来た時、あの人はルチルを殴ったッス。あ
れは多分、演技だと思うッスよ」
「演技って、なんで……?」
「あの時、あの人はあたしを殺そうとしてたッス。で、ルチルはあの人の仲間だとしたら、ル
チルも隊長達から敵意を向けられる可能性が大だったッス。だからわざわざルチルを殴って
ルチルは仲間でない事を見せつけた上で逃げたんだとあたしは思うッスよ。
ジェイクはルチルの元から去ったが、それはルチルがウイナを殺そうとした彼の仲間である事を否定するために、ルチルが不利益を被らないために選んだ行動だったという。
ウイナ曰く、自分はジェイクに助けられた。まだルチルが農奴である事は、ウイナ以外には気づかれていない。だからこそこうして、帝国軍の拠点にもいられる。
彼は協力者として、自分の立場を守ってくれた。なら彼は今、どうしているのだろうか。
グード隊に顔が割れ、あの洞窟でウイナを襲い、ルチルを人質にしていた事になった以上、もう迂闊に姿を晒すような事はしないだろう。
(もう、私のお願いとか、気にしてる場合じゃないよね……)
今のジェイクは、帝国の兵士に目をつけられた危険な状態だ。ルチルとの協力などよりも、自分が捕まらないように身を隠す事を優先する筈である。
それは当然の判断だろう、ルチル自身、彼との協力関係が解消されたのと同然の状態になった事への悲しさよりも、彼が無事に生き延びているかどうかへの不安の方が強かった。
「……あれ、ここって……軍の拠点、なんだっけ」
「ん? そうッスよ? 戦争の最前線ッス」
ウイナの返答を聞いて、ルチルの思考がある可能性を漠然と連想させた。
ルチルの村の人間は戦場に駆り出されるために連れて行かれた。ジェイクは農奴を連行しなければならないくらいに戦線の状況は悪いと予測していた。
王国に攻め込まれ続けている状況下で、帝国人の階級の最下層に位置する奴隷を戦争で使うとすれば、十中八九捨て駒扱いだろう。
そしてこのチサーラと呼ばれる場所は、現時点での帝国と王国の間で起こる戦争における帝国側の最前線の拠点だ。
なら、ここにいる兵士達はこれから最前線で戦うために集められているという事になる。
「ここにいる兵士って、ウイナ達以外にはどんな人達がいるの?」
「どんな? んーっと、この地域に駐在する軍の生き残りと、周辺から寄せ集められた部隊と、 中央軍から指揮を執るために呼ばれた親衛隊とそれから……」
そこまで言って、ウイナはルチルがなぜそんな問いをしてきたのか察したように口を止めた。
「ルチル、何でそんな事聞くッスか?」
「……いるのね、徴兵された農奴も」
いつ戦争が起きてもおかしくないこの地域に、戦うために軍に連行された農奴がいない方がおかしい。ルチルのその予想は、ウイナが返答を躊躇ったのを見て間違ってはいないと証明しているようなものだった。
次の瞬間、ルチルは寝起きで体に纏わりつく気だるさを振り払って起き上がり、外へと飛び出していた。
「待っ、ルチル!」
呼び止められるが、ルチルの足は止まらない。
外には夕焼け色に照らされた荒野の上に遠征軍の野宿用の簡易住居が無数に建てられている物々しい景色が広がっていた。
あちらこちらで雑談したり座り込んだりしている兵士達の間を縫うように走り抜けていく。
(どこかにいる、どこかにいる……!)
目を動かし、首を動かし、視界に映るもの全てに意識を割いて必死になって探しているのは、このチサーラの拠点に徴兵された農奴達、その中にいるかもしれないルチルの村の人間だ。
(探さないと、探さないと、探さないと……!)
男ばかりの駐屯地の中に貧相な服装の少女が現れ、好奇の目が向けられるも気にせず、息を切らして走り回り、ひたすら探索する。
「待つッス!」
それを妨げるように、ウイナに後ろから手を掴まれ、細い体の割に強い彼女の力に足を止められてしまう。
「何する気ッスか!」
「探すの、皆を! ここにいるかもしれない!」
「探して見つけたとしてどうするつもりなんスか!」
「それは……っ!」
熱に犯されていた脳内に、落ち着きという冷却された液体が流し込まれる。
そう、ここで仮に村の皆を発見したとしても、そこまで。
見つけたところでどうするというのだ、ルチルには徴兵を無しにする力がある訳じゃない。敵がいる以上農奴達は戦わされる運命に変わりない。
村の皆を徴兵から解放する。その手段として、帝国軍を敵に回すよりも王国軍を倒す事の方が多少は可能性が高いから、ジェイクと共に『標的』を追い続けたのだ。
ここから村の皆と逃げ出したところで、自分達の敵が王国軍から帝国軍に変わるだけである。
「でも、ここで諦めたら、今までジェイクとしてきた事が無駄になっちゃう!」
「ルチルの気持ちは分かってるつもりッス! 家族も友人も皆連れて行かれたのは許せないと
思うッス! けど、無茶なんスよ!」
心のどこかで思っていた事を突き付けられ、それはルチルの持つ微かな希望を折るには十分の威力があった。
「王国軍を敵に回して、本来ならどこかで命を落としていた筈だったのを、あの人のお陰でな
んとか生き延びてこられただけッス。諦める最後の機会をみすみす棒に振るッスか!?」
「っ……でも……!」
身分を隠してどこか遠くで、レチオンに残した財産を使ってひっそり生きていく選択肢はまだ残されている。
だがそれは、ジェイクに協力してもらってきた間の時間を、その間に起きた出来事が全て意味を失くしてしまう、ルチルにはそう思えた。
「……どんな手段を使っても」
無意識に口から言葉が漏れる。
「え、なんスか……?」
「ジェイクは、どんな手段を使っても、私の願いを叶えようとしていた。あても分からない状
態から、王国の能力者を倒す方法を見つけて、本当に二人倒した」
「何回も続くと思わない事ッス! それにあの人と違ってルチルはただの……」
農奴の少女でしかない、ウイナが飲み込んだ言葉にルチルは胸を穿たれる。
ルチル一人じゃどうしようもなかったから、ジェイクに協力してもらえるよう頼んだのだ。
ジェイクはもういない、だったらどうやって村の皆を救えばいい?
……分からない。思いつかない。
「ダメなの、諦めたくないの……!」
込み上げる思いは村の皆を救いたいという熱い願望と、叶う確率は果てしなく低いという絶望が混ざり合った歪なものだった。
じわりと滲み出た涙が頬を伝ったところで、ルチルは周囲にいる兵士達が怪訝そうに自分とウイナを眺めている事に気が付く。
「とりあえず一旦戻るッス、目立ち過ぎたら元も子もないッスよ」
ウイナはそう言ってからルチルの手を強く引き、方向を転身させる。
「ルチルの気持ちは分かったッスから」
直前に、耳元でそう告げて。
ここで騒ぎになっては都合が悪い、ルチルは感情を押し殺し、ウイナに従って元いた簡易住居へと戻る。
「どうしても諦める気はないんスね?」
「……うん」
改めて意思を問われ、ルチルは小さく頷く。
ウイナはやれやれといった感じに頭を掻いてから、一つ溜め息をつき、
「困ったッスねぇ、やっと出来た友人がここまで意固地だとは思わなかったッスよ」
体全体に宿していた、張りつめるような雰囲気を崩して、軽く笑顔を返してきた。
「え、と……」
「仕方ないッスから、せめて道筋だけは決めて行動してほしいッス。今出来る範囲の中で、ル
チルにとって一番良い結果になる行動を」
「私のわがまま、許してくれるの?」
「許すも何も、ルチルがそうしたいならどうしようもないッス。ただ、無鉄砲に行動して無駄
に騒ぎを起こされるのは困るから、監視させてもらうッス」
「……うん、ありがと」
行動を妨げようとはしない、そうウイナが思っていてくれていると分かっただけでもルチルには救われた気分になれた。
「んじゃ早速、まず連れてこられた農奴がどこにいるかから、ッスけど、その前に食事した方
が良いッスね。何か持ってくるッスから、食べながら話そうッス。勝手にうろちょろしない
でッスよ!」
釘を刺してから、いつもの調子で笑って再び外へ出ていくウイナ。
(……運が良いな、私)
あれだけ我儘をやってきて、まだ味方でいてくれる人間がいて、自分は本当に恵まれている。
まだ、諦める訳にはいかない。諦める時ではない。
まずはこの拠点内に村の皆がいるかどうかを探す。もし見つけたら、なんとかしてここから一緒に脱出する方法を探す。
具体的な方法は分からないが、行動指針は固まった。
後は、諦めず実行するだけだ。
ジェイクという協力者を失くして希望の光が一層か細いものとなった状況の中で、自分を奮い立たせるように決意を新たにした。
その後グード隊からパンとスープを分けてもらい軽食を終え、砂と荒地で作られたチサーラ丘陵が夜の暗みに包まれ出してから、ルチルとウイナはあまり人目につかないように拠点を徘徊し始めた。
拠点の指揮官と部隊長間で行われた会議で偵察部隊を周辺に配備される事となり、グード隊は明日の朝からの出立と決まったらしく、今夜は特に行動が縛られる事はないらしい。
急ごしらえ且つ部隊ごとにやや距離を置いて野営が作られ、あまり交流もされていないようで、兵士でないルチルも保護された疎開民の一人として見られていたているのか注意していた程注目はされなかった。
「やっぱり兵士で女の人はあんまりいないのね」
「賢い女はこんな男臭い中で力仕事なんて出来ないッスよ」
田舎者の特権ッス、と自虐して小さく笑わせてくるウイナに、知らない場所の中で知らない人間の近くを歩く事に緊張していたルチルの気持ちが和らぐ。
その後二人はしばらく歩き回り、それから荒地の上に直に腰を下ろして体を休ませる。
「いないッスね~」
肌に滲む汗を夜風で乾かしながら、ウイナは溜め息混じりに呟いた。
「そうね……」
「あたし達みたいに末端の兵士には、軍全体の情報なんて与えられないッスから、どこに誰が
配置されているのか把握出来ないのが痛いッスね」
いつの間にか日は完全に落ち、荒野には野営の焚き火による明かりだけがポツポツと点在するようになり、視界が効きにくくなっていた。
「水を指すようで悪いッスけど、一旦戻った方が良いッス。隊長も帰ってくると思うッスし」
「そう……うん、分かった」
我儘ばかりを通す訳にもいかない、自分に付き合ってくれているウイナの体裁の事も考えなければ。
勘ぐられないために、ひとまずグード隊の野営へ戻る事にして腰を上げる。
「んっ?」
その帰路の途中、不自然に強い風が上方から降りかかってきて、ルチルは足を止める。
「って、あれ、ウイナ?」
僅かに立ち止まり視線を余所へ向けた間に、ウイナの姿が正面には見えなくなっていた。
ランプを持っておらず周囲の焚き火の明かりを頼りにして今まで歩いてきたが、その少ない明かりの中にウイナを見つけられず、焦ってルチルは駆けだそうとする。
「しぶとい奴ねぇ」
だがそれを遮るように、脳内に直接響くような、首筋がゾワリとする気味の悪い声が聞こえ、ルチルはハッとして周囲を見渡す。
「それに諦めも悪い」
「誰……!?」
声の主らしき人物は誰もいない、そもそも聞こえてくる声は女性のもので言葉として成立してはいるが、人のものにしてはあまりに音程が歪だった。
「上よぉ、上」
不気味な声につられるように、ルチルは警戒しつつ顔を頭上へと向けた。
「……鳥?」
遥か上空に浮かぶ満月を背に、明らかに人間の数倍はある長い翼を広げた巨大な鳥らしき影が映っていた。
「はーい」
その大きな鳥の鋭利で太い嘴が上下に動くと同時に、奇怪な女の声音が聞こえてくるのを確認して、声の主がその鳥であると理解出来た。
「な、何……なんなのあれ」
「まだ諦めてないのねぇ、力がないのにしぶとい子」
文字通り上から見下した発言は、鳥の喉から出ているというより、誰かの口にした言葉に合わせて口を動かしているだけの腹話術のようなものに見えて滑稽だった。
その不可思議な現象から、空に浮かぶ鳥は『標的』が当たり前のように使っていた超能力によるものだと直感するルチル。
「……何の用、あの浮遊する女の仲間でしょ?」
「あれぇ、私が誰だか分かっちゃったのぉ?」
「あんたの仲間も、こんな風にビビらせてきたから」
「あらそう、まぁあの子の力とはちょっと違うんだけどぉ、どうでもいいわよねぇ」
口調から察するに女、だがルチルが覚えている範囲では『標的』の中にいた女は洞窟でジェイクに殺されたマリーン以外はいなかった筈だ。
「……」
とはいえ『標的』の一員ならば敵である事は明らかだ。
警戒心を最大に強め、無言で出方を伺うルチルの敵意ある視線に、鳥を操る謎の女がほくそ笑むような声で反応した。
「そんな怖い目しちゃ嫌よぉ? 女の子はもっとおしとやかにしてないとぉ」
「冷やかしにきたの? あんた、ここがどこだか分かってる?」
「帝国軍の前線基地でしょお? ドライちゃんなら気づかれるようなヘマはしないしぃ、仮に
見つかってもやられる心配もないしぃ」
上から目線の発言は、そのまま自分達王国軍が未だ有利な立場である事を現していた。
実際戦況は帝国の劣勢である、ルチルはその事にいちいち反応しはしなかった。
「敵地に入り込んでまで、何が目的?」
「んんっとねぇ、ちょっと協力してもらいたいのよねぇ」
そう言うと、『標的』の女の声を発する巨大な鳥は豪快に、しかし殆ど音を立てずに両翼を羽ばたかせて地面へと降下してきた。
後ずさって距離を取るルチルは、丸太のように太い二本の鉤爪で地に降り立った怪鳥の巨躯を覆う刺々しい毛並と岩をも噛み砕いてしまいそうな嘴、それらと相まって余計に厳めしさを増す眼に体が竦みそうになる。
ずっと山奥の村で生きてきたルチルには帝国領内の生態系はよく分からないが、こんな馬鹿みたいに大きい生き物がこの世に存在しているとは、到底信じられなかった。
この喋る怪鳥もまた、『標的』の人間の超能力による『何か』なのだろうか。
「もう~そんな怖がらなくていいのよぉ? この子こう見えても私の手で与えたものしか食べ
ない甘えんぼなんだからぁ」
「この鳥を飼ってるあんた自身は、この近くにいるの?」
「そこまで蛮勇じゃないわよぉ。危ない場所へは私の獣達だけで行ってもらってるからぁ」
獣達、という言葉を聞いて、ルチルは昨日ウイナ達と一旦別れた直後の出来事を思い出す。
「……昨日私達を襲ったライオン、あれってあんたの仕業ね!」
「あれねぇ、マリーンちゃんの我儘に付き合ってあげたのよぉ。帝国兵以外殺しちゃダメだっ
て教えておいたから、アインちゃんはあなたを食べずに済んだのよぉ? 感謝してねぇ」
「我儘……?」
「そう、君への復讐っていう我儘にねぇ。君がこうして生きてて、復讐に失敗したあの子は可
哀想ねぇ」
予期せぬ雨に見舞われて濡れてしまった事に気が滅入った程度にしか捉えてないように、仲間の死を悲しむ事もせず他人事同然に言ってのける女の言葉に、彼女の仲間のせいで危険な目にあったルチルは怒りが沸々と込み上げてきたが、
「……残念だったわね」
それを押し殺す事で、自身の感情を制御した。
この女と過去の出来事について無駄話をする暇はない、今のルチルには村の皆を助けるための時間も力も足りないのだ。いちいち取り乱している余裕など微塵もない。
「あらあらぁ、冷たい子ねぇ。まぁいいわぁ、自業自得って奴だしぃ」
「で、何を協力してもらいたいの?」
本題に戻らせるためにルチルが無駄話を断つと、せっかちさんねぇ、と軽く嘲笑ってから、女はようやく本題を切り出す。
「君のナイト様に関する事よぉ」
「……?」
「分からない? 君と一緒にいた野性味たっぷりの少年の事よぉ」
その時、鈍器で胸を打たれたように、一瞬呼吸が苦しくなった。もう会えないだろうと決めつけていた彼が話題に出てくるとは思わず、純粋に驚いてしまったのだ。
保っていた強気が揺らぎ、怪鳥の眼を介して見たであろう女がほくそ笑むのが聞こえた。
「安心して、私は彼を死なせたくないと思ってるのよぉ?」
「え……?」
「このままだと彼、私の仲間に返り討ちに遭っちゃうかもしれないものぉ」
女の言葉に、今度こそルチルは息が詰まりそうになった。
「な、なんでよ、あいつはもう自由の身よ? とっくに遠くに逃げて……」
「んふふ、健気ねぇ。彼は君が思っている以上に、義理堅い子みたいよぉ?」
この女の口ぶりは、ジェイクが今どこで何をしているのか知っているだった。
「どういう事、あんたジェイクについて何を知ってるの!?」
食いつくようにルチルが尋ねると、女はまたしても嘲るような笑みをしてから、
「君のためにまだ頑張ってるわよぉ、私達を探し回ってねぇ」
「それって……!」
ジェイクはまだ『標的』を倒す事を諦めていないというのか。
ルチルと別れ、自由の身になった彼が、まだルチルの願いのために行動している。
その理由が分からない、帝国に盗賊として顔が割れた以上、身の安全のためならとにかく遠くに逃げる事を先決するべきだ。
なのになぜ、と悩んでいる内に、
「だから、それを止めるために君に協力してもらいたいのよぉ」
「……っ!?」
気が付くと、怪鳥の猛々しい眼がルチルの頭上に、鋭利な嘴が鼻のすぐ手前に迫っていた。
そしてその嘴が上下して、怪鳥を操る女の艶めかしい声がこう告げる。
「彼を諦めさせる、餌としてね」




