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第9話 剣士ダグ

「がああああああああああああ!」

 落下の衝撃が鎧を突き抜け全身に広がり、血肉が悲鳴を上げて裂けていくのが分かった。

 痛みにしばらく悶絶した後、うつ伏せの体をゆっくりと起き上がらせて、彼は自分が橋の遥か下を流れていた渓流に落ちてしまったのだと理解する。

 ダグというのが彼の名前であった。彼はユストア王国の貴族の人間であり騎士であったが、とある人物に剣術による対決で敗れ、その者の強さに憧れ家の当主の権利を捨ててまでその者に仕える事を選び、今に至る。

 ダグの仕える者もまたユストア王国の騎士であり、帝国との戦争で数々の勝利を上げてきた英雄的存在である。彼はユストア王国民の中で少数しかいない超常的な能力の持ち主で、彼が若いながらに戦場で負け知らずだったのはその力による面が強い。

 だがダグが感銘を受けたのは特別な能力に対してではない、その者が常人に在らざる能力に頼り切るのではなく、己を鍛え上げて強さの向上を目指す事を絶やさず続け、戦闘で仲間を指揮する器の大きさを持ち合わせていたからだ。

 強く、しかし慢心せずさらに強く。それでいて強さを私利私欲ではなく母国の平和を取り戻すために捧げる。こんな聖人であり武人であり愛国者である人間が他にいるだろうか。

 貴族達の余興として行った剣術勝負の中でその者の強さを知り、惚れ込んだ。それ以降ダグは常に彼と行動を共にし、戦場を駆け、ユストア王国の敵を排除し、国の民を守ってきた。

 今回はそれとなんら変わりのない任務、もとい使命であった筈だった。

 ダグも弱くはない、彼も超常的な能力の持ち主であり、意図的に筋力や治癒力を高めたり、手にした武具の強化を可能とする異能によって頑丈な戦士として無数の敵兵を切り裂いてきた。戦場では油断を許さず、集中力を切らさず戦い続ける事が出来るのが彼の自負でもあった。

 憧れる人間ほどの圧倒的強さや派手さはない、だがその人物についていけるだけの意地と実力は兼ね備えているつもりだった。

 だからこそ、こんなところで立ち止まる訳にはいかない。

「ぐっ……うぐぅ……早く怪我を治さねば……!」

 自らの能力を行使し、身体の回復力を強化する事で自らの体の至るところを襲った裂傷や骨折等を治しにかかる。

 体を動かせるぐらいには治さなければ、武器や筋力を強化しても戦う事が出来ない。川原まで這って倒れ込み、意識を自分の体の痛む部分に向けて力を発動させる。

「っ!」

 それを邪魔するかのように、川原の石を踏みつけるじゃりじゃりとした音が聞こえてきた。

 十人程の男達が、手に斧や木の棒などの凶器を持って迫ってきているのがダグの目に映った。全員嫌らしい笑みを浮かべ、あからさまな殺意を放っているその野蛮な姿は盗賊以外の何物でもないだろう。

(ええい、こんな時に……面倒だ!)

 五体満足ならば盗賊連中など呼吸を乱す事なく切り伏せられる、それ故にこの手負いの状況で相手をしなければならない今の自分が歯がゆいダグであった。

 回復し切っていない体に鞭を打って動かし、剣を振るい盾を構え直す毎に起きる激痛に耐えながら、ダグは襲おうと近づいてくる者から次々と華麗な剣術で切り倒していく。

 結局苦しみながらも全員を返り討ちにしたダグは、既に事切れて倒れた盗賊共の血で赤く染まった川原から数歩下がったところに腰を下ろし、今度こそ体の治癒に専念しようとする。

「んぐぁ!?」

 そんな時、一際激しい痛みが右肩を襲った。

 遅れてカンという甲高い音、一瞬の間を置いてダグの足下に木製の細長い棒らしきものが落ちる。

「これは……矢か?」

 先端は意図的に削られたように鋭く尖っている、どうやら飛んできた木の矢が偶然傷を負っていた右肩の部分に亀裂の入った鎧の上に直撃し、刺さりはしなかったものの振動で痛覚を刺激されてしまったらしい。鎧に弾かれた事で矢の先端は折れ、細かい木片が散っている。

 不意を突かれたが、頭を射抜かれなかったのが幸運であった。矢が飛んできたのは川原沿いの森の中、方角さえ特定出来れば攻撃されても避けるまでもなく剣で弾いてしまえる。

 警戒心を最大にしておけば治癒のために動きを止めておいても平気であろう、そうダグが思った時、今度は自分の体を雷で打たれたかのような衝撃に襲われた。

「うがああ!?」

 その場に四つん這いに倒れ込んで歯を食いしばるものの、痛みは全身を駆け巡り塞がっていない傷を余計に疼かせる。

 怪我によるものではない、別の要因による痛みであるのは明白であった。

(何……をされ……劇薬でも飲まされたかのようだ……しかしそんな隙など自分には……!)

 いかなる窮地でも冷静さを失わなければ勝機が開ける、ダグの仕える者の教えに従い今自分の身に起こっている事を冷静に分析するが、

「っ!」

 それを妨害するかの如く、数本の木の矢が一定の間隔でダグめがけて飛来する。

「うおおおっ!」

 上半身を起こし右手で剣を振るってなんとか切り払うものの、右肩の裂傷がさらに広がって激痛と流血を招く。

「くっ……この……!」

 図ったかのように、一定の間隔で矢は射られ、三本中一本はダグに直撃する軌道で飛んでくるほど精度が高く、加えて体から消えない謎の痛みで治癒に集中が出来ない。

「ぎぃっ!?」

 弾いた矢の一本が運悪く右足の鎧の亀裂の部分に当たり、中途半端に先端部が傷口を抉ってしまい、ダグは痛みに悶絶して体勢を崩してしまう。

 二重三重に苦難が訪れ、ダグの精神は不安定になっていた。少しだけ時間があればすぐにでも怪我を治し、矢を射る者を見つけ出して討ち、仲間の元へ戻る事が出来る。

「……! そうだ、……様は!?」

 ダグの尊敬すべき相手であり、戦場を共に駆けてきた友の名を叫び、頭上を見上げる。

 そり立つ絶壁の上、橋が架かっていた渓谷の頂上部では、多くの人間の喧騒と共に時折叫び声や悲鳴のようなものも聞こえてくるが、崖のあまりに高さがあってちゃんと確認出来ない。

 だが炎や雷が垣間見えており、それはダグの戦友の能力によるものである事を示していたため、彼は少しだけ安堵しささやかな笑みを浮かべた。

「余裕だな」

 そのせいで、直後に間近から聞き慣れぬ少年の声を伴って、大気を裂いて迫りくる木の矢に気づくのが遅れてしまったが。

「っ!? があああ!」 

 本能で顔を動かし避けようとするものの、彼の側頭部を乱雑に削られた矢の先端が容赦なく切り裂き深く肉を抉った。

(ぐぅぅ! くそ、くそっ! 治癒をしなければ……こんな事でこれ以上立ち止まっていては

 ……とにかく回復を……!)

 自分のやるべき事を必死に頭で整理しようとするが、全身の様々な箇所の様々な種類の激痛がダグの冷静な精神を乱れさせていく。

 怪我を負ったのはいつ以来だろうか、手負いになる事を無意識に覚悟していなかったせいなのか、傷口の痛みや流れ出る血に新鮮ささえ覚えてしまい、自分がどれだけ異常な状態なのかを思い知らされる。

「……敵は!?」

 矢を受ける前に聞こえた声は近くからした、側頭部の傷を手で押さえて周囲を見回したダグは、いつの間にか近くに姿を現していた一人の少年に気づく。

 先程蹴散らした盗賊の仲間だろうか、汚れきった地味な服を着たその少年の左手には、木の枝と弦を利用して作られた即席の弓が握られている。

「お前の仕業か、野盗風情が!」

 痛みに耐えながら腰を上げ、剣を構え直すダグは、少年の眼に灯るひたすらに殺すという目的しか込められていない純粋な殺気に内心驚いた。同じ盗賊にしては、獲物である自分に向ける敵意の質が段違いである。

 少年は黙ったまま弓を構えると、背中に携えた鞄から木の矢を取り出しダグへ射線を向ける。

「お前にこれ以上構ってはいられない、悪いが討たせてもらうぞ!」

 ダグは気合で体を動かし、少年に斬りかかる隙を伺う。

 二人の間にしばし沈黙が流れ、場違いなくらいに川のせせらぎが心地よい音がよく聞こえる。

 傷だらけのダグといえど少年の武器は弓矢、一射目で仕留められなければ次の矢を用意するまでに十分にダグが距離を詰めて斬り殺す事が出来る。

 隙を見せた方の負け、お互い言葉を交わさずともその事を理解していた。

「オスティム帝国支配下における農奴の定義とは、領主や領地内の帝国民へ供給される食料を

 生産し税として納めるために存在する奴隷の一種である事」

 と、弓を持つ少年はこの状況とは関係ない事を唐突に話し出す。

「農奴は指定された量の作物を納めなければならず、これを怠る事は許されない」

「何を言っている、貴様」

「農奴としての義務を放棄した場合は処罰の対象になる。具体的には前線へ兵として送られる

 か、他の農奴への見せしめとして処刑されるか、大抵はこの二つ」

 弓を持つ少年は、まるで劇の台本を読み上げるように、一定の声量で淡々と言葉を吐き出す。

「どちらにせよ命に係わる厳しい処分を受けるのが一般的だ。帝国領内にいる限りはな」

 少年はなぜ農奴の事について喋り出したのか、ダグは意識の殆どを能力による体の治癒に割きつつも、頭の隅で考える。

(私の意識を逸らすのが目的だとして、なぜ農奴の話題を持ち出してきた? 私を農奴と勘違

 いしている訳ではないようだが……)

 農奴、つまり奴隷というものは他者のために見返りなく働かされる身分の人間の事を指す。生まれつき労働が義務付けられ人格は尊重されず、土地と同じように物同然に扱われる身分であり、望んで奴隷になるような人間など存在しない。

 ダグの祖国ユストアには既に奴隷制はない。領主による締め付けが強過ぎた事への反発を契機に国外への逃亡者が発生し、王族が奴隷解放令を出したからだ。そのような過去もあって、王国民は他国で奴隷制が続いている事に対して良い印象は抱いていない。

 ダグ自身、戦場で共に戦った者は元奴隷だとしても元犯罪者だとしても関係なく、戦友として母国のために命をかける覚悟を持った彼等に敬意をもって接していた。

 だからこそ、この帝国が人間を奴隷として扱う者が許せなかった。侵略した国の人間を奴隷とし、戦いや労働で酷使し死ぬまで使用する。それを堂々と行う帝国を、ダグは嫌っていた。

 それは彼の尊敬する戦友も同じ考えであり、だからこそ帝国への反攻作戦の最中に遭遇した奴隷の中で帝国軍から解放され王国に投降する事を望む者は制圧済の王国軍の拠点や地域内で保護をしてきた。

「上にいるのも、農奴としての義務を放棄した農奴だろ?」

「……!」

 少年の言葉は間違ってはいなかった。

 確かに渓谷の上には、ダグとその戦友が近くの戦場で保護した、戦いに徴兵されていた農奴達がいる。この周辺の地域はカーセム城の制圧により解放されたため、同地域内の村から連れてこられた者達を帰郷させる途中だったのだ。

 その事を、目の前の少年は知っている。

「貴様、橋が崩落した事に何か絡んでいるな?」

 ダグ達が連れてきた農奴を知っていて、尚且つから落下したダグを待ち伏せていた、この少年は『橋から落ちる者』が現れると分かった上でこの川原にいたのだ。

 少年は弓を構えたまま返答せず、代わりに僅かに目を細めて、

「義務を放棄した農奴は、そのせいでどんな被害を被ったとしても、仕方がないよな?」

 一瞬だけ注意を上に逸らすように頭を動かし、暗く無機質な声で言葉を返した。

「……何を企んで」

 ダグが少年の正体を探ろうとさらに尋ねようとしたその時、

「うああああああああああああああああ!」

 緊迫した空気を漂わせる二人からやや離れた位置へ、喉が裂けるような凄まじい悲鳴を放って一人の人間が渓谷の上から落ちてきた。

「!? まさかっ!」

 仲間の誰かが落下してきてしまったのか、それを危惧した瞬間思考よりも先に体が反応し、反射的に目がそちらへと向いた。

 そこでダグの視界が大きく揺れた。

「がぁっ!?」

 射られた矢は視線を少年から外していたダグの右肩に当たり、鎧に弾かれ彼の目尻を襲う。

 飛び散った木片が両目に激痛が走る。どれだけ体を鍛えた屈強な兵士でも、人の急所である目に危害を加えられて平気でいられる人間などいない。

 落ち着き始めていた集中力が途切れ、堪えていた全身の痛みが再び強みを増す。

 片目を左手で押さえ膝をつきそうになるダグは、もう一方の目で自分を襲った少年の姿を確認する。

 ダグが怯んでいる間に、少年は一気に間合いを詰め、彼の眼前まで接近していた。

 その右手には、ついさっきまで握られていた木の弓ではなく、帝国軍の兵士が使っているものと同じ、特徴のない薄い刃を持った剣であった。

「……待」

 体を駆け巡る痛みで口も体も初動が遅れ、少年による鋭い剣の一撃がダグの首元を襲う。

 咄嗟に左腕で防いだものの刃は亀裂で脆くなった鎧を砕き、そのまま鈍器で殴られたかのようにダグの体は真横へ吹き飛んだ。

 鮮血が飛び散り飛沫が宙を舞うのを、倒れ込んだダグの視界が捉える。

 体のどこが痛いとか、そういう問題ではなかった。全身が痛く、傷口が疼き、今のダグにそれはもう異常と思えていなかった。

 眼前には、追い討ちをかけるべく既に剣を構え直した少年が迫っている。

「……教えろ、全部謀った事か?」

 四肢や胴体、側頭部に裂傷を負い、激痛が抜けず大量出血をしている自らの体の深刻な状況を理解した上で、少しでも治癒の時間を稼ぐために少年に会話を投げかけるダグ。

「……あぁ」

「橋の落下はどうやった、爆薬を使ったのか? だとしたら我々が差し掛かるのを待っていた

 というのか?」

「催し用の黒色火薬なら活気ある街のどこかで手に入る。大多数の人間が通れば自然と大きく

 なる振動に反応するように橋の中腹に仕掛けた。ここはただでさえ商人以外で人が通らん、

 まして既に王国の勢力下に落ちたこの地域でここを通るのは王国軍か帝国軍の奴等のどっち 

 かだと思っていた。お前等が通ると確信して狙った訳じゃない」

「……貴様の矢、何か仕込んでいるな……? 矢を受けてから、痛みが引かん」

「ギンチョウの実を砕いたものを鏃に仕込んでおいた。体内に入ると一定時間痛覚を刺激する

 毒を持った実だ、かつて害獣を減らすためにこの辺一帯に植えられた、帝国の人間なら特に

 珍しくもない木の実だ」

 滑稽なものだとダグは失笑した。

 無数の帝国兵の攻勢を立った一人で何度も蹴散らしてきた、帝国兵に襲われる村や町の人々を何度も身を挺して守ってきた、超常的な能力を持っている分過酷な戦場で苛烈に戦い続け、王国の聖地奪還のために力を奮ってきた。

 戦いの中で命を落とすのを覚悟していなかった訳ではない。強化と治癒の力を持っているとはいえ、戦い続けていればいずれどこかで命の危機がやってくるだろうと覚悟はしていた。

 ただ、それがこんな突然に、しかも大勢の帝国軍と戦い続けて力尽きたというように奮戦した訳ではなく、橋から落とされ矢で射られ毒を盛られるといった罠にまんまとハマり、殆ど抵抗も出来ずにこうして窮地に立たされているというのが信じられなかった。

(いくら特別な力を持っていても、自分はただの一兵に過ぎなかったという訳か)

 体の傷はどれも深く、治癒の力を使ってもまだ塞がるには相当の時間を要するようだった。

 諦めた訳ではない、ダグは右手で剣を握ると、杖代わりにして立ち上がろうとする。

 まだ負けてはいない、最後まで抗いこの敵を倒す。その気持ちは挫けていない。

「貴様、ただ突進するだけの帝国兵とは違うようだな。何者だ」

 正体を尋ねると、少年は少しだけ間を置いてから、

「……ただの盗賊だ」

 素っ気なくそう言葉を返した。

(ただの盗賊……奢りが全く感じられない、隙が全く見られない……!)

 今の自分はこの少年には勝てないだろうという嫌な想像を頭の片隅に追いやって、血が出る程に歯を食いしばって全身の激痛に耐えながら、抵抗する事を諦めない。

 出来る限り能力を行使し、左手の剣の刃を硬く鋭く強化し、体を動かす度に広がっていく傷を治癒で無理矢理に治しながら、少年の攻撃に備える。

 盗賊と名乗った少年はこの状況で勝ち誇りもせず、無表情のまま振り上げた剣による斬撃をダグの首元めがけて繰り出す。

 ダグは痛みの引かない眼を精一杯見開いて迫る凶刃を見極め、能力でより鋭利になった剣でそれを切り払おうと腕を動かすも、

「……」

 少年はまるでそれを読み切っていたかのように一歩飛び退いた。

(っ……結局私も、志半ばで力尽く者の一人でしかないという事か)

 渾身の一撃をひらりと避けられ、体勢が前のめりに崩れてしまう最中に、ダグは悟った。

 オスティム帝国から王国の領土を取り返すために戦い、王国や反帝国勢力の兵を率いる『特別な力』を持った者の一人として戦いを王国の勝利に導くと心に決めていた、そんな自分が故郷から離れたこんな辺境の地で盗賊によって命を奪われる。

 受け入れがたい事実だが、認めざるを得なかった。

 罠にかかり、怪我を負い、死にもの狂いで抵抗しても、自分に勝機が無いという事実を。

 意識が途切れる寸前、渓谷の上から落下してきた人物の骸を左目で捉えたダグは、その正体に気づいて心中で自分自身を嘲笑した。

(……尊敬すべき私の戦友が、落下したぐらいで死ぬ訳がないか)

 流血に塗れて動かなくなった死体は、帝国の強制的な徴兵から解放して同行を共にさせていた、この国の農奴の一人であった。


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