第18話 復讐鬼の暴走
「はっ!? ……あ、あれ……?」
目を覚ましたルチルは、すぐさま自分が異常な状況に陥っている事に気が付く。
体の四肢に締め付けるような圧迫を感じ、さらには足が地に着かず宙にぶら下がっている状態だったからだ。
「な、何これ……!」
首を動かして周囲を確認するが、今いる空間は暗闇に包まれていて、手足が何に縛り付けられているのかどうか分からない。
「痛っ……」
ただ見えないまでも彼女の四肢の動きを封じている力は確実に存在している、締め付けられている箇所が熱く、痛みで体内の血液の脈打ちが強まっているのが何よりの証拠だ。
ルチルは、自分が冷たい岩の壁らしきものを背にしているのだけはかろうじて理解出来た。
声の響き方からおそらく閉鎖された空間だと思われるが、どれだけ広いのか、何で囲まれているのか、そして自分の体は地上からどれだけ離れた高さで体を固定されているのかが把握出来ない。それぐらいに視界が効かず、ここには光源がない。
「どうなったんだっけ……あ、確か大きい猫、じゃなくてライオンに襲われて……」
どこかに首根っこを噛まれたまま連れて行かれそうになった、そこから記憶が途切れている。
気絶している間に何があったかは分からないが、少なくともルチルにとって喜ばしい状況でない事は言うまでもない。
「……起きたんだ」
「ひっ!?」
目が頼りにならない状況の中で唐突に傍から聞こえた声に驚き、声を上擦らせるルチル。
直後目の前にパチリと、球状の光が何もないところから出現し、ルチルの目を眩ませた。
眩しさに目がようやく慣れたところで、その光源を挟んだ正面に声の主の姿を確認する。
「何……え、誰?」
鍔の広い帽子とローブが目を引く、全身を紫色に染めたヘンテコな容姿の、ルチルより少し年下らしき少女であった。
その服装もそうだが、それよりもルチルを驚かせたのは、目の前の少女が杖の上に腰をかけており、吊るされるでもなく下から支えられる訳でもなく、にも拘わらずしっかりと宙に浮かんでいるその異様な光景であった。
「あ、あんたもしかして……!」
ヘンテコな見た目と宙に浮かんでいるという超常現象を見せつけられたルチルは、驚いてからこの人物に見覚えがある事を思い出す。
昨日、カーセム城の近くで大勢の帝国兵を焼き殺した敵軍の少年の仲間、言い換えればルチルが村の皆の徴兵を止めるために削ぐべき敵の戦力として追っていた『標的』の一人であると。
分かった途端に全身に寒気が駆け抜け、身動きが取れないままながらも警戒を強める。
「あんた、何よ」
「……みっともない」
問いに対して答えず、真正面から侮蔑を浴びせられムッとするルチル。
「っ、あんたは誰かって聞いてるの!」
「うるさい、帝国の奴隷のくせに」
素っ気なさの奥に見え隠れする感情が敵意という尖ったものだというのはすぐに分かった。
「私に……何の用?」
相手の意図を探るように、相手を刺激しないように、慎重に言葉を選ぶ。
「お前、あそこにいた」
「あそこ?」
ルチルが首を傾げた直後、少女が一瞬にして鼻先が触れ合う距離にまで接近してきていた。
「ダグが死んだとこ」
「……っ!」
聞こえづらかったものの、それでもはっきりとその言葉は耳に届いた。
声に乗せて、隠そうともしない敵意がルチルに降りかかる。
「ダグって、誰?」
尋ねてはみたが、大方予想はついていた。
セラーラ川を挟んだ渓谷でジェイクが討った敵の兵士、血を浴びて首を切られて息絶えていたのは『標的』の一人である、青と黒の鎧で身を包んだ剣士の男であったのは間違いない。
彼の仲間であろう目の前の少女が口にした人名が、その剣士のものである事はいちいち確認するまでもなかった。
浮遊する紫の少女は氷のように冷たく不変な表情を変えないまま、のろりと何かに引っ張られるように浮かんだままルチルから距離を置いて、
「お前、ダグの近くにいた。サブリナが言ってた、金髪の女、お前の事。お前の頭の中見て、
はっきりした」
「私の……頭?」
その時、洞窟内部に数人によるカツカツとした足音が響いて、漂っていた静寂を破った。
光源が現れた事で、ルチルは自分がいる空間が洞窟の中であるのを視認出来るようになっていた。採鉱か何かで人工的に造られたような広い空間だが人気はなく、おそらく外へ繋がっているであろう通路の入り口が一つ見て取れる。
ルチルが動きを封じられているのは空間の端である岩の壁であり、音がするのはその向かいの距離の離れた位置にある通路の奥からだ。音は徐々に大きくなり、同時に足音の主らしき人物達の声も混じって聞こえてくる。
気のせいか、自分の名前を呼んでいるような……。
(あれ……この声……)
聞き覚えがある、と思った途端、ルチルの体を凍てついた冷気が駆け上がってゾッと肝を縮みあがらせた。
ルチルと面識のある人間は限られている。
その内の殆どは村で生活を共にしていた農奴達だ、次に彼等を助けるために協力してもらっていたジェイクという少年である。
だが今耳に届いている声はどれとも当てはまらない、聞き覚えがあるのは間違いないが、少なくとも村の皆やジェイクではないのはすぐに分かった。
となるとその他でルチルと関わりのある者達が誰なのかは言うまでもない。
「……ウイナ!?」
声の主が通路を抜けて姿を見せたところで、ルチルはほぼ反射的に叫んでいた。
「うっ、眩し……って、もしかしてルチルッスか!?」
現れた人物は、ついさっきそれぞれの目的のために別れたばかりの、全身を鉄の鎧で身に纏い顔の部分のプレートだけを上げた帝国兵士の少女のウイナと、その仲間の男達であった。
「なんでここに!?」
「道を進んでいるとルチルの姿をこの洞窟の近くで見たって仲間が何人もいて、偵察で来たとこなんスけど……ルチルこそなんでここにいるッスか?」
「そ、それは……」
ウイナも彼女の仲間の男達も、ルチルがこの場にいる事に驚きが隠せない様子だ。
(私が……この洞窟にって、どういう事?)
ウイナ達と別れた後、ルチルとジェイクは来た道を引き返したものの、ウイナ達が通っていた道を進んではいない。
なのに、ルチル達が進んでいない方の道でウイナ達がルチルを見たとはどういう事なのか、ウイナがここにいる事からこの洞窟がチサーラ丘陵へと続く道に近い位置にあるのは想像がつくが、なぜそんな現状になっているのか意味が分からない。
「てか、何スかその、浮いてる人は」
ウイナ達も浮遊する少女に気づき、奇怪なものを見る目をしながら手にした剣を構える。
対して当の少女、『標的』の一人である人物は眼下のウイナ達を一瞥した後、
「ほい」
見えない床に降りるように、杖から腰を離し足場のない空中に体を制止させて、乗っていたそれを振るってルチルの額を強めに小突いてきた。
「わっ!?」
バチバチと火花が視界を埋め尽くし真っ白に染まったかと思うと、頭から得体の知れない何かが抜け出したような錯覚をルチルが襲った。
それが何かは分からないが、脳みその中に詰まったものが皮膚をすり抜けて出ていったような、経験した事のない気持ちの悪さに身の毛がよだつ。
くらりと揺らぐ意識を正すと、今度は遠くのウイナ達が奇妙な反応をしているのに気づく。
「うっ……いたっ、なんスか!?」
僅かにたじろいだ後、頭を抱えるウイナと仲間の兵士達。
「何をしたの、あんた!」
「見せた。あんたについての事を」
漠然とした浮遊少女の言葉の意味が分からず困惑するルチルは、代わりにウイナが発した次の言葉でそれを徐々に理解する事となる。
「……これは、ルチルッスか? いやでもこれは……っ」
途切れ途切れに声を発しながら、ウイナは頭を抱えて訝しげな表情を浮かべている。他の仲間達も同じく、何かに動揺して落ち着きなく顔を見合わせている。
「お前、嘘つき」
顔の半面だけをルチルの方へ向けて、浮遊少女が淡白に言い放った。
「な、何がよ」
「お前の全部」
浮遊少女の目にふざけている色はない。汚らわしい生き物でも見るような拒絶の意思を込めた彼女の視線は、ひたすら一つの感情に満たされたある意味純粋なものだった。
見せた、嘘つき、ルチルの全部、浮遊少女が口走った文言から、彼女がウイナ達にした『何か』を連想出来る事柄を頭の中で考え、繋ぎ合わせていく。
(あれ、ちょっと待って、もしかして……)
いやまさか、と導き出された予想は普段なら笑って呆れるような非常識なものであったが、目の前にいる少女が自分の常識が通用しない能力の持ち主であるのを思い出し、自分の予想が現実味を持つ可能性が出たと気づいた瞬間、体中から玉のような冷たい汗が浮き出てきた。
「名前、ルチル。年齢、十六。職業、農奴」
そしてそれが当たっていたと示すように、浮遊少女が極めて起伏の少ない声を発する。
「っ、何を……!」
「農奴同士の間に生まれた娘、兄弟姉妹無し、五歳から農作業の手伝いを始める、村は総勢で
百人に達しない農奴用に作られたもの、村の住民との仲は良好で、租税の徴収に来る帝国兵
士達を毛嫌いしている」
並べられていく言葉は全て、ルチルの素性を現すものであった。
同時に、それはルチルが帝国の兵士であるウイナを初めとするグード隊には隠していた、『農奴のルチル』に関する情報でもあった。
チラリと目を動かすと、ウイナが苦しいとも驚くともとれない複雑に引き攣った表情のまま、こちらを見上げているのが見えた。
「や、やめて!」
咄嗟に浮遊少女に対して、そう叫んだ。
出来たばかりではあったが自分にとってとても喜ばしく大切な心の支えが、呆気なく崩れていく音が聞こえた気がしたから。
「で、逃げた。家族と、村の他の人間を残して」
しかし浮遊少女の表情も口調も変わらない、言いたい事を口にしているだけで、ルチルが何を思おうと言おうと意に関さないと暗喩するように。
「違っ……!」
「帝国軍の命令は絶対。お前、それから逃げた。仲間を見捨てた。しかも嘘をついて帝国兵に
構ってもらった、ズルい奴」
そんな事していない! そう叫ぼうとしたルチルの口は、浮遊少女が決して事実に反した支離滅裂な事を言っている訳ではないと悟った自身の心によって動くを止められ、ウイナ達の方へ自然と目が流れていく。
困惑、疑念、そんな後ろ向きな表現が現れた難しい顔をしていて、昨夜のように戦時中でありながらも気さくに笑い合っていた明るさが微塵も感じられない。
疑われている。
どんなトリックかは分からないが、間違いなく彼等は見ている。ルチルが農奴であり、徴兵から逃げ、身分を偽って接触していたという事実を。
「ルチル……これ、本当ッスか?」
ようやく声を発したウイナのそれはとても慎重で恐る恐るといった感じの質問であった。
聞くだけで分かる、自分への不信感に、ルチルは背中に寒気が走るのを感じ取る。
「い、いや……えっと……」
上手く答えられない。
本当の事をウイナ達に教えれば、ルチルは徴兵から逃げた農奴であると認める事になる。帝国兵士として、国の規則に従わない国民は然るべき処置を取らねばならないのはウイナも理解している筈だ。
となれば、失われる事となってしまうのは明白だろう。
昨夜、ウイナとの間に芽生えた、心地よいくらいに暖かかった友情が。
「どうでもいい!」
そんな杞憂を断ち切るように、突如として浮遊少女の数段声量が引き上げられた一喝が洞窟内に響き渡った。
「お前、ダグ死んだ時、近くにいた」
「っ……!」
「お前、私達狙ってた。お前の仲間、ダグ殺した。つまりお前達、ダグの仇」
ギチギチィ! と聞こえてきた不愉快な音が自分の首元からしていると気づいた時には既に、ルチルはまともな呼吸が出来なくなっていた。
「がっ……あぁぁ!」
空気の通り道が断たれ、首の骨が軋みを上げて苦痛を生み出していく。
腕を動かす事が出来ず、目だけで首を締め上げているものが何かを確認しようとするが、それらしきものは見当たらない。
それは四肢を封じ込めている力と同じ、見えないながらも確実に働いている何かであった。
「マリーンがここに来た理由、仇討ち。お前、ダグの仇、だから殺す」
自らの名らしき言葉を口にした浮遊少女は、杖をルチルに向けて見せつけるようにかざしているだけで、ルチルには一切触れていない。
しかし、今ルチルの体に働いている謎の力の原因が彼女であるという事実は、その態度と言動だけで十分に証明されていた。
「まっ……てっ……!」
全方向から均一に、尋常でない圧力がルチルの細い首へとかけられていく。一寸の余地もなく、確実に息の根を止めようとする殺意に満ちた力が。
「マリーン、ダグの仲間として、お前を討つ」
抗う術も力もなく、どうしようもなくただ自分がゆっくり殺されていくのが分かる。
恐怖と苦痛と無力さに精神を犯され、何も出来ないまま苦しんでいくルチル。
(……私なんかが、無謀だったって事?)
農奴でありながら、帝国による村の皆の徴兵を止めようとし、王国軍の兵士である『標的』を倒そうとした報いが、今こうして返ってきているとでもいうのか。
マリーンは並々ならぬ殺気を放ち、そこに迷いなどの介在は一切感じられない。
彼女がルチルに憎悪を抱くのは決しておかしい事じゃない、『標的』をなんとかして倒そうとしたのは、ルチルの願いを叶えるための手段としてジェイクが選んだ結果だ。仲間を殺されたマリーンからしてみれば、ルチルがその仇であるのは間違いではない。
覚悟はしているつもりだった、志半ばで死んでしまうのではないかと。むしろその可能性の方が高い事は分かっていた。
それでも、いざそんな窮地の場面になった今、ルチルは形容しがたい猛烈な恐ろしさが胸の底から無限に湧き上がっているのに気づき、思い知る。
自分は全然、死ぬ準備など出来ていなかったと。
(嫌……)
声を発する事も許されない中で、それでも純粋な気持ちを口から漏らそうと力を振り絞る。
(嫌、死にたくない……!)
まだ生きていたい、村の皆を助けたい、元の生活に戻りたい、ウイナ達と話したい、せめて自分から本当の事を話したい。
心の奥に隠していた想いや欲求が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、その分だけ身動きのとれない状況にもどかしさを強めていく。
「……や、やめろ!」
仇討ちを遂行しようとするマリーンに水を刺す一声が、辺りにこだまする。
マリーンは眉をピクリと動かして、不機嫌そうにこめかみを引き攣らせてから、そちらへと首を動かす。
声の主はウイナ。顔からはまだ動揺が消えていないものの、剣を両手で構え直し、仲間の兵士と共にマリーンを見据えていた。
「こいつ、お前達騙してた。帝国の農奴のくせに、帝国の命令無視した。放っておけばいい」
ルチルの『全て』を見透かしているマリーンの無慈悲な言葉に、ウイナはグッと息を呑むように喉を鳴らしてから、
「なぜか浮いてる胡散臭い女に言われても、説得力ないッスよ……!」
少しだけ口元を緩めて笑みを浮かべるウイナだが、声量にも表情にも余裕はない。
「……そう。お前達帝国兵、マリーンの敵だった。忘れてた」
「……つはっ!?」
急に首を絞めつけていた見えない力が消え、渇望していた空気が一気に喉へとなだれ込んできて、ルチルは大きくむせかえしてしまう。
「かはっ! っ……ダメ、ウイナ……!」
戦った経験のないルチルでも、すぐに分かった。
マリーンの殺意の矛先が、今だけは自分からウイナ達の方へと移動したのが。
「忘れてた、わざわざお前達呼んだ理由」
集る羽虫を払うようにマリーンが軽く杖を身体の前で振る。
するとウイナや仲間の兵士達の姿が一瞬だけ、ルチルの視界から消え去った。
「ウイナ!?」
と思った時には既に彼女達の姿は再び現れていたが、外へ繋がる通路の前から広い空間の中央付近へ、全員が散開するように立ち位置が変わっていた。
「ダグの仇、お前殺すだけじゃ足りない。もっと割に合った殺し方、する」
マリーンの静かながらもはっきりとした殺害予告に、ルチルの背筋に戦慄が走る。
「っ、やめ、て……!」
絞められた痛みで満足に声を発せられない中で、ルチルは精一杯の力を込めて叫んだ。
しかし、その声はあまりに弱々しく、マリーンは気にも留めようとしない。
「があああああ!?」
そこへ、ドバァン! という豪快な爆発音と共につんざくような男の野太い悲鳴がして、ハッとして目を向けるルチル。
続けざまに視界に映ったのは、ウイナの仲間の一人が左腕から赤い液体を吹き上げながら尻餅をついている光景であった。
「ロバーツさん!」
近くにいたウイナがその男の名を呼ぶが、間髪入れずに別の場所から上がったまた悲痛な叫びがそれを掻き消す。
二つ目の悲鳴の主は片足を抱えるようにして蹲っており、彼の周囲にはバチバチとした紫電らしきものが飛び散っている。そして微かにシュ~という、何かが焦げるような音。
さらに三つ四つと、ウイナの仲間達が前触れなく突如悲鳴を上げてその場に倒れ込み、気づいた時には手負いの状態に陥っているという事態が続く。
「ど、どうしたんスか!? 皆さん!」
四方八方で仲間が大怪我を負うのを目の当たりにしたウイナが、 一番近くで倒れるロバーツと呼んだ男に駆け寄ろうとする。
「よせ!」
だがロバーツは苦悶しながらもウイナが近寄って来るのを拒絶した。
「動くとまずい、何か仕掛けられてやがる!」
痛みに呻きながらそう言い放ったロバーツの左腕は赤い鮮血に染まっていて、明らかに分厚い刃物で切られたような鋭利な傷口が開いていた。
しかし、そんな傷を作る武器はこの広い洞窟の中を見回しても発見出来ない。
「何をしたの……」
が、わざわざウイナ達を襲う攻撃の元凶が誰かを問う手間を無視して、ルチルはその元凶に向かって小さく尋ねる。
「罠。マリーンが思いつく限りの、いろんな罠。それをマリーン以外には見えなくしてある」
そして元凶である事を認めるように、マリーンは当たり前のようにルチルの問いに答えた。
「なんでそんなもの……!」
「見せたかった、お前に。あいつら、お前の知り合い、お前と仲良かった。だから、呼んだ」
「……!?」
「見せつけたかった、お前に。お前に関わった人間が苦しむのを」
その時、動けない体で必死にもがいて熱くなっていたルチルの全身が、冷水を浴びせられたかのようにゾッと温度を急低下させた。
マリーンの言葉、彼女の持つ不可思議な力、それを目の当たりにした上で考えれば、彼女がこれから何をしようとしているのか、想像するに容易かったからだ。
単純で、おぞましい彼女の目的が。
「や、やめ……!」
「いっ、うあああああああ!?」
反射的に口にしようとした言葉は、新たに生まれた悲鳴によって上塗りされてしまった。
それはルチルが村の外で出会った唯一の同世代で同性の友人、ウイナのものであるのは聞いただけで理解出来た。
先程まで無傷だった彼女がその場に座り込み、脇腹に手を当てている。目を凝らして確認すると、そこには光沢のある細い棒状のものが一本突き刺さっていて、足下にはそれが砕けたような破片が散乱していた。
押さえた手はじわじわと鎧の向こうから漏れ出てくる鮮血に濡れ初め、そこで彼女の体が穿たれたのだとはっきりする。
「ウイナ!」
喉が擦れるほど目いっぱいの大声で、彼女の名を叫ぶルチル。
「氷の杭、特定の位置に誰かが立つと勝手に撃つようにしておいた」
彼女の傍らにわざわざ移動し、ちゃんと聞き逃さないように耳元に近づいてから、マリーンはいたって冷静に自らの仕掛けた罠について説明する。
なんとか安全圏に退避しようとウイナの仲間は手負いになりながらも体を動かすが、かえってそれが新たな罠の餌食になってしまう。
「一番奥にいる奴、足が燃えてるのは発火と探知の力を応用して作った爆弾みたいな罠。手前
の腕を怪我してる奴、あの女に近づけばあいつも氷の杭に撃たれる、下がっても体を押し潰
す圧力の罠にかかる」
マリーンによる、全ての罠がどのように仕掛けられているのか、ウイナ達が次々と罠にかかっていく様の解説はルチルに苛立ちともどかしさと不快さを掻き立てるには十分過ぎた。
罠は実に巧妙に設置されているらしく、罠で怪我を負って数歩その場から移動すればまた別の罠が口を開けて待っており、それが連鎖的に繋がっていき、同時にかかった者達の悲痛な叫びも数を増していく。
「があああああああああ!?」
その内の一人が一際大声を上げ、同時に洞窟の中が眩い閃光に包まれた。
発光の正体は雷、これもマリーンの力によるものなのだろう。こんな穴倉の中で発生しうる筈のない自然の驚異はウイナの仲間に落ち、見るも無残な焼死体へと変えてしまっていた。
「ひっ!?」
突如としてルチルの腹の中で増殖し、喉を駆け上がってくる吐き気。
渓谷でジェイクが『標的』の一人、このマリーンという少女の仲間を殺したのを目の当たりにした時も大量に血を流した衝撃的な光景に気分を害したが、それとは比べ物にならない。
なぜなら、自分とジェイクに昨夜親切にしてくれた人達が、眼前で命を奪われたのだから。
「あ、即死にかかった」
「……っ、もうやめてよ! こんな酷い……!」
あまりに呆気ない死に、ルチルの声から出たのは悲鳴ではなく、疲れ切った声によるマリーンへの請いだった。
「お前とお前の仲間がした事、大して変わらない。ダグの死体見た時思った。マリーンの感じ
た以上の悲しみ憎しみ、お前達に見せてやろうって」
返ってきたのは、端からルチルの意見などどうでもいいと突っぱねるような、冷酷なマリーンの意思。
そうしている間にもウイナ達を死へと誘う罠の連鎖は止まらない。
炎、雷、氷、色んな超常現象が様々な形で彼等を襲い、二人目、三人目が罠の連続で致命傷を負い、声を上げるのもままならず、その場へ崩れ落ちていく。
「っ、ウイナ、お前だけでも逃げろ!」
最初に腕を見えない何かで切り裂かれてから動けないでいたロバーツという名の男が、歯を食いしばりながらウイナへ命令する。
「何言ってんスか! 肩貸すッスから一緒に……うっ!」
立ち上がってロバーツに近づこうとするウイナだが、脇腹の傷口は深いらしく、すぐに激痛に耐えられず地面に膝をつく。
「ええい、このふざけた細工は全てあの面妖な女の仕業だろう!? なら奴を潰す!」
怪我の痛みに負けず立ち上がったロバーツは、剣を逆手に持ち直し、手負いでない右腕を振りかぶってマリーンを見据える。
そして殆ど間を置かずに、その場で強く足を踏ん張り槍の投擲の容量で勢い良く右腕をしならせ剣をマリーンめがけて投げつけた。
ルチルとマリーンはほぼ隣り合うくらいに近い距離にいたが、投げられた剣は正確にマリーンの胴体に向かって風を切る。
「鬱陶しい」
しかし、非常識な現象を無数に操るマリーンがその程度の攻撃に対応出来ない訳がない。
彼女は避ける事すらせず、杖の先端を飛んでくる剣の方に向ける。
ほぼ同じくして、ギュウンと不快感を覚える空気が捻じれるような音と共にマリーンの正面に迫っていた剣が粉々に砕け散った。
見えない力による余裕の防御というのは明らかであった。
「なっ……がぁ!?」
続けて響くロバーツの短い悲鳴、それは剣からマリーンの身を守った超能力が、今度は彼の胸元を穿った結果生まれたものだった。
目で捉えられないその力は確実に彼の体を貫通し、正面と背面に血を飛び散らせる。
「ロバーツさん!?」
彼の名を叫ぶウイナだが、ロバーツは声を発するどころか、見動き一つしなくなっていた。
「無能なりに足掻くの、うざい」
「っ……やってくれたッスね……!」
常に気だるそうに落ち着き払っていたウイナの目に、初めて怒りの感情が灯る。
しかし、自身も既に脇腹の怪我で満足に動ける状態ではなく、それ以上の言動を取る事が出来ないようだ。
「もっと罠にかかって、生意気」
眼下にいる彼女を見下しながら、対照的に感情のない声でマリーンがそう吐き捨てると、呼応するように氷の杭が何本もウイナを囲むように宙に出現し、躊躇いなく発射された。
「やっ、うああああああああああああ!」
喉が千切れたかのような甲高い痛々しい悲鳴がルチルの耳の奥に突き刺さる。
体をよじって避けようとしたものの、氷の杭のうち数本は容赦なくウイナの右肩、左腕、左足腿に突き刺さり、貫通しなかった部分の鎧も大きく凹んだり亀裂が走っていたりと彼女が受けた威力を物語っている。
「……っ、さすがに、まずいッス……」
氷の杭を受け上から半分が折れた剣を握り、頭を覆う兜は大きく欠け、額から流れ出す血で顔の右半分を赤く染めながら、ウイナは苦し紛れな笑みを浮かべる。
それは絶体絶命の人間が陥る、半ば生き延びるのを諦めた時の吹っ切れた笑顔。
「いやぁ! お願いだからもうやめて! 私が仇なら私を殺せばいいでしょ!」
いつの間にか流れていた涙を振り散らしてルチルが叫ぶ、だがそれはマリーンの心境を変化させるには及ばない。
「お前、ダグ殺した、その報い。お前も後で殺す、その前に苦しんで」
この人間には、何を言っても自分の言葉が届く事はないと思えた、それだけマリーンはひたすら集中して、徹底して、ルチルへの復讐のために能力を行使し暴挙に出ているのだ。
止められない、この能力者を。助けられない、すぐ近くにいる友人を。
ぐわんぐわんと頭の中が掻き回されるように、どんどん意識が乱れて錯乱していくのが自分でも分かった。
どうしようもない、目を逸らしたい状況を受け入れたくないという気持ちがルチルの精神を乱し、呼吸を荒げ、彼女を苦しめていく。
「はっ……ま、……やめ……っ!」
現実逃避したくても出来ない、逃げ場がない、状況を打破する力もない。
悔しさが熱い涙となって両目からだらだらと流れ落ち、ルチルの顔を無様に汚していく。
「ルチ……ル」
と、多数の傷を負って悶えていたウイナが、ルチルの方へ顔を向けて呟いた。
「ここから出た後……色々聞かせてもらうッスよ……!」
それはルチルが素性を偽っていた事に関して質問があるという意味なのだろう。
しかし、声色にルチルを追及してやるという棘はなく、痛みと絶望的な状況に陥って苦しんでいるにも関わらず、その時の彼女の表情には微かにまだ笑顔が残っていた。
「ウイナ……」
「……ムカツク」
マリーンの眉間に深い深い皺が寄った。
杖が動くと同時に作り出される、天井からウイナの頭に向かって鋭利な先端を向けた何本もの大きな氷の杭。それは成長していくように体積を増やしていき、禍々しさを増していく。
「や、やめてよもう! 十分苦しんだから、もう私を……!」
「何の力もないくせに、出しゃばってくる奴等、嫌い」
何の力もない、ウイナに向けてであろうマリーンの一言はそのままルチルの胸を抉った。
大した力のない農奴の分際で村を飛び出し、村の皆を徴兵から解放するために無謀にも王国軍に抗った、その結果がこのザマだ。
貴族のように権力もなく、兵士のように戦う力もなく、市民のように知識も人脈もない、所詮自分はそんな力も地位もない農奴だったのだ。
『……領主と農奴の差って、何だと思う?』
ルチルはいつか、誰かにそう尋ねた。
相手は持っている力の差だと言った。その力を持つ持たないの差は何だと聞くと、たまたま持っているか持っていないかだと言った。
そんな理不尽なと思ったが、的を射ているとも思えた。貴族の家に生まれれば貴族として、市民の家庭に生まれれば市民として、農奴の間に生まれれば農奴として、その地位に見合った生活を送る事となり、それが変わる事はないに等しい。それが最下層の人間から搾取して豊かに発展したオスティム帝国という国だからだ。
人間として、性格も趣味も容姿も大した違いがないとしても、だ。
『大した違いがないのなら、引っくり返せる』
尋ねた相手はそんな事も口にしていた。力の使い方次第では、その差を引っくり返せると。
だがその方法が、ルチルには分からない。
自分が助かる方法が分からない、血に濡れて苦しむウイナが救われる方法が分からない、ウイナ達を殺そうとするマリーンを止める方法が分からない。
自分とマリーンとの間にあるのは、絶望的な力の差。
どう抵抗しようとも、人外の能力を自在に操る彼女に勝てる余地がない。
結局のところ、敵わない。
助かる希望を微塵も感じなくなると、抗う力さえ奪われてしまうのが人間らしい。
四肢を押さえつける見えない力に負けないようと保っていた踏ん張りがルチルの体から抜け、指先がだらんと垂れ下がる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
情けない自分のせいでこれから無惨な目に遭うであろう、村の外で出来た初めての友人に向けて、届かない小さな声で謝罪を繰り返すルチル。
絶望に打ちひしがれるがまま頭を垂らすその姿は、処刑を待つ罪人のそれと何ら変わりのない、悲哀に満ちたものであった。
それを傍目にマリーンは、優越感に浸るでもなく杖を再度軽く振る。
そこでウイナの頭上に生まれた氷柱は成長を止め、先端は槍のように鋭利で針のように細く尖り、磨き抜かれた刃のように艶やかに光っていた。
「ダグの仇らしく、せいぜい後悔して」
マリーンがルチルの絶望を深めるような言葉を口にし、眼下のウイナに汚らわしいものを見るような侮蔑の視線を落とす。
いよいよ迫った確実な死の危機に、なんとか立って逃げようとするウイナだが、氷柱の落下点から移動するという簡単な行為すら、怪我だらけの彼女には苦行であった。
傷口の開いた足は無理に動かそうとして震え、意思についていけない体は呆気なく姿勢を崩して転んでしまう。
「くっそ、まずいッス……!」
「ウイナッ……!」
見たくない、友人が氷の槍で貫かれるおぞましい光景は。
止めたい、止められない、でも止めたい、ならどうする?
誰か、代わりに止めて欲しい。数少ない友人を助けて欲しい。
自分が招いた事態だと分かっている、謝罪や懺悔ならいくらでもする。
だから、誰かこの最悪な状況を打開して欲しい。
「助けて……ジェイク!」
疲労と恐怖で潰され掠れた声で、ルチルは村の皆を助けるという無謀な願いを叶えるために協力してくれた、一人の少年の名を思わず口にしていた。
「……お前の仲間も、後で殺すから」
マリーンはトドメを刺すようにはっきりと告げるも、
「仲間じゃねぇよ、そんな馬鹿は」
直後、つまらなさそうにマリーンに言葉を返す、この場にいる誰のものでもない者の声がルチルの耳に届いた。
「えっ……」
驚きよりも先に生まれた、ありえないという感情。
続いて抱いた淡い希望に突き動かされるように、声がした方向を探して視線を巡らせる。
そんな彼女の視界に、この場に現れた新たな人物の影が映り込み、すぐに消えた。
ルチルが張り付けられていた岩の壁の凹凸に潜んでいたのだろう、ルチルの上方に見えた影は獣ように素早く宙を横切り、すぐ傍まで迫ってきた。
直後、ルチルのすぐ近くに浮遊し、今まさにウイナに巨大な氷柱を打ちこもうとしていたマリーンの姿が大きくぶれた。
「は、……いっ、ひああああああああああああああああああああああ」
それからたっぷり時間が経って、今までずっと波の無い声音で話していたマリーンの、喉が千切れそうな咆哮が洞窟を埋め尽くす。
見れば、彼女の左肩に背中側の方から厚く細長い刃が深々と食い込んでいて、ローブごと皮膚が切り裂かれている。
切れ味が悪いのか剣は華奢なマリーンの肩に突き刺さったままで、その剣に両腕にしがみついている者こそ、ルチルの絶望に満ちた心に変化をもたらした声の主であった。
「ジェイク!?」
手入れのされていない刺々しい短髪、鷹の如き獰猛な眼、若いながらに力強さの秘められた引き締まった肉体、足が宙に浮きぶらさがっているにも関わらず隙が見えない威圧感、それは紛れもないルチルの協力者である、元盗賊の少年であった。




