幕間 ガールズトーク2
東京→仙台→福岡→名古屋、というボードゲームみたいな日々を過ごしていました。そんな訳でかなり遅れてしまいましたが、投稿です。これからは忙しさのピークも、ある程度は落ち着いてくる……はず……。
異世界だろうとなんだろうと、不変の真理というものは存在する。例えば。
「どうかしら、軍政区にあるお店の中では、ここが一番美味しいと思うのだけど?」
「え、えぇ……そうですね。とても美味しいと思います」
「うん、美味しいね……」
年配の同性……しかも上役……からの食事へのお誘いを断るのは困難である、とか。クロノ付きの親衛隊となる2人に代わって、聖月騎士団の団長と副長を、交代で務める人員との顔合わせや、引継ぎ等といった諸作業を終えたレオナ達は、クロノと合流しようと陸軍省を歩いていた。しかし、ロビーで待ち構えていた彼女に、つかまってしまったのだ。
「気に入ってもらえたようで、嬉しいわぁ。これはまだ前菜で、メインは更に美味しいから楽しみにしていてね?」
きゃぴ、なんて効果音が聞こえてきそうなウインクをしながら微笑む淑女。副宰相メリー・ゴールドバーグに。今年で47歳になる女性の仕草としては、嘲笑の的になりそうなそれだが、淡い紫の髪に、赤の瞳。艶然とした色を失わない、円熟味を極めた女優のような……実際に彼女は帝都において知らぬ者のいない舞台女優でもあった……佇まいの彼女には、むしろそうした茶目っ気のある仕草がよく似合っている。
人を威圧する雰囲気と、虚実を織り交ぜた交渉術で、冷厳なカリスマを纏うヴィルヘルムに対して、人好きのする笑顔と、舞台女優として培った、魅力的にして印象に残る所作と言葉遣いによって『この人の為に何かしてあげたい』と思わせる力に富んだ彼女は、ヴィルヘルムとは逆の位相にある政治家ではあるが、非常に有能な人物だ。
しかし、レオナ達からすれば、警戒すべき人物……可能であるのなら、接触すら避けたい人物の筆頭でしかない。かといって、それを理由に食事の誘いを断れるかと言えば、難しいものがあった。まさか面と向かって『貴女はヴィルヘルム様から警戒するように言われているのでお断りします』などと言えるはずがないし、人の目が集中しているロビーで、彼女の『お誘い』を断れば、増上慢のそしりを受ける可能性すらあった。
クロノを帝都に連れてくる、という大手柄を挙げた2人ではあるが、くちさがの無い言い方をすれば、彼女達は一介の騎士に過ぎないのだから。それが、天下の副宰相からの、お祝いを兼ねた食事会へのお誘いを断るとは、何事か……多少なりとも常識というものを弁えた人が、傍からその光景を見れば、そう思う事だろう。故に、レオナ達は少なくとも表面上は笑顔を浮かべて、彼女が勧める瀟洒な料理店へとやってきたのだった。
(恐らく、私達からクロノ殿の情報を引き出すのが目的なのでしょうが……。やれやれ、厄介なことになりましたね)
にこやかな笑顔を浮かべるメリーを見据えながら微笑み、思案するレオナ。シロディールは緊張しているのか、所在なさげに前菜をフォークでつついたり、しきりに窓の外を眺めている。
「ねぇねぇ、クロノ殿ってどんなお方なの?お噂はかねがね伺っているのですけど、それだけでは実像が掴めなくって……」
直球だった。搦め手など一切用いないストロングスタイルに、思わず笑顔を凍りつかせるレオナ。シロディールは飲んでいた紅茶が気管に入ったらしく、むせていた。
「そうそう、貴女は特にクロノ殿と懇意になさっているそうね?良かったらその辺も教えてもらえたりしないかしら?」
ド直球だった。依然として表情を凍りつかせたままのレオナとシロディールを楽しげに見つめながら、メリーはゆったりとした動作で紅茶を飲む。その余裕に満ちた仕草に、反骨心を刺激されたレオナは、咳払いを一度してからマリーを見つめ返した。意趣返しという訳ではないが、噂からも容易に推測できるような、曖昧さを含んだ言葉で誤魔化してやろう。そう決めて口を開こうとした瞬間、シロディールに肩を叩かれた。
『どうした、シロディール?』
『あのね、周りの座席を見てみて……』
テーブルを挟んで相対するメリーには聞こえない様に、低く抑えた声で話し合うレオナとシロディール。無論、その不自然な様子はメリーの視界におさめられているのだが、彼女はむしろ、それを見て笑みの色を深めている。
意味深な笑みを浮かべるメリーを訝しみながらも、レオナは努めて何気ない様子で、周囲を見渡す。すると、先ほどまで空席の多かった店内は、こちらをにこやかに見つめる紳士淑女で満席になっていた。彼らの指には一様に、糸玉の意匠が施された指輪が輝いている。その指輪が意味するところは一つ。彼らは、メリーの斡旋によって婚姻を交わした人々である、ということだった。
彼女が議会において、ヴィルヘルムに次ぐ発言力を得ることが出来た理由は、その優れた能力や素質に依るものも大きいが、多くの縁談を成功裏に取り纏めてきたという、婚姻外交めいた影響力による部分も大きかった。更に、そうして結ばれた恋人たちが、結婚後も幸せに暮らしている、という事実がその影響力を確固たるものにする。
彼女が自分の権勢を強める為だけに、婚姻というものを利用しているのであれば、相応の反感も抱かれただろう。『うまくいかなかった』人々から痛烈なしっぺ返しを食らう事だってあったかもしれない。しかし、彼女は舞台女優としてはまだ、駆け出しの頃からそうした活動を続けており、また打算や損得といった概念を度外視して、あくまで幸せになれる男女を結びつけることを、第一義に行動していた。
こうした活動を、ある種のライフワークとして行ううちに、彼女は多くの『ファン』を手に入れる事となった。『ファン』は、陰に日向に彼女を助け、ついには彼女を帝都随一の商人にして、ガルフレイクの副宰相でもある、という破格の立場にまで押し上げたのだった。そうした『ファン』の人々は、蔑称としての意味を含んだ赤い糸を編むもの、という異名を逆手に取り、糸玉の意匠が施された指輪を誇らしげに身に着けるのである。
厄介なことになった。引き攣った笑顔を浮かべながら、レオナは紅茶を飲み、思案する。メリーに好意的な『目撃者』がいる状況では、迂闊に煙に巻くような発言は出来ない。
レオナが、噂から推測出来る程度の情報しか持っていない、というふうに周囲を取り囲む『婚姻派』の人々に認識されてしまった場合、彼らはレオナに遠慮することなく、様々な女性をクロノにあてがおうとするだろう。その上レオナは、一ヶ月近く一緒にいたのに、その程度の情報しか得られないなかった、クロノにとってそれほど魅力的ではない人物である、という女としては業腹としか言いようのない評価を受けることとなる。
かといって、自分が持ちえる情報をここで公開してしまうのは、愚策に尽きる。こちらにほとんど利が無いにも関わらず、相手は労せずクロノの情報を手に入れる事が出来るのだから。表情こそ笑顔ではあるが、青筋を立てた状態でレオナはカップを握りしめる。シロディールは『あはは、暑いですねー、春なのに夏みたいー』等と言いながら窓を開けていた。
「……実を言うと、私もクロノ殿をあまり理解できていないかもしれません。とても優しい人なのですが、それ故に『これがしたい』や『こうしてくれ』といった自己主張をされることが、あまりないので」
外を眺めていたシロディールからのアイコンタクトを受けて、即座に戦略を整えるレオナ。あくまでこちらが持っている情報は明かさずに、時間を稼ぐという方針を迷わず選び取る。その結果、自身の魅力というものに疑念が抱かれる結果になるとしても、全くかまわなかった。
そも魅力とは、愛しい人に認められて初めて、宝石めいた輝きを放つもの。故に、余人にどのように思われようが、どうでも良い。そんな覚悟でもって、レオナは年頃の娘が後生大事に扱うものを切り捨てた。更に深呼吸をしてから、返す刀を言葉で放つ。
「だけど、私はクロノ殿が大好きです。生まれついてから10余年、恋を知らずに生きてきましたが……。今は、彼の笑顔を見るだけで。この胸は甘美な高鳴りと、甘い痺れに満たされます……。この気持ちを、この瞬間を。どうか、奪わないでください」
返す刀は鮮烈で、そしてどこまでも純粋な想いの吐露だった。どこかで唾を飲み込む音が響き、そして床板を踏み抜くような音がそれに続く。しかも複数。頬を赤らめ、その紅玉のような瞳に涙を湛えたレオナに見惚れた紳士が生唾を飲み込み、それを見咎めた淑女が、その足を床板が大きく鳴るほどに、強く踏み抜いたのだ。
今の彼女を見て、魅力がない、等と言う人物がいたとしたら、それは石か何かが化身した、人の心を持たぬ存在だけだろう。そして、彼女の心からの言葉を聞いて、まだクロノに女性をあてがおう、等と考える者がいたとしたら、それは唾棄すべき屑野郎、という不名誉極まる評価を受けることだろう。
古人は語る。恋と戦争は全てを正当化する、と。そこには、そうした言葉を体現した、国益や自身の評価といった、一般的には最も重要視すべき概念を打ち捨てることすら是とした、最強存在がいた。
涙の乾かぬ瞳でメリーを視線で射抜くレオナ。その視線で射抜かれたメリーの表情は、先程と同じ笑顔。レオナの、花も恥じらうような言葉を受けて、メリーはどのような行動に出るのか。その動きに、周囲の人々が注目する。
「……素敵ね、素敵よ、素敵だわ……!!」
メリーは、謎の3段活用を口にした後に、喜色満面、といった表情を浮かべながら、レオナの手を取り、ぶんぶんと振り回す。何が何だか分からずに、戸惑うレオナを余所にメリーは、生涯を通じて探し求めていた宝物を、遂に見つけた冒険者のように、体全体を使って喜びを表していた。
「はぁぁぁ……!!本当に素敵だわぁ……。これだから、恋に関わるのはやめられないのよねぇ。分かったわ、レオナちゃん。一応は婚姻派の首魁である私がこんなことを言うのはどうかと思うのだけど。手当たり次第に女性をあてがって、クロノ殿の気を引こう、なんて事はしませんし、やらせません。私が、そうした動きを全力で抑止しましょう!!」
陶然とした表情を浮かべながら、頬を赤らめて微笑むメリー。口角からはちょっとよだれが垂れており、それを横に控えた秘書が絹のハンカチで拭き取っている。若い男女の恋を取り持つことに心血を注ぐ、世話好きおばちゃんの姿が、そこにはあった。
「だけど、私にも一応は立場というものがあるから、全く何もしないわけにはいかないのよねぇ……。それに、一人だけ……どうしてもクロノ殿と面識を持たせてあげたい女の子もいるから……そうね、副宰相メリー・ゴールドバーグの名において誓いましょう。その一人を除いて、あらゆる婚姻工作を封じます。勿論、その一人も、ちゃんとクロノ殿にお伺いをかけてから、面識を持ってもらうようにしましょう……どうかしら?」
それは、大幅な譲歩と言えた。しかし、ここで迂闊な返答は出来ない。レオナは、様々な感情で、ないまぜになった胸中を深呼吸によって鎮めながら、答える。
「私からは、なんとも言えません。ただ、貴女の譲歩をとても嬉しく思います」
それは、その譲歩を私個人は嬉しく思いますが、それによってなんらかの許諾を与える立場に私はありません、という宣言だった。その言葉に、メリーは感極まったように破顔する。自身が望んでいた展開とは、まるで違う決着を迎えたに違いない現状を、むしろ歓迎するように。……まるで、レオナが自身の覚悟を決めることを、最初から望んでいたように。
そうした反応に違和感を覚えたレオナが、そのことを追求しようと、口を開いた瞬間。窓に小石が当たったような音が室内に響いた。するとメリーをはじめとした、婚姻派の人々は、一斉に席から立ち上がり、足早に店から出ていく。事態の急変に、目を白黒させる2人を尻目に、メリーは優雅な動作で紅茶のカップをソーサーへと戻す。
「時間切れ、みたいね?これでも時間を稼げるように、最大限に努力してみたのだけど……流石はヴィルヘルム殿と、影猫のみなさん、といったところかしら?」
シロディールに視線を向けながら、クスリ、と笑うメリー。『影猫』は宰相付きの諜報部隊であり、宰相の指示で様々な活動に従事する、柔軟性に富んだ部隊だ。メリーの言葉から推測できるように、ヴィルヘルムは念のため、クロノだけではなく、レオナ達にも影猫による監視員を付けていた。
その監視員達は先程まで、婚姻派に雇われた人員による様々な妨害を受けて、レオナ達を見失ってしまっていたのだが『影猫』は婚姻派による妨害を早々に排除。現在、失態を挽回しようと、団長であるクロディールまでもが出張って、この店に向かってきていた。先ほどの窓に当てられた小石は、妨害の失敗を伝えるものだったのだ。
シロディールがしきりに窓を気にしていたのは、母を通じて顔を知っている『影猫』の人員を探していたからであり、レオナにアイコンタクトを送る直前、彼女は2人を探して軍政区を走り回っていた、監視員の一人を見付けることに成功したのである。
楚々とした動作で席から立ち上がり、彼女は店の出口へと軽やかに歩み出す。その後ろ姿に、先程生じた疑問をぶつけようとしたレオナだったが、まるで心を読んだかのようなタイミングでメリーはこちらを向き、いたずらっぽく唇に人差し指を当てた。『聞かないでね?』という意味が込められたであろう、その所作を見るうちに、メリーは出口のドアノブへと手をかける。
「ああ、そういえばここのお店は、私の知人がやっているお店なのよ。だから、今日は何を食べてもお代は必要ないからね?好きなだけ食べて、英気を養って頂戴。ねぇ、恋する乙女ちゃん?」
うふふー、と心底上機嫌な声音でそう囁いてから、メリーは店内から出て行った。世話焼きな人々が、大抵そうであるように、突然やってきて、唐突に去っていく彼女の後ろ姿に嵐を幻視しながら、レオナは深く、深くため息をつくのだった。
「あのさ、レオナ。ちょっと聞いても良いかな」
『影猫』が店内に踏み込んだ時には、メリー達は既に店を後にしており、レオナ達から多少の事情を聴取した後、彼らは人ごみの中に消え去るように、去って行った。努めて無表情であろうと努力していたようだが、事情を聴く彼らの口の端は引き攣っており、今回の失態を非常に遺憾に思っているのが伝わってきた。故に、レオナ達は彼らを揶揄する事もなく、淡々と状況を報告して別れた。
人気の絶えた店内で、せっかくだから、と昼食をとることにした2人。メインディッシュを食べ終え、食後の紅茶が運ばれてきた直後。シロディールが意を決したかのように、レオナに話しかけた。レオナは、シロディールと視線を合わせて、言葉の続きを促す。
「えっとね?あのー。……レオナは、いつクロノ殿をあんなに好きになったの?そりゃ、私もクロノ殿は好ましく思ってるけど、あんな風にしっかりと自分の気持ちを語れるくらいに、ちゃんと好きか、って言われると、自信ないんだよね……。そりゃ、一目惚れっていうのはそんなもんだ、って言うのは分かるんだけどさ」
人差し指と人差し指を合わせる様な形でもじもじさせながら、心中に生まれた疑問を口にするシロディール。確かに、彼女の疑問はある意味ではもっともだった。言っても、クロノとレオナが面識を持ってから、一月程しか経っていないのだ。恋を知らなかった彼女が、加減というものを知らずに、初手から全力を尽くすのは、分かる。しかし、あれだけの確固とした想いを歌い上げることが出来るのは、彼女がクロノに、心底恋をしていることの証明であるように思えた。
『話していて楽しい』という王道ではあるが、それ故に、ふわふわとした好意を胸に抱いているシロディールには、それが不思議でならなかったのだ。好きになるのは分かる。だけど、そこまで好きになれるのは、何故なのか。分からない。
シロディールが単なる食事中の会話としてではなく、真摯な想いから問いを発していることをその表情から読み取ったレオナは、数瞬、中空に視線をさまよわせてから、頬に手を当て、問いに答える。
「……私が最初にクロノ殿を好きになったのは、彼が私が見失ってしまった夢を体現していたから……だと思う。10年前の魔物災害を覚えているかな?」
「うん、そりゃあね。あれは、忘れられないよ……」
10年前の魔物災害において、ガルフレイクは未曾有の被害を受けた。その時に来襲した魔物は奇しくも『破滅の果実』そしてその『破滅の果実』は変種だったのか、嫌忌剤による誘導が効かず、防衛線を縫うように飛行して、帝都のすぐ近くにまで肉薄した。
この世界において、大きな都市は、土地の魔力が豊富な場所に造営される。そうすることで、魔術師でなくても、魔道具を活用できる、といった様々な利点が得られるからだ。
しかし、魔物もまた、そうした土地の魔力が豊富な場所を自らの住処に選ぶ習性がある。その為『破滅の果実』は一直線に帝都近辺まで飛来し、破壊の限りを尽くしたのだった。
死傷者2万3067名。そして『破滅の果実』が通った場所に存在した街や村は、完全に破壊し尽くされた。ガルフレイクが、クロノを国賓待遇で歓待する大きな理由として、この生々しすぎる10年前の記憶があったのだ。
「あの魔物災害で、父さんは右目と、沢山の部下を失った。今でもたまに、部下の名前を呼びながら泣いている。……本人は意地でも認めたがらないけどね。そして私自身も、危うく魔力弾で粉々にされかけた。瓦礫に埋もれて、傷だらけになった私を探し当てた母さんは、泣きながら言っていたよ。『こんな世界に産んでしまってごめんなさい』って。……あの時、私は強くなろうと決めた。誰も泣かせない。私が、あんな理不尽な存在を倒して見せる、と」
自然、シロディールは息を飲んだ。レオナとは子供のころから、ずっと一緒に過ごしてきた。いわゆるかぎっ子であったシロディールを不憫に思ったレオナの両親は、何かにつけてシロディールを屋敷に招待し、レオナとシロディールは、まるで本当の姉妹のように過ごしてきたのだ。しかし、レオナがこんな、燃え盛るような想いを抱えていた事を、彼女は知らなかった。しかし、言われてみれば、彼女はいつだって、誰よりも努力していた。
学年で1番の剣技を持つ者が10000回素振りをしていると聞けば、それ以上を行う。それが、レオナの身体能力では……種族的には、無理だと知れば、それを可能にするべく、魔術の修練に睡眠時間を削って、全力で打ち込む。シロディールと過ごす時間以外は、訓練所と魔道図書館を往復する生活を送っていたはずだ。なぜ、そんなにも頑張るのか、と問うたことはあったが、レオナは曖昧に微笑むだけで、その理由を答えることはなかった。
「だけど、どれだけ努力しようとも、私が理想とする強さの峰には、小指すらかけることが出来なかった……。それこそ『破滅の果実』と肉薄する事すらできずに、遠方から一方的にいたぶられる、非力な存在にしかなれなかった。……私は、夢を見失ってしまったんだ。今まで、それだけを見て生きてきたのに、唐突に道が途絶えてしまった」
シロディールは、言葉を失ってしまった。なんということだろうか。彼女は、誰でも不可能だと分かるような夢を追っていたのだ。英雄物語に憧れる少年少女ならいざ知らず。余人が馬鹿げたことだ、と嘲笑するような夢を真摯に追い続けた。そしてその果てに、それが決して叶わぬことであることを、思い知った。
「だけど、私の夢を体現したような、そんな人が突然現れた。あの忌々しい『破滅の果実』を完膚なきまでに、叩き潰すという偉業を携えて」
瞳を輝かせながら語るレオナに、シロディールは何故だろう。隠し味のように、僅かではあるが、怒りのような感情を覚えた。要するにレオナは、クロノという個人・人格が好きなのではなく、彼が持つ『能力』が好きなのではないか。それは、不純なのではないだろうか。それじゃあ、クロノが可哀そうだ。そんな、少女らしい潔癖な思い込みが、その怒りに油を注ぐ。声を荒げるようなことはないが、それでもチクリ、と刺すような言葉を口にしそうになって、慌てて踏み止まった。レオナが、まだ言葉を続けようとしていたからだ。
「クロノ殿に会う前は、その……最悪、自分を捧げるような行動すら選択肢として抱えていたのだけど……。そんな必要なんて、なかった。クロノ殿は、あれだけの実力を持ちながら、いつだって自分ではなく、相手の事情や心に思いを致していた。優しすぎるんだよ、あの人は。だけど……私は、そんなあの人だからこそ、守りたいと思った。そんな風に毎日思ううちに、その……いつそうなったのか、自分でも分からないんだけど、言葉を、視線を交わすだけで、とても幸せな気持ちになれる自分に、気が付いたんだ」
きっかけは、彼に自分の見果てぬ夢の姿を見たから。しかし、恋をしたというのなら。きっとそんな想いを積み重ねた日々の中で、私は恋をした。はにかみながら。輝くような想いを胸に抱えて、微笑むレオナ。その笑顔は、人の善性を象徴するような、妙なる輝きに満ちており。シロディールは、先程抱いた怒りが急速に萎んでいくのを感じていた。代わりに、心をじりじりと焦がすような、よく分からない気持ちが、胸中に流れ込む。
「そんな日々を、誰かにとられてしまう、と考えたら。自然とあんなふうな言葉が出てきたんだ。でも、恥ずかしくなんてなかったぞ。むしろ、私はこんな気持ちを持っているんだ、と誇らしい気持ちだった」
感情の波に翻弄されるシロディールの様子に気が付かず、レオナは律儀にシロディールの問いに答え続ける。……この場に、いわゆる『場数』を踏んだ人物がいれば、二人の間に流れる微妙な空気を読み取ることが出来ただろう。しかし残念なことに、この場にいるのは、そうした『場数』を踏んだ経験が少ないどころか、皆無である女の子が2人だけ。
「さぁ、そろそろ、陸軍省に戻ろうか!!クロノ殿も昼食を食べ終えた頃だろうから、一緒に昼食をとることはできないだろうけどね」
「う、うん……。そうだね……」
自分の気持ちに、答えを見出し始めているレオナと、自身の気持ちに翻弄され、坩堝にはまりつつあるシロディール。ずっと一緒に過ごしてきた2人の気持ちが、初めて少しだけ、すれ違おうとしていた。
書きながら、ハーレクイーン小説とか書いてる作者さんはマジですげーな、とか思いました。恋心を正面から書こうとすると、七転八倒しながら考えないと、納得のいくものが出てこないです。
ですがこれからも、ヒロインズが主人公を好ましく思う理由とかは、ちゃんと書いていってあげたいな、と思っています。
【恋と戦争は全てを正当化する】
恋と戦争においては全てが正しい、とも。イギリスのことわざ。語感的にフランスとかイタリアのことわざだと思っていたのですが、イギリスもなかなかロマンのあることわざを考え付くものだなぁ、なんて思いました。
【赤い糸を編むもの《ラバーズ・マリオネッティ》】
メリーはインセクトディアス、と呼ばれる虫系統の特質を持つ種族であり、前述の呼称は、額には宝石のような複眼、手首には神経毒を分泌する毒針、爪の間からは強靭な糸を放出するという蜘蛛のような特質と、婚姻関係を取り持つことで、影響力を増していく彼女を揶揄しているのである。しかし本人は案外その呼称を気に入っているらしく、糸玉の指輪を最初に思いついたのは、彼女だったりする。