2章 5
「絶対あいつにプライベートなこと聞いちゃいけないんだから!」
学園に向かう電車のなかで、サトルは風代に言い聞かされた言葉を思い返していた。あれから三日経つが、聖は部室に顔を出していない。学園では一人で歩いているところを幾度か見かけたが、視線を交わすことすら無かった。自分に怒っているのだ、とサトルは落ち込んでいたが、早苗と氷上姉妹の会話から彼が帰宅もしていない事を昨日小耳に挟み、部室に顔を出さない理由が自分の事だけではなさそうだと考え、少し安心した。
いつもの事だから別に謝る必要はないと氷上姉妹から言われたこともあり、サトルは学園に向かいながら、次に聖に会った時も、いつもと変わらない態度でいる事を決めた。
サトルの気持ち同様、時間にも余裕があった。いつもは教室への近道を行くが、今日は少し違う道から登校してみる事にした。附属の看護学科と医学部、そこに併設された大学病院前の庭園を通り抜けるのだ。噴水のある明るい庭園だが、そこにいる人の多くが入院着を着た患者とその家族だ。サトルは入院したことこそないが、ホラー映画などの題材にされるような怖い病院でなくてよかった、と他の病院に対して失礼な事を考えていた。しかし、外観がモダンなデザインであるから、あまり緊張せずに病院前を通る事ができたのは事実である。その病院の出入り口に、見覚えのある人影があり、サトルの目にとまった。聖だった。何かあったのでは、と咄嗟にサトルの足は彼の方へ向いた。しかし同時に、背後から強烈な視線を感じた。驚いてサトルは振り返った。
「あれ……」
しかし、背後には何も無かった。噴水の前を小さな子供が駆けて行っただけである。気のせいかもしれない、とサトルは思い、また病院の方へ向き直った。もう聖の姿は無かった。慣れない味わったサトルは、呆然と立ち尽くしていた。我に返って時計を見た時には、既に走らないと遅刻する時間となっていた。
(それにしても)
サトルは講義がはじまっても、聖の謎について考えを止めることができなかった。
(園芸部の人達以外と一緒にいるところなんて見た事もないけれど、部室にも来ないで病院なんて、どんな用事なんだろう)
三階の窓際に座っていたサトルは頬杖をついて、中庭を見下ろした。
(もし聖の身内に何かあれば、リーダー早苗ちゃんも動いているはずだし)
ちょうどその時、青年が中庭の花壇で苗に水をやっているのを見つけた。またもや聖だった。
「何してんの?」
講義が終わってサトルは中庭へと足を運んでいた。聖はまだ作業をしていたが、サトルの声に反応して手を止め、顔を上げた。
「部活」
一言で答えると、聖はまた屈んで作業を始めた。
「本当の園芸部もやってたんだ……」
カモフラージュの用具庫ではなかったようだ。
「うちを何部だと思ってるの」
無視されないところを見ると、完全に嫌われている訳では無さそうだ。サトルは聖の手元にある球根を見下ろした。
「これは何が咲くの?」
「グラジオラス」
「詳しいんだね」
サトルは聖の向き合う花壇の隣にあるベンチに腰掛けた。
「好きなの?この花」
「どうだろう」
サトルが見下ろす視線の先で、聖はふと手を止めた。
「一見似ているけれど、僕はこの子に相応しくない」
聖の言った意味が解らず、サトルは更に問う。
「どういうこと?」
聖は答えない。少しの間、沈黙が流れた。聖は突然立ち上がり、サトルを見下ろした。
「僕の方こそ聞きたい」
「意味がよく解らないんだけど」
サトルは問い直した。聖の視線が鋭い。この間感覚をどこかで味わったような気がしたが、そこまで考える余裕はない。
「朝から僕を監視するような真似をして、一体どういう事だって聞いてる」
「監視?そんなこと一度も」
サトルは聖に責められる謂われはないと思いつつ、今日一日の出来事を思い返した。彼と会話したのは今が初めてのことだ。病院ではこちらが見かけたというだけで。
(見かけた……?監視……?)
サトルは病院で味わった奇妙な感覚を思い出した。噴水のようの方から鋭い視線を感じた時のことだ。
(そういえば、なんで聖は僕が彼を見てたってことを知ってるんだ?)
以前、自分の力を知るトレーニングの中で、奏の言った言葉を思い出した。
『同様に、水色の聖。あいつは水分を引き寄せたり、水の動きを思いのままにできる。雨男なわけだ』
(そうか)
そして、聖は一つの結論に至った。
「君、僕が病院前を通ったの、見てたんだ。噴水の水を通して」
聖から否定の言葉はない。つまり肯定しているととって良いということだろう。自分のことを盗み見られたような嫌な気分がして、サトルは言い返した。
「僕は監視なんてしてない。通りかかった時久々に君を病院で見かけたから心配してただけだ」
言葉を紡ぐうち、次第に体が熱くなっていた。視界が次第に揺らぎ始める。まるで真夏のコンクリートから立ちのぼる陽炎みたいに。しかし、聖に苛立っているサトルは、そんなことまで気にする余裕はなかった。
「君こそ僕のことこっそり見て、そっちの方がまるで監視してるみたいじゃないか。そんなに周りの目が気になる?自意識過剰なんじゃないの」
一気にここまで言って、サトルはしまったと思った。そして風代に言い聞かされていた事を思い出した。
(ひょっとして、言い過ぎたかも)
しかし、時既に遅し。聖の目の中で、静かに怒りが渦巻いていた。