第15話 『標的』
時間は遡り、その日の夕暮、太陽が大陸の向こうへと消えかかっていた頃、無人の宿屋に立ち寄ったルチル達がグード隊に見つかる少し前。その近くの森の中の、かつて落雷か何かを受けた木々が朽ち果て更地となっている場所に、約百人近くの人々の集団が留まっていた。
布を被って地べたに寝ころぶ男、用意された焚き火に当たりながら言葉を交わす老人達、せわしなく駆け回ってはしゃぐ子供達とそれを諭す母親、性別も世代もバラバラの彼等は皆例外なく汚れきって使い古された貧相な服に袖を通している。
その身なりはこのオスティム帝国の中では常に地位の最下層に存在しながら、帝国民の生活に必要な食料を無償で生産する事が義務付けられた、農奴と呼ばれる者達のそれであった。
「見てください、マリーン。戦地で恐怖を味わい、一日中歩き続けて疲れている筈なのにまだ
笑みの垣間見える彼等農奴達の力強さを」
彼等の様子を遠目から眺めてそう呟いたのは、毛先がギザギザの黒髪と透き通るような碧眼の持ち主で、青と黒で彩られた軍服を着た姿が様になっている十六歳の少年、ルークだ。
一見すると優男にも見えなくない容姿の彼こそが、カーセム城を陥落させ、駐留していた帝国兵達を壊滅させた原因の一つであり、戦闘の中心の人物である。
足下に強引に突き刺さされて置かれた背の丈ほどの大剣を片手に、彼は戦場を駆け抜け多くの敵兵の命を奪い、自身の母国の勝利に大きく貢献してきた、ユストア王国の英雄である。
「どこが力強いのか、全然分からない」
そんな彼の横で仰向けに寝そべりながら素っ気なく言葉を返したのは、自らの頭の数倍広い鍔を持つ特徴的な紫の帽子と、同じく濃い紫色で染め上げられた大きめのローブという芸術家のように奇抜な装いをした少女、マリーンと呼ばれた少女であった。
ルークよりも一つ年が下のまだまだ幼い子供ではあるものの、可愛らしい容貌からは大人以上に大人しく心の揺れ動きが感じられない程に落ち着いていて、帯びている空気が氷のように冷め切っていた。
「またそんな事言うんですか。あの方達は僕達が何もしなくても励まし合っています、戦時下
で苦境に立たされている人間に必要なのは心の強さ、どれだけ辛い状況でも生き延びてやろ
うという強い意思を、僕は彼等から感じます」
「マリーン、あまりそういうの、分からない。子供だから」
「僕と一つしか年が変わらないのにですか? マリーンは戦友として頼りになりますし感謝し
ていますけど、もう少し他人にも興味を持った方が良いですよ」
「……あの人達、マリーンと関係ない。大体、あの人達帝国人、本当なら解放しなくても良い、
むしろ倒すべき」
つまらない感じで口先を尖らせるマリーン。
この場にいる農奴達は皆、王国軍の戦に駆り出された者達である。戦線が帝国領内に移行につれて、前線の兵力を失ったオスティム帝国は農奴達を徴兵し、捨て駒同然で王国軍とぶつけるという策を取っている。兵法を知る主戦力たる帝国兵が態勢を立て直し、他の地域からの援軍と合流するまでの足止め役として農奴を利用しているのだ。
支配した地域の人間を兵士として前線で戦わせるのは帝国が昔から行っている事だが、日頃から労働を強いて利益を搾取している帝国に忠誠を誓って戦っている農奴など殆どいない。
そんな彼等の存在を知ったルークは、帝国軍を退けると共に帝国の支配から逃れたいと望む人間の解放を目的に行動してきたが、マリーンはあまりその事に気が乗らないらしい。
「僕達は王国の英雄ですよ、常に王国のために戦う使命があります。戦士は国を守る者、国民
の代表として戦場に臨む者、敵の国の人間なら討つべきなんて考え方は、帝国と何ら変わり
ない。長年僕達の国を踏みにじってきた帝国と、やってる事は変わらないではないですか」
「……マリーンは別に、王国には……」
「そういう事は口にすべきではありません、僕達は手にした奇跡の力を王国の繁栄のために使
役すると、そしてそれ以外の目的には使役しないと忠誠を誓ったではないですか」
ルークやマリーンを初め、ユストア王国の民の中には、常人にはない特殊な能力が備わっている者が少ないながらも存在している。
はっきりとした理由は彼等自身にも分かってはいないが、王国に伝わる神話の中で王国民の先祖とされる、魔法と呼ばれる超常現象を自由に起こす事の出来る種族エルフの血を濃く引いている事が原因なのではないかというのが今のところ一番説得力のある説らしい。
理屈はどうあれ、超常的な力を使える者は王国内に複数存在するのは事実だ。炎や風の発生といった直接物体に危害を加える力や姿を変えたり人の思考を読み取ったりする他人を惑わす力、能力の種類は人によって様々だが、大体が使いようによっては驚異的な破壊力を誇り、多くの人間の命を奪う事の出来る危険なものが多いとされている。
彼等の暴走を恐れた王国は、特異な力を持つ彼等を神話の力を受け継ぐ者として称賛し、国土の一部を実効支配する帝国の強靭な兵力に対抗するために利用させようとし、その目論みは見事に成功した。
金で雇われて戦う者、偶然戦闘に巻き込まれたために戦わざるを得なかった者、理由は多々あるものの人知を超えた力を持つ者の力は絶大なものであった。本来人が何の道具もなしに起こせるような現象ではないため敵の兵も必ずといっていいほど動揺し、今まで防戦一方だった王国軍が戦場での主導権を簡単に握れるようになり、王国は勢いそのままに奪われていた土地をどんどん取り返していった。
今ルーク達がいる土地も、数百年前はユストア王国が支配していた地域とされており、それを奪還するという大義名分で王国軍はここまで攻め込んできている。それが出来るのは言うまでもなく、特異な能力を持った者達による奮戦のお陰であった。
故に王国の民は彼等能力者を英雄視している。能力者全員が戦に参加している訳ではないものの、戦って勝てば名声だけではなく国から莫大な報酬を受け取る事が約束されているため、望んで兵士となる者も増えてきたという。
何より、彼等の持つ超常的な力を駆使すれば、剣と鎧しか装備していない兵士などいくら集まってきたところで落ちた飴に群がる蟻のようなものであり、苦も無く討ち取る事が出来る。敵を殺す行為への抵抗さえなければ、これ程美味しい話はないだろう。
ルークは数年前まで普通の少年であったが、ある日住んでいた村が侵攻してきた帝国軍に襲われ命の危機に瀕した時に能力者として覚醒した。その力で村の人間を救い、敵を討ち払った彼の噂はすぐに王国軍に届き、兵士として戦う事を求められ彼もそれを承諾した。
以降は王国軍の英雄戦士の一人として数多の戦場を駆け抜けた。彼の能力は炎を自由自在に操るという単純且つ強力なもので、村の自警団の長であった父から譲り受けた剣を片手に数えきれない帝国兵を骸へと変えてきた。人を殺す事が好きな訳ではないが、戦功によって故郷の村の人々の生活は豊かになり、奪われた土地を取り返し、奴隷兵として使われていた元王国民を解放する事が出来、やりがいを感じたルークは戦いに力を行使する事を今も続けている。
「知らないから、マリーンはルーク達とだから一緒に戦ってるだけ、ルークじゃなかったら助
けたりなんてしてない!」
ルークの諭すような言葉に、マリーンは表情の希薄なその顔に苛つきを現すと、横になった状態のままぷいっとそっぽを向くように彼に背を向けて頬杖をついた。
「困ったら浮いて逃げるのはやめてください。能力をそんな風に使うべきではありませんよ」
マリーンが背中を預けているのは地面ではなく、彼女の持ち物である杖であった。その杖も地面に置かれているのではなく、まるで見えない糸に空から吊るされているかのように宙に浮遊している状態であった。
彼女の能力は様々な種類のものを併せ持つ複合型である。雷、氷、炎、風の発生・操作に加え、治癒や思考の読み取りなど、能力者の中でも特に稀有で強大な力の持ち主だ。
今彼女が自身と杖を宙に漂わせているのも能力の一つ『浮遊』によるものであり、足を使わずに目的地へ移動する事が可能な便利な力である。マリーンは拗ねてその場から離れようとする時にこれをよく使う。
「私の能力をどう使おうと私の勝手、どれだけ強くても、どれだけ恐れられても」
マリーンは有力な貴族の娘であったが、能力の覚醒が発覚した際親族は揃って彼女を畏怖し、領民からも悪魔の子が生まれてきたと連日騒いでいたという。
王国軍が能力者を探している事を知った親によって、マリーンの身柄はすぐさま王国軍に引き渡された。それが彼女の人生にとっての転機であった。
ルークの部隊に来てからマシになった方ではあるが、心身を傷つけられた暗い過去は今も彼女の性格や言動に尾を引いており、基本的に能力を持たない人間を侮蔑的に扱う傾向がある。
「入隊した時に何度も教えられたではないですか。己の力を奢る者は己の力によって不幸に陥
る、マリーンは軍に入る前の過去を忘れたいのでしょう? なら気持ちも入隊前の時から入
れ替えるべきです」
幼い頃に厳しい経験をしたせいで他人に不信感を持ち、精神的にもまだ未熟な彼女を諌め支えるのは、同じ能力者であり兵士でもあり、同じ部隊の仲間でもあるルークの役目である。
「それとこれとは、別」
とはいえちゃんと手綱を取れている訳でもなく、ルークが言動について注意する度にマリーンはそっぽを向いてしまう。
今回も余計に機嫌を損ねたらしく、手を動かす素振りも見せず身を委ねる杖をさらに高く浮かせて露骨にルークから逃げていってしまった。
「こらマリーン! ……はぁ、そこまで強く注意したつもりではないのですが」
いつもの事ではあるが、上手く彼女を扱えない自分に頭を抱えるルーク。
「あらあら、また拗ねさせちゃったのぉ? 先輩」
そんな彼をおちょくるような、マリーンとは別の女性の声が森の奥から届いてきた。
「難しいものです、異性への対応は」
「構って欲しいだけよぉ。放っておけばすぐにまた仲直りするわよぉ、いつも通りにね」
木々の間の陰から姿を現した声の主は、ユストア王国の軍服を着た腰まで伸びた長い髪を束ねて揺らす背の高い女性だった。
彼女の名はサブリナ、彼女もまたルーク達と同じ能力者の一人であり、ルーク率いる部隊では唯一能力者になる前から軍人であった人間でもある。
待機地点であるこの場所に今までいなかったのは、丁度ルークに任せられたとある役目をこなしていたからだ。
「とりあえず四方八方に索敵を出しておいたわぁ、何かあったら私の頭の中に情報が入ってく
る筈だからぁ」
「ご苦労様です。相変わらず役に立ちますね、サブリナさんの召喚獣は」
サブリナの能力は何もない空間から獣を召喚し、従僕として思いのままに操るという、数多くの能力者の中でも珍しいものだ。
獣といっても山の中に生息している珍しくもない獣ではなく、牙の異様に長い狼や脚の異様に多い鷲など、本来存在する筈のない、獣というより怪物と呼ぶ方がしっくりくるような強面の生き物ばかりである。能力者の本人もその獣達の正体は分かっていないらしいが、異能のルーツとされる種族エルフが登場する神話の時代にいたとされる生き物を呼び出しているのではないかと、能力を研究する人間からは仮説が立てられているようだ。
ちなみに召喚する獣それぞれに、サブリナは名前をつけているらしい。
「同時に何匹も指示して動かすのは簡単じゃないんだからぁ。情報交信は頭の中から直接飛ばすから、疲れる訳じゃないけどやり過ぎて気持ち悪くなっちゃうんだからぁ」
微小な笑みを浮かべるサブリナは自分の脚で歩いておらず、眷属である獣の虎、通常の三倍はある体躯を持つそれの背中に腰掛ける形でルークの元へ近寄ってくる。
「……酷使させているのは申し訳ないですが、危険な生き物だと分かっているのならば獣をこ
こに連れてこないようにしてくれませんか? 農奴の人達が怖がってしまいます」
言いながらルークが向けた視線の先では、突如現れた未知の大きさを誇る虎の獰猛さを秘めた姿と低い唸り声に委縮した農奴達が恐々とこちらを凝視しているのが見えた。
「大丈夫よぉ、聞き分けは良い子達だからぁ、特にこの虎のアインはねぇ。帝国兵以外の人間
は襲うなって言ってあるわよぉ、昔と違ってねぇ」
サブリナは昔、索敵を任せた召喚獣の一匹が敵と間違って王国の軍人を攻撃してしまった過去があるらしい。そのせいで左遷させられてルークの部隊に来たという噂もあるが、本人はその話をしないように振る舞っているため真相は不明だ。
「くれぐれも気を付けてくださいね……それで、何か発見はありましたか? 僕達を待ち伏せ
ていた人達の手がかり等は」
言葉の後半に差し掛かったところで、ルークの目の色がガラリと変わる。常に紳士的な振る舞いの彼の中に、見た者を凍えあがらせるような敵意の塊が不意に浮き上がってきたのだ。
「今のところは、あまりガッつかない方がいいわよぉ? 敵に会った訳でもないのにぃ」
「……すいません。ですがどうしても気にせずにはいられないんですよ、なにせ行動を共にし
ていた仲間を十人余り犠牲にしてしまったのですから」
ここに辿り着く前、ルーク達はセラーラ川を挟んでそびえ立つ渓谷にかかった橋で帝国軍の部隊に遭遇した。敵の数は五十人程ではあったが、数人で帝国の要塞をいくつも落としてきたルーク達にとって一般兵の集まりなど恐るるに足らない相手である。農奴達を巻き込まないよう、速やかに圧倒的に駆逐するつもりであった。
しかし予期せぬ事態が発生した、渓谷を繋ぐ石橋がルーク達が中ほどに差し掛かったところで各所に爆発が起き、一瞬にして崩れ落ちたのだ。
進路を断たれたところへ、さらに追い打ちをかけるように後方から大勢の盗賊が待ち伏せていたかのように襲いかかってきて、落ちなかったルーク達三人ですぐに撃退したものの、奇襲に対応しきれず十人以上の農奴の命を奪われてしまった。
「守ると言っておきながら、あんな単純な罠にまんまとかかってしまうとは、情けなくて自分
に怒りを覚えます」
ギリギリと握りしめる右拳に力を入れ、悔しさを前面に押し出して歯を食いしばるルーク。
「私の索敵が甘かったのよぉ、召喚を継続出来る時間をケチって狼のツヴァイだけに任せ
ちゃって、空を飛べる鷲のドライは私を助けるのに使っちゃってたからぁ」
口調はあまり変えず、目に憂いを僅かに灯してサブリナがルークを擁護に入る。
「いえ、前方の敵に気を取られ、突撃指示を出したのは僕です。何より農奴の人達の守りが薄
くなる事を、すぐに敵を倒せるという奢りから忘れてしまっていました」
あの戦闘の後、ルークは生き残った農奴達に全力で頭を下げた。彼等は徴兵から解放し保護してくれているだけでもありがたいと慰みを与えてくれたが、それぐらいで許されたとは到底彼は思ってはいない。
「……謝って、いいよってなったんだから、もういいじゃん」
頭上からボソリと聞こえたマリーンの言葉に、ルークはキッと鋭い眼光を返す。マリーンは何か説教されると思ったか、フンと面倒くさそうに頭の後ろで腕を組んで視線を避けた。
「責任を感じすぎるのは良くないわよぉ? 味方が誰もしなない戦いなんてないんだからぁ」
「分かっています」
ギラギラした殺気を発しながら、今は感情を抑えるべきだと弁えているルークは口を紡ぐ。
「それに気にすべき事はもっとあるわよぉ? 敵国民の死よりも先に残念がるべき事がねぇ」
農奴に犠牲が出ても仕方がない、とも取れる淡白な発言をするサブリナに、ルークに不機嫌さが募るが、間違った事を言っている訳ではないのであえて反論はしない。
渓谷で接敵する直前、足場である橋が突如として崩れ去った。前触れなく宙に投げ出される形となったルークはマリーンの『浮遊』の力によって、サブリナも大鷲を召喚してなんとか落下は免れた。
だがその時、他にもう一人巻き込まれた者がいた。
「戦友であるダグを失ってしまったのは、非常に残念です。あの時、ダグの足元が爆発でいち
早く崩れた事で、マリーンの浮遊の有効範囲から彼の体が出てしまっていました。僕が少し
でも早く手を出して彼の体を掴んでいれば……」
マリーンの能力には有効範囲があり、それは対象が増える程狭まるという。
浮遊の力は人を一人浮かべるだけで大幅に範囲が小さくなるのだが、橋崩落の際マリーンは既に彼女自身と傍のルークの体を咄嗟に浮遊させた、それによってやや離れた位置にいて、落下するのが早かったダグまで能力の効果が届かなかったのだ。
同じ部隊の人間を助けられなかった罪悪感はマリーンも感じているらしく、顔をこちらに向けないながらもピクリと肩を一瞬震わせた。
「またそうやって誰が悪い悪くないって……大事なのはこれからどうするかよぉ? 彼の死は
ちゃんと確認して、十分悲しんだじゃなぁい?」
民間と軍人、出身の違いのせいか、サブリナはダグの死も割と簡単に受け入れ、引きずっている様子もなかった。
『戦場で自軍が被害を被らない例はない、戦況を受け入れ冷静に最善の行動を取れ』、王国の兵士が最初に上官から教えられる言葉にそういったものがある。簡単に言えば味方がやられても落ち着いて戦えといった意味であり、サブリナは能力者になる前から戦というものを経験している。故に部隊の仲間を失っても取り乱さず、逆に動揺気味だったルーク達の落ち着かせようと助言出来るのだ。
「目を逸らす訳にはいきません。ダグの仇を討つ、とは言いませんが、彼の死を無駄にしない
ためにも、必ず最終目標のチサーラまで行軍してみせます。農奴の人達の解放も必ず!」
恨みや悔しさから生み出された強い闘志と意思がルークの声に漲る。
「んん? おっとぉ?」
と、ルークの静かながらの力強い宣言に若干気圧され、難しそうな顔をしていたサブリナが右耳あたりを手で押さえながら素っ頓狂な声を漏らした。
「どうかしましたか?」
「ふんふん、へぇなるほどぉ、でかしたわねぇドライ」
おそらく偵察に放った召喚獣と交信しているのだろう、しばらく独り言のように言葉を発した後、いやらしい笑顔を口の端に浮かべてサブリナは口を開く。
「仇討ちの機会、結構早く来ちゃったかもねぇ」
「? それはどういう……」
言いかけて、ルークは彼女が何を言いたいのか、彼女が召喚獣からどんな情報を受けたのか、なんとなく察しがついて思わず息を呑んだ。
端で聞き耳を立てていたマリーンも興味を示し、少しだけ首を動かす。
「ここから北に森の中を突っ切っていったところに、宿屋があるらしいわぁ。んで、そこには
帝国軍の歩兵部隊が夜営を築いているらしいのぉ」
「帝国の部隊……まさか渓谷で遭遇した部隊ですか?」
「そこまでは分からないけどぉ、陥落した要塞の近くにまだいるって事は、それに気づかず援
軍に向かってるか、敗戦を知って逃げる途中かだと思うわぁ」
「……攻撃、しないの」
今まで寝ころんでいたマリーンが上体を起こし、杖の上に座り直す。
「農奴の人達の安全が第一です、それに我々の目的は敵の殲滅ではなく敵戦力の排除。撤退す
る兵を討つよりも本隊の頭を叩く方がより効果的です。無益な戦闘は避けたい」
ルークの部隊が受けた任務は帝国軍の拠点及び主戦力の攻撃だ。それは敵を全て倒すのではなく、敵が戦線を維持出来なくなるようにしろという意味であり、戦意を削ぐために効果的な攻撃を仕掛ける事こそがルーク達の任務である。
能力者の彼等の力は圧倒的であり単独で敵陣を突破できる。だからこそ、敵勢力の要である拠点や指揮官を確実に制する事が出来る。倒しても倒しても増援が送られる雑兵を片っ端から薙ぎ払っても、無駄に等しい行動なのだ。
「一先ず動向を伺ってください。夜が明けるまでは下手に動かない筈です」
だからこそ、ルークは追撃ではなく様子見を決めたのだが、
「……やろうと思えば、やれる。私だけでも」
マリーンは彼の意見に沿わない言葉を返して、暗に敵の追撃を進言してきた。
「マリーン、必要のない行為だと僕は釘を刺したつもりですが」
「敵を倒して、何が悪いの。敵を倒して、上官に怒られた事なんて、ない」
「不要な戦力の行使はしてはならないと上官に入隊当時に教えられたのを忘れましたか? 戦
意を持つのは構いませんが、敵を討つ事に固執しては……」
「そんなの、我慢してるだけ!」
抑揚のない彼女の声に、怒気に近いものが微かに込められていた。
「あなたが敵を討ちたいのは個人的な感情によるものでしょう? 殺された仲間の報復に」
「っ……それが、何か悪いの。やる事は、同じ」
「僕達の力は、感情に任せて使っていいような代物ではありません。能力を私欲で使う者は、
単なる破壊者でしかありませんよ」
ルークの炎の能力は触れたものをあっという間に消し炭へと変えてしまう威力を持つ。圧倒的な力だからこそ、それを有益に使わなければ能力者は畏怖される存在となってしまう。
発明家然り芸術家然り、突出した才能を持っている者ほど、大衆から孤立しやすい。
その強すぎる力を恐怖ではなく英雄の持つ聖なる力の象徴とする事で、王国は能力者を人間社会の中に留めさせている。
逆を言えば、『王国の英雄』という括りから逸脱した能力者は、この世界での居場所を失ってしまう事にもなる。ルークがマリーンの戦意を抑えようとしている理由はそこにある。
「王国の王国の王国の……ルークはそればっかり」
「ダグの死に憤っているのは僕も同じですが、それを人を殺す口実にしてはいけません!」
一際気迫の乗った一喝に、マリーンはぐっと次に口に出そうとしていた言葉を飲み込むが、彼の忠告を受け入れたという顔にはならず、反論の意思を示しているのは変わりはしなかった。
沈みかえった森の中で、超常的な脅威の力を持った二人の周囲を漂う空気が棘を持ったように殺気だったものへ変化し、それが伝わった遠くの農奴達も揃って顔を曇らせあからさまに怯えている。
「まぁ落ち着いてよねぇ? 一応私のドライちゃんがいつでも監視している訳だしぃ?」
サブリナのいつも通りのゆるい喋り方はそのまま、熱くなったルークとマリーンに冷静さを取り戻させるきっかけになる。
「……すいません。睡眠中でも召喚獣は動いてくれるんですよね?」
「寝てる間に動かすのは正直疲れるから、あまりしたくはないけどねぇ」
「申し訳ないですが、お願いします。ここで我々のうちの一人でも欠けると、農奴の人達が危
険に晒されるかもしれませんので」
了解ぃ、と気だるそうに答えサブリナは地に足をつけ、虎のアインの首元や体を摩ってじゃれ合い出す。召喚させた主であるとはいえ、こうしてあやさなければいざという時召喚獣の反応が悪くなるらしい。それを避けるための日課のようなものだ。
「……守れる、あれくらい」
「一人でも犠牲になれば、守った事にはなりません。油断も妥協も、人の命がかかっている場
合は許されないんですよ」
「……」
農奴第一の行動指針は変えるつもりのないルークに、マリーンはまた彼に背を向けて拗ねたように高く浮き上がっていく。
「はぁ……分かってもらえませんね」
「頭では理解出来ても、自分の意見を簡単に変えようとは思えないのが人間よぉ。今はムキに
なってるだけだろうから、放っておくのがいいと思うけどぉ?」
「……そうですね。ありがとうございます、やっぱりサブリナさんの方が部隊をまとめる隊長
に向いてるんじゃないですか?」
「陰で眺めてるからこそ、君達若者のやんちゃを抑える事が出来るのよぉ。それにマリーンも
ダグも君の部下になる事に不満を漏らした事は無かった、なら君が隊長としてふさわしいっ
て事だと思うけどぉ?」
「そう、でしょうか。だとすると、嬉しいですが」
ならば尚更、ダグを失った責任は自分にあるのではないかと、終わる事のない後悔に飲み込まれそうになるルーク。
その苦しみが顔に出ていたのか、サブリナは恐ろしい形相を気持ち良さそうに崩すアインの体をくすぐりながら、彼を横目に助言する。
「無理に隊長らしくしなくていいのよぉ? 頑張って抑えているんでしょお? 本心を」
目も合わせず、緊張感もない声であったが、ルークはそれだけで彼女に自分の『本心』を見透かされているというのを察した。
「……よく分かりますね、さすがは先輩です」
「ちょっとぉ、私が年取ってるみたいに言わないでよぉ」
「そんなんじゃないですって……ではちょっと、戦闘で怪我をした人を中心に、農奴の人達の
具合を確かめてきます」
若干引き攣った笑いをこぼして、ルークはサブリナから離れる。サブリナは「はいはーい」とこちらを向かないままアインとのじゃれ合いに意識を割いている。
農奴達の元へ向かう間、ルークはサブリナに指摘された自分の『本心』を改めて確認する。
マリーンが敵を討ちたいという感情に駆られているのを知っているからこそ、それを抑えてもらいたいからこそ、彼はその本心を隠していた。
(……ダグの仇を討ちたい)
思っていない訳がない、何度も戦場で共闘した戦友が敵兵によって死んでしまったのだ。
それは、予め仕掛けられていたように橋の落下と盗賊の襲撃が続けて起きた事から、ルーク達を狙って行われたものだと思われる。
現に、戦闘後渓谷の下に転がっていた血で赤く染まったダグの死体を確認したところ、首元を剣らしき刃物で大きく斬られて確実に止めを刺されており、ダグの死が人為的なものである事を物語っていた。
ルーク達の命を狙う敵が、どこかにいる。
それは敵対する帝国の兵士なのか、どこにでも蔓延る盗賊の一つでしかないなのか、見当はつかない。
だが正直そんな事はどうでも良いとルークは思っていた。
本当はダグを殺した奴を見つけて討ちたい、だがそれは彼の中の『本心』の部分が抱いている感情であり、王国の兵士として今は敵拠点を陥落させ他の王国軍部隊と合流する事が何より大事だと理解してもいるのだ。
本心を押し殺し冷静に物事を判断しなければ、兵士の隊長など務められない。
それでも、自分の感情を完全に見ないフリする事もまた不可能だ。
だから本心を胸の奥に留めながら、やるべき事をやる。
ルーク達の行動は、帝国南部地域全体の奪還という大作戦の中の一部に組み込まれている。
動いていれば、いつかその時が来るかもしれない。そう思っていれば、どんな小さな行動にもやる気を漲らせる事が出来ると思えたからだ。
ダグを殺した人間と遭遇する時、密かにそれを期待しながらも、ルークは任務に邁進する気持ちは変えないと決意する。
胸の内に、底なしの怨恨と殺意を抱きながら。




