こんな夢を観た「夕焼け空」
その町では、もう長いこと夕焼けを見た者がないという。
「最後に見たのは、ありゃいつだったけかな、ばあさん」縁側で番茶をすすりながら、おじいさんが声をかける。
「そうですねえ、震災前には、毎日のように見られましたよ」おばあさんの言う「震災」とは、関東大震災のことに違いない。となると、かれこれ90年ほど昔になる。
おじいさんは、湯飲みを傾け、残りをずずっと飲み干してしまう。年期のいった盆の上に、タンッと置き、
「そうか、そんなになるか」とだけつぶやいた。
わたしは、この町に来てまだ日が浅い。言われてみれば、確かに夕焼けを見た覚えがなかった。
「これでは、町の人があんまりだ。何とかしてあげられないかなぁ」つい、気の毒になってしまう。
糸口はないものかと、インターネットで調べてみる。キーワードは、「夕焼け」「関東大震災」「ずっと」「見ていない」。
すると、この町に関する情報ばかり、数えきれないほど上がってきた。
たいていはブログで、「夕焼けのないわが町」だとか、「関東大震災と共に失われた空模様」などといったものである。
いくつか閲覧してみると、どれもどんよりと濁った夕方の風景写真ばかりが載せられていた。たまに夕焼けの写真があったと思うと、それはよその町で撮られたものだった。
「これがかつての夕焼け空」という写真も、数枚見つけた。ただし、当時はカラー写真が珍しい時代で、当然のことながら、どれもモノクロだ。
「検索の仕方を間違えたなぁ。この町の人達は、それが当たり前のことだとして暮らしてるんだもん。あきらめちゃってるんだよ、とっくに」何だか、悲しくなってきた。
夕焼けはどうしてできるのだろう。まずは、それを確認しておこうと思った。入力した単語は、「夕焼け」「なぜ赤い」。
結果わかったのは、日が傾くと、光が大気を通過する時間がその分長くなり、青いスペクトラムが吸収されてしまうということ。
さらに、朝よりも夕方の方が赤く見えるのは、赤方偏移によるものだという。沈んでいく太陽は、回転する地球から見て、遠ざかっている。ドップラー効果で、波長の長い赤色がよりよく観察されるという理屈らしい。
「夕焼けって、考えていたより、ずっと複雑な仕組みだったんだ」ちょっと、びっくりする。
興味が湧き、次々と夕焼けに関する情報を集めていると、あるトピックに当たった。
「『夕焼けの作り方、お教えします』だって?」たぶん、ジョークで書いたのだろうが、気になって、読んでしまう。「『とにかく、高いところへ登ります。できるだけ高くです。太陽に触れそうなほど近付いたら、こうつぶやきましょう。わたしは50億年生きてきた。太陽が生まれたばかりの頃もよーく、知っている。何しろ、太陽のおむつを替えていたのが、このわたしなのだからね、と』」
ばかばかしい。それが、何の役に立つと言うのか。怒るのを通りこして、呆れ返ってしまう。
昼下がりに買い物へ行った帰り、隣の部屋の旦那さんとばったり出くわす。引っ越してきたばかりの頃、あれこれとお世話になった方だ。
さっき、ネットで見つけた記事をふと思い出し、話題にした。すると、たちまち目を輝かせる。
「ほう、高いところに登ればいいんですか。そして、つぶやけばいいのですね? やってみようかな。ほら、町外れのゴミ処理場。あの煙突は高いですよ。210メートルもあるんですから。そこのてっぺんまで登れば、間違いなく太陽のすぐそばまで行けますよね。夕方まで、あと1時間か。今から行って登れば、余裕で間に合いますね」
慌てたのはわたしの方だ。
「そんな、待って下さい。インターネットに流れている情報なんて、いい加減なものが多いんです。それに、これは書いてる人も、冗談のつもりでしょうし」
「いやいや、そう何でも疑ってかかるのはよくありませんよ。まあ、試してみようじゃないですか。ダメで元々、うまくいけば、この町にも夕焼けが戻ってくるわけですし」
決心は固いようだ。わたしが無理に止める筋合いでもない。内心、つまらないことを話してしまったなぁ、と後悔しつつも見送るよりほかなかった。
後日、その人から聞いた話によれば、日没の30分前、煙突のてっぺんまで登り着いたという。
「手を伸ばしてみると、あんまり太陽に近すぎて、もう少しで大ヤケドをするところでした」旦那さんは語った。「ぼく、むぅにぃさんからうかがった通り、『太陽のおむつを交換していたのは、他でもない。このぼくだ』そう言ってやったんです。大きな声でねっ」
ちょうどその頃だった、西の空が夕日に染まり始めたのは。
わたしは窓から身を乗り出して、沈みかけた太陽を眺めた。後にも先にも、あんなに赤く、あれほどまで鮮やかな夕焼けを見たことがない。
戸締まりをしていた向かいのおばあさんが、驚きと喜びの入り交じった声で、家の中に向かい、大声で呼ぶ。
「おじいさん、おじいさんってばっ。ちょいと、表に出てきて下さいな。ほら、夕焼けですよ。何十年ぶりですかねえ」
「おおっ、これはこれは……。見事な夕焼けだ、何て見事なんだ。真っ赤になって、まるで恥ずかしがっているみたいじゃないかね」




