陸軍省への訪問と、一つの危惧
昨日は日をまたいでから帰りましたので、投稿が出来ませんでした。なので早起きをして投稿です。
「スーツ姿のクロノ殿、というのは非常に新鮮ですね。とてもお似合いだと思います」
「うんうん、なんだかやり手の外交官、って感じだねー」
「そう言ってもらえると嬉しいですね。スーツなんて着たことがなかったので、スーツに着られる、といった感じになるのでは、と危惧していましたから」
剥きたてのゆで卵のように、ツヤツヤとした面持ちのノアを伴って、俺は迎賓館の正面玄関にやって来ていた。そこには黒塗りのがっしりとした造りの馬車が停められており、その前には濃紺の軍服に身を包んだレオナとシロディールがにこやかな笑みを浮かべて佇んでいる。
普段装備している装飾性の高い鎧も、彼女たちにはとても良く似合っているけれど、今日の軍服姿も、凛々しさの中に色気のようなものが…メリハリがはっきりした服装だからだろうか…香っており、眼福だなぁ、なんて不謹慎な事を考えてしまう。そんな不健全な思惑が透けて見えてしまったのか、レオナとシロディールは視線を所在なさげに迷わせた後、頬を赤らめて俯いてしまった。
「えっと…すみません。お二人も軍服がとてもよくお似合いです」
なにについてのすみませんなのか、という事は明示せずに、後頭部をかきながらそんな言葉を口にしていた。男のチラ見は女のガン見、というのは世界が違っても真理足りえるのだな、なんてことを思う。
「あはは、クロノ殿もそういうところがあるんだねぇ。変な話だけど、安心したかも。クロノ殿はそういったことに興味がないんじゃないか、なんて声がチラホラ聞こえてきてたからね」
シロディールがレオナの肩を軽く叩きながら、そんなことを言ってきた。うへぇ、なんか妙な噂がささやかれるようになっとる…。いや、俺も一応は男なので、そういった側面が無い、って事はないのだけど。どうもこの世界に来てから、そっち方面の欲求が淡泊になっているのだ。理由はよく分からないけれど、究極生物は常に一人、みたいな理由なんだろうか。
「そんなことはないんですけどね。今の状況でそういった方面にまで手を伸ばせるほど、俺は大人物ではない、ってだけのことです」
「そっかー。だってさ、レオナ。良かったね?」
そんな事を言いながら、赤面しているレオナを肘で突くシロディール。一体なにが良かったね、なのか。シロディールを小一時間問い詰めてやりたい衝動に駆られたが、そろそろ陸軍省に向かわないと約束の時間に遅れてしまう。なので追及の言葉を飲み込んでから、ノアに目配せをする。ノアは一礼をした後にエプロンドレスを翻して、身軽な動作で御者台に乗り込んだ。ガルフレイク流メイド術には馬術と馬車の操作技術も含まれているのです、とのことだけど…メイドってなんだったっけ、と思わなくもない。
「さぁ、そろそろ陸軍省に向かいましょう。さすがに将軍を待たせる、というのは避けたいですからね」
馬車のドアを開けてから、二人を先に乗せ、最後に自分が乗り込んだ。思えば馬車に乗るのって生まれて初めてだな。馬車の内部は思っていたよりも広々としており、座席もふかふかとした不思議な素材で出来ていた。もっと狭くて座席も固いイメージがあったから、おお、なんて声をあげてしまう。というか座席がふかふか過ぎて、めり込むんですけど、これ!!
ガルフレイク陸軍省は、碁盤目状に造成されたワークスブルグの、右端中央に位置していた。外観は横浜の赤レンガ倉庫を瀟洒にしたような感じで、その敷地内には軍に関係する機関や幹部養成学校、そして武官の宿舎といったものも併設されており、ちょっとした街のような体裁を帯びている。明治大正期の建物みたいだな、などと思いながら最初に馬車から降りて、レオナ達に手を貸す。
「…ありがとうございます、クロノ殿。それではレオン将軍がお待ちになっている場所までご案内させていただきますね」
「はい、お願いします…そういえば、レオン将軍はレオナさんのお父上でしたよね?その、どういった人なのか、道すがら教えていただけませんか?」
レオン将軍についての情報は、様々な人から聞き取ってはいるのだけど、やはり身内からどう見られているのか、というのは重要なファクターだと思う。
「そうですね、父は…まぁ、豪快な人です。そして邪気がないというか、子供っぽいというか。そんなところのある人ですね。なので、ちょっと…といいますか、かなりざっくばらんな物言いをしてしまうかもしれませんが、ご容赦いただければ、と思います」
「レオン将軍は良い人だよ。将軍として働きながら、家族との時間も大切にしてるもん。将軍が作るステーキはすごいおいしいんだよー」
休日は家族でバーベキュー的な、アメリカの軍人パパみたいなイメージが脳裏に浮かぶ。聖月騎士団の人々に聞いた話でも、概ねそんな感じだったと思う。新兵教育に定評のある軍曹みたいな性格ではなさそうだ。まずはそのことに安堵する。気に入った、お前うちの娘と○○してもいいぞ!!なんて言われたらさすがにトラウマになりそうだし。
レオナとシロディールが受付の人と会話をしている間、陸軍省のロビーを見渡してみる。鏡の様に磨かれた床と、落ち着いた雰囲気の調度品。軍の建物と言うよりは、高級ホテルといった風情だな、と思っていると、ロビー中央に置かれているソファーに腰掛けていた女性が、こちらに向かって歩いて来ているのが視界に入った。
赤の巻き毛に泣き黒子、という少し退廃的な色っぽさを帯びた女性で、猫耳と言う印象的なパーツすらその色香を強める一要素に成り下がっている。彼女も受付に用事があるのだろうか、と思い、場所を譲ろうとすると、彼女は女豹のような笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んできた。
あれ、どこかで会ったことがある人だろうか。いや、ここまで印象的な女性を忘れる、ってことはないと思う。だとしたら初対面ということだけど。怪訝に思いながら彼女を見つめ返すと、シロディールが突如として謎の女性を突き飛ばし、俺の前に立ちふさがった。
「クロノ殿に触らないで!!」
いつもほんわかとした態度を崩さないシロディールが、語気を強めて謎の女性と対峙している。その背にかばわれるような格好になっているので、彼女の表情までは伺うことは出来ないけど、恐らくは睨み付ける様な感じなんじゃなかろうか。
「あらあら、親に向かって随分な態度ね。私は諜報部の長として、噂のクロノ殿と面識を持っておこうと思っただけなんだけど?」
余裕すら感じさせる態度で、シロディールに相対する女性。…ん?親ってことは…もしかしたらこの人って。
「私は貴女を親だと思ったことなんて、なかったけどね。私の親と言える人は、お父さんだけ!!貴女が家にいたことなんて、十指で事足りるぐらいしかないじゃない!!そういうのはね、世間一般じゃ他人って言うのよ!!」
ふむ。やはりこの女性はシロディールのお母さんのようだ。確かに言われてみれば、目鼻立ちが似ているような気もする。シロディールの可愛さを、色っぽさに置き換えた感じだろうか。…しかし、天真爛漫に見えたシロディールがこんな激情家としての側面を持っていたとは。そして家族関係というのは世界の違いといったものに関係なく複雑なんだな、と睨み合う二人を見つめながら思う。
「…クロディール諜報部長。我々はこれからレオン将軍のもとまでクロノ様をお連れしなくてはなりません。クロノ様との会談を望まれるのであれば、まずはヴィルヘルム様に要望書を提出していただきたく思います」
レオナがシロディールを宥めて、クロディールから引き離す。そして、ノアがシロディールに代わって俺とクロディールの間に割って入った。淡々と、そして優雅な礼を伴った言葉ではあったけど、その根底には有無を言わせぬものが感じられた。その言葉にクロディールは意味ありげに微笑んだ後、こちらに視線を移した。こちらの心をぞろり、と舌で舐めとるようなそれに、ちょっとした寒気を感じる。その視線に対して、まぁそういうわけですので、なんて曖昧に微笑み返してから、俺達はロビーを後にした。
「全く、相変わらず最悪な人…!!あの人、絶対にクロノ殿を利用しようとしてたんだよ!!」
怒髪天を突く、というか怒猫耳天を突くといった具合に怒を発するシロディールを見守りながら、レオナを見遣る。レオナは少し困ったように微笑んでから、俺達の数メートル先を、足早に歩いているシロディールには聞こえないくらいの声音で、先程の一件について解説をしてくれた。
「…先程の女性、クロディール諜報部長はシロディールのお母さんです。ただ、諜報任務に従事している彼女は家を空けることがとても多くて。シロディールのお父さんが、重篤な病気で死にかけた時も、一顧だにすることすらなかったそうです。お父さんが大好きだったシロディールには、それがとてもショックだったようでして。もちろん他にも理由はあるのでしょうが、今では顔を合わせる度に喧嘩になってしまうんです…」
なるほど。仕事重視で家庭を顧みない父親、というのはよく聞くけれど、シロディールの家庭においては全く逆の瑕疵が生じてしまったんだろう。まぁ、クロディールの方は喧嘩と言うよりも、じゃれ合いのように受け取っていたように見えたから、恐らくああいった形であっても娘と会話がしたい、という想いがあるのかもしれない。
「クロノ殿も、気を付けてね。あの人、情報と利の為なら、なんだって出来る人なんだから」
こちらを振り返りながらそう言い切るシロディール。うーん、シロディールの母に対する不信感は、根深い物のようだ。レオナの話ではまずクロディールが家にいる、という状況自体が珍しいことだったようだし、些細な誤解や思い違いを長時間放っておいたことが問題の根幹なのかもしれない。
余計なお世話かもしれないけど、なんとかしてあげたいな。話して喧嘩が出来るうちは、どうにか出来ると思うんだ。…話すことすら。喧嘩することすら、出来なくなったら、もう処置なしだけどさ。
「クロノ殿、レオン将軍はこの部屋の中でお待ちです。私達は立ち入らないように、と受付から言付けられておりますので、一緒に入ることは出来ませんが…」
10分ほど廊下を歩き、更に地下へと続く階段を下りた先。そこには鋼鉄のような素材で作られた大きな扉があった。なんというかこの先に魔王が待っていますよ、と言われても信じてしまいそうな雰囲気だな…。わかりました、とだけ返して部屋の中に入る。
室内には簡素なテーブルとソファ、そして本棚だけが置かれている。そして部屋の中央には燃え立つような金髪の偉丈夫が佇んでいた。彼は扉が開く音で俺の来訪に気が付いたらしく、まるで十年来の親友に向ける様に破顔一笑した。
「おお、遠いところをすまなかったな。将兵の恩人とも言うべきお前さんには、こちらから出向た上で、礼を言いたかったんだが…将軍職というのも結構忙しいもんでな。呼びつける様な形になっちまった。すまんな」
ガハハ、と笑いながらこちらに近付いてくるレオンに圧倒されながらも、冷静に彼の姿を観察する。まずなによりも目を引くのはガルフレイクの紋章が刻まれた、右目を覆う眼帯だろう。よく見れば右目の周辺には古傷の痕跡が見受けられ、その英雄然とした屈強な体躯と相まって、歴戦の兵、という印象を受けた。本来なら3mくらいは距離をとりたくなるような容姿だけど、その相貌に宿っている人好きそうな笑顔が、裏返って安心感のようなものを相手に抱かせる。
「いえ、かえって過分なお言葉を頂き、恐縮です」
「ガハハ、話には聞いてたが固ぇなぁ。まるで若い頃のヴィルヘルムみてぇだ。他の連中がいる場所ではそうもいかねぇが、俺しかいねぇトコなら気を抜いて喋っていいんだぜ?」
バシバシと肩を叩かれながら、軍人と言うよりは気前のいい親方みたいな人だ、なんて感想を抱いた。レオナから、ヴィルヘルムとレオンは幼い頃からの親友なんですよ、と聞いてはいたけど、見事なまでに対照的だな…コインの裏表、という比喩がここまで合致する人達を初めて見たかもしれない。そしてヴィルヘルムさん、若い頃はこんな口調だったのか…いや、若手官僚だったのだろうから、当たり前なんだろうけど…現状を知る者としては、違和感が凄いな。
「そうですね。こういう性分なもので、難しいかもしれませんが、そうしてみます」
「おぅ、そうしとけ。特にお前さんとは長い付き合いになりそうだしな」
肩を抱かれるような形になりながら、そういえばこの人はレオナのお父さんなんだった、ということを今更ながらに思い出す。えっと、つまりはそういう事になったらこの人に、そういうお願いをすることになるのか…なんだか別の意味で緊張してきたかもしれない。
「で、どうよ?レオナとはどこまでいったんだ?お義父さんに報告しなさい」
ソファに対面する形で座り込んだ瞬間、レオンはニヤニヤといった感じの笑みを浮かべてこちらの顔を覗き込んできた。それにしてもこの将軍、ノリノリである。というかお父さん、という言葉に不自然な発音が存在していたような気がするのは俺の気のせいだろうか…。
「えーと。その、手を握って迎賓館の庭園を散歩したり、とかはしています。あと木陰で涼みながら、お菓子とお茶を楽しんだり…」
「そうか。大切にしてくれているようだな。少しばかり夢見がちなところはあるが、それでもレオナは自慢の娘だ…よろしくな?」
柔らかな言葉に宿っているのは父としての愛情だろうか。先程までのような、少年めいた笑みではなく、力強くも、穏やかな微笑を浮かべるレオンに、父の姿を見た。その姿が少し眩しくて、俯くような形で視線を逸らしてしまう。不自然な仕草であることは重々理解してはいるけれど、それでも自分がどうあっても手に入らないものを直視させられるのは、つらいことだ。
「へへ、親父の小言はこの辺にしとくか」
レオンは俺が俯いたのを気恥ずかしさ故のこと、と誤認してくれたようで、訝しんでいる様子もなく、次の話題に移ってくれた。内心、安堵の溜め息をつきながら、レオンの発言を待つ。
「俺の執務室ではなく、この地下倉庫に来てもらったのは、お前さんに見てもらいたい物があったからでな。ちょっと俺について来てくれるか?」
その言葉に頷きつつ、ソファから立ち上がる。国賓を迎える部屋としては適当ではないな、と感じてはいたけれど、地下倉庫だったのか、ここ。そして執務室で会談を行ってからではなく、その『見てもらいたい物』を優先したというところから察するに、その物品はよほど重要な物なのだろうか。
レオンの後をついていくと、様々な物品が所蔵された空間に出た。前にテレビ番組で見た通販会社の商品倉庫がこんな感じだったな、と思いながら所蔵品を見回す。華美な装飾の施された剣や、宝石で作られたと思しき文字盤など、博物館を思わせる様な物品がある一方で、試作品、とペンキか何かで書かれた大砲なども収められていて、混沌とした様相を呈している。
博物館探訪、という心持ちで倉庫内をしばらく歩いていくと、布に覆われた3mほどの何かが見えてきた。傍らには沢山の錠前によって厳重に封印された木箱が置かれている。
「見せたい物、ってのコイツでな。お前さんは『作成魔術』とか言う未知の魔術を体得しているんだろう?なら、コイツに関しても何か分かるんじゃないか、ってうちの技術部の連中が上申してきてな。すまんが、見てみてくれ」
言いながら、レオンは布を引き剥がす。布が落ちた後に姿を現したのは、巨大な人型だった。全体的になめらかな曲線を帯びていて、質感は磨き上げた泥団子のように感じられた。胸部は下部に蝶番が取り付けられた棺桶の様に開いていて、人が乗り込めるようになっている。これは…ゴーレム、と言われるものだろうか。しかしこの世界にはゴーレムという技術は存在していなかったと思うけど。
「これは…随分と大きな泥人形ですね。人が乗り込めそうな造りをしていますし、乗り物の一種なのですか?」
慎重に、言葉を選びながら発言する。迂闊に『ゴーレムだ』なんて言ったら怪しいことこの上ないだろうし。肩の辺りにはエンブレムのようなものが刻まれており、それはルビー流麗王国を表す、3種の宝石が組み合わされたものだった。まさか、これって…。
「ああ、コイツは最近になってルビー流麗王国が争乱で使用し始めた魔道兵器でな。なんでも『ゴーレム』というらしいんだが、並みの歩兵では傷一つ付けられない上に、鈍重な見た目に反して、動きも素早いんだそうだ」
「ゴーレム、ですか。確かに、風聞通りの性能を保持しているなら、厄介でしょうね。ちなみにどのようにして、これを手に入れたのですか?」
「共生派の連中がトラップを使って鹵獲した物を提供してもらったんだ。まぁ、なんとなく察しているとは思うが、ガルフレイクは共生派と協力関係にある。軍事指導と資金・物品提供を条件に、研究用って題目で譲ってもらったわけだな」
協力関係と言っても表立って援軍を送るようなことは出来ないがな、と言葉を結びながら、レオンはゴーレムの傍らに置かれていた木箱の錠前を外し始めた。木箱の中には銃器が収められており、その銃器はフリントロック式でもなければ、マッチロック式でもなかった。
ボルトアクションライフル。バレル内には4条に及ぶ旋条が刻まれており、山と谷がちゃんと対になって刻まれている。全体的に無骨な造りで、いわゆるドライゼ銃に近い印象を受けた。
「ゴーレムは起動魔術が分からなければ、ただの置物でしかないからな、案外簡単に提供してもらえたんだが…。こいつを渡してもらうのには随分と難儀した、って話だ。見ての通り、新型のライフルなんだが、そのバレルに刻まれている模様と、随所に使用された魔道具が曲者でな。試射した限りでは、有効射程が1000から1200mっていう化け物みたいな代物だ。その上、連射性能も格段に上、ときている」
俺が知っている元込銃は物にもよるけど、射程は大体800m程度だったと思う。となると、魔道具による強化によって射程が1.5倍程度に伸びている、ということなのだろうか。恐らく、威力もそれに準ずるものになっているのだろう。流麗王は世界一の魔術師として様々な術式を開発した、ということだけど。ここにきて『流麗王=被召喚者説』が浮上してきたな…。
もちろん、少しばかり先進的な技術を異世界の人々が使い始めたからと言って、それを召喚者の仕業だ、と判断するのは、現代人としての驕りに満ちた考えだとは思う。しかし、だからといってそれは情報収集と考え続けることを放棄する理由にはならないだろう。
「レオン将軍、流麗王のお年についてご存知ですか?それと彼が即位なされたときに、政変や事件のようなものは起きませんでしたか?」
「流麗王は…確か今年で54歳だったはずだな。そして政変や事件は…そういや諜報部の古株が前に、即位の前後に流麗王国でゴタゴタがあった、みたいな事は言ってたな、確か」
「なるほど…すみません、ゴーレムを解析しながら、考えをまとめたいので、少し待っていただいてもよろしいですか?」
関係性の読めないこちらの質問に気分を害した様子もなく、レオンは頷いてくれた。ゴーレムに右手で触れながら、流麗王と被召喚者の関係性について思考を巡らせる。
年齢的には、彼が被召喚者であるようには思えない。しかし、召喚者の少女が世界すら跨いで俺を呼びつけたという事を考えれば、半世紀程度のズレは誤差の範囲内、という可能性は十分にあると思う。
そして即位の前後にゴタゴタがあった、という事実。もしかしたら、被召喚者による王位簒奪劇が、あるいは王に近しいポジションに被召喚者が就任する、という事件があったのではないだろうか。そして、その被召喚者は召喚されたばかりの頃に、亜人の人々に散々に迫害された経験がある、とか。
俺には幸いにしてチート能力とディノという寄る辺があったけれど、彼にはそれがなかったのだとしたら。それこそ亜人の人々に、奴隷としてこき使われた、なんて理由があるのなら彼が復讐者と化すのも無理からぬことなのかも知れない。
いや、彼にチート能力がない、と判断するのは早計か。召喚者の少女は、俺をして『チェンジ』したのだ。もしかすると、被召喚者にチート能力が付与されるのには、多少の時間がかかるのかもしれない。ゲームで例えるのなら『クロノ』というキャラクターに『チート能力A』を適応するのには、数十分程度の時間がかかるので、召喚されたあの瞬間においては、俺は非力な一般人でしかなかった、とか。だとすれば彼に『チート能力B』が適応されるのにも、数日…あるいは数年の歳月が必要だったのではないか、という仮説が成り立つ。
いきなり見知らぬ世界に呼び出され、見たこともない人種に酷使される日々。数年の月日が経ち、心身ともにボロボロになったある日、彼はあらゆるものを凌駕する能力を手に入れる。憤怒と悲哀を胸に、彼は全てに反逆することを誓ったのだった…まぁ、ピカレスクロマンの物語としてはありそうな話ではある。
ではその手に入れたチート能力とはどういったものだろうか。これに関しては予想するしかないけれど、思考実験の一環として、彼が最悪のチート能力を持っていた場合をシミュレートしておく。即ち、もう一人の被召喚者のチート能力が『洗脳能力』とでも言うべきものであった場合だ。俺が肉体面でのチート持ちなら、あちらは精神面でのチート持ち、とか。
だとすれば、王位なんて簒奪しなくても技術改革を進めることが出来るし、流麗王の急進的な行動にもある程度の説明がつく。しかし仮にそうだとするならば、彼は最大限に警戒すべき存在だということになる。俺の魔力が徐々に増加していっているのと同じように、彼が同時に洗脳できる人員もまた増加していっている、と仮定した場合。俺がどんなに頑張っても、土壇場で全てをひっくり返される可能性があるのだ。
…妙にニヒルな笑みを浮かべた男が、俺の近しい人を全て奪い去っていく光景を幻視した。ぎりり、と歯が軋みをあげる。気が付けば、ゴーレムに触れていない方の手を痛いくらいに握りしめていて。胸中には毒沼の様に、粘着性を帯びた炎が宿っていた。
潰すべきか。可能性の問題ではなく、最悪の結末を運んでくるかもしれない要素は早めに刈り取り、安寧を手に入れるべきだろうか。胸の奥から、獰猛な感情が野火の様に広がっていき、総身に染み込んでいく。どこかで見たような、命の失せた場所が、脳裏にちらつく。…破壊衝動と誰かの記憶で形作られた螺旋に埋没しそうになった瞬間。胸元で暖かな感覚が溢れ出て、そうした感情を駆逐していった。
握り締めていた拳を解き、全身を弛緩させた。それからクリスに貰ったペンダントを服の上からなぞる。アホか、と。お前は一体何様のつもりなんだ、と自身にツッコミをいれる。勝手な思い込みで他国の戦争に介入するなんて、正気の沙汰ではない。
もしかしたらもう一人の被召喚者なんてものは最初から存在せず、亜人排斥に情念を燃やす流麗王とその周辺の人々がこうした技術を開発した、という可能性だって十分にあり得るというのに。この『誰かの記憶』は俺に卓越した戦闘技術を授けてくれる、優れたチート能力ではあるけれど、同時にとても危険な代物でもあるのかもしれない。
「解析が終わりました。すみません、流麗王の人となりを知った上で、解析魔術を走らせたのですが、起動魔術までは読み取れませんでした。でも、これからは同様の物を作成魔術で作成することが出来ると思います。なので、そちらを技術部の方にお渡しして、一緒に思案していけば、更なる情報を得ることが出来るかと」
「そうか…顔色が悪いが、大丈夫か?それに解析をしている最中に、随分と苦しそうにしていたようだが…」
「はい、解析中にこの物品に宿っていた記憶というか、そういうものが流れ込んできまして…。戦場の光景を少しだけ見てしまったんですよ」
俺の『作成魔術』についてはデティールの部分は説明しているが、その上限や詳細な性能までは解説していない。なので、こうした誤魔化し方も出来る。
「そうか。嫌なもんを見せちまったようで、すまないな。…しかし、ヴィルのヤツも言ってたが、お前さんの作成魔術ってヤツは本当に底が知れないな。将軍という立場にある俺が言うんじゃ、国益の為に動いているようにしか思ってもらえないかもしれねぇが。無理はするなよ。きつくなったら、遠慮せずに周りの人間を頼れ。お前さんが抱えている力は、一人で背負うには、重たすぎる代物だ」
日向に置かれた岩石のような、優しい暖かさと頼りがいに満ちた声音。全身に生気のようなものが満ちていくのを感じながらも、全てを明かすことができない自分の今の立場が、少し寂しかった。
「いえ、ありがとうございます。そうですね、自分だけで突っ走らないように心掛けたいと思います。もしも私が間違った判断を下そうとしていたら、遠慮なく張り手の一つでもかましてやってください」
先程の様に、という言葉は飲み込んで、頭を下げる。レオンは張り手をかましてくれ、という言い回しがよほど気に入ったようで、呵呵大笑しながら俺の肩を叩いた。…叩く、という行為は不思議なものだ。どのような感情が込められているかによって、効能が全く異なるものになるのだから。総身に染み込んでいた、破壊衝動とでもいうべき凶暴な感情は、レオンの暖かい手の平によって、完全に追い出されていた。
という訳で陸軍省編スタートです。果たして流麗王は被召喚者に関係がある人物なのか。それとも、何らかの目的のために技術研究を行い続けた『この世界の王』なのでしょうか。読者の皆様にも、色々と予想をしてみてもらえたら嬉しいです。
【元込銃】
厳密にいうと元込銃=ボルトアクションライフルと言う訳ではないのですが、本編では分かりやすさを重視して、やや混同したような表現になっています。ちなみに本編でクロノが語っているドライゼ銃は1841年にプロイセンの錠前職人、ヨハン・ニコラウス・フォン・ドライゼが発明した世界初のボルトアクションライフルで、彼はこの発明の功績により、爵位を与えられました。それだけ革新的な技術だった、ということなのでしょう。普墺戦争についての論文や本を読んでみると、この銃が戦場においてどれほど恐れられ、また頼りにされたのか、という事が伺えます。