空飛ぶ船(2)
色々と多忙だった事と、この後の展開と設定のすり合わせに戸惑ってしまい、とても遅れてしまいました。特に今回のエピソードは全体の構成にも影響してくる話だったので、リテイクも多く、皆さんをとても待たせてしまったと思います。申し訳ありませんでした。それでは、どうぞ。
レオンとラギィからゴーサインが出されると、周囲の人々が慌ただしく動き始めた。ロッカは他の研究を手伝いに出ていたらしい、3804所属の研究員達を呼び戻して、船の最終調整を始め、ラギィもその調整を手伝っている。というか水着に白衣、っていう意味がわからない恰好にも、一応理由があったんだなー、なんて事を、注水されたドックで作業をしているロッカを見ながら思う。
「お、水着のロッカちゃんに熱い視線を注ぐなんて、若いねぇ。確かにあれは良いものだ」
「いえ、魔道具の調整作業を初めて見たので、興味深かっただけですよ」
レオンの軽口を、苦笑しながらいなす。というか女性陣がいる前で、その手の冗談はやめてもらいたいです。なんか空気が微妙になるし。まぁ、確かにあれは良いものだと思いますけどね。
「ところで、このプロジェクトは海軍省の管轄だそうですが、レオン将軍がゴーサインを出してしまっても、大丈夫だったんですか?その、私の迂闊な発言で、将軍に迷惑をかけてしまうのは非常に不本意なのですが……」
「ガハハ、若いうちは、あまり他人の顔色を窺い過ぎない方が色々と捗るぞ、クロノ殿。まぁ、そうさな……まず、制度的には問題ない。このプロジェクトは『飛行技術』が欲しい海軍省が、特区に技術開発を依頼する、という形で始まったんだが、依頼主がどこであろうと、ラギィが必要だ、と判断したのなら、実験を行う事自体に、問題はないのさ。」
そこまで言ってから、レオンは懐から銀のシガレットボックスを取り出して、紫煙をくゆらせた。その仕草は、古い映画のポスターのようにきまっていて、香草のような良い香りが、こちらにまで漂ってくる。ううむ、いちいちカッコいい人だ。それと、この世界のタバコの臭いは良いな。苦さを連想させるのではなく、爽やかさと言うか、清涼感みたいな物を感じさせる。
「政治的な事を言えば……ちと面倒な話なんだが、クロノ殿の発言が発端で、今回の実験が始まった、ということになると、少しばかり角が立つ。軍部ってのには、どうしても頭が固い連中が多いからな。なんで、今回はラギィの訴えを聞いた俺が、無理を言って、クロノ殿に依頼した……って形にするつもりだ。ま、うちの国は陸軍と海軍の仲が良好だし、面倒事にまでは発展せんだろうさ」
深呼吸と一緒に紫煙を吐き出しながら、レオンは吸殻を革製の容器に落とした。やっぱりアレか。新参者が勝手なことをするな、と公言はしなくとも、心中に思う人はいる……ということなんだろうか。うーん、政治っていうのは難しい。さっきの発言は、重くなってしまった空気を改善するために、つい口に出してしまった訳だけど。自分の一言が、かなり大きな波紋になり得ることを、改めて自覚した方がいいかもしれない。
「発言を自重しよう、とか思うのは優等生然として良いと思うがな、クロノ殿。言うべきだと思った事は、発言しておくべきだぞ。なぁに、よほどトンチキなもんじゃなければ、俺やヴィルがフォローするさ。さっき言った頭の固い連中だって、お前さんに対して恩義は感じているし、政治とは無縁な出自だ、ってことも弁えてる。……迂闊な発言を推奨するわけじゃないがな、クロノ殿の最大の強みは、それだけの力を持ちながら、当たり前に他者と話し合う事が出来る点なのだと、俺は思うぞ」
俺の思考を先回りするように、そう言ってくれるレオン。その表情には、余裕ある大人のそれと、頼りがいのあるガキ大将のような雰囲気が同居していた。
「お父様の言うとおりです。それに、ロッカさんはクロノ殿が手伝う、と発言したお陰で、こうして実験の機会を得られたのです。ロッカさんと、研究員の皆さんを見てみてください。とても嬉しそうですよ」
レオナにそう言われて、研究員の人々を見てみる。確かに、みんな心底嬉しそうに作業を進めていた。俺は元いた世界において、これといった生きがいのような物を見つけられずにいた人間だから、その笑顔はとても眩しく見えた。そして、自分がその笑顔の種……というと、なんだか照れくさいけれど。そういったものになれたのかな、と思うと自然と顔がほころんでくる。
「……ありがとうございます。そうですね、ちゃんと考えてから発言するのはもちろんですが、それでも私に至らない点があった時には、ご助力いただければ、とても嬉しいです」
「うむ、任せておけ。若い人材のフォローってのは、おっさんの特権だからな」
やはり豪快に笑いながら、腕を組むレオンに対して頭を下げ、実験の準備が整うのをしばし待つ。ロッカ達は青い燐光で形作られた、四角い魔術式に指を当てて、描かれた図形や文字を入れ替えたり、付け足したりしている。なんだか近未来を舞台にした映画なんかに出てくる、情報端末みたいだ。
そんな魔術式を注視していて、はたと気が付く。魔術式に使用されている文字が、妙に日本語に似ているのだ。なんというか、達筆な人が書いた日本語と言うか、そんな感じ。なんとなくではあるのだけど……意味を、察することが出来る。
俺がいつのまにか所持していた翻訳能力は、文字を読んだ場合、頭で認識される段階で、意味が自動翻訳される、というものである。つまり、文字自体は英語の筆記体と、アラビア文字を足して2で割ったようなものとして、映るのだ。ということは、魔術式に使われている文字は、デフォルトの状態で日本語に近い言語体系なのだ、ということになるのだけど……。
「すみません、レオナさん。ロッカさんが今書いている魔術式には、なんて書いてあるのか、分かりますか?」
「えーと……魔術式に使用する文字は非常に複雑なものなので、私には読むことが出来ません。その……お役に立てず、申し訳ありません……」
「いえ、こちらこそ変なことを聞いてしまって、ごめんなさい」
恐縮して、小さくなってしまうレオナ。彼女にそういう表情をされてしまうと、心がすくむ思いがするので、自分でも少しオーバーかな、と思うくらい大げさに、レオナを宥めた。うーむ、優秀な魔術師であるレオナにも読めない、ということは魔術が達者である事と、魔術式を扱える事は、意味が全然違うのだろうか。
「あら、クロノちゃん、魔術式に興味があるのかしらぁ?んふふ、良い兆候ねぇ」
俺とレオナのやりとりを聞いていたのか、後ろからラギィが声をかけてくる。振り向くとそこには、水を滴らせたブーメランパンツの漢が、仁王立ちしていた。濡れた髪を撫でる仕草だけ見れば、美男で鳴る俳優もかくや、というイケメンっぷりなのに、その口調が高級カレーに砂糖をぶっかけるが如き暴虐を働いてしまっている。
「はい、私はこちらに出てきたばかりなので、どんなことにも興味があるんですよ。えぇと、ロッカさんが今展開している魔術式には、なんて書いてあるのでしょうか?」
「うふふ、なんて書いてあると思う?」
ラギィは不敵な笑みを浮かべながら、聞き返してくる。むぅ……。トリッキーな外見ではあるけれど、勘が鋭い人だな、この人は。俺が何となくではあっても、魔術式を読めるかもしれない、ということを教えておくべきだろうか。数瞬だけ考えを巡らせて、答えを出す。
「……魔力経由回路127、でしょうか。その下に書かれてある文字も、大体読めます。私はこの文字を習った覚えがないのですけどね。だから今、少しだけ混乱しています」
「……へぇ?うんうん、あそこの魔術式に書かれているのは、その通り『魔力経由回路127』よ。良かったじゃない、生まれつきこの文字が読めるなんて、色々とお得よ?」
ラギィは一瞬だけ目を細めたが、両手を大きく広げながら、白い歯を輝かせた。……もう少し大仰に驚かれるなり、警戒されるなりするだろうな、と思っていたのだけど、ラギィの反応はいたってフランクなものだった。ちょっとした肩すかしを食らった気分になっていると、表情からそれを察したのか、ラギィは苦笑しながら、話し始める。
「魔術式に用いられる、いわゆる『魔術文字』を先天的に読める特質、っていうのは数自体は少ないんだけど、ちゃんと存在するのよ?だから、それほど驚くことでもないわぁ。というかクロノちゃんに関しては、何が出来ても正直『まぁ、クロノちゃんだし……』ってスタンスが定着しつつあるの、もしかして知らなかったりする?」
そんな免罪符、いつの間に発行されていたんだ……。レオナ達の方を振り返ってみると、下手な咳払いと同時に、目を逸らされた。
「えっとねー?だって船の上でディノちゃんを背中に乗せたまま、片手腕立てとかしてたし、作成魔術でお菓子とか色々な物を作れたりするんでしょ?正直、難しい文字が生まれつき読める、なんていうのは、むしろ地味な感じが……」
苦笑しながらそう教えてくれるシロディール。地味なのか……!?いや、変に警戒されたり、勘ぐられたりしないで済むのだから、ありがたいことではあるんだけど。そんなやりとりがツボにはまったのか、レオンは呵呵大笑しながら、お腹を押さえている。
「もしかしてクロノちゃん、自分の力量を相手に知られると、怖がられちゃう……とか思ってる感じ?」
図星を突かれる形になって、思わずラギィを見つめ返してしまう。ラギィはその視線を受け取りながら、和やかに口の端を緩める。
「気持ちは分からないでもないけどねぇ?ワタシも少なからず、心当たりはあるし。まぁ、なんでもかんでも教えてよ、なんて言わないけど。その時が、来たら『色々と』教えてちょうだいな」
まるで世間話みたいな気軽さで、そう呟いた後。ラギィはそぉい、と気合の入った雄叫びをあげ、飛び込みの選手よろしく、見事な姿勢で、ドックへと飛び込んでいった。……ふむ。今すぐに、という訳にはいかないだろうけれど、徐々にその辺の情報を開示していけたら良いな。まぁ、俺の能力がどういったものなのか、俺自身がまだよく分かっていない、という所が、泣きどころではあるのだけど。
「それじゃクロノ殿、この魔術式に手を当ててもらえるかな?魔力の吸収は、自動で行われるように式を組んであるからさ」
ロッカにそう求められて、目の前に浮かび上がっている魔術式の前に歩み出る。飛行戦艦の、ブリッジに相当するであろう場所は、鈍い輝きを放つ白銀の鉱石で出来ていて、どことなく俺を召喚した少女がいた、あの白い部屋を想起させた。広さとしては、中程度の講義室といったところだろうか。それなりに広々としている。
「クロノ殿、ロッカさん。私も、魔力供給のお手伝いをさせていただけないでしょうか。もちろん、クロノ殿に比べれば、私の魔力など、微力も良いところではありますが……」
魔術式に手をかざそうとしたところで、レオナにそんな提案をされた。確かに、魔道機関の始動に必要な魔力は、それなりの量だ。ガルフレイク国内において、指折りの魔術師でもあるレオナに協力してもらえれば、その分俺の負担は減るだろうけど……。
「あーっと……魔力の吸収速度はクロノ殿に合わせているから、正直お勧めはしないかな?それなりに負担は重いと思うぜ」
若干、渋い顔をするロッカ。ふむ。それなら、俺一人でやった方が良いだろう。経験則的に言うと、魔力を大量消費した際には、徹夜明けで次のバイトに向かっている時のような、生きるのが嫌になってくる類の疲労感が、肉体・精神両面に襲いかかってくるのだけど、逆に言えば、それだけである。俺が多少我慢すれば、レオナに苦労を掛けずに済むのであれば、それに越したことはないだろう。そう思い、一人で魔術式に手をかざそうとすると、横合いから割り込むような形で、シロディールが手を合わせてきた。
「あはは、大丈夫。無理はしないようにするからさ、これくらいは協力させてよ」
笑顔の中に断固とした何かを秘めながら、シロディールは指を絡めてきた。なにやら据わっちゃってる瞳の色。そんなシロディールの様子に戸惑っていると、レオナも俺とシロディールの手を結びつけるように、手を重ねた。
「そうだな!!クロノ殿、シロディールの言う通り、無理はしませんので、どうか手伝わせてください!!」
複雑に絡まりあった二人の指から伝わってくる、感触と体温にドギマギしてしていると、更に両肘に……その、何が、とは言わないけれど突き立ての餅のような、柔らかい感触が。そういえば、今日は鎧じゃなくて軍服でしたよねー!!浮かび上がりそうになる笑みを、頬の内側の肉を噛むことで、必死に抑え込む。
急激に熱を帯びてくる頬と高鳴る鼓動。その対応に苦慮していると、背後から押し殺したような笑い声が聞こえてきた。肩越しに振り返ってみると、レオンとラギィが視線を逸らしながら、肩を震わせ『若いなー』等とのたまっている。あの、レオン将軍。あなた父親として、咳払いくらいしても良いポジションなんじゃないですか。あと年長者さんとしては、ちょっとくらい助け舟を出してくれてもバチは当たらない気がするのですが……気のせいですかね。
「んふふっ。まぁ、無理さえしなければ倦怠感を感じる程度で済むでしょうから、手伝わせてあげたら?二人とも、魔力の扱いに関しては相当な力量の持ち主だし、足手まといにはならないでしょ」
口元を抑えるように手を当てたラギィが、そう教えてくれる。彼の言う通り、魔力の扱い方に関しては、俺なんかよりも2人の方が、よほど優れているはずだ。ここは、2人の好意に甘えておいても良いかもしれない。頼りにしてほしいのに、それを相手に拒否されてしまうのは、それはそれで心苦しいものだし。
「分かりました、それでは2人の力を貸してください。ただ、無理だけはしないでくださいね」
2人が頷いているのを確認してから、更にもう一歩踏み出す。透き通った湖面を、そのまま固着させたような魔術式に、3人で触れる。瞬間、手の平からだけではなく、全身から青い燐光が迸るように生じて、魔術式に吸い込まれていった。まるで、青い炎が燃え盛る焼却炉に放り込まれたかのような光景が、視界に広がる。
そして、燐光の激流に合わせて、気力とでも表現するべき『何か』が体から抜けていく奇妙な感覚を感じた。しばらくして、最初にシロディールが、そして次にレオナが魔術式から手を放して、膝をついて俯いてしまう。2人の首筋からは玉のような汗が流れていて、まるでフルマラソンを走り抜いた後のように、肩で息をしていた。2人とも無理はしない、と言っていたのに、かなり頑張ってしまったようだ。
……そんな2人の心が嬉しくて、全身にじわじわと広まりつつあった疲労感に、喝を叩きこむ。前時代的だ、と言われてしまうかもしれないけれど。やっぱり男ってのは、頑張っている女の子を見ると、気合が入ってしまう生き物なのだ。
右手だけでなく、左手も魔術式に押し当てる。すると、今までに倍する量の光の奔流が全身から湧き上がり、式へと吸い込まれ始めた。全身に広がる疲労感は既に、苦痛に満ちた不快感へと変貌を遂げて、総身を苛んでいる。
そして気が付けば、周囲に広がる青い燐光の檻は、既に焼却炉と言うよりも、煉獄めいた様相を呈していた。それでも両手を、魔術式からは離さない。魔術式からは、まるで太陽を内封したかのような光が溢れ出し始めている。光は、俺の魔力を貪欲に吸い上げて、徐々にその輝きを増していき……。刹那、内封された太陽が、魔術式から迸る。そしてそれは最初に視界を。次に、俺の意識を真っ白に染め上げていった。
意識が浮上する。背中には、固くて冷たい感触。どうやら地面に倒れ伏しているようだ。視界は先程の強烈な光に焼かれたのか、実像を結ぶことなく、白くぼやけてしまっている。軽く頭を振るうことで、意識の混濁を振り払った。
「ここは……」
上体を起こしたことで、軽い眩暈に襲われるが、それを無視して周囲の状況を確認する。そして、強烈な違和感を覚えた。視界は水の中で目を開けた時のように、強烈にぼやけてしまっているけれど。それでも……ここは、俺が先程までいた場所ではない。それに気が付くと、脳幹をえぐられたような、強烈な痛みが頭蓋に響き渡った。反射的に頭を抱え込むようにしてから、瞳を閉じる。
遠のいていく痛み。また先程の痛みが再来するのでは、という恐怖心から、恐々としながら瞳を開けると、視界は一転して、その明瞭さを取り戻していた。そして、網膜に映し出された光景は、やはり俺が先程までいた飛行戦艦のブリッジなどではなかった。
「元の世界に、戻ってきてしまった……のか?」
俺が通っていた大学がある市街地の、駅前。その交差点のど真ん中に、俺は上体だけを起こした状態で佇んでいた。ただし、周囲には人どころか、生き物の気配すら感じられない。耳が痛くなるほどの無音を従者としたビル群は、忘却の海に沈んだ古代都市のように、不気味さと寂寥感を湛えて、俺を見下ろしている。これは……単純に、元の世界に戻ってきた、という訳ではないのだろうか?とりあえず現状を確認するために、右手で頭をかきながら、立ち上がる。
「あっれー?なーんか珍しいお客さんだねぇ。いらっしゃーい、ってのは違うカナ?はじめましてーってのも違うのかしらん?」
唐突に。背後から鈴のような声が聞こえてきた。声音自体には、微塵の悪意も感じられないけれど、それでも心を警戒感という燃料で昂ぶらせ、体の各所に力を込めながら、振り向く。
「ちょりーっす!!どーもぉ、フレンドリーでラブリーな隠しキャラ、クロコちゃんでーっす!!」
「あ……あぁ?」
あまりの事態に、それだけしか言えなかった。無人の摩天楼に、ただ一人強烈な存在感を放つ少女。その姿は、黒い髪と黒い瞳。そして、黒のドレスに身を包んだ……召喚者の少女、そのものだったのだ。なんかピースサインを斜めにしたような、ギャルっぽいポーズを決めてらっしゃるけれど……。
ネタバレをしてしまうのを防ぐ為と、プロット構成への影響を少なくするため、感想返しが滞っていますが、順次お返事していきますので、もう少しお待ちください。
それと設定資料も、後で付けたすと見逃してしまう人が多そうなので、次回へと回したいと思います。ううむ、前回も同じような事書いてますね……有言不実行になってしまい、すみません。




