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第11話 彼の強さ

 セラーラ川から離れ、レチオンのある方向へと進んだルチルとジェイクは、日が落ち切る前に一晩明かす場所を探す中で、街道の傍に佇むこじんまりとした宿屋を発見した。

 カーセム城の付近が戦闘の前線となっている今、そこから近い地域に建つ宿屋に客が訪れる訳もなく、宿主もとっくに避難して宿はもぬけの殻となっていた。

 木造の二階建て、一階二階合わせて部屋は七つ、壁や床は所々朽ちた部分もあって触れるだけで軋むボロさであったが、一応雨風を凌げるだけの強度はあるらしい。二人は建物二階の一番端、外が見える街道に近い部屋を使用する事にした。

「駄目だな、食料は疎開する際に持って行かれたらしい。使えるものはあまりないみたいだ」

 溜め息をついて、ジェイクが取っ手の欠けた木の扉を開けて部屋に入ってくる。

「二階もそんな感じよ」

 先に二階を調べ終えていたルチルは埃まみれのベッドに腰掛け、何をするでもなく足をぶらぶらさせていた。

「そうか」

「大丈夫なの? あいつらから離れて、見失ったりするんじゃ……」

 渓谷での戦闘時、『標的』の少年達は襲ってきた盗賊を難なく返り討ちにした。同行させていた農奴が何人か襲撃の犠牲にはなったが、大半の農奴は無事だったらしく、数に変化は殆ど見られなかった。

 ルチル達は橋を渡る道を失った彼等が迂回路を通るのを待ち伏せして確認した後、その進行方向に先回りしつつ離れすぎないように移動し続け、この地域で夜を迎えた。

「さぁな。おかしな力を使う奴等だが、俺達が確認した限りでは奴等は徒歩以外で行動しては

 いない。人間の姿を隠すなんて芸当も、カーセム城近くで見た一回だけだ。理屈はさっぱり

 見当がつかないが、いつでもどこでも使いまくってるようでもないようだしな」

「普通に歩いて移動するなら、見失ったりはしないって事?」

「絶対ではないがな。それにこっちには『足』がある、少し離されても追いつけるだろう」

 ルチル達を乗せて各地を駆け回った馬は、宿の一階の柱に括りつけられ、宿に残っていた餌の藁を頬張っている。ジェイクが奪った馬が偶然落ち着きの良い個体だったのだろうか、丸一日見知らぬ人間に走らされたにも関わらず今でも大人しくジェイクに従ってくれていた。

「注意すべきは見失うかどうかより気付かれるかどうかだ。まずは目立たない事を心掛けろ」

「……分かった」

 相変わらずなんでも分かりきったような口ぶりで話すジェイクに、一日中馬に乗って揺さぶられたせいで疲れが溜まりに溜まっているルチルは弱々しい返事をする。

「とりあえず今日はもう休め」

 そんなルチルの様子を察したのか、ジェイクは背負っていたリュックを床に雑に放って腰を下ろし、中から食料の干し肉を取り出す。

 そのうちの一つを投げ、「食え」と一言かけて食べ始めるジェイク。その素っ気なさと雑な扱いは相変わらず気に入らないが、空腹で今にも悲鳴を上げそうな体の食欲には勝てず、ルチルもこじんまりとした口で干し肉を咥えて、質素な夕食を噛みしめる。

「……」

「……」

 当然ながらジェイクが気の利いた会話を始める訳がなく、かといってルチルも家族や村の人間以外と共に食事をした経験がなくて緊張し話題など出ず、ただただ咀嚼する音だけが部屋に響く気まずい空気が流れる。

 鉄仮面で無口の人間との食事がここまで苦痛なものとは思わなかった。 

 ガツガツと急いで食べ進め、変に重い空気を紛らわすために意味もなく泳がせていた目が、劣化して割れた木の壁の隙間の奥に見える屋外の景色を捉える。

 同じ村の外でも、人の気配と灯りが絶える事のないレチオンの街と違い、森の中での夜はまさに暗闇そのものでおどろおどろしい。

「不安か?」

 その様子を察したジェイクに急に声をかけられ、ビクリと怯んだルチルの体が震える。

「……変な感じだから」

 身を持って感じる冷たい空気が、いつどこから身に危険が迫るか分からない恐怖感が、何より故郷の村を離れ落ち着いて休む事も出来ないこの状況にいる自分の孤立無援さが寂しく空しい、何もかもが慣れず、体も心も落ち着かない。

 そう自覚すると連鎖するように村の仲間の事や思い出が脳裏に蘇ってきて、瞬間的に心の奥からこみ上げるものがあった。

 堪えるように口を結ぶルチル。

「人気のないところに物取りは来ない。疎開民が訪れる可能性はあるが、こっちも同じ身分の

 フリをすればいいだろう。一応軍の連中が来た時のために、逃げる道は頭に入っている」

 そんな現実的な不安を考えている訳ではなかったのだが、一応ジェイクなりに気を遣ってくれたのだろうか。少しズレた彼の発言にやや拍子抜けし、張りつめていた緊張の糸が解れる。

「……あんたって、いつでも同じね」

「何がだ」

「落ち着いているところが」

 この少年の動揺しなさは尋常ではない。

 元々人を殺して物を奪う事で生きる盗賊という身の上のせいというのもあるだろうが、彼の冷静沈着ぶりにルチルは驚かされてばかりだ。

 炎を操り多くの兵士達を虫を潰すかのように簡単に殺してしまった異能の持ち主である『標的』相手に臆する事なく、すぐさま対抗策を見つけて実行し、成果を上げて見せた。

 その手際の良い、容赦のない行動力には安心感よりも警戒心を先に持ってしまうくらいだ。

 彼はルチルも彼自身もこの国では身分の低い弱者だと言った、どう足掻いても位が上の人間の決めた事には逆らえず、従わなければ社会から排除され、自分の思い通りに生きていく力のない人間だと。

「教えてよ、あんたがそこまで気持ちが強い理由を」

 常に気になっていた彼の正体を問うなら今だ、束の間の安息で心の緩んだルチルの脳がそう判断した時には既に口が動いていた。

「……どういう意味だ」

「ろくに武器も持っていないのに強い敵と躊躇いなく戦おうとしたり、目的のために一番有効

 な作戦をすぐに思いついたり、それを躊躇いもせずにやったり……例え出来るとしても、出

 来ると思って動こうと思うとは簡単に思えない。あんたは私の望みが叶う可能性は低いと 

 知ってるのに、あんたの行動の迷いの無さを見てると、叶うんじゃないかって思えてくる。

 あんたがすごい、強い人間に見えたから」

「過大評価だ、俺はお前と協力関係にある、お前の財産をも多雨ために、お前から持ちかけた協力要請に従って考えて動いているだけだ」

 干し肉を奥歯で噛み千切りながら、ジェイクはあくまで協力しているから仕方なく動いているという意味合いを強調する。

「それに、前も言ったが俺は前に一度ああいう変な力を持った奴と戦った事があるからな」

 ジェイクの言葉でルチルは思い出す、彼は多くの人間を一瞬で無惨に殺してしまう恐ろしい力の持ち主と以前にも戦った事があると言っていたのを。

「あ、そういえば……いつ戦ったの?」

「……はっきりとは覚えてないが、王国の侵攻が始まって少ししてだったから半年程前か? 

 俺のいた盗賊は元々ここより南の地域で活動していてな、そこでちょうど遭遇した」

 帝国南部は現時点では殆どが王国軍に支配されている、超能力者が王国の兵士だとすれば彼は開戦直後の混乱の中で王国軍と接触していたらしい。

「で、今生きているって事は、勝ったって訳よね」

「相手は一人で、こっちは二十人以上と数の差はあったがな」

 とはいえ、強大な能力の前には数的優位など軽く覆されてしまうのはルチルも分かりきっているのであえて口には出さなかった。

「幸い向こうは仲間とはぐれたか何かで山の中を彷徨っているようだった。俺のいた盗賊の縄

 張り同然の山でうろちょろしてる奴なんてのは格好の獲物だ、すぐに襲いかかったんだが最

 初は無策で囲んじまって見事に返り討ちだ」

「っ……」

 人の体を一瞬にして炭へと変えてしまう恐ろしい火炎、あのような脅威とまともに対峙する事の恐ろしさを想像してルチルの体がブルッと震える。

「だが異国の兵士なんて滅多に見かけないからな、持ってる金品目当てに二回目は策を講じて

 追い込んでいった。色々とな」

「……罠って事?」

「あぁ、山の中でちゃんと歩いて進める道ってのは限られている、山を抜けたい奴が意図的に

 麓に続く道を逸れる可能性は低い。その辺を読んで先回りして罠を仕掛けた、少し暴れられ

 たが今度は仕留める事が出来た」

「罠って、どんなの?」

「待ち伏せて矢で射かける、目が痛くなる果実の液を散らす、撒き菱を仕掛けた場所へ誘い込

 む、そんな古典的な方法だ」

 確かに画期的な作戦ではないのだろうが、罠として高い威力と凶悪性を持ち合わせたものばかりでもある。

 仕留めるとか、罠を仕掛けるとか、人を傷つけ殺すための手段をなんでもないようにさらっと言ってのける辺り、やはり彼にとって人殺しなど大した行為ではないのだと、ルチルは自分と彼の価値観の違いに小さく慄く。

「ま、人数がいたから出来た戦術だけどな」

「そう……怖くなかったの?」

 あんな化け物じみた人間と命のやり取りをして、正気を保てる者などそうはいないだろう。

 そんな考えから出た質問だった。

「さすがに面食らったがな。けど目の前の敵がそういう力を持っているというのが事実なのは

 疑いようが無かった、だからいくらありえないと喚いても申し訳ないだろ?」

「そんな、簡単な話?」

「ようはビビるかビビらないかの問題だ、ビビってたら近づくだけでも一苦労だが、ビビって

 なきゃ攻撃を避けつつ斬りかかるのだって可能だ、とにかく思い通りに動けないと何も成し

 遂げられない。命のやり取りの中じゃ特にな」

 つまらない事を言ったと、ジェイクは一つ息をついて、残りの干し肉を口に入れた。

「簡単、なのかな」

 かじりかけた干し肉を持つ手に力を入れて、ルチルは続ける。

「……小さい頃、かくれんぼで遊んでいるうちに森の中で迷子になった時、角の大きい雄の鹿

 と遭遇した事があったの。猛獣でもないし変に怖がらなくても良かったんだけど、見たのは

 初めてで距離も近くて、怖くなって思わず近くにあった木の枝を投げつけちゃったの」

「それは、良くないな。臆病な動物でも刺激されると自衛のために威嚇して攻撃的になる」

「うん。怒って睨んでるのが分かって、私は余計に取り乱して走り去っちゃったの。少しの間

 追いかけられて、また驚いて派手に騒いで、結局振り切って村まで戻れたんだけど、後で後

 悔したのよね。勝手にビビって、勝手に怒らせちゃった事を」

 そうか、とジェイクは短く言葉を返す。

「頭では分かってても、いざその時になると正しい行動は出来ないのよ。知識があっても使え

 ないと意味がない。あんたはそれが出来てる、なんでそこまで迷わずに行動出来るの?」

「なんでそんな事を聞く必要がある」

「気になるからじゃ、駄目なの?」

 ジェイクは不機嫌そうに眉を吊り上げ、水袋を口につけた後、

「俺は強くない。強いならそもそも、こうやってこそこそ隠れて隠れる必要はないだろ」

 きっぱりと、つまらなそうに断言した。

「そんな事ないでしょ、弱かったら『標的』の一人を倒したり出来ないだろうし」

「……弱いからって、人を殺せない訳じゃないだろ」

 物騒な事を当たり前のように言ってのけ、早く会話を終わらせたい意志表示なのかわざとらしくルチルに背を向け、リュックの中身を探り出す。

 だが明日になればまた一日を『標的』の追跡と攻撃のための移動を繰り返す事になる。知識でも地理でも戦いでも、どんな分野の話でも彼には勝てないルチルは、常時彼の言動に従って動く事にならざるを得ない。そうなれば彼と向かい合って話が出来る機会は多くはないだろう。

 そう思ったルチルは食い下がる事はせず、もう一歩踏み込んでやろうと声音を強めて話す。

「私はまだ何も出来てない、あんたにただついていってるだけ。それだけでも私にはしんどく

 て精一杯なの。その一番の理由は怖いから、自分が村の外の世界について何も知らなくて、

 何も出来ると思えないから」

「……」

「あんたは私にとってただ一人の協力者だから、あんたについて知りたいの。強いあんたが協

 力してくれてるって思えば、気持ちぐらいは少しは強くなれるかもしれないもの」

 村から飛び出した先の、全てが未経験の世界、どこかは分からないがどこかに必ず危険が潜んでいる状況下において、ルチルが頼れるものはない。だからこそ唯一仲間と称する事の出来る関係であるジェイクの事を知りたい。溜まっていた彼への好奇心が、一気に彼女の心に押し寄せてきていたのだ。

「……お前の言う『俺の強さ』ってのは、俺の行動に対しての評価だろ? なぜ人を殺して平

 然としていられるのかと」

「えっ、いや、まぁ、そうだけど……」

「強いて言うなら、大した事だと思っていないからだ」

 意外と小柄な背を向けたまま、ジェイクは渋々といった感じでルチルの質問に答え始める。

「お前は他人が殺された事に強い嫌悪を持ったのとは対照的に、俺は他人が死ぬ事に関して特

 段抱く感情は無い。人はどの時代でも野生の獣を狩ってきたが、それが非道な行為と忌み嫌

 う者は少ない。俺にとっては人が殺されるのも獣が殺されるのも大差ない事柄だ」

「獣って……」

「重要なのは死んだ経緯だ。俺は食料や衣服の素材としての狩りは有益な行為だと考えている

 が、殺す事が目的の貴族がする狩猟は好意的には思っていない。違いが分かるか?」

「えーっと……狩りをする理由?」

 腫物を触るように恐る恐るルチルが返答すると、ジェイクはそうだと即答した。

「俺は自分にとって有益だという根拠がなければ行動しない。自分にとって有益な行動ならば、 その結果誰かを殺す事になってもそれは無駄な犠牲ではない……自分勝手な考えか?」

「っ……!」

 半面だけをこちらに見せて向けてきたジェイクの暗い眼光に圧倒されそうになるルチル。

「……良い気はしない、わね」

「おそらくは、それが普通なんだろう。人は身近で誰かが死ぬと大抵陰鬱な気分になるらしい

 が、俺は生まれてからずっと盗賊の一員として生きてきた。俺にとってみれば、人殺しは日

 常の一部になっているんだろう、だからどうとも思えない」

 生まれてからずっと盗賊、彼が今までどんな人生を歩んできたのか、ルチルには血生臭そうな彼の過去を想像は出来ない。

「お前から見た俺の『強さ』は、多分情がないって意味なんだろう。極端な話、人を殺す行為

 を出来ない人間はいない。お前だってやろうと思えばやれる、剣で相手の首を斬れば女子供

 でも大男を楽々息の根を止められる」

「ま、まぁ……そうなの、かな」

「出来ないと思うのは、美化して言うなら、実行する勇気が無いからだろう」

 悪く言えば、度胸がないとでも表現するのが正しいだろうか。

 確かに、仮に自分の親が殺されたとして、仇である人間が目の前で寝ていていつでも寝首を掻け、誰にも気づかれず罪に問われないと確信出来る状況だとしても、躊躇いなく他人の命を奪えるかと問われれば、少なくともルチルは即答で出来るとは答えられないだろう。

 そもそも、人を殺せるかどうかなどという物騒な考えをする事自体気分が悪い。ルチルは一瞬だけ自分に投げかけた邪悪な問いを忘れ去ろうと、顔をぶるぶると左右に振った。

「それが無いからこそ、人間社会は成り立ってるんじゃないのか?」

「え?」

 いきなり話が別の路線に切り替わった気がして、ひょうきんな声を出すルチル。

「殺したいと思ったから殺す、欲しいと思ったから奪う、犯したいと思ったから犯す。自分の

 欲求に愚直なまでに従っていれば、人間は社会からはみ出す。自分勝手な行動を制限し、共

 同体として成立させ治安を安定させるのが法や倫理というものだ。大体の人間はそういうも

 のが頭の片隅に刷り込まれているんだろう。だから国家ってのが出来上がってるんだ」

「我慢をしてるって事?」

「というより、我慢しない事は悪だという考えに結びつくようになっているんじゃないかと俺

 は思う。我慢が出来ず好き勝手に行動している盗賊が、どこの社会でも共通して異端の存在

 として認識されているのが何よりの証拠だと思うがな」

 そんな思案をした事が生まれて一度もないため、ピンと来なかったのが正直なところだが、なんとなく彼の言いたい事は分かる気がした。

 小さい頃、村の遊び仲間だった同世代の子達と遊んでいて些細な事で喧嘩した後、親の仲介で仲直りをさせられた時、心の中ではまだ相手を許す気になれずいつか仕返ししてやろうと、漠然な思いを密かにしていた事がある。結局すぐに忘れてしまう程度の感情ではあったが、もし明確な復讐心があった場合、それが結果相手を傷つけると分かっていて我慢出来ず実行してしまえば無条件で悪とされてしまう、それは理解出来た。

 いくら性格が捻くれた人間が相手でも、他人から見れば手を出した方が悪いと判断するものだ。どちらが正しいかは関係なく、危害を加えた方が悪印象を抱かれるのが人間である。

「盗賊やってる奴等はそういう縛りを……我慢する理由を持たない単純な人種なのさ」

 ジェイクはそう結論付け、リュックの整理を終えて体の動きを止める。

「単純……」

「自分の事しか考えられない、獣と変わらない馬鹿って訳だ」

 自虐的な事を迷いなく答えるからか妙に説得力を感じながらも、どこか突っかかるものがルチルの中にはあった。

 彼はレチオンの街で途方に暮れていたルチルの、村の皆を救うという願いを目的へと変えてくれた人間だ。ルチルにとって、村の皆以外で初めてまともに関わった相手だ。

「……自分に厳し過ぎるんじゃないの?」

 今まで頼りにしてきた人間が、自分を蔑む光景がどうも見ていて気に食わなかった。

 それは彼曰く『単純で馬鹿』な人間に自分が頼ってきた事を否定したいがためなのかどうかは分からない。

 だがふと気づかぬうちに、彼女はジェイクという人間が単なる無法者の盗賊と同じ括りにされるのが、やたらに嫌に感じていた。

「間違いじゃない。所詮常識の欠けた人間だから他人の死に鈍感なだけで、強い訳じゃない」

「それは、なんか違うと思う」

「何が違う」

「何がって……分からないけど、違うと思うの!」

 思わずルチルはジェイクに語尾を強めて否定の意思を言い返していた。

「なら根拠を上げてみろ」

 ぎろりと目を向けて尋ねられ、咄嗟に答えが浮かばずに口をぱくぱくさせてしまうルチル。

「何かを否定するならばそれなりの理由を持って行え」

「っ……うるさいわね! あんたいちいち細かいのよ!」

 言葉で彼を言い負かす事が無理なのは分かりきっているが、ここで彼に反論せずにいるのは気が収まらなかった。

「なんていうかその……嫌なの! 私のために協力してくれたあんたが、あんたを蔑むのが正

 しいと思いたくないの!」

「……」

「あんたの言うように、あんたはあんたのために行動してるだけかもしれないけど、それでも

 私にとってあんたは強いの! なんとなく分からない!?」

「漠然とし過ぎだ。相手に分かるように喋れ。言葉足らずなのが明らかだぞ」

「知らないわよ! 分かんないわよ、あれだけの事をやってあんたが弱いだなんて方がおかし

 い! あんた言ってる事変よ! 理由とか言う必要もないし!」

 うるさいうるさい! と昨夜レチオンにいた時と同じように喚き散らし、どこに向けているか分からない怒りを吐き出す。

 萎びた宿の中や外の森を包んでいた夜の静寂が瞬く間に崩れ、ルチルの甲高い声が薄い木の壁を突き抜け野外まで届く。

「……」

 ジェイクは黙ったまま数回瞬きした後、

「んぐぅ!?」

 右手を神速で伸ばしてきて、ルチルの小さな口を勢いよく封じ込めた。

 そのまま床の上に仰向けに押し倒され、突然喋る事も呼吸も出来なくなり意識が乱れるルチルに、ジェイクは馬乗りになって顔を近づけてくる。

「なら、どうする。それだけ評価している俺に手伝わせているんだ、相応の見返りを払ってく

 れるんだろうな?」

 ルチルは殺意でも敵意でもない、尖った眼光を直近で向けられ、声をくぐもらせて息を呑む。

(な、何!? 見返りって、父さんの隠し金を言ってる……って感じじゃないけど……)

 そう思って、ルチルはハッとする。

 人気のない夜、他に邪魔者のいない狭い空間の中、自分達二人がいる今の状況で、これから起きると想像のつく展開が断片的に思い浮かんできたのだ。

 ルチルは少女であり、ジェイクは少年である。協力関係といえば聞こえはいいが、言い方を変えればルチルはジェイクに協力してもらっている、それはルチルが彼に借りを作っているという事を意味している。

 本来協力する必要のない事に協力してもらっているジェイクに、ルチルは頭の上がらない立場なのではないか。

 そうなると、仮に彼が買ったルチルの貸しを、どのような形で支払おうとしてきても、ルチルに否定権はないのでは? ……そんな考えと自分が今立たされている状況を繋ぎ合わせると、彼が何をしようとしているのかが見えてくる気がした。

「んんっ!? んんぅ!」

 途端に頬を真っ赤にして瞳孔を見開き、手足をじたばたさせて床を叩きもがくルチルだが、引き締まって力強さの秘められた彼の体を押し返せる訳もない。

「静かにしろ」

「……っ」

 身に危険が迫っている、そんな予感に煽られているにも関わらず、彼の一言には有無を言わせぬ迫力があって、ビクリとひとりでに体を固まらせてしまった。

 彼が何をしようとしているのか、盗賊であり、罪人であり、少年であり、そして自分の協力者である彼が、自分の言葉を聞いて何を思いこのような行動に出ているのか、ルチルの脳が思考を巡らせ必死で答えを探す。

(怒らせちゃったの? 強いって言った事を? それともうるさかったから? 感情に任せて

 適当な言葉で話を遮っちゃったから? えっ、分からないわよ全然!)

 ぐるぐると目を回しそうになるくらい動揺で冷静さを失い、動悸だけが激しくなっていく。

 ランプの光だけで照らされた部屋の中で、言葉も音もなく、ひどく緊迫した空気を生み出しながら、二人は向かい合う。

「中に誰かいるのか!?」

 と、その堅苦しい雰囲気を破ったのは、眠って虫の声のみが聞こえている筈だった外から響いてきた男の怒号であった。

「っ!?」

 ジェイクは素早くルチルの体の上から離れると、壁際で腰を下ろして隙間から外を覗く。

「な……何、気づかれたの?」

 突然聞こえた第三者の声に混乱しながらも、ひとまず上半身を起こすルチル。

「誰かいる、それも大勢だ」

 ジェイクの返答に思わず息を止め、足を忍ばせながら彼の元へ近づく。

「もしかして、『標的』……?」

 ここで彼等に気づかれてしまっては非常にまずい。ジェイクなりの『標的』への対抗策は、隠れて彼等を追跡しつつ、罠や地の利等様々な方法で少しずつ戦力を落としていくという方法である。それを成功させる最低条件は、『標的』と正面から対峙しない事だ。彼等は異能の持ち主である、その相手に剣一振りしか武器を持っていないジェイクとろくに戦えないルチルが飛び出していっても、楽々あしらわれるのは目に見えている。

 昼間、セラーラ川にて『標的』の一人を討ったせいで警戒心も強まっている彼等に、自分達が近くにいると知らせる訳にはいかない。姿を見せなくても、足跡や匂いを残してしまえば狼は獲物の居場所を探り当ててしまうものだ。

 息を殺し、近づいてくる人間達の姿を隙間から確認するルチル。

 宿の周囲を取り囲むように、白く小さな光が無数に連なり一つの大きな光源となって近づいてくるのが見えた。多くの人数がいるのはなんとなく分かるが、集団の正体は逆光のせいで影すらはっきり捉えられない。

「あれは、帝国兵か?」

「えっ、見えるの?」

「うっすらな。全員馬に乗っていて、鎧を纏っている集団、十中八九そうだろう。ここは王国の支配地域ではないし、潜入部隊だとしてもあんな目立つ動きは自殺行為だ」

 目の良さというより分析力の高さと呼ぶべきか、いとも簡単に正体を予想するジェイク。

「我々はオスティム帝国軍である! もし疎開民がいるのならば姿を現すが良い! 我々は軍

 の拠点に向け移動中だ、安全圏まで連れて行ってやる!」

 彼の予測は見事に当たっているようで、高圧的な喋り方ながらも一応帝国側の人間である事が分かり、ルチルは少しだけ安堵する。

「なんで気づかれたか、教えてやろうか?」

「ごめん……」

 わざわざ言われなくても分かる、ついさっきルチルが大きな声でジェイクに向かって喚いたのを聞かれてしまったからだ。

 望まぬ展開に舌打ちするジェイクを見て、ルチルは失態だったと目を伏せ落ち込む。

「……仕方がない、装うぞ」

「ヨソーウ?」

「フリをするって意味だ、疎開民のな。ここまで近づかれた上で存在に気づかれた以上、逃げ

 るのは逆に怪しまれる。一応俺もお前も帝国民だ、危害を加えられる心配は少ないだろう」

「そう……」

 保護してもらえるのはありがたい筈なのに、感情ではなぜか不安の方が募っていた。

 ジェイクと二人で目的を達成するための行動に水を刺される形になったからか、心細い暗闇で見つけた数少ない味方側の人間を味方として受け入れられない自分がいた。

「この剣は隠す。血がついているのを見られると面倒だからな」

 そう言ってベッドの下の床に開いていた穴に剣を投げ入れてから、ジェイクは床に置いたままの食糧の残りをリュックの中へ手早く収めていく。

 それを黙って見つめていたルチルは、ぼうっと突っ立ったまま、少し前の彼との会話を回想させていた。

(見返り……)

 何事もなかったかのように振る舞っている目の前のこの少年の、自分に対する言動の意味、それが分からぬままで良いのだろうか。

 この状況で話をぶり返すのはどうかと思うが、ここを逃すと先程の彼の意思を尋ねる機会がないのではないかとも思えて、どうすべきかと顔をしかめる。

「……ルチル」

「は、ふぁい!?」

 ジェイクの心情が気になってどう彼に接すべきかに気を取られている中、いきなり傍で自分の名を呼ばれ、ルチルは変な声を漏らしてしまう。

「なな、何!? いきなり……」

「発言には責任を持て」

 驚き取り乱すルチルに対し、ジェイクはこちらを向かないままそう呟く。

「でないと相手に間違った自意識を持たせてしまう、変に相手に求められてしまう……人は調子に乗る生き物、みたいだからな」

「はぁ……みたい、って?」

「……俺は評価された経験がないからな」

 最後は聞き取れるかどうかぐらいの弱々しい声でよく聞き取れず、「え?」とルチルが聞き返すも、彼が言い直す事はなかった。


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