1章 2
夜十一時半、帰宅。
サトルは賃貸マンションの自室で、冷凍パスタをだらだらと食べていた。
受験生達の居残りと自習に付き合い、生徒一人ひとりの進捗状況を書類にまとめ、学習室の清掃を終わらせると、大抵この時間になる。
ノートパソコンで動画を漁りながら食べるので、カルボナーラのソースは油分が固まり、麺も絡まったまま団子のようになっていた。電子レンジから取り出した時にはホカホカとクリーミーな香りを漂わせていたのに、今見下ろすこの麺は既に食欲をそそるものの体を成していなかった。インスタントコーヒーを啜りながら、動画サイトとは別にタブを開く。お気に入りリストのショートカットからメールのアプリケーションを立ち上げた。
「あ、やっぱり来てる」
興味のないダイレクトメールを全てゴミ箱に移すと、残った未読メールは一通。母からのメールだ。
『さとるくんお元気ですか。食事はちゃ
んととっていますか?
お盆にはこちらのお墓参りにそちらに行きますが、それまでに休暇が取れたら連絡くださいね。お父さんもお母さんも元気ですから、こちらは心配しないでください。
帰ってきたらテレビ電話のやり方を教えてください。
お母さんより』
まただ。件名から本文を書き始めているから、本文の記入欄の書き出しが、毎度中途半端なのである。サトルは愛情を込めて苦笑いをした。十七時間の時差を乗り越えて親子でテレビ電話までするつもりか、と、同時に心の中でつっこんでもいた。仕事も有るだろうに。
母、明美は日系マーケットに勤務している。「日系」である所以は、夫――サトルの父、ゲンが日系アメリカ人であるからであろう。日本語教師の講師を父に、日本語の絶えない職場を持つ日本人を母に持ったお陰で、日本語の習得には事欠かなかった。もちろん、若者たちの日本流スラングを除いては。
とはいっても、彼らは実の親ではない。幼少の頃に里親として引き取られて以来二十年近く経とうとしているが、家族意識は人並みかそれ以上であると自負している。名前と誕生日しか言えなかった記憶喪失の自分を引き取ってくれたのだから、その恩は大きい。それに報いるべく――いや、もしかすると自己満足かもしれないが――自らの生い立ちを探るために、アメリカを出て、こうして日本を手始めにルーツを見つけたいと、今は思っている。数少ない記憶の中に「サトル」という日本人名があったことが、来日を選んだ短絡的発想ではあるのだが。
学生塾を経営する明美の家族を紹介してまで背中を押してくれる両親に、次こそはテレビ電話のネット接続を教えてやらねば、とサトルは意気込みながら返信を送った。
トロトロから冷えてポソポソになったソースを絡め、カルボナーラを完食した時点で、時計は零時半を指していた。ズボラな彼であるから、皿に洗剤と水をつけ、シンクに置いた。明日の朝食の食器とまとめて洗うつもりだ。多分。
「あ。ストック、ねぇや」
食器洗い洗剤の残量が僅かだった。日中の予定が決まった。一日を寝て過ごすことは少なくとも出来なくなりそうだ。「あ〜ぁあ」と、あくびとため息を混ぜたような伸びをして、シャワーも後回しに、サトルは就寝の準備に入った。