美人鍋と恋心
ようやく形にできましたので、投稿いたします。クロノの恋愛というものに対するスタンスと、ガルフレイク編の中盤イベントにおける伏線を秘めたエピソードになります。
異世界だろうとなんだろうと、不変の真理というものは存在する。例えば、お昼にはお腹がすく、とか。執務室にて、各国の軍事事情や、魔王領に最も近い地域に存在する『守護領』……日本列島に例えるなら津軽から岩手、山形の辺りにまで存在する要塞群……の配置といったものについてレオンに教えてもらっていると、不意に外から重厚な鐘の音が聞こえてきた。
「お、もう昼時か。うむ、切りも良いことだし、昼食にするとしようか」
ぐーっと、上体を逸らすように背伸びをした後、レオンはそう提案してきた。様々な新出単語を頭に刻み込んだせいか、とてもお腹がすいていたので、そうしましょうか、と即答する。さて将軍は常日頃、どんな昼食をとっているのだろうか。期待に胸を膨らませていると、レオンはそうした考えを見透かすように、ニカリ、と不敵な感じに微笑んだ。
「それではクロノ殿には、ガルフレイク陸軍名物『美人鍋』を馳走するとしようか」
美人鍋は、はたして普通の鍋だった。ノアと数人のメイドが持ってきてくれた鉄鍋には、琥珀色のスープが満たされており、具材を乗せるお皿には、多めの野菜ときのこ、そして豚肉のような肉質をした肉が盛られていた。野菜は見ただけで、その甘さが想像出来るくらいに瑞々しく、肉の方も脂身がてらてらと光っていて、食欲をそそる。思わずゴクリ、と生唾を飲み込んでしまった。
パッと見、寄せ鍋って感じだろうか。ノアが鍋の下に鼎のような器具を設置し、側面に取り付けられたつまみを調整すると、器具の底から勢いよく火が起こり、鍋の底を舐める。普通だ。今のところは、普通の美味しそうなお鍋だ。
……バブル期にその悪名を馳せたという、ナントカ盛りとか、ナントカ酒みたいな代物を出されるんじゃないかと、正直なところドキドキしていたので、密かに安堵した。だけど、これのどこが『美人』鍋なのだろうか。
「この鍋の名前はな、大破壊の際にその部隊で一番の美人が被っていた鉄兜を、鍋代わりに使ったことからきてるんだ。野郎どもは、その美人の為に蛮勇を振るった訳だな」
椅子に腰かけながら、この鍋の起源について教えてくれるレオン。……異世界にも紳士という人種は存在したのだな、と益体もない感想を抱いた。香辛料が効いた味付けらしく、熱せられた鍋からは、刺激的な香りが立ち上っている。
「さーて、そんじゃあ具材を投入していこうかね」
言いながらレオンは、長箸を使って具材を一気に落とし込む。大破壊の際に、あらゆる物資が不足してしまうこの世界において、木の枝を加工するだけで容易に作成できる箸は、割とポピュラーな食器として親しまれている。晩餐会で箸を出された時は、ちょっと感動してしまったものだ。
数分の後、具材がいい感じに煮立ってきた。具材が煮立つ間にノアが持ってきてくれた、白米が盛られたお椀と箸を両手に持ち、スープの中で艶やかに踊る具材を見つめる。レオンは、その様子を見て豪快に笑っていた。
「うし、今ぐらいが食べごろだな。クロノ殿、お前さんはゲストだ。最初に箸をつけて構わんぞ。若いんだから、肉食べとけ。肉食べとけば、若いうちは無敵だ」
「はい、それでは遠慮なく。いただきます!!」
異世界モノではよく『いただきますってどういう意味?』みたいなやり取りがなされる。しかし、この世界にはそれに類する言葉が既にあるのか、怪訝な顔をされたことがなかった。一体どんな言葉に翻訳されているのか、興味深いものがあるのだけど、今はそんなことより美人鍋だ。かっさらうように具材を……肉を多めに……取り皿へと運んだ。
鍋料理を地位が上の人と食べる際は、格式ばった振る舞いは胸にしまい、逆に胸襟を開いて、自然に食べることがマナーとなっているそうな。同じ鍋で煮られた具材を、口に入れる箸で取り合う鍋料理は、相手との親睦を深めたい時に選ばれる料理であり、そうした料理を出されたのに、お上品な所作を崩さないのは、腹に一物あり、と宣言しているようなものだ……という理屈らしい。
なので、遠慮なく肉を3枚重ねて口に運ぶ。甘味を含んだ脂身のうま味が、口内を満たす。こうした脂身の多い肉は、調理の仕方次第では生臭さが多く残り、残念なことになってしまう事が多いのだけど。香辛料が効いたスープで煮こまれた事で、肉のうま味は倍増し、生臭さも全く残っていない。要するに。
「美味しい!!すっごく美味しいです、レオン将軍!!」
「ガハハ、気に入ってもらえたようで何よりだ。本来は腐りかけの肉や、しなびた野菜の嫌な臭いを抑え込む為に、香辛料の効いたスープで煮こむんだが、新鮮な素材でやってもめちゃくちゃ美味いんだな、これが」
惚れ惚れするような勢いで、具材と白米をかっ込むレオン。その様はやっぱり将軍というよりも、親方みたいだった。
「クロノ殿も、白米と一緒にかっ込め。沢山の具材の味を、一辺に頬張れんのが鍋料理の醍醐味だ。遠慮なんていらんぞ」
言われたとおりに、沢山の具材と白米とを咀嚼した。うんうん、男はこういうので良いんだよ。思わず、男子に生まれた事を、ことほぎたくなる思いだった。いやもちろん、上品な料理も、それはそれで素晴らしいのだけど、やはり若い野郎としては、こういう料理も恋しくなるものなのだ。
しばらくの間、互いに無言で食事を続ける。一応は将軍との昼食会、というくくりになるのだろうけど、なんだか親戚のおじさんとお昼を食べている、といった感じの和やかな沈黙が、そこにはあった。腹八分目くらいまで食べ終えた所で、レオンと目が合う。『なんか普通に飯食っちまったな』という言葉が、ありありと伝わってきて、どちらともなしに大笑いしてしまった。
「ところでクロノ殿。この鍋にかこつけるわけじゃないが、レオナやシロディール、そして聖月騎士団の面々を、どう思う?好ましい、とかそういう意味ではなく……そうだな、結婚相手として、どう思うか。それを、忌憚なく教えてもらえないか」
食後のお茶を楽しんでいると、不意にレオンがそんなことを尋ねてきた。これは……アレか、お父さんからのプレッシャーってヤツなのか。奇襲めいた質問に、恐らく目を白黒させてしまっているであろう俺の様子を見て、レオンは手の平を重ねるように組んだ後、苦笑した。
「不躾な質問、申し訳なく思う。しかし、重要な質問でな。どうか、問われてみて、正直に思ったことを教えてもらいたい」
不躾とまでは思わないけれど、気が早いなぁ、なんて事を思いながら思案する。うーむ。確かに、レオナもシロディールも、そして聖月騎士団の人々も、非常に魅力的な女性達だとは思う。しかしだからといって、結婚相手としてどう思うか、と問われると、どうなんだろう、と首をかしげてしまう。想像できないというか、具体像が思い浮かばないというか。メジャーリーガーになった自分を想像してみろ、と問われたような気分だ。
今のところ『結婚相手』として見ている、というよりは『女の子』として見ている、というのがニュアンスとして一番近いと思う。その心は、まぁ行為には至らない程度に仲良くしておきたいな、といったところか。
いや、俺も年頃の男ではあるので、そうしたものに憧れみたいなものがない訳ではないのだけど。しかし、ただでさえ大破壊、世界情勢、召喚者の少女及び被召喚者といった懸案事項が山積している状況で、女の子の気持ちにまでちゃんと思いを致せるだろうか、という不安が、そうした猛りを冷却する。
与えられる好意を、当然のもののように受け取るのは、なんだか違う気がする。向こうが良くしてくれたのなら、俺も同じように何かを返したい。だけど、それには相手のことを深く理解していく事が、必要不可欠だと思うのだ。それを果たして『世界を救う』なんて大難業を行いながら出来るだろうか。
少なくとも、今の俺には出来ないような気がする。なまじ結婚という最終的な形に至ってしまったが故に、忙しいとかなんとか、理由を付けてお互いの理解を深めていく過程を遠ざけてしまうような気がするのだ。
今まで俺は、恋愛の機微といった、普通の人間が当たり前に通過して、何らかの形で折り合いを付けていく問題を素通りしてきた。早いうちから、家族という箱庭に見切りを付けてしまったからなんだろう。色恋の類に甘美な夢を見るべき年頃に、面倒くさい事をやってんなぁ、と一種見下したようなスタンスで過ごしてきてしまったのだ。流石に今となっては、そうした自分の痛さ加減に恥じ入る思いなのだけど。だから、俺は恋というものが、分からない。
どうにかこうにか、そうした心中をフェイクを交えつつ、レオンに向けて吐露した。大きく息を吐いてから、視線を少し落として椅子に深く座りなおす。変な奴だ、とか思われていないだろうか。
「ほほぅ。いやー、甘酸っぱい!!むせ返るような、青春の香りだ。おっちゃん、今から家に帰って妻に『愛してる』って伝えたくなっちゃったよ」
初めて立って歩いた乳児を見つめるような、不思議な暖かさを湛えた視線で、こちらをみつめるレオン。元いた世界では、こういう話をすると肯定、否定関係なしに引かれたものだけど、そうした疎外感みたいなものは、感じられなかった。
「なんでこんな事をいきなり聞いたか、と言うとだな。実は、議会の一部に気になる動きがある。そうした動きに対応する為に、クロノ殿が女性に対してどのような考えを持っているのかを、早急に知っておく必要があったんだ。本来ならヴィルのやつが聞くべきなんだろうが、アイツが聞いたんじゃ、質問というよりも詰問って感じになっちまうだろ?」
確かにヴィルヘルムに『結婚相手についてどう思うか』なんて聞かれた日には、意味もなく謝ってしまいそうだ。しかし、俺の女性に対するスタンスが重要な要素になるなんて、一体どういうことなのだろうか。……正直なところ、心当たりがあるというか、察せるものはあるのだけど、予想の類を述べるよりも、ここはレオンの説明を聞いた方が話が早いだろう。居住まいを正して、聞く姿勢を取ると、レオンは淡い笑みを口角に宿しながら、事の詳細に関して語り始めた。
「クロノ殿に対して、ガルフレイクが一定の影響力を保持していくには、どうしたら良いか、という議論が事の発端なんだ。まぁ例によって、侃侃諤々の議論がなされたわけだが。最終的に、クロノ殿の穏やかな性質を鑑みるに、金品の類を送りつけるよりも、前時代的ではあるが、ガルフレイク出身の女性を、クロノ殿に娶っていただくのが最良の一手ではないか、という決着を見た訳だ。ここまではいいか?」
予想と違わぬ展開ではあったので、冷静に頷きながら続きを促す。金品なり屋敷なり、役職なりを渡されても、正直持て余してしまうだろうから、そういう意味ではその方針は間違ってはいないと思う。もちろん、人の感情を楔にするようなやり口に、思う所がないか、と問われればそんな事はないのだけど、搦め手の類に対して一々激高するほど、了見が狭くもないつもりだ。まぁ、そうしたことを許容出来ることが、人間的に優れているのかどうか、という問題はこの際置いておくにして。
「そして、これからが肝なんだが。仮にクロノ殿が子を成した場合、その特質は受け継がれるのか、という疑問にまで、議論が波及した訳だな。よしんば、全ての特質が受け継がれなかったとしても、鉄槌の王を小枝の如く振り回す膂力、あるいは膨大な魔力量と作成魔術。そのどちらかが受け継がれるのなら、ガルフレイクは凄まじいまでの軍事的・魔術技術におけるプレゼンスを得ることになる。それだけじゃない。来たるべき大破壊において、そうした特質を持った者達の軍勢がいれば、有史以来誰も成しえなかった『魔王討伐』という悲願すら達成できるかもしれない……少なくとも、一部の議員たちは、そう考え始めている」
なるほど。俺のチート能力を、特質として捉えている訳か。多少、短絡的な気もするけど、一定の説得力を持った考え方だな、と我が事ながら思う。優れた特質や資質を次代に受け継がせるために、一夫多妻が常態化しているこの世界の文化形態を鑑みれば、ある意味議論の帰結としては当然のそれなのだろう。そういう意味では、問答無用で寝所に女性をあてがわれたりしなかった分、ガルフレイクは俺の人権や意志というものを尊重してくれているのかもしれない。
「もちろん、ヴィルを中心とした大部分の議員はこうした考え方に否定的だ。国難を払っていただいた英雄に対して、種馬が如き扱いをするとは何事か、ってな。他国から、所詮は礼儀を介さぬ獣人の群れに過ぎぬのだな、なんて非難声明があがる事を危惧する声もある……しかしだな、それもクロノ殿がこうした動きに対して『どのように考えているか』という要素一つで全てがひっくり返る」
「……つまり、私がそうした動きをむしろ歓迎する、という発言、あるいは行動をしようものなら、様々な配慮が吹き飛ぶ可能性がある、ということですか?」
静かに頷くレオンを見つめながら、顎に手をやり考える。問題を極限まで単純化するなら、要するに『ガルフレイクハーレムルート』と『共通ルート継続』の選択肢みたいなものか。これからの異世界生活を左右する、重要な局面ではあるのだけど。俺の心は、穏やかに凪いでいた。選ぶべき選択肢なんて、初めから決まっているのだから。
「そうした動きがあるにせよ、私の答えは変わりません。まだ特定の異性をそうした対象として見ることは出来ませんよ。甲斐性なし、との誹りを免れないかもしれませんが、私はもう少し自分の気持ちに折り合いを付けたいと考えていますし、皆さんとの時間を大切にしたいです。性急に、そうした関係になってしまうのは……正直なところ、怖いですね」
素直に、思うところを伝える。婚姻から始まる恋、というのもない訳ではないのだろうけど、俺はもう少しそこに至るまでの過程を楽しんでいたかった。レオンはその言葉を聞くと、満足げに大きく笑った。
「うむ、クロノ殿の心、しかと受け取った。ヴィルにもそのように伝えよう。詳細な時期に関してまでは分かりかねるが、クロノ殿の婚姻に熱心な議員連中も、間もなく本格的に動き出すはずだ。可能な限り、クロノ殿の手を煩わせないように対処していくつもりだが、そちらの方でも、言質を与えないように、努力してみてほしい……ノアも、よくクロノ殿を補佐して差し上げてくれ。頼んだぞ」
「かしこまりました。若輩の身なれど、最善を尽くさせていただきます」
なにやら触れれば斬れてしまいそうな程のやる気を漲らせて、ノアは一礼する。使命感の強い人だとは思っていたけど、これほどとは。彼女のやる気に恥じないように、俺も頑張っていかないとな。
「ちなみに、特に気を付けた方が良い人物などはおりますか?例えば、そうした動きの首魁とでも言うべき人物であるとか」
「俺は、政治にそこまで強いわけじゃあないが……そうだな、確実に気を付けた方がいい人物には、心当たりがある」
そこまで言い終えた後に、レオンはやれやれ、といった感じの表情を浮かべた。ノアも心当たりがあるようで、メガネを直しながら頷いている。ふむ。かなり有名で、尚且つ有力な人なんだろうか。なんとなくだけど、太鼓腹で目に隈がある、田沼意次ライクな人物像を思い浮かべる。いや、田沼意次を見たことなんて、もちろんないけれど。
「どんな人なんですか?とても有名な人物ではあるようですが……」
「あぁ、有名人だとも。ビッグ・ママ。あるいは赤い糸を編むもの。婚姻関係の仲立ち、という旧来的な手段と明晰な頭脳で、ヴィルに並ぶ発言力を持つに至った女傑。副宰相メリー・ゴールドバーグだ」
ついにガルフレイクの『たぬき』の部分が動き出したようです。ただ、テンプレ通りの嫌なヤツにはしないつもりですので、その点はご安心いただければ、と思います。
【鼎】
本当に『鼎』という形をした器具。主に煮炊きに用いられたそうです。漢字ってこういう意味でも便利な文字なんだな、と思いました。




