1章 11
あれから戻ってきた氷上は、トモを大学病院の地下にある更生施設へと連れて行っていたということだった。しかし、大学の長い春休み中、メンバーも休みがちになるのだそうだ。
「まあ、俺たちは学校も家みたいなもんだから。まあ責任者だし」
バイト先に辞職の旨を伝えたその翌日、早速サトルは「園芸部」の地下に顔を出していた。奏はパソコンをしながらコーヒーを飲んでいた。それを見ながらサトルもコーヒーをすする。
「それにしても暇ですね。こんなものですか?」
「まあ、警察に比べれば明らかに暇だな」
そういったところで、奏は「ところが」とカップをデスクに置いた。
「君のおかげで。仕事ができた。今日は一日暇かい?」
「今日どころか、もうずっと」
「そうか。じゃあここに住むといい」
「え?」
「寮だよ。特待生になれば、一般の学生の半額で入寮できるよ」
「へえ。いい情報です」
「それはよかった。それじゃあ、トレーニングをしてみよう」
「トレーニング?」
「そう」
そして奏はカウンターに座るサトルの元へと歩み寄り向かい合わせに腰掛けた。
「君は『オーラが見える』と言っていたよね」
「ええ」
「あれは間違いだ」
「え?」
「ここの職員全員がもつ体質だ。これから説明しよう」
奏の話はいつも説得力にあふれている。だからといって決して上から目線ではなく、口調にも嫌味がない。そして穏やかで温和な接し方をする。サトルは非常にこの男を気に入っていた。サトルは奏の話に耳を傾けるべく、佇まいをきちんと直した。
「君のいうオーラだが、自分で自分のものをみたことはあるかい?」
「いえ・・・・・・」
「そのはずだ。というのは、自分のがもっとも気がつきにくいんだよ。俺たちの視界はいつも他人の色であふれているから」
言われてみれば、とサトルは頷いた。
「ならば君も自分の色を知っておくべきだ」
「そういえば・・・・・・」
サトルは、聖の言葉を思い出した。
「聖くんにも同じことを」
「そうだったか。ではあいつは何色に見えた?」
「水色に」
「では俺は?」
「緑色に」
「うん。その通りだよ。・・・・・・じゃあ、自分自身の色を見てみようか」
そう言うと、奏はデスクのところへ行き、引き出しから手鏡を取り出した。それをこちら側に向け、問いかけた。
「これで自分を映してみて、どうだ?見えるか?」
「見えません」
言葉の通り、サトルは鏡に向かっても、自分のオーラを見たことはなかった。目を細めてみたり、見方をかえてみようとしても、やはり見えないのであった。
すると、奏が鏡をずらして、鏡を彼の顔の横に並べた。
「こうしたら、俺の色は見えるよな?」
「はい」
「先ほど言ったように、自分に対して関心のアンテナは向きにくい。だから、俺をアンテナを合わせるための目印にしてみて。人の色を見るのと同じくらいの気持ちで、自分を一個人として見てみるんだ」
奏の緑は雪代の新緑のような緑とは違い、深みのある落ち着いた緑だ。見とれていると、笑い混じりの指摘が飛んできた。
「そんなに俺の色ばっかり見てるともっと自分が薄れるぞ。あくまでも、俺は感覚を保つための基準だよ。俺みたいな他人の色を見る感覚を保ったまま、自分の顔を見て。単なる『自分』じゃなくて、フジオカ・サトルという人間の存在を、心の中で確固たるものとして」
サトルにとって、自分の生い立ちについて深く考えることは慣れたものであったが、こうして自分を他人と同格の一個人として考えることは、特に最近なくなっていた。
「自分を見逃さないで。俺と君は同等だよ。もっと君を見て」
「僕を見る、僕を見る・・・・・・」サトルは気づかないうちに何度も口に出していた。体が熱くなり、じんわりと汗がにじんでいた。すると、次第に橙色の煙が視界の中を漂っていることに気がついた。驚いて、サトルは周囲を見回した。しかし、そんなオーラの者はこの部屋にはいない。ハッと息を呑んで、サトルは試しに自分の手のひらを見た。橙色をした煙で包まれていた。自分の手が煙に包まれているということは、もしかして、とサトルは一つの結論にたどり着きかけていた。疑念を抱きながら鏡に視線を戻す。すると、今度は確かに、自分の周りに奏たちのような色の煙が渦巻いているのが見えた。ついに疑念が確信に変わった。
「オ、オレンジ・・・・・・!?」
「正解。お疲れ様」
ようやく視界に入った奏の表情は、まるで自分が勝負に勝ったかのように、誇らしげに微笑んでいた。汗をかいたサトルに、鏡を片付けた奏は水を出した。サトルは感謝した。
「共通して言えるのは、すべてが安定して同じ色に見えるということだ。もともとオーラというのはそのときの感情や気分でころころと色が変わる。俺たちが見てるのは、そのもっと奥。その人の本質的な色だよ」
「本質的・・・・・・。僕、気性荒いんですかね・・・・・・」
「悪く言えばそういう人も居るだろうが・・・・・・俺は君に対してそうは思わなかったな。決意の揺らがない、消えない炎を持った、要するに君は『熱い人』なんだよ」
「決意の消えない、熱い・・・・・・」
「うん。俺にはそう見えるな。ちなみに、それを大まかに四つの種類に分けることができるんだ。そしてそれが分かれば使いこなすこともできる」
「使いこなす・・・・・・?」
「そうだよ。俺達はみんな『属性』って呼んでる。四つの種類――四台元素の火、水、空気、地の属性って。つまり、自分の色と共通する属性を操れるってことだよ」
「たとえば、空気を読む、的な?」
「それは誰にでもできるだろう」奏は笑った。
「その力そのものを操る、と言ったほうがイメージしやすいかな。元素に協力を請う契約をするのさ。オレンジの君は?」
「・・・・・・火?」
「そう。同様に、水色の聖。あいつは水分を引き寄せたり、水の動きを思いのままにできる。雨男なわけだ」
奏は肩をすくめながら鼻で弟を笑った。しかし、十分すぎるほどの親しみがこもっていた。
「聖くんとは仲がいいんでしょうね」
「呼び捨てでいいよ、どうせ年上にも敬語使わないんだから。俺のこともそんなに気使わなくていいから・・・・・・仲がいいかはわからないが、あいつは小さいころ本当に体が弱かったから、色々と手伝いをさせられたよ。やっかいな物ほど時間がたつと愛着が沸くんだよな」
やはりこの苦笑いにも、愛情がこもっている。兄弟の絆をよく知らないサトルは、羨ましく思った。
「二人で助け合ってきたんだ」
「いや、三人だよ。話してなかったかな」
「初耳だよ」
「末っ子に妹が居るんだ」
「え。三人兄弟?」
「そう。聖だけ水属性で、俺と妹が風・・・・・・空気だよ」
「リーダーは、空気をどうできるの?」
「自分が触れた範囲の空気の中で好きな体積分を、創造したものの形に固めることができるんだ」
「うーん、ぴんとこない」
奏は手のひらをサトルの目の前にかざした。
「ここ、同じようにして触ってみて」
「あ、なんかある」
手のひらを合わせようとするが、目に見えない力が、サトルの手のひらに平等にかかっていた。まるで二人の手のひらの間に板でもあるかのように。
「俺が今したのは、板のように平べったく、固く空気を形作るということだ。空気は目に見えないから分かりづらいけれど。・・・・・・たとえばこれを俺が持って、投げたり、物理的な攻撃にすることもできる。今のままだと一見盾にしか思えないけれど・・・・・・こうすると、ほら」
その板を持つようなしぐさをしつつ、盛られたフルーツのなかのりんごを一つ叩いた。本当に、りんごは何か固いもので勢いよく圧迫されたように潰れ、一部砕けてしまった。サトルは息を呑んだ。
「これって、超能力って言われない?」
奏は笑った。
「見えること自体、超能力といわれるもののうちと思うけど?」
「あ、そうか」
納得しているサトルの真向かいで、奏は腕を組み、更に説明した。
「君も、俺達も、こうして自分の属性を知ったからには、仲間の元素とうまく付き合い、時にはこうして使うこともできるようにならなきゃ。たとえば悪事を働くやつとは一戦交えることもあるから、これを応用できるようにならないと。期待してるよ、サトル」
ただ驚くサトルの前で、奏は不敵に微笑んでいた。