第19話 惨劇の後
「お、おおぉ、おまえええ!?」
激痛からか、呂律がまともに回っていないマリーンが小刻みに震える瞳孔をジェイクへと向け、杖を動かす。
「っ、ダメ!」
また見えない能力で攻撃してくる、思わず叫んだルチルだったが、ジェイクは動じない。
マリーンに刺さった剣に全体重を乗せたまま、ただひたすらに彼女を睨みつける。
「きぃぃ……!」
氷のように冷たかったその端正な顔立ちを初めて憤怒の感情に染め上げ興奮状態に陥った様子のマリーンだが、それでもジェイクの体に彼女の能力が作用する事はない。
いつの間にか、ウイナの頭上にあった巨大な氷柱も弾けて氷の粒となって宙に消えていた。
なぜ? とルチルが首を傾げる間にも、マリーンの左肩の傷口からはだらだらと血液が流れ出し、ジェイクの持つ剣を赤く濡らしていく。
マリーンは杖を持つ腕を動かす、するとウイナを穿つべく洞窟の天井に出現していた巨大な氷柱が前触れもなく粉々に砕け散り、辺りに氷の雨となって飛び散っていく。
それを見たジェイクは少しだけ眉をひそめ、力任せにマリーンの肩から剣を引き抜き躊躇いなく直下へと飛び降りた。
「この、雑魚野郎ぅぅぅ!」
錯乱したままのマリーンが杖を豪快に振るうと、見えなくてもそこに在ると分かる程の強い『力』が魔指のように唸りを上げてジェイクを頭上から襲う。
が、彼は着地後すぐに近くの岩の出っ張りに飛び退いて回避に成功した。
「この! このおおおおお! 雑魚がうろうろ! ムカツク! 死ね! 死ね! 死ね!」
無感情にように見えていたのは気のせいだったのか、そう思ってしまう位にマリーンは取り乱し、目を血走らせながら見えない力を眼下にいるジェイクに向けて何発も撃ち放つ。
「ジェイク……! ……あ、あれ?」
岩陰に隠れ、さらにマリーンの力で砕け弾ける岩の破片と塵芥で姿を捉えられないジェイクの身を案じていたルチルは、いつのまにか手首足首に働いていた拘束の力が弱まっていることに気づいた。
(私を解放する気、な訳ないわよね……)
理由は分からないが、圧倒的優位だったマリーンに何か変化が起きているのは確かだった。
抜け殻になりかけた体に鞭を打って力を振り絞り、拘束を振り解こうとあがくルチル。
「っ、お前!」
その様子に気づいたのか、マリーンがギロリと充血した目をルチルの方へと向けてくる。
「い、痛っ、つあああああああああ!?」
緩まっていた見えない力が再び凄まじい圧力となってルチルを襲う。今度は動きを封じるではなく、体全体を押さえつけるような殺意全開の力だ。
「あいつ、お前の仲間! ダグを殺した奴、間違いない! 絶対殺す! お前も殺す!」
ジェイクを仕留められない腹いせか、マリーンはさっきまでの余裕さをかなぐり捨ててルチルを確実に殺すために力を行使する。
全身の骨が軋む音が聞こえるような気がした。瞼を閉じていなければ眼球などすぐに潰れて血塊にされてしまいそうに思えた。
(潰れる、潰れる、体が潰れる……!)
ようやく見つけた逃亡の機会を、こんなにあっさり逃してしまう自分が情けない。
希望がまたしても失われそうになったその時、
「そんなに俺を殺したいのか? お前」
またしても、ジェイクの低く落ち着き払った一言がルチルの耳に入る。
マリーンはすぐに関心をそちらへ向きながら見えない力を放ち、それと共にルチルの小さな体を全面から押し潰そうとしていた力がフッと消え失せた。
「わっ、わわっちょっと待っ……!」
岩壁と体を繋ぎ止めていた力がなくなり、前のめりに硬い地面へと落下してしまうルチル。
「いったぁあ……!」
かろうじて腕で防いだものの、額の一部を初め体の各所が擦り剥けてしまい、ジンジンとした痛みに顔が歪む。
だがマリーンは寸前で攻撃を回避するジェイクに気を取られ、まだルチルが解放された事に気づいていない。
今のうちに、と岩壁の出っ張りに身を隠し、様子を伺う。
「お前、ダグ殺した!」
「ダグ? もしかして渓谷で死んだ剣士の事か?」
既にマリーンが『標的』の一人である事を認識しているらしいジェイクは、特に考えもせずにダグの正体を当ててみせる。
「お前、あの女のためにダグ殺した。生意気、帝国の人間のくせに、無能のくせに……!」
「……フン、便利なもんだな。人の頭ん中覗き見れる力も持ってんのか、お前」
決して優位に立っていないにも関わらず、ジェイクは冷静にマリーンの動きを伺いながら涼しげに受け答えをしている。
目には獰猛な狩人の色を灯したまま。
「お前、絶対に殺す。後でお前の仲間の女も殺す! お前達、ダグの仇」
「仇ねぇ、そんなものどこにあるってんだ?」
「仇、お前達ダグの仇! ダグを殺した罪、償え!」
「償うもんなんかない」
激昂するマリーンに、ジェイクはピリピリとした空気を纏ったまま、しかし極度に緊張の糸を張っているでもなく、落ち着いた雰囲気で言葉を返す。
「俺は盗賊だ。人を殺したところで罪を背負う気はないし、目的のためなら殺す事を悪行だと
思っていない」
「うるさい、侵略で大きくなった国の人間らしい考え、嫌い!」
「じゃあお前達が今やってるのはなんなんだ? 侵略以外で説明がつくのか?」
「王国、苦しんできた。マリーンの仲間、マリーンと一緒に軍に入った能力者の何人か、国に
殺された。この戦争、そんな帝国への報い」
マリーンはすぐにでも攻撃を再開しようと右手に持った杖を強く握りしめている。
「……結局順番の問題かよ」
血に濡れた剣を浮遊する敵へ向けたまま、ジェイクが鼻で笑って吐き捨てる。
「知り合いを殺した相手は悪で、その相手を殺すのは悪じゃない。やってる事は同じ人殺しで、
単にどっちが先に殺されたかっていう大した事のない違い。先に殺されたから殺し返すって
いう、大義名分を持ったつもりになってるだけだ」
「うるさい」
見えない力が明確な破壊となってジェイクへ向かっていくが、彼はひらりと躱して再びマリーンを見据える。
「生憎俺にとってはそんなつまらない理屈なんてどうでもいい。ま、どっちにしろお前が俺達の邪魔をする気なのは変わらないんだろ?」
「当然、お前達、ダグの仇。お前も……どこかに隠れてるお前の仲間の女も殺す!」
拘束が解けて逃げているのはマリーンもとっくに気づいているらしく、思わずドキッと肝を冷やし、体を委縮させるルチル。
「……俺とアイツは仲間なんてものじゃ、」
一度俯き、何かボソッとジェイクが呟いた気がしたが、ルチルの耳では聞き取れなかった。
「別にいいけどな、仇を取ったところで、お前のお仲間は生き返るのか?」
そして改めて顔を上げ、瞼一つ動かさず、至って冷淡な声でジェイクが尋ねる。
マリーンは返答せず、代わりに口元で歯ぎしりを鳴らした。
「お前のその何でもありな力ならなんとか出来るんじゃないのか? いや、出来ないから仇だ
とかにこだわってんのか」
「うるさい! 喋るな!」
ジェイクの左右から、燃え滾る炎が悪魔の手のような悍ましさを伴って襲いかかる。
全方位を覆い退路を封じ込めるように迫ってくるそれを、ジェイクは面倒くさそうに舌打ちしつつ、ギリギリで逃げるべき安全な方向を見極めて回避する。
「知った人間が死ぬのは辛いんだろうよ、そのむしゃくしゃした感情を晴らすために別の人間
を殺したいんだろ、お前は」
「うるさいうるさいうるさい! 雑魚のくせに無能のくせに帝国の人間のくせにダグを殺した
くせに殺したくせに殺したくせにぃぃぃ!」
興奮し切っていたマリーンの顔がさらに真っ赤に染まっていき、冷静さがどんどん失われていくのが目に見える。
「……俺は自分を偉そうに自慢出来る人間じゃないが、お前が俺を殺そうとする理由よりは、
マシな理由で俺はお前を殺すぞ」
それでも、人の常識を超えた脅威の力を持ち主を前に、ジェイクは戦意を失うどころかむしろ殺意を色濃くし、その敵に対し一歩も退く事はしない。
「雑魚が、生意気に!」
「なぜか教えてやる。俺がお前とお前の仲間を殺そうとしているのは、殺す事で俺に見返りが
あるからだ。正確には俺が協力している奴にな」
協力している奴が誰を指しているのか言うまでもない。
村の皆を助けたいという我儘のために、ウイナを傷つけ彼女の仲間を何人も殺した強大な敵と戦おうとする意志を遠まわしに示され、嬉しさと頼もしさにルチルの胸が高鳴る。
「お前の殺しにはそれがない、恨みをぶつけてるだけだ」
「うるさい……!」
少しだけ、マリーンの声の音程が下がる。
それは噴火直前、中に溜まりきった熱い溶岩が噴き出る前に一度火口部分が沈降するかのような、今にも爆発しそうな緊張感を秘めた声。
ジェイクは彼女の精神の不安定さを感知したのか、ニヤリと意地悪げに表情を崩し、履いているズボンのポケットに手を突っ込む。
「かわいそうだから返してやるよ、お前の仲間の忘れ形見だ」
意味深げな言い回しをしながら、ポケットから取り出した何かを人間三人分高い位置で浮かぶ敵の少女へと放り投げる。
マリーンは手ではなく、見えない力を使ってそれを眼前で停止させ、ジェイクの言う『仲間の忘れ形見』とやらを確認する。
「ひっ、」
それは丸くてぬめりとして、弾力があって妙にしこりのある、人の目玉のような。
「ひやあああああああああ!?」
聞く者の鼓膜を引き裂かんばかりの悲鳴は驚愕したというよりも、ジェイクの言葉の意味が分かった事から来る恐怖と悪寒による感情の爆発であった。
「な、何……」
マリーンが払いのけるように投げ飛ばしたものを目で追って確認したルチルは、押し殺していた声が漏れてしまいそうになる衝撃に見舞われる。
距離があってはっきりとは見えないが、それは紛れもない人の眼球だった。
(え、ちょっと待って、あれがあのマリーンとかいう女の仲間の忘れ形見って、え……?)
ジェイクとマリーンの会話から得た情報を繋ぎ合わせると、自ずとあの目玉が誰のものなのかは言うまでもない、ジェイクが殺したダグという名の王国軍兵士のものだろう。
ルチルが全身の毛が逆立つ気持ち悪さを感じたのは、ジェイクがどうやってそれを手に入れようとしたのかが容易に想像出来たからだ。
彼がそんな事をしていたのを見てはいない、ルチルが気づかないうちにダグの目を取っていたのだろうが、なぜ彼がそんな行為をしていたのか。
『標的』の人間と対峙した時にこうして動揺させるつもりで準備していたのかもしれない、ジェイクの行動の底の見えなさに戦慄するルチル。
だが彼のその異常な行動によって得られた効果は抜群だったらしい。
「うああああああああああ! 死ね! 死ね! この、よくもおおお!」
完全に取り乱したマリーンは、杖を左右に乱暴に振るって己の能力を惜しみなく行使する。
「チィッ!」
竜巻のように洞窟の中の大気がうねり、彼女の周囲の岩が木端微塵に砕け散る。何もない虚空から炎が氷が雷が凶器となってジェイクに襲いかかる。
法のない世界で盗賊として生活し培ってきた彼の反射と俊敏性を持ってしても、絶え間ない異能による攻撃の波を回避するのは至難の業だ。直撃を避けても余波が彼の体を掠めてじわじわと余裕を削り取っていく。
「うわっ!」
飛び交う電撃の一部が近くの地面を弾き飛ばし、ルチルは腰を抜かしてしまう。
「そうだ、ウイナは……!?」
怪我を負ったウイナは自由に動けなかった筈、暴走するマリーンの攻撃の餌食になってしまわないだろうか。
見回してみると、這いつくばってルチルと同じように出っ張った岩の陰まで隠れようと移動していた。だが彼女の渋面と彼女が通った地面が流れ出した血で濡れているのからも分かるように、彼女は相当無理をしている。
手助けしなければ、とルチルは見つかってしまう恐怖に身を竦ませながらも、意を決して腰を落とし岩に身を隠すようにして移動していく。
幸いマリーンの意識は完全にジェイクへと向けられていて、なんとかウイナの近くまで迫る事が出来た。
「ウイナ、だいじょう……」
声をかけようとして、ルチルはほぼ無意識に喉が発しようとした言葉を止めてしまっていた。
自分はウイナに嘘をついていた、本来友達という対等な関係になれはしなかったのに、素性を偽って対等であるように振る舞っていた。
それを知られてしまったウイナに近づくのは、針のむしろに飛び込んでいくような、批判という棘を自ら受けようとしている気がして、足が竦む。
(いや、そんな事言ってる場合じゃない……!)
だからって傷つくウイナがマリーンに殺されるのを見たくはない、体に纏わりついた重ったるい感情を振り切って、ウイナの方を見る。
「大丈夫!? ウイナ!」
「ん……はは、正直キツイッス……」
体のあちこちを血で濡らし蹲るウイナの姿は痛々しく、背筋をゾッとした寒気が走り抜ける。
一先ず少しでも戦いの渦中から逃れるべく、ウイナを担ぎ上げようとするが、鎧の予想以上の重さにルチルの体の方がつられて倒れそうになる。
「うろうろ、邪魔!」
もたもたするルチルに、ジェイクに向けていた攻撃の矛先がルチル達へと変える。
「まずっ……!」
非力な体に鞭打って、筋肉に無理に力を入れ腰を上げて倒れ込むようにその場を離れ、触れれば肌が一瞬で焦げ上がるであろう炎の接近から自身とウイナの身を紙一重で守る。
このまま逃げよう、そう思った矢先、
「うぶっ!?」
かと思うと腹にドスンというハンマーで殴られたような強烈な衝撃が襲いかかり、担いでいたウイナもろとも地面に背中から叩きつけられる。倒れた拍子に罠の餌食にならなかったのは単に運が良かったからだろう。
内臓に広がる激痛が猛烈な嗚咽感へと変化して、肺に溜まっていた空気が根こそぎ口から漏れ出していく。
「いっ……~~!」
続いて頭皮に走る別の痛み、それは先程まで浮かんでいた人間三人分の高さの空中からルチルの真横に移動していたマリーンが、見えない能力で作られた手の平でルチルの小さな頭を鷲掴みに、ギリギリと締め上げているものだと遅れて気づく。
「ダグ、良い人だった。ルークの次に、強い人。真面目で、仕事に文句言わない、悪口言わな
い、ちゃんとした軍人! お前みたいな盗賊なんかにやられるべき人じゃない!」
「知るかよ」
罠の密集地帯の外に立つジェイクは、無闇に飛び込んで罠の餌食になるのを躊躇っていた。
(……助けてもらおうとしちゃ、ダメ……!)
連れ去られた先まで駆けつけてもらって、解放の機会のきっかけを作ってもらえただけでも奇跡と言っていい。これ以上彼に命を張って自分を助けてもらう事を当たり前のように求めたくはない。
必死に手足をばたつかせて抵抗の意思を示すも、マリーンはそんな事気にもせず、ひたすらルチルの頭を潰そうとし続けている。
「ダグ、死んじゃいけない人! お前達みたいな帝国なんかの人間と、全然違う!」
「何がどう違うんだ? 言ってみろよ」
「ダグ、力がある。帝国の人間、皆無能。無能の奴等、刃向かう権利ない! こいつやお前み
たいな身勝手な奴のせいで、ダグ死んだ! 滅ぼされる国の人間のくせに!」
頭蓋が軋む音が肌を粟立たせ、圧力が均等に頭を押し潰そうとする痛みに意識が眩むが、マリーンの声ははっきりと聞き取れてしまった。
「お前、こいつの協力者。こんな何もできなくて、力もなくて、逃げる事しか出来ないくせに
生意気な目的のために他人を巻き込む! こんなののせいで、ダグ、死んだ! 割に合わな
い、こんなぁああ!」
勝手な目的を叶えようとして、誰かを巻き込み、死なせてしまった。それはウイナの仲間達の事でもあるし、敵の『標的』の一人の事でもある。
ルチルが村の皆を見捨て、父の残した金を使ってひっそりと暮らす事を選んでいれば生まれなかった犠牲。それが仲間の人間だった事に、マリーンは憤慨しているのだ。
そしてその憤慨は、傍で倒れて痛みに体を震わせるウイナも抱いているに違いない。ルチルと関わらなければ、こうしてマリーンのルチルへの復讐に関わる必要などなかったのだから。
また胸が疼く、罪悪感が心を突き刺し、今にも頭を潰されそうな危機的状況にも関わらず、心の苦しみの方が強く感じられた。
「そんなもんだろ、人間の生き死になんてよ」
だが、ルチルの罪悪感を嘲笑うかのように、ジェイクは素っ気なくそんな言葉を口にする。
「人が死ぬのは自分のせいか、運が悪いせいか、人のせいだ。んでこの世の中で圧倒的に多い
のは人のせいだ。だってそうだろ、自分の行動の影響がどれだけ他人に及ぶか分かる範囲な
んてたかが知れてる。分かるのは、自分にどんな利害をもたらすか程度だ」
「黙れ!」
「だからお前の言う理屈は意味がない。人は自分を第一に考えるのが一番のやる気になる。だ
からそいつのせいでお前の仲間が死んでも、何のおかしいところもない」
「そんなの、おかしい!」
ぐにゃりとマリーンの前面の空間が歪み破壊力という脅威となって、罠の密集地帯の一歩外に立つジェイクを飲み込まんと迫りくる。
「マリーンの仲間、死んじゃいけない! お前達、死ぬべき! 身の程知らず!」
「……チッ」
ジェイクは最初は後退して避けようとしたようだったが、背後は出張った岩によって空間が狭くなっており、鋭い眼光を一層険しくしたかと思うと、斜め前に飛び込む事を選んだ。
しかしそれは彼もまたマリーンの仕掛けた罠の地帯に足を踏み入れた事になる。
そして運悪く一歩目で罠の一部が発動し、火種などなかった彼の足元がみるみるうちに火を灯し燃え広がっていく。
「こいつ、助けるつもりなら、お前、間違ってる。こいつに助ける価値、ない!」
「……っ!」
マリーンの言葉にジェイクは答えず、罠である火の海を飛び越える。
すると次は彼の頭上がピカリと光って轟音が響き出した。危険を察知しすぐに飛び退き落ちてきた雷を回避するも、続けざまに左右から氷の杭が彼を襲う。
機転の良さからすぐに攻撃の方向や性質を把握して回避出来るジェイクだが、いかんせん動けば動く程罠が発動するため、避けるたびに新たな脅威が生み出されてしまう。
それでもジェイクは留まる事も罠がある範囲から出る事もせず、マリーンめがけて足を動かしてくる。
走る度に彼の上下左右から殺意が襲いかかり、その苛烈さに彼も全てを回避しきれていない。氷の杭が左腕を掠め、風の刃が右肩に傷を作り、雷の余波がジェイクの行く手を阻む。
やがて足が止まり、罠に囲まれる中で立ち往生してしまうジェイク。
「ジェイク……うぅ……!」
ルチルに彼の身を案じている余裕はない、自分の頭が確実に潰されようとしている音と激痛に顔が歪み、まともに物事を考えられない。
「無様、いい気味! いくら強がっても、考えても、お前、マリーンに勝てない!」
追い打ちとばかりに、マリーンは人の頭の数倍はある火球を作り出し、迷いなく撃ち放つ。
「こっの……、なんでもありかよ!」
飛び退いて距離を取るジェイクだが、火球は彼に近づいたところで耳をつんざく大音量と共に爆発四散し、逃げる彼を追うように多数の火花が飛び散っていく。
「ぐっ……!」
ジェイクは剣で降りかかる火の粉を払うも、爆発の衝撃で地面の上に倒れ込んでしまう。
地面の上に倒れていたのなら、何らかの罠が発動してあえなくその餌食になっていたかもしれないが、たまたま骸となって動かなくなったウイナの仲間のロバーツの死体の上に倒れたため、それは免れた。
(ダメ、このままじゃ……)
どれだけ人殺しに慣れたジェイクでも、マリーンの超常的能力を正面にしては分が悪すぎる。
協力者として、村の外で自分の我儘に付き合ってくれる人間を見殺しにしたくない。
だがそんな彼女の思いに反するように、少し前にジェイクが口にした言葉が脳裏を過ぎる。
(仲間じゃないって、言ってたよね?)
この場に現れた時、彼はルチルの事を仲間ではないと言い放った。
彼はルチルを拘束から解放する手助けをし、『標的』であるマリーンと今もこうして対峙している。それは村人の徴兵を解除させるために敵である『標的』を討つというルチルの目的に協力する関係が今も続いている証拠になるだろう。
だとすると余計にあの言葉の意味が気にかかった。
協力者ではあるが、仲間ではない。
(……いや、だからなんだっていうのよ!)
彼の言葉が本音だったとしても、彼が命を賭して自分を助けようとしているのは事実だ。
生き延びたい、そしてジェイクの身を挺した行動を無駄にしたくない。
ただもがくだけでは意味がない、ルチルは視界の端でマリーンの姿を目視し、思考する。
内に秘めた、この短い時間で何人もの人間を傷つき殺した恐ろしい能力は健在だが、彼女の体自体は決して戦場で戦う兵士のように屈強なものではなく、強い風が吹けば飛ばされてしまいそうなくらい小さく細い。
ルチルへの攻撃はやめないが、意識は完全にジェイクの方へと向いている。ルチルを脅威とは感じていないのだろう。
(……っ!)
とにかく現状を打破しなければ、そのために出来る事を尽くさなければ。
ジェイクのような力がないからこそ、ジェイクのように目的のために貪欲に行動しなければ。
痛みから逃れるために行動せよという信号を抑えながら、それよりも自分がすべき行動を取るため、潰されかけて乱れる精神で熟考する。
(この女を止めるには……まず変な力を止めないと……)
マリーンは複数の能力を同時に、それぞれ違う相手に向けて使用出来る。見えない力でルチルを拘束しつつ、洞窟の地面に大量の罠を能力を使って仕掛け、尚且つ現れたウイナと仲間の兵士達を超常現象によって殺傷した事が何よりの証拠である。
今この状態から、さらにもう一つ新たに能力を使って何らかの攻撃を仕掛けてくる可能性は十分に考えられ、抵抗の意思を漲らせたばかりの体が委縮する。
少しでも変な動きを魅せれば、こうしてジェイクに見せつけるように殺すのを勿体ぶるマリーンの奢りが一気に消え、すぐにルチルの息の根を止めようとしてくるのではないか、そんな恐怖が首筋を震え上がらせる。
「チッ、どっからこんだけの攻撃が湧いて出てくんだよ」
ジェイクは足を踏み出そうとするが、触れるだけでも大被害は免れない攻撃の嵐が前進を許さず、その場に釘づけになってしまう。
「お前、殺す! ダグを殺した奴、そいつと関係ある奴、皆殺す! それでもダグの命に、足りない!」
多種多様な連撃に足止めを食らうジェイクに、マリーンは抑揚のない中に勝ち誇った色を織り交ぜた声で、殺意を明確に示す。
「……!」
関係ある者皆を殺す、マリーンが口にした言葉に、恐怖と焦りに埋め尽くされていたルチルの頭の中が、その刹那だけ風が吹き抜けた後のように何もない真っ新になった。
視線を目まぐるしく動かしてから、不思議と硬さの抜けた体の芯にありったけの力を注ぎこむ。
攣りそうになるくらいまで筋肉を張った四肢のうち、右腕をぐいっと動かしたルチルの指先の方向には、手負いの状態で膝をついたまま動けないウイナがいた。
ルチルが精いっぱい腕を伸ばして触れられるかどうかという微妙な位置にいる彼女は、まだその右手に折れた剣を握ったままだ。剣を握る力の強さを確認するだけでも、彼女がまだ生還を諦めていないのが分かる。
一度、ウイナの視線が重なる。
そしてルチルが右手の指を針のようにピンとさせて伸ばすと、ウイナも呼応するように右手に持った剣を、柄の部分をルチルの方へ向けて近づけてくる。
(ごめんウイナ、無理させちゃって……!)
両者無言かつ精一杯の素早い行動は、自分達の命が風前の灯火であるのを悟っているから。
そうして、ルチルの指先がウイナの剣の柄にちょこんと当たり、次いで五本の指の先端でかろうじて柄を引っ張り手のひらの中に収める。
「お前、いくら頑張っても、皆殺す! お前のその無駄な抵抗、しなくてもいいようにする、
先にこいつ、殺して!」
怒りに満ちていたマリーンの幼い顔立ちに、憎き敵を殺してやろうとする愉悦が滲み出る。
マリーンはジェイクと戦闘しているつもりはないのだろう。人が害虫を追い回して足で踏みつぶすような、自らが傷つけられる訳がないという事実の上に成り立つ一方的な蹂躙としか捉えていない。
だから対等な戦いの中ではありえない余裕さや無駄な言動があり、すぐにでも殺してしまえるルチルやウイナにもまだトドメを刺さないでいるのだ。
「チッ、くそ……!」
その隙を突きたいであろうジェイクは、苦渋の面持ちで剣を構え直し、こちらを見据える。
それと殆ど同じくらいの時だっただろうか、
「……んのぉおっ!」
ルチルが小枝の如きこじんまりとした右腕をしならせて、回転するように勢いをつけてマリーンの顔面への抵抗に打って出たのは。
ゴツンと、鈍く低い音がした。
ルチルの右手はマリーンの眼前で空を切り、その手が掴んだウイナの刃の折れた剣が彼女の額あたりにぶつかった音だった。
切ったというより、殴るような感じで、マリーンの右瞼の上に小さい切り傷が出来ていた。
そこからたらりと、ごく少量の血液が流れだし、彼女の右瞼から眼の周りを汚す。
「は? ……」
直前までジェイクに向けていた敵意殺意その他もろもろの苛烈な感情がマリーンの顔から消え去っていた。
それからぐいっと首をルチルの方へ向ける。
「ひっ……!」
その彼女の両目は穴が開いているのではないかというくらい空虚で冷めた灰色をしていて、その人ならざる気味の悪さに怯むルチル。
「痛い、痛い……痛い!」
「がっ、ああああああああ!?」
そしてぶり返すマリーンの殺意が、そのままルチルの頭を締め付ける力に変換される。
頭全体から何かが一気に崩壊へ向かっているおぞましい音が鳴り、全身から一気に力が奪われていく。意を決して振るったウイナの剣もその拍子にあっさり地面に落としてしまった。
「ルチル!」
ウイナが名を呼ぶが、聞こえない。
自分の口と脳からの悲鳴で錯乱状態に陥り、それに抗おうとする意思すら浮かんで来ない。
「お前、お前! 殺す殺す殺す殺す殺す! 生意気! 誰よりも先に殺して、体がなくなるま
で殺して、全部殺すうううううううううう!」
蹂躙相手に抵抗された怒りは不純物のない殺気に満ち、ルチルを殺す事に迷いがない。
「うぅぅぅ……ぁ!」
何か、頭を形作るものの一部に異変が生じた気がしたが、分からない。分からないしどうしようもない。
どうせこのまま頭そのものが潰されてしまうのだからと、無駄な足掻きが出来ただけでも十分だったのだと、遠のく意識の中でルチルが自己完結した時。
「余所見すんな」
遠くで声がした。
続くように、ルチルの顔の横を風が吹き抜け、大気を何かが貫く鋭い音が鳴る。
「っ!」
その音の正体である、細長く尖った物体は、ルチルの頭を力で握りつぶそうとしていたマリーンの、咄嗟に庇って出した左腕へと突き刺さっていた。
「ぐぅぅ! ……ダグを刺した、木の矢!」
「ハッ、そんなしょうもない事まで分かるのか」
「うるさい……このぉ!」
またしても攻撃の矛先を変えたマリーン、杖を薙いで様々な超常的攻撃をジェイクへ放つ。
それと同時に、ルチルの頭部に干渉し続けていた不可視の圧力が消え去り、解放されたルチルの体が地面へ落ちる。
「いっ! ……ここにきて、やめた……?」
頭が砕け散る末路を避けられて安堵しながら、ルチルはマリーンがまた自分を殺すのを途中でやめた事に疑問符を浮かべる。
ジェイクを攻撃する事に力を使うとはいえ、同時に複数の能力を使える以上、ルチルを殺す事と並行してジェイクに攻撃する事も出来るのではないか。
なのにわざわざそれをやめた。ルチルに反撃された怒りによる衝動的な攻撃だったとはいえ、これ以上に殺すのを勿体ぶるものなのだろうか。
「無能の分際で、いつまでも、いつまでも! 跡形もなく潰す!」
ブチ切れて血管を目に浮かび上がらせたマリーンが、憤怒に震える叫びを上げながら右手の杖を高く掲げる。
すると、見る者の目を焼きつかせるような黒々しい強光が彼女の頭上に生み出され、先程以上に大きい火球が形成される。
洞窟内の空気を全て取り込んだかのように、近くにいるだけで肌が熱く呼吸するのが苦しく感じる程の、マリーンの殺意の権化と呼ぶべきものが、ジェイクめがけて放たれる。
「ジェイク……!」
マリーンの意識がルチルに向いているうちに距離を詰めていたジェイクだが、それでも遠距離攻撃の火球より早くマリーンの懐に飛び込む事は出来なさそうな、微妙に遠い距離が彼とマリーンとの間にある。
「そのまま燃えて!」
嘆願ともとれるマリーンの叫びを乗せた灼熱の一撃は人が走る速度よりも数倍速く、あっという間にジェイクに肉薄する。
「うおっ!」
彼が剣を構え防御体勢を取った頃には既に火球は勢いよく全方向への拡散を始めていた。
衝撃波を伴う程の爆発が起きた洞窟の中に、閃光と熱の嵐が発生する。
「うっ……!」
急激に加熱された大気が喉に吸い込まれ、その熱さと息の出来ない苦しさに悶絶してしまいそうになるルチル。
離れていてここまで辛いのなら、剣を挟んだとはいえほぼ直撃のジェイクはもっと厳しい状況に違いない。
しばらくの間空中に残った飛び散る炎の光が消えた向こう側に見えた彼は、予想通り炎の余波を受けて服の至る所が焦げ、髪は縮れて肌も煤けているのが見える。
もう一度同じ攻撃を食らえば間違いなく、彼は焼け死ぬ。
万事休すかとルチルは歯を食いしばったが、直後に彼の姿に違和感を覚える。
「燃えてる……?」
それはジェイク自身や、彼の衣服に関してではない。
彼の右手に握られた、帝国兵仕様の長剣、その平たい刃もまた紅蓮の炎に染まっていた。
そしてその炎の刃の向こうに見える彼の目の光は攻撃の苛烈さに苦しんだものではなく、
「なに、それ……!」
マリーンの怒りを逆撫でしてしまうくらいに強い闘志を灯した、力強いものであった。
ジェイクは中腰の状態でマリーンに狙いを定めるように見据えた後、意を決するように駆け出し接近していく。
「悪あがき、するな!」
激昂するマリーンが雷を放ち迎撃するも狙いは荒く、的外れな攻撃はジェイクの進みを止めるには及ばない。
「っ」
飛び上がるように躍動するジェイクはそのままマリーンに近づきつつ、右手の炎剣を素早く縦に振り払った。
刃がマリーンに届く距離ではなかったが、しかしジェイクの動きに迷いはなかった。
振り下ろされた剣、その刃についていた炎の一部がジェイクの前方に飛び散った。
その飛び火はまるで払われた液体のように勢いよく宙を駆け抜け、ジェイクと向かい合った位置にいるマリーンに降りかかる。
「うわあ! この、あっつい、熱い熱いぃぃぃ!」
飛び火が当たって小さいながらも火が前髪に燃え移り、それを手で叩いて払おうと後ずさりしながら躍起になるマリーン。
火は弱く、すぐに消えたが、ジェイクがマリーンの懐に飛び込むには十分の隙が生まれていた。
熱の伴った両刃は弧を描いて空間を真横に断ち、回避の遅れたマリーンの胸元のローブを横一文字に切り裂いた。
「なっ……!」
彼女が反撃しようと動かした杖を、ジェイクはすかさず剣を切り返して弾き飛ばす。
その頃には刃に付着していた炎は殆ど消えており、物が燃えた後の独特の焦げた匂いがルチルの鼻をつく。
(油……?)
見渡せば、ウイナの仲間であった息絶えたロバーツという男の死体のすぐ近くに割れたランプが転がっている。
割れて中の油が流れ出しているのを見ると、おそらくジェイクの剣の炎の源はあれだろう。
マリーンの不意を打つというジェイクの狙いは見事に成功し、彼女は焦げた前髪と切れて血を垂らす右瞼を手で押さえて歯を食いしばっている。
本来は木製の杖が握られている筈の右手で。
「杖がなけりゃ何も出来ないか?」
「っ、そんな事、ある訳、ない!」
右手を動かし、反撃のために紅蓮の炎を生み出してジェイクへ向けて噴射させるマリーン。
しかし十歩程ぐらいしか離れていない至近距離で対峙しているというにも拘わらず、炎の行き先はジェイクから大きく逸れ、遥か上の天井に向かって伸びていく。
それを一瞥した後、ジェイクは嘲るような笑いを漏らして、
「やっぱお前、不安定だな」
彼の口から飛び出した短い言葉に、激情に彩られていたマリーンの顔が、瞬間的に目を丸くし口を開けた素っ頓狂なものへと変化した。
今までの彼女の怒りは戦力的にジェイクより優位に立っているという優越感から来るものであったが、その優劣の差がこの時点で無くなっていた事を示すような、そんな絶望感の見え隠れする表情だった。
「同時に複数の能力を使えるのは厄介だが、その分制御するのが難しくなる。違うか?」
「そんな……訳……!」
ない、と言いたそうにしながらも、マリーンの口はそれ以上動かず小刻みに震えている。
「煽れば煽るだけお前の作る超常現象は強くなる分大味になっていた。そこのガキ一人殺す事
すら、俺の煽りが気になって出来なかったんだろ?」
ジェイクの言葉に、ルチルの胸の奥につっかえていた疑問がスッと抜け落ちる。
ルチルを壁に拘束していた力が不意に消失した時、ルチルを殺す寸前まで追い込みながら急に中断した時、どちらもマリーンがジェイクの言動によって取り乱していた。
「確かにお前も、俺が殺したダグって奴も、持ってる能力は普通の人間に比べればすごいもの
だったんだろう。それを使って帝国軍を潰して侵攻してきたんだからな」
「っ……!」
「けどな、それは能力がすごいんであって、お前等能力者が優れている訳じゃない。名剣は使
い手を選ぶって言葉、聞いた事ないか?」
能力は圧倒的な威力を持っていても、当てる実力がなければ意味がない、そう侮辱されたマリーンの顔は真っ赤に染まり、そこには羞恥に近いものが現れている。
「能力者も所詮ただの人間だ。使う武器が剣か超常現象かの違いだけで、心身まで無能の人間
より優れている訳じゃない。奢り、慢心してるから、俺みたいな盗賊一人に掻き回される」
「黙れ……!」
「お前が蔑んだそこの農奴にさえ攻撃を食らっておいて、自分は優れていると言えるか?」
ジェイクの言葉に両手をわなわなと震わせ歯ぎしりの音を響かせるたマリーンは、今の内に少しでも逃げようとウイナを担ごうとしていたルチルの方へ視線を向けた。
殺気は相変わらずだが、その濃さには揺るぎがあり、陰りがある。
そんな視線を受けたルチルは、その時悟った。
ウイナの折れた剣でマリーンの額に傷を作った事、あの行動が無駄ではなく、彼女に一矢報う事が出来、この形勢逆転の状況を生み出したという事実を。
「杖がないなら、反撃も出来ないか?」
「……く!」
今のマリーンは杖を持たず、ルチルやジェイクによる反撃に面を食らって疲労しきっている。大した深さではないもののジェイクによって胸元を横に切り裂かれた影響は強いらしく、ローブの破れた部分を左手で押さえて前のめりになり、力の無い立ち姿になっていた。
「こ……の!」
つい先ほどまでの優位を取り戻すべく、マリーンは彼女が能力を使うのに必要らしい杖の在処を探し、そこへ能力を使ってふわりと浮遊して向かっていく。
杖が落ちていた場所が、彼女自身が仕掛けた無数の罠のど真ん中だという事に気づいたのは、既に杖の傍まで降り立った後だったらしい。
「キャ!?」
足を地面に下ろしたマリーンに、虚空から出現した氷の杭が横合いから襲いかかる。
体を捻ってギリギリ避けたものの、足取りはおぼつかずよろよろと杖から離れるように千鳥足になってしまう。
「待っ……こっちは……!」
自分がどこにどんな罠を仕掛けていたのか思い出したのだろう、だが今まで能力によって宙に浮き、戦場を上から見下ろし自分では動いていなかった彼女の体は、急にその場に停止するという単純な行動すらすぐには出来ないらしい。
倒れないよう体勢を保つ間に何度も罠を発動させ、火炎の嵐や駆け抜ける雷、不可視の破壊の力の連続に彼女は咄嗟に生み出す自らの力による防壁で、自らの力による脅威を防ぐ事で精一杯になっている。
「罠を解除すればいいんじゃないのか?」
「……!」
ジェイクの挑発に顔をしかめた後、自らの能力による攻撃ですっかり着ているローブがボロボロになり体中傷らだけのマリーンは、やがて意を決したように両目を力いっぱい閉じる。
すると今にも彼女の身に迫ろうとしていた熱波や風で作られた刃がパッと霧散し、幻だったのかというくらいに呆気なく消え去った。
ボロボロの体で杖を強く握りしめたマリーンは、湿っていた眼に再び殺気を灯らせルチル達の方を振り向いたが、
「敵の言葉に素直に従ってくれるとはな」
ジェイクがそう呟いた時、ドスンと硬く厚い物体を何かが貫く鈍い音が響いた。
「あ……」
マリーンが視線を落とすと、その音の正体はジェイクの投擲した剣が自らの胸に深く突き刺さっていた事だと気づいたらしい。
「さっきは防げた攻撃だぞ」
「あ……く……嫌……!」
何か言おうとしたマリーンの口から血の塊が飛び出し、両膝をついてから彼女の体はうつ伏せに倒れ込んだ。
それきり彼女は動かなくなり、体面に血溜りを作るだけの死体に成り果ててしまったようだ。
あれだけ苛烈に他人を攻撃し、あれだけ感情を爆発させていた人間らしくない、唐突かつ静かな最期だと、ルチルは見つめながら思った。
「呆けてないで、とっとと逃げる準備をしろ」
「うわっ!? ジェイク……!」
マリーンの死に様を見ていたルチルは、その死体から剣を引き抜いて戻ってきたジェイクの声に気づかず、驚いて数歩後ずさってしまう。
「あ、あの女……死んだの?」
「煽ればすぐ刃向かってきた奴だ、死んだふりをしてるとは思えん」
「っ、そう……」
さも平然とした口調で話しかけてくるが、一方のルチルは声を震わさずにはいられなかった。
助けにきてくれた事への感謝や命の危険に晒してしまった事への謝罪など、彼に対する色んな気持ちが心底から溢れ出て、終始落ち着く事が出来なかったのだ。
「逃げるぞ」
「あ、うん」
促され、衰弱激しいウイナを担ぎ直そうとするルチル。
「待て」
だが、すぐにそれをジェイクが遮った。
そして何も言わず、マリーンの血で赤く染まった剣の刃を、ウイナの首元辺りへ突き付けた。
「ちょっ……何してるの!?」
あまりに予想外の行動に、ルチルは割って入るようにジェイクと向き合ってウイナを庇う。
「知られたんだろ? お前の素性」
「え……」
言われて思い出す。ルチルが実は農奴で、同じ村の仲間を助けるために徴兵を無視して盗賊であり処刑される筈だったジェイクと協力していた事が、マリーンの出鱈目な超常能力によって知られてしまった事を。
「そいつを殺せば、ここであった出来事を知るのは俺とお前だけになる。罪人が近くにいる事
を知られればあのグード隊の連中は捜索すると共に、その情報をチサーラの拠点で報告する
だろう。悪いが俺は今後の憂いは断っておきたいんでな」
「ま、待って、待って待って! 別にそこまでしなくても……ウイナの部隊だって、そんな事
する暇、ないと思うし……」
「根拠なしに言葉を並べるな。俺が盗賊で処刑台に架けられる人間だと知って放っておく奴なんかいない。お前だって、自分の住んでる村の近くに人を食う獣が潜んでいると知れば、それを放っておいて構わないとは思えんだろ?」
「それは……でも、ジェイクの正体までバレたかどうかは分からないんじゃ……」
「いや、気づかれているだろう。大体、俺とお前は一緒に行動していたんだから、お前の協力
者が誰なのかぐらい、想像つくだろ」
返す言葉もなく視線を泳がせていると、ウイナが痛みに耐えるように唸った後、背後から声をかけてきた。
「……はは、あの浮遊女に見せられた通りの関係みたいッスね。お二人さん」
「ウイナ……」
「思ってたより行動力あるじゃないッスか……同じ田舎者としては誇らしいッスけど、ここで
見逃すと死んだロバーツさん達に、申し訳が立たないッスから……ね!」
血で顔や体の汚れたウイナは、しかしまだ心が折れてはいないらしい。自分を狙うジェイクの剣の切っ先から目を逸らさないまま素早くしゃがんで、落ちていた自身の折れた剣を掴む。
「賢い奴だな」
「ルチルの良いお兄さんだと思ってたんスけどねぇ……」
そこで既に、二人の間に敵対心が生まれている事にルチルは気づいた。
「どけ」
左手でルチルを押しのけ、ジェイクがウイナに斬りかかる。
「や、ダメ!」
制止しようとする声より早く剣が突き出される。
「ぐっ……!」
ウイナは持てる力を出して勢い良く後ろ向きに飛び、折れた剣を縦に構えて彼の突きの軌道をなんとか逸らした。
受け身も取れず仰向けに倒れ込んだウイナに、ジェイクは容赦なく二撃目を加えようとする。
「お願い待ってぇ! お願い!」
自分を救ってくれたジェイクが、ウイナを殺す所なんて見たくない、させたくない。
もう枯れそうになっていた喉で甲高い悲鳴を放ち、制止を懇願するルチル。
「っ」
すると一時、ほんの刹那だけ彼の動きが鈍った、気がした。
それは止まったのではなく、本当に少しだけ動きが遅くなっただけで、彼がウイナへの攻撃をやめようとする意思に変化はなかったのだろう。
だがその微小ながらに攻撃が遅れた間に、ウイナは横に転がって回避し、地面に血の跡を作りながら中腰になる。
「チ……!」
ジェイクの殺意は変わらない、だがその時洞窟の外へ続く通路から大勢の人間による足音が聞こえてきた事で、状況に変化が訪れた。
「お前達、無事かあああああああああああ!?」
一度聞けば忘れないダミ声が岩壁にこだまして、ルチル達三人の動きが停止する。
それから鎧と剣で武装した数十人以上の男達がドタドタとやかましい音を立てて姿を現した。
「た、隊長、こっちッス……」
「おぉウイナぁ! 大丈夫かぁ! ん、そこにいるのは、ジェイク君とルチルちゃん達ではな
いか! なぜこんなところにいる!?」
その兵士達の先頭に立つガタイの大きい男、ウイナやその仲間を統べる隊長のグードは、そう質問を投げかけてから洞窟の中に広がる惨劇に気が付いたようだ。
「うおぉぉぉぉロバーツ! ジュリア! クレイグ! スミス! 返事をしろ、おぉぃ!」
マリーンが死んだ事で罠が解除された地面の上に横たわる部下達に駆け寄って体を抱えしばらく叫んだ後、もう彼等が息絶えている事を悟って、込み上げる感情をグッと堪えるように歯を食いしばる。
「一体何が……ジェイク君、なんだその剣はぁぁ!」
血に濡れたウイナ、そして剣を構えて彼女と対峙するジェイクを瞬時に不審と察知したのか、死んだ仲間への嘆きに終始する事なく、すぐさま明確な敵意を向けてきた。
「ジェ、ジェイク……何か、まずくない……?」
いよいよ言い逃れ出来ない状況に陥ってしまったと、ルチルの顔に落胆の色が浮かぶ。
「……安心しろ」
何かを呟いたかと思うと、ジェイクは剣をそっとウイナから遠ざけて、
「えっ? 何……!?」
音もなくルチルの背後に回り込み、左腕を首に回して身動きを封じてきた。
「お前はもうそっち側に戻れ。後は俺がやる」
ジェイクがそう言葉をこぼしてからすぐ、ルチルの後頭部がガツンと強い衝撃に見舞われた。
骨を突き抜ける突然の激痛にルチルは声を上げるのもままならず、頭から地面の上に勢いよく崩れ落ちそうになる。
そこをウイナが満身創痍の体で受け止めてくれた。
「ルチル、大丈夫ッスか?」
「っ……ウイナ」
痛みにじんじんする頭の中で庇ってもらえた事に驚いたルチルの耳元で、ウイナはこう呟く。
「付き合ってあげるッスよ」
一瞬何を言っているのか分からず、ルチルが何も反応出来ないでいるうちに、背後で強く地面を蹴って駆け出していく音がした。
振り返れば、ジェイクがルチルやウイナ達に背を向けて、逃げるように走り出している姿が目に映っていた。
「っ、ジェ……!」
名を叫ぼうとするが、ウイナに肩を寄せ合う風にして口を塞がれる。
「待てぇ! 君には聞きたい事がある、逃げるなぁ!」
グードの喝を合図に、部下の兵達が鎧の揺れるやかましい音を鳴らしながら追いかけるも、ジェイクはあっという間に岩と暗闇に包まれた景色の向こう側へと消えていった。どうやら人一人がギリギリ通れる程度の細い通り道があり、そこを使って逃げて行ったらしい。
ジェイクが見えなくなって、ルチルはやっと彼がこの場から一人で立ち去って逃げようとしている事に気が付いた。
そしてその瞬間、ジェイクが姿を隠すために一時的に逃げたのではなく、ルチルと袂を分かつために立ち去っていったのだと、直感してしまった。
『お前はそっち側に戻れ』
彼が発していた言葉を思い出し、ルチルはその意味を探るために思考を巡らせようとしたが、積み重なった疲労と死の恐怖から解放された安堵感で体から力が抜け、急激な眠気に襲われる。
「ジェイ、ク……」
落ちていく意識の中、遠ざかっていく唯一の協力者である少年の名を口にした。
そうしなければ、姿を失くした彼と共に奔走した短い間の出来事が、幻のように思えてしまう気がしたから。




