黒の少女3
遅れましてすみません!!最後の最後までどの情報を開示していくかで悩んだ結果、リテイクしまくることになったのと、先輩方への挨拶回りなどをしていて執筆に時間が取れませんで…。ただその分ボリューム多めにはできましたのでお楽しみいただければ幸いです。
それと感想の7割がTRPGについてだった件について。…嬉しかったです!!いやはや、友人が遠方にいるので、思い切ったプレイングをしてくれる人が周りにいなくて寂しいんですよね。やっぱりああいうのはキャラになりきって遊んだ方が楽しいですし。ちなみに自分はCOC、とらぶるえいりあんず、サタスぺとかが大好物です。
「ねぇねぇ、次はあそこに行こうよ!!なんか楽しそうなのが沢山おいてあるよ!!」
動きにくそうな黒いドレスから、パーカーと半ズボンという軽やかな格好へと着替えた……というか売り場から強奪したクロコが、今度はおもちゃ売り場に併設された文房具コーナーへと駆けて行く。
代金もなしにお店の物を持っていく事は、もちろんいけないことだとは思うのだが。この状況において法律的にどうとか、常識的に考えて、なんていう理屈が正しいとは思えなかったし、ウキウキしながらどの服が似合うか問うてくるクロコに『返してきなさい』とは言えなかったのだ。文字通り、猫の目のようにコロコロと興味の対象を変えるクロコに苦笑しながら、後を追う。
「うわあ、なにこの筆箱、スイッチ沢山ついてる!!」
クロコが手にしていたのは、懐かしのスイッチ付筆箱だった。アニメやらゲームのキャラクターが書いてあって、ボタンを押すと鉛筆や消しゴムを配置するスタンドが地対空ミサイルみたいに屹立するアレである。小学生低学年の時分には、これを持っているか否かで学内ヒエラルキーが随分と変化したっけな。クロコはそのボタンの多さにいたく感心したようで、カチャカチャとボタンを連打しながら、ほぉ……とうっとりしたような吐息をもらしていた。
「また懐かしいものを。俺が君くらいの頃は、こういうのも流行っていたよ」
そう言いながらトロピカルな香りだったり、お弁当を模した実用性は低いが素敵な消しゴムたちを彼女に見せた。案の定クロコは、ももの辺りを叩きながら興奮気味にそれらをひったくっていく。……知識と言う面では俺と同程度なのかもしれないけど、それを操る根本原理と言うか、感性みたいなものは見た目通りなんだな、なんて思いながら惣菜消しゴムの分解に専心するクロコを眺める。
「キミがいた世界って、とても素敵だよね。ただの事務用品にこんなギミックや遊び心が溢れているんだもん。うーん、あんな真っ暗でつまんない世界じゃなくて、キミが元々いた世界に生まれたかったんだよ。でもそうだったらきっと、キミとは出会えなかったんだろうね。難しいなー」
分解した消しゴムを元の形に戻しながら、クロコは唇を尖らせて、そんなことを呟く。
「うん、嫌な過程を経なければ、どうあっても手に入らない物とか、至ることが出来ない境地ってのは、あるものだからね」
最も好ましいルートを通り、最高の未来へと至る。それは一つの理想だろう。しかし、一度の挫折も敗北も知らずに至った最高峰は、雪山のようなものだと思う。風向き一つで、全てが凍てつく地獄になり得る、という意味において。ついでに言えば、その未来はそういう過程を経た自分にとっては最高のものだったとしても、違う過程を経た自分からすれば最低のそれかもしれない訳だし。いや、負け惜しみじゃん、と言われてしまえば抗弁の余地なしなんだけどさ。
「そっか。それじゃあ、あの真っ暗な場所に閉じ込められた毎日も、必要だったのかな?」
「……そうだね。君はいま幸せ?」
「うん!!ボクはきっと幸せなんだよ。ここは閉じられた世界で、ボク以外に誰もいないけど、おもちゃ箱みたいに楽しいものがいっぱいだもん。……それに、今はキミがいるんだよ」
にへへ、と笑いながらリュックサックに文房具を仕舞い込むクロコ。何を以て自分が幸せである、と判断するのか。それは、他者という存在に大きく左右されるものだと思う。
例えば、しなびたパンしか食べることが出来ない男がいたとする。普通に考えれば、彼は幸せとは言えないだろう。しかし、彼以外の全ての人々が雑草しか口にできないのであれば、間違いなく彼は幸せだ。
幸せを論じる上で、単一の要素でありながら、出力される結果を覆してしまう可能性を秘めた『他者』という存在。それをつい先ほどまで知らずにいた彼女はしかし、自分は幸せである、と言い切った。それを幼さ故の単純さから来る強さである、と断じてしまう事は簡単なことだけど。えへん、とばかりに胸を張るクロコの姿は、とても好ましいものとして、俺の目には映った。
「そうか。それならきっと、そんな日々も必要だったんだろうね。まぁだからといってあの白いのがいやなヤツだってことは、変わらないけど」
そう返してやると、クロコはだよねー、なんて笑ってからリュックサックを背負い、今度は人形が山のように積まれた一角へと走り始める。その足取りは心なしか、先程よりも楽しげだ。走る、というよりもスキップといった感じ。
……あんな風におちゃらけた様子ではあるけれど、もしかしたら、閉じ込められていた日々に意味はあったのか、みたいな悩みを抱えていたのかもしれないな。そんなふうに思いながら、今度は抱き枕じみた大きさのテディベアに、チョークスリーパーを仕掛けるクロコの元へと向かうのだった。
「ねぇねぇ、キミはなにか悩みとかないの?やっぱりさ、デキル女は悩める男の子の悩みをズバッと解決できてなんぼだと思う訳ですよ、ボクは!!」
両手にドーナツを掴み、ハムスターみたいに頬張るクロコが、そんなことを聞いてきた。場所は全国にチェーン展開するドーナツショップ。数多くの戦利品を得てご満悦だった彼女だが、それらを抱えながらの上がったり下がったりは、体力的に厳しかったらしい。つい30分ほど前に『疲れた!!ボクは甘いものを所望するんだよ!!』とその場に座り込んでしまったのである。
しょうがないので、地下のイートインコーナーまでおんぶで運んできてやったのだが。そんな体たらくでデキル女を名乗るとは、なかなかに愉快なヤツだ。こやつめ、ハハハ。
「デキル女は疲れたってだけで、その場に座り込んだりはしないと思うけどね……。うーん、悩みかぁ」
まぁ悩みは論難山積み状態で、ストップ安である。心的負荷は常にデフレ気味な現代っ子たる俺をして、ここ最近の流れはふて寝したくなるレベルだ。
うーむ。この世界がなんであるのか、とか白い少女は何者なのか、なんて事柄に関してはここに来るまでの間に2人で色々と話し合って、結果さっぱり分からん、という結論が出てしまっている。だとすれば、今相談の俎上にのせるべきは他の悩み、ということになるんだろうけど。
「そうだねぇ。今のところ、大きな悩みは2つあるかな」
調理スペースから持ってきたコーヒーを口に含みながら、そう返す。クロコは両手に持っていたドーナツをナプキンの上に置き、ほほぉそれでそれで、といった具合に手の平を添えた耳をこちらに突き出してきた。まぁ相談するだけならタダだし、思考を整理する手段として、口に出して話してみるのはアリだろう。
「まず一つ目。AKライフルについて。こんな武器があります、なんて打ち明けるべきかどうか、ってヤツだね」
AK‐47。言わずと知れた傑作アサルトライフルだ。銃火器といった物に全く興味がない人でも映画やドラマなどで、その特徴的なシルエットを目にしたことがあるだろう。製作者はソ連邦の設計者であるミハイル・チモフェエヴィチ・カラシニコフ。死を恐れぬ聖戦士をして『毒入り弾丸』と恐れられた強力な威力と、どのような状況下においても正常に動作する並外れた頑健さを誇る携帯火器の王にして、最新を謳う伝説の武器である。
そんな風に言うと言い過ぎのように聞こえるかもしれないけれど、東南アジア圏では今でもAK‐47はB‐29を撃墜したという伝説を佩帯した武器であり、手にした人々の意思に呼応して惨烈極まる戦の庭を、あるいは輝かしい平和を顕現させた後に、国産みを成すのなら。その格は、凡百の聖剣魔剣を上回るだろう。……そんな武器を異世界へと伝えることは、果たして正しい行いと言えるだろうか。
第三者から見れば悠長なことだ、と呆れられてしまうかもしれない。しかし、AKについて調べる過程で知ったAK文化、と称される事象。8歳の女の子にすら、扱えてしまうAKによって引き起こされた数多くの虐殺行為を思えば、どうしたって二の足を踏んでしまうのだ。
それに、そもそも俺がAKについて詳しく調べるようになったきっかけは、製作者であるカラシニコフの波乱に満ちた人生に、強く感銘を受けたが故だった。資産を持つ者が公然とおおやけの敵とされた時代。富農階級として故郷を追われ、追放農民として辛酸を舐め尽くした幼少時代を超え、凍てつくような闘志と鋼めいた愛国心を糧に、仲間と共に最良の武具を作り出した鉄の軍人。そんな不撓不屈な生き方を、かっこいいと……そう思ったのだ。
彼は自身が設計した武器が己の意思を離れ、独り歩きをしながら数多くの殺戮を助長してしまっている状況を『ゴーレム』と呼び憂いたという。俺がこの世界にAKを伝えたことによって、沢山の国々を焼いた災禍までもが伝播してしまったら……それは彼に対する、何物にも勝る侮辱になってしまうだろう。可能な限り、それは避けたかった。
さりとて、もしこのままAKの存在をこの世界の人々に伝えないまま『大破壊』に突入してしまったら?強大な魔物に槍や剣で立ち向かい、当然のように叩き潰されていく人達を黙って見送るのか。手前勝手な、想像と意地の為に。……そうして叩き潰された人々の骸の中に、よく知る人物の面影を認めた時、果たして俺は正常でいられるだろうか。
気付けば、全くまとまらず千々に乱れた言葉を、クロコに向けて吐露していた。静かにこちらの瞳を覗き込むクロコに、先程までの愛らしくも軽薄な様子はない。その佇まいは、許しの秘跡を施す聖女のようだ。
「うん、まずはお礼が最初かな。……キミが抱えていた悩みをボクに教えてくれてありがとう。その信頼が、嬉しかったよ」
伽藍から差し込んだ光のような、暖かい笑み。ポンポンと優しげに頭を撫でてくるクロコを直視するのがなんだか気恥ずかしくて、つい視線を落として俯いてしまう。でもまぁなるほど、こうして話してみるだけでも随分心は楽になるものだ。
「そうだね、確かに軽はずみな気持ちで伝えていい技術ではないかも。でもさ、キミは元々いた世界に帰るつもりはないんだよね?だったらキミは既に、この世界の住人である、って言えるんじゃないかな。この世界の一員が、より多く人々を守るために持てる知識を駆使する。それはきっと、正しい。……ボクはそう思うよ」
なるほど。俺は自分がこの世界の人間ではない、と思い込んでいるけれど。彼女から見れば、そうじゃないでしょ、と映るわけか。行きて、帰らない物語。そんな物語の主人公がいたとしたら、そいつは始点Aの住人ではなく、終点Bの住人である、と第三者は認知するんじゃないか、というお話。
「それにもしも、キミが憂慮しているような使われ方をされたら、当事者をぶん殴ってでも止めたらいいじゃない。この世界においては、キミがこの武器を作り出した人物だ、って周知されるんだろうし、それを行えるだけの力がキミにはあるんだから。……物語的な展開の中で、手前勝手な正義感を振り回して結果、善を成す。それがかつてのキミが目指していたものだったように思うんだけど、違ったかな?」
んー、と記憶を手繰るように、視線を中空へと彷徨わせるクロコ。一方俺は、胸を貫かれたような衝撃を感じていた。彼女の言葉が、あまりにも的確に過去の自分が理想とした姿を説明していたからだ。嫌な気分にはならないが、一流の奇術を見せられたかのように、ビックリしてしまう。
「その……どうして、そこまで俺のことが分かるのか、聞いても良いかな」
呟くように、問う。するとクロコは、どうしてその程度のことを聞くんだろう、と心底不思議そうな表情を浮かべる。
「だって、ボクはキミしか人間を知らないんだもん。だからボクは、人を知るためにキミの物語を何度も何度も、読み直した。……ボクの悲哀も喜びも。全部キミで出来ているんだ。核心的な部分をカンニングしたりは出来なかったけど、キミがどういう人間なのか、っていうのはどんな人よりも詳しいつもりだよ」
胸の辺りを指でなぞりながら、幸せそうに微笑むクロコ。その笑顔は幸福に満ちているようでその実、黒々とした虚無をその裡に抱えているような、ある種の危うさが感じられるものだった。
むぅ。出来るかどうかは別として、彼女が俺以外の第三者と話すことが出来る場を、なんとかして設けた方が良さそうな気がしてきた。懐いてくれるのはとても嬉しいんだけど、それだけではいずれ、俺は彼女にとっての毒になってしまいそうな気がする。
「そっか。なんか気恥ずかしいけど、的確な助言、ありがたく思うよ」
彼女に対する憂慮は微笑にくるんで、秘し隠す。ただ心の中のメモ帳に、もっとクロコが善く生きることができるように心を砕こう、としっかり書き込んでおいた。彼女にはもっと広い世界や考え方というものを知ってもらいたいし、何より俺みたいなのに依存してしまっている状態は、健全とはいえないだろう。
恐らく表情に表れてしまっているであろう諸々の感情を誤魔化す為に、指を一鳴らしして、AK‐47を目の前に作成した。一瞬の間をおいて、ライフルを装備したように構えた徒手空拳にAK‐47が現れる。クロコはそれを見ておおー、と少し大げさな声を上げた。
「ねね、ちょっと貸してみて!!」
「いいけど、すごく重たいから注意してね」
椅子をガタガタさせながら跳ね回るクロコに、マガジンを取り外し、更に薬室から銃弾を取り出したAKを渡した。念のためにセレクターレバーをセーフティまで上げ、更にトリガーの後部には消しゴムを挟み込んでおく。そうしてから銃把を握るクロコを後ろから補助しつつ、間違いが起きないように気を配った。どんなに留意したとしても、銃と言うのは非常に危険な道具なのだから。
「うわー。こういうのってどうしてかっこいいって感じるんだろうね。言ってしまえば木と鉄で出来た棒でしかないのに、なんか胸が躍るんだよ!!」
「なんでだろうね。剣に鎧に銃にロボット。人生において縁遠い方が、まぁ安全な類の代物のハズなのに、字面だけで不思議な高揚感を感じるよね」
いやまぁ、こうしたものが不快で仕方がないって人もかなりいるだろうけど、俺とクロコはそう考えるってことで。AKの木製ストックに自分の名前と珍妙なイラストをマジックで書き込んでいくクロコを眺めながら、何の気なしにそう答えた。
「それはきっと、人間が戦う生き物だからだと思うんだよ。他人と。あるいは状況や環境と。いつも戦って戦って、戦い抜いてきた生き物だから、そういう本質を持つ道具に引かれるんじゃないかな、って思うんだ」
人をほとんど知らない彼女から紡がれた、人に対する見解。それは妙に心に染み入った。……戦う生き物か。その特質は未来を切り開いていくうえで、きっと必要不可欠なものなんだろう。ただ、その方向性がひとたび違えられてしまえば、多くの惨劇を生む原因にもなりえてしまうのが、この世が涙の谷である、とされる故か。
それなら……。ちらりと自分の手に視線を移し、握りしめる。この手に宿った怪力は、その後ろ髪を握りしめ、手繰る為にあるのではないか。
不意にそんな考えが脳裏をよぎったが、頭を振って打ち消した。いかにもで、カッコいい悟りではあるが。こういう考えを一人で完結させてしまうのは、非常に危険なことだし、なにより傲慢過ぎる。自分が持てる力をどう用いるべきか。切り出し方は難しいかもしれないけれど、帰ったらいろんな人に相談してみても良いかもしれない。素直に、そんな風に思えた。
「さぁさ、残るもう一つの方の悩みを教えてほしいな。クロコ姉さんのお悩み相談室は、天上天下天網恢恢疎にして漏らさずまるっと把握した、全知全能なスタッフによって運営されているんだよ!!」
「嘘付け、スタッフって君一人しかいないだろ。それと修飾語がくどいよ、全知全能だけで十分じゃないか」
苦笑を交えて返してやると、クロコは気のせいダヨー、なんて胡乱な調子で、口笛のなりそこないみたいなシューシュー音を奏で始めた。やれやれ、と椅子に腰かけ直しながら、抱えていたもう一つの悩みも披瀝する。非常に鮮やかに、一つ目の悩みを捌いてくれたクロコに対して、信頼だけではなく多大な信用もまた、置くようになっていた。
「すごく贅沢な悩みであることは承知してるんだけどさ。……強敵がいないことが、悩みなんだ。俺がいた世界は凄く平和だったから、生死を賭けた戦いなんてものをやる機会はなかったし、こっちの世界に来てからも、苦戦したことすらない。このまま『魔王』とやらと戦って。もしも『魔王』が俺と同等、あるいはそれ以上の実力を兼ね備えていたら、絶対に勝てないんじゃないか、って思うんだ」
骨を折ったり、殴られた経験くらいまでならあるけど、それ以上の外傷を負った経験が俺にはなかった。なので戦闘中に、例えば自動車に思いっきり撥ねられたぐらいの激痛に襲われたとしたら。それまでに誓った決意やら想いを放り投げて、泣き喚きながら逃げ出してしまうんじゃないか。そんな恐怖があったのだ。
俺はそんなに弱くはない、と信じたいところではあるけれど、肉体に対する苦痛と言うのは総じて、心を砕いて溶かしてしまう効能をもっている。物語の中の主人公であれば、そこは精神力なり絆なりで乗り越えるんだろう。しかし自分がそういった境地にまで至れるのか、と問われれば正直なところ自信がなかった。
ではどうすればいいか。最も単純な方法は、慣れる事だ。人体というのは不思議なもので、あらゆる痛みに慣れることが出来る。攻撃に対する心的ショックの和らげ方。そしてどこで受けて、どう衝撃を逃がすのか、という経験則。それさえ把握していれば3割くらいはダメージを軽減できるものだし、そうして感じた痛みを闘志に……つまり『次』に結び付ける精神機構がちゃんと機能してさえいれば、もう1割くらいは削減できる。
しかしそれを実行するには、大きな問題があった。今の俺は、堅過ぎるのである。暗黒大陸にいた頃の話なのだけど、小山ほどもある大猿にいきなりストレートパンチを叩きこまれたり、電車サイズの大蛇に尻尾で薙ぎ払われたりしたことがあった。しかしいずれの場合でもダメージを負ったのは、相手側である。
大猿は拳から肩口までがよく熟れたザクロのように裂けてしまって、泣きながら森へ帰っていったし、大蛇の方は内臓がまずいことにでもなったのか、しばらくのた打ち回った末にお亡くなりになってしまった。どちらの攻撃においても、微風が頬を撫でたな、くらいの感触しか感じなかったのにも関わらず、である。そんな状態では痛みに慣れよう、なんてギャグにもならない。
更に言えば、戦闘技術に関しても気掛かりな部分があった。ガルフレイクの人々曰く、いつの間にやら身に付いていた俺の武技の冴えは、非常に優れたものらしい。しかしこと防御に関して言えば、今のところ技術を使っている、というよりは使われてしまっているのが現状だった。頭でこういう動きで攻撃を防ごう、なんて考えているのではなくて、体が勝手に動いてくれている状態と言うか。いきなりパンチをされそうになったら誰でも利き腕でかばってしまうものだけど、あれと似た感じだ。
「つまり適当な訓練相手が見つからないってこと?」
「そうなるね。というか君にかかると俺の悩みって、えらく簡潔なものになってしまうんだな」
クロコの打てば響く様な小気味良さに、思わず破顔した。誰よりも俺について詳しい、なんて臆面もなしに言ってくるだけのことはあるということか。
「それなら簡単な解決法があるんだよ。あのいつぞや船に忍び込んできた、黒エロ忍者っ子に頼めばいいんだよ」
「く、黒エロ忍者っ子!?誰だ……ってもしかしてクリスのこと?確かに底知れない感じではあったけど、今の話でどうしてあの子が出てくるの?」
現在修行を付けてくれているシークではなく、何故クリスなのか。その辺の疑問も乗せて聞いてみる。するとクロコは驚くべき答えを、世間話でもするかのように返してきた。
「そうそう、クリスちゃんだったね。だってあの子、キミよりも、強いもの。あー、いや単純な殺し合いならキミが圧勝するだろうけど、少なくとも訓練とか試合みたいな形式の上で、ってことならキミは逆立ちしたって勝てないと思う」
「マジで!?」
「マジで。根拠はなんだ、って言われちゃうと感覚的なものだから説明が難しいんだけど……。チワワとライオンを見たら誰だってライオンの方が強いだろうな、って推し量れるものでしょ?そんな感じかな」
断言されてしまった。根拠は随分と曖昧だけど、それを語るクロコの目に嘘や冗談の気配は感じられない。
「えーと。つまり彼女の攻撃は、俺に……」
「通じると思うよ。すごい力持ちって意味じゃなくて、キミの護りを無効化できる力を、あの子は持っている気がする。例えるなら……キミは小屋の中で銃を持っている男の子。あの子はその小屋を開ける為の鍵を持ってる狼って感じ。男の子が本気になって狼を殺そうと思えば容易いだろうけど、狼を殺さずに勝つとか、そういった縛りを設けたら男の子が喉笛をかみ切られちゃう可能性は一気に上がる……みたいな」
「なるほど、色々と得心が入ったよ。随分とデタラメな条件で俺をヘラクレアに誘い込もうとしているな、って訝しんでいたけど。そうか、あの場で俺が勘気を起こして彼女に攻撃を仕掛けたりしたら、返り討ちにあう可能性もあった訳か」
人を。しかも女の子を殺すなんて、あの時の俺に出来たとは思えないから、十中八九コテンパンにされてしまっただろう。そうなってくると、実現の可能性がほぼ皆無のように思える数々の殺し文句。あれは罠だったのではないだろうか、という疑念が鎌首をもたげてくる。
金と女と国。そんな条件を提示されて、たちどころに目を眩ませるような性根の持ち主。そんな、大きな災厄を巻き起こしそうな人物は、如何に有能であろうとも早めに摘み取っておくべきだ。される側からすればたまったものではないが、そうした考え方があったとしても、リスク管理の観点から言えば、間違ってはいない。つーかやっこさん、自分の事を単なる密使だ、とかなんとか言っていたけれど、それも怪しいもんだ。案外、ヘラクレアの最大戦力だったりしないかね。
「うへぇ、気付かないうちに結構危うい道を歩いてたんだなぁ……。まぁ当人に確認してみなくちゃ分からないことではあるけれど」
自然と顔に浮かんでくる渋面はコーヒーによるものだけではないだろう。相当嫌な顔をしてしまっていたのか、クロコはまぁまぁ、とフォローを入れてきた。
「あの子もなんだか色々な事情がありそうだし、今度会ったときはもっと話してみたら?案外良い師匠になってくれるかもよ」
「……そうだね。やっこさんに借りを作ってしまうのはちょい業腹ではあるけれど、そんな事はいってられないもんな」
今の状況では呼び寄せたりすることは困難だろうけど、ある程度の自由がきくようになったら一声かけてみよう。それなりの対価を要求されそうでおっかないが、許容可能な物なら受け入れるべきだ。意地を通すのにも、魔王を倒すのにも力と言う要素は不可欠なのだし。
「ちなみに君から見て、クリスの他に俺に対抗可能な人っていた?」
「いないよー。クリスちゃん以外の人達とキミでは、比較する事すら出来ないレベルで、格差があるね。戦略爆撃機と竹やり。戦艦大和と泳げない少年。それ以上の、どうしようもない差がある感じ」
ふぅ……。思わず、安堵の吐息を漏らしてしまった。これでガルフレイクを初めて訪れた日のパレードで何人か見かけたよ、なんて言われた日にはいったい何を信じてよいのか分からなくなるところだ。アイデンティティークラッシュの危機である。
「それを聞いて安心したよ。色々と面倒な相談を聞いてくれてありがとう、クロコ。君のお陰で、これからの生活を随分と心を軽くして過ごしていけそうだ」
「えへへ、クロコねーさんのお悩み相談室は24時間、いつだって営業してるんだよ。だから、きっと戻ってきてね。……待ってるからさ」
憂いを帯びた笑みは、別れを予感しての事か。クロコの声音には服の端を握って別れを拒絶するような、祈りにも似た雰囲気が漂っていた。そんな彼女に、どんな言葉をかければいいのか分からず、だけどなにもしないでいることもできなくて。ゆっくりと、クロコの頭を撫でた。女の子の頭を撫でたことなんて一度もなかったから、おっかなびっくりで不器用な感じになってしまったけれど。
「ふふん、もっと撫でてほしいな。お菓子を食べながらこういう感じに過ごすの、少女マンガを読んだ時からすっごい憧れていたんだよ」
先程の寂しげな表情はどこへやら。仰向いたクロコの表情は、百点満点のニコニコ顔だった。そしてそれがさも当然であるかのように、向かい合う形で座っていた俺の太ももに跨がってくる。こちらから撫でにいった手前、そして先程の初夏の影を思わせる様な、暗い表情が脳裏をよぎってしまい、押し留める手が出なかったのだ。クロコはこちらの戸惑いを知ってか知らずか、そのまま小鳥のように残っていたドーナツを食べ始める。
背中と後頭部が俺の胸に当てられているので、なんだか小動物めいた振動が伝わってきて、あんまり褒められたもんじゃない側面に目覚めてしまいそうになった。こいつ、かわいいぞ……!!
いや、これは庇護欲的なそれだから……!!と内なる声に言い訳を張り付けつつ。幾つかの答えと決意、そして新たな疑問で編ま込まれた、パイのようなおやつタイムは、最終的になんともゆるゆるとした感じに焼き上げられたのだった。
終わりませんでした…。ごめんなさい。書いてみるとここで開示しておいた方が良さげな情報が思ったよりも多くて、もう1エピソード入れたほうがすっきりするな、と判断しました。
【スイッチ付筆箱】
多機能筆箱っていうそうですね。事務用品をそろえるために文房具店に行くことが多かったのですが、一度も見かけませんでした。ただ単に自分が見つけてないだけなのかもしれませんが、今はもう売ってないんでしょうか。ちょっと寂しいですね。そのうちトマソンとか言われちゃうんでしょうか。
【AK-47】
最初は舞台装置の一つとして扱うつもりだったのですが、色々な書物を読んでいて、これは軽々と扱っていいものではないな、と思い直しました。魔術により生まれたゴーレムと、科学・工学技術から生まれたゴーレムの交錯というのをテーマの一つに据えてみようかな、とかたくらんでいます。執筆にあたり、以下の書物を参考にさせていただいておりますので、お時間ありましたら読んでみてくださいませ。またこの本がいいよ、などのアドバイスがありましたらぜひ教えていただきたく思います。
カラシニコフ自伝 エレナ・ジョリー書き聞き 朝日新書
カラシニコフ銃AK47の歴史 マイケル・ホッジズ著 河出書房新書
AK-47-世界を変えた銃ー ラリー・カハナー著 学研出版
【8歳の女の子でも~】
反動で撃てねーだろ、とのお言葉もあるでしょうが、手足を鉈で叩き落とされた人物の頭に銃口を押し付けて引き金を引くことに、反動は関係しない、というお話です。更に言うならそれで怪我をしても、代わりは捨てるほどにいる、ということでもあります。
【聖戦士】
なんの聖戦士かはお察しください。