クロノの一日(3)
魔術説明回と不足気味なバトル分補充回です。
レオナと手をつなぎながら、庭園を遊歩道に沿って歩いていると、かなり頑丈に作られたドーム状の建物が見えてきた。なんだろう、と訝しんでいたのがレオナにも伝わったのだろう、弾むような声音で、解説を始めてくれる。
「あちらに見えるのは、皇宮修練場です。主に帝都守護の任務を帯びた騎士団や武官が使用していますが、クロノ殿が望まれるなら、自由に使っても良い、という許可が下りています」
いかがしますか、と視線で訪ねてくるレオナ。ふむ。確かに、帝都に来てから、魔術の修行は行っていなかった。別にさぼっていた、とかそういうことではない。相当に加減しないと、やりすぎてしまうからだ。
この世界の魔術は、空気中のマナを触媒となる杖や宝石を通して魔力へと変換し、それを詠唱によって魔術へと造形し、出力するものだ。つまり、この世界の人々の潜在的な魔力…MPとでもいうべきか…は1か2程度しかないのである。そこをマナという外的な魔力を取り込むことで、一時的にMPを100なり200なりに増加させて、魔術を行使するのだ。翻って俺はどうなのかというと、皇宮に来た翌日に行った測定によれば、MPの値は10000の大台を超えており、それも日に日に増加しているきらいがあるらしい。
…日を追うごとに自分が怪物に変化しているのではないか、という嫌な予想が頭をよぎらずにはいられないのだけど、まぁ、どうにもならないことを思い悩んでも、仕方がない。今のところは、俺は俺なのだから。そうでなくなり始めた時にでも、思い切り悩み抜けばいいのである。
閑話休題。要するに俺は、普通なら不可避である『マナを練る』という段階をすっ飛ばして、触媒も使わず、詠唱のみで魔術を発動出来るのだ。しかしこの利点も考え物で、高位の魔術師でも、マナを魔力に変換出来る量というのはある程度決まっており、周囲のマナからせいぜい500程度の魔力を抽出するのが精一杯なのだそうだ。その為、どんなに頑張っても、一つの魔術に500程度の魔力しか込めることが出来ない。
しかし、俺はMPが常識外の値であるために、少し気を抜くと、野球ボール大の火の玉を飛ばす、という程度の認識で行使した魔術に多くの魔力を込めてしまい、ナパーム弾めいた威力で発動してしまう可能性があるのである。というか、暗黒大陸で一回やらかして、陸上を歩き回る大王イカめいた魔物を消し炭にしてしまったことがあるのだ。当然、食べることが出来ないから、ディノが随分とご立腹だったっけ。
さすがに、それを帝都のど真ん中、しかも皇宮でやらかすわけにはいかないので、魔術の修行に関しては、自粛していたのである。
「クロノ殿の魔術に関する懸念は伺っておりますし、もっともな事だと思います。しかしあちらでしたら、戦術級の魔術を行使したとしても、ビクともしません。いかがでしょう、気分転換も兼ねて、魔術の修行というのも、悪くないのではないでしょうか」
「そうですね、許可が下りているのでしたら、ぜひ」
そういうことなら、断る理由は無かった。魔術に関する本格的な勉強は来週から、とのことだったけれど、前倒しが可能ならば、それに越したことはない。
承諾を伝えると、レオナはかしこまりました、と返してから、修練場の前で警備をしていた兵士達に会釈をした。会釈された兵士達は、レオナと俺に頭を下げた後に、すぐさま走りだし、修練場の鍵を開け、扉を開けてくれた。その兵士達にありがとうございます、とお礼を言いながら頭を下げる。
すると、頭を下げられた兵士達は、うおおおお、なんて心の叫びが聞こえてきそうな位に興奮した様子で最敬礼をしてくれた。確かに俺は国賓ではあるけれど、そんな礼を払ってもらえるような人物ではないんだけどな。そんなことを思っていると、先程のやり取りを見ていたレオナが、微笑んだ。
「やはりクロノ殿は素晴らしいお方です。一兵士にまで礼を払っていただけるとは…居丈高なだけの者達とは違います」
「称賛の言葉、とても嬉しく思うのですが…いかがでしょう、私の所作に問題はありませんか?私個人としては、自分の為に動いてくれた人には、お礼を言いたいですし、頭も下げたいのですが…。見くびられる、等の理由から好ましくない、と思われていたりはしませんでしょうか」
根が小市民でしかない俺としては、自分の為に何かをしてくれたのなら、当然お礼を言いたいし、頭も下げたい。誰かに何かをしてもらえるのを当然のものとみなし、礼の一つも言わないというのは、肌に合わないのだ。しかし、いわゆる宮廷政治的な観点からいえば、そうした対応は間違っているのかもしれない、という不安があった。
「いえ、クロノ殿が仮に王族であったり、貴族であったのなら、そうした問題も出てくるのでしょうが、クロノ殿の現在の身分は名誉冒険者に近いものです。ですので、クロノ殿が望まれるように振る舞っていただいても、問題ないと思いますよ」
名誉冒険者とは、非常に優れた実力を有しているが、特定の国には所属していない人物に対して与えられる身分だ。身分が定かではない人物を、公的な建物や会見に招くことは出来ない。そこでそうした人物と、王や皇帝が面識を持つために、作り出された身分と言える。
名誉冒険者は、自身の良心に照らした行動を保障されており、極論を言ってしまえば、廊下で寝ようが、スープにご飯を混ぜ、大きな音を立てて食べようが、苦言を呈される程度で済む。もちろん、そうした行動でどのように思われるか、というのは別の問題らしいけれど。
「そうでしたか。ヴィルヘルム殿には、今のままで問題ない、とおっしゃっていただけたのですが、まだ少し不安だったものでして…」
「大丈夫ですよ。むしろクロノ殿の所作は、多くの人々に好感をもたれております。どうぞ今のままでお過ごしになってください」
ありがたい言葉だ。レオナがそういうのであれば、これからも自信を持って『腰低く、アンテナ高く』を基本姿勢に過ごしていくとしよう。無理して偉ぶる必要がなくなったことに安堵しながら、俺は修練場の入口に足を踏み入れた。
修練場の広さは、一般的な体育館の3倍程度のものだった。恐らく、様々な場所での戦闘を想定した訓練を行うためなのだろう、芝生や石畳、砂場といった多様な環境が再現されており、なんだか修練場というよりは、屋内アスレチック場といった感じだ。
「えっと、それではクロノ殿。魔術についてご存じの知識を、私に教えて頂けませんか?それを聞いてから、指導の内容を決めたく思います」
「はい、それでは。魔術とは、媒介となる宝石や杖といった物により周囲のマナを魔力に変換し、詠唱を行うことで使用可能となる異能です。詠唱の長さで1小節、2小節、3小節、といったように区分され、一般的には詠唱の長さと、費やした魔力の総量に応じて効果が上昇していきます。呪文は、集団魔術のような、意思統一が必要な物でなければ、特に定められたものは存在していない…っと、こんなところでしょうか」
今まで、書物から得た情報を羅列してみる。暗黒大陸にいた頃に、この理解で魔術を行使できていたから、間違ってはいないと思うのだが。
「はい、その理解で間違いありません。それでは、今から実践しながら解説していきますね」
そう言いながらレオナは、受付で受け取った杖を右手に持ち、左手を掲げた。数十秒の後、マナから加工された魔力が、青い燐光を放ちながら左手に集まり始める。
『焔をこの手に』
そうレオナが呟くと、青い燐光は一瞬でその姿をソフトボール大の火の玉へと変えた。改めて見てみると、本当に不可解な現象だな。今まで散々、魔術を応用した技術に囲まれて過ごしてきた訳だけど、こうして魔術らしい魔術を、自分以外が行使しているのを見るのは初めてだ。なんだか、初めてテレビゲームを手にした時のような、胸の高鳴りを感じる。
「この通り、魔術で生じた炎や雷は、発動した人物を傷付けません。周囲の人にもその範囲を広げたい場合は、2小節目に『親しき者は焼かず』といった文言を挿入すれば、魔術の発動で周囲の人物や友軍といったものを攻撃せずに済みます」
手の平で燃え盛る炎を、素手で握り潰しながら、解説を続けるレオナ。炎が完全に手中に収められると、先程まで旺盛に燃え上がっていたはずの炎は、煤すら残さずに消え去っていた。なるほど、ちゃんと攻撃先を指定できるのか。効果が大きい魔術になればなるほど、フレンドリーファイアは恐ろしいものな。これは特に覚えておかなくては。
「ちなみにクロノ殿が先程おっしゃったように、魔術には定まった呪文は存在しません。そのことを今から実践して見せますね……『炎を我が手に』」
先程とは違った呪文だったが、レオナの左手には、同じような火の玉が生じている。ふむ、炎を想起させ、尚且つどこに発生するのかをちゃんと指定すれば、同じ効果を発揮することが出来る、と。これはありがたいな。ただでさえ、覚えなくてはならない知識が多いのに、この上呪文の類まで暗記しなくてはならないのは、正直しんどい。
「それでは、私に続けて詠唱をしてみてください。消費魔力は500、呪文は『焔を我が手に、親しき者は焼かず、眼前を焼き尽くせ』でいきましょう。標的は…そうですね、あの石壁でお願いします。城壁にも使われる、耐魔術力の高い石材で作られていますので、魔力量500、そして3小節程度の魔術ではビクともしないでしょう。…この基本形さえ行使することが出来れば、後は各小節の文言を入れ替えたり、増やしたりするだけで、様々な魔術を行使できますよ。頑張りましょう!!」
少し緊張しながら、石碑めいた石壁に向けて、右手を掲げた。消費魔力100とかだったら、逆に難しいけど、500ならなんとか調整可能だと思う。
まず、清水で満たされた泉を思い浮かべた。それから、清水を水桶で汲む行為を連想する。量は500、と繰り返し脳内で呟く。右手が暖かな、青い光に包まれた。
「はい、魔力量は問題なさそうですね…では、せーの、で詠唱を始めます。よろしいですか?」
言葉を発してしまえば、集中が途切れてしまいそうだったので、頷くだけに留めた。詠唱を前に集中力を整え、呼吸も整える。せーの、というレオナの声が耳朶に響く。
『『焔を我が手に、親しき者は焼かず、眼前を焼き尽くせ!!』』
言の葉が、空間を揺るがす。そしてその振動は、超常の爆轟を引き起こした。映画の中でしか見たことのない、あらゆる物質を焼き尽くしてしまいそうな炎熱色の花が、眼前で狂い咲く。暴虐を体現したような灼熱の舌によって、執拗に舐め回された石壁は、磨き抜かれたガラスのようになりながらも、なんとかその原型を保っていた…のだが、次の瞬間には砕け散るように、崩れ去った。
「これは……」
ああ、やってしまったかもしれない…どういう訳か、俺の行使した魔術は、レオナが想定していたものを大きく上回ってしまったようだ。レオナを怖がらせてしまっただろうか……。目の前の惨状を作り出した右手を睨み付けた後に、思わず瞳を閉じた。
目下、俺が一番恐れているのは、このチート能力により、孤独を深める、という展開である。洋画などでは特に顕著なのだが、超人的な力を持った主人公というのは、その超人的過ぎる能力故に孤立していき、最終的に悲劇的な終焉を迎える、ということが多いのだ。
そうした過程で感じるであろう孤独や悲しみ、そして怒りというものも、もちろん忌避すべきものだけど。それ以上に、そうした激情により、俺がこの世界を命を捨ててまで守る価値なし、と判断してしまうのが、何よりも恐ろしかった。…人はうつろうものだ。永遠なんてものは、ありえない。どんなに尊い誓いも、現実という大鉈に砕かれて、変質してしまう可能性をはらんでいる。
目を閉じたまま、額に手を当てて、レオナにどう声をかけたものかを考える。…すると、不意に真正面から力強く抱きしめられた。驚いて目を開けると、そこには慈母の様に、穏やかな微笑みを浮かべたレオナがいた。気恥ずかしさや驚きという感情は、その柔らかな迫力に静められてしまう。
「大丈夫です。……大丈夫ですから」
そんな単純な言葉だけで、先程までしとどに濡れた墓石の様に冷え切っていた心が、人肌の温もりを取り戻す。その暖かさを、心だけではなく、体でもちゃんと感じたくなって。気が付いた時には、レオナをその手にかき抱いていた。幻聴かも知れないけれど、レオナの鼓動と、俺の鼓動が重なって聞こえてくる。
「貴方の力は、確かに凄まじい物です。貴方の心を知る前ならば、きっと恐れてしまったでしょう。だけど、私は優しい貴方を知っています。私以外のみんなも、きっとそうだと思います。だから、大丈夫です」
胸に顔を埋めた状態で紡がれる、何の根拠もないはずの言葉が、今はこんなにも胸を熱くする。まるでパズルのピースの様に、その身を寄せ合い、抱き合う。知らなかった。誰かと、こうあることがこんなにも素晴らしいものだったなんて。少しだけ、その身を離してレオナと見つめ合う。何かを乞うような、潤いを帯びた視線を受けて、今自分が何をするべきかを、悟ったような気がした。
可憐に、そして厳かに閉じられるレオナの瞳。胸に宿った暖かさを勇気へと変えて、レオナの肩に両手を添えた……ところで、修練場に大勢の人々が入って来る音が聞こえてきた。訓練を行うためにやってきた騎士達だろうか。鎧と武器を身に付けているようで、結構大きな音が、ドアを隔てたこの空間まで聞こえてくる。
どちらともなく、噴き出して、お互いに大きな声で笑ってしまった。やれやれ、間が悪い。少し…というか、かなり名残惜しかったのだが、レオナから離れて、さも先程まで修練をしていましたよ、という体を取り繕った。心の中の、野心的な俺が『ちきしょおおおおお!!』と慙愧に満ちた叫びをあげているような気がした。
「陽光騎士団団長、ランス・フィルレインとして、貴方にレオナ殿を賭けた、決闘を申し込みます…!!」
えっと…どうしてこうなった。事の発端は、数分前に遡る。訓練場に入ってきた大人数の人々は、聖月騎士団の男性版である陽光騎士団の面々だった。その中の団長格の人物…金髪碧眼、掘りの深い騎士然とした美青年…が、俺とレオナの姿を認めた瞬間、その表情をぐしゃり、と歪めたかと思うと、周囲の制止を振り切って、突如として決闘を申し込んできたのだ。
一応、この世界には決闘という文化が残ってはいるものの、基本的には死んでいる文化だ。当人同士の同意が複数の第三者によって証明されてさえいれば、決闘を行う自由が保障されてはいるが、だからといってその決闘の勝敗に何らかの利益を賭けることは禁止されているし、致死性の高い武器を使用することもまた禁止されている。第一、人権意識が強いこの世界で、誰かを賭けて決闘だ、なんて古典的な騎士道物語の中ならいざ知らず、現実においては噴飯物の物言いである。
レオナも、なんだこの人、みたいな冷え冷えとした視線で団長を見ていた。その視線をどう都合よく解釈したのか、ランスはその相貌に情熱の色を宿し、レオナに微笑みかけている。もう見ていられないほどに、その温度を下げているレオナの表情に気が付いていないらしい。
他の団員達は、ランスには見えない角度から、こちらに必死に頭を下げていた。なんというか…聖月騎士団と違って、色々と気苦労の多い職場の様だ。ふむ。ランスはレオナを好いていたけど、レオナとしては眼中にすら入っていなかった、といった感じだろうか。そこに俺がやってきたので、対抗心をむき出しにしているとか?
俺もいわゆる若者なのだけど、彼はあまりにも若過ぎるだろう…というか国賓に決闘を申し込む騎士って…自分の行いが、周りにどのような影響を与えるか、という事を度外視してしまっているのだろうか。恋は盲目だと言うけれど、それでも最低限の礼節と配慮くらいは守るべきだろう、と呆れにも似た感情が渦巻いてくる。
「さぁ、承諾するのですか、それとも逃げ帰るのですか?」
俺の迷惑そうな表情をどう読み取ったのか、少し強気になったらしい彼は、ドヤ顔で挑発など一つ打ち込んできた。まぁ、少しばかりうっとおしい感じではあるけれど、義務教育において底辺のカーストを生き抜いてきた俺にとっては、微笑ましさすら感じさせる挑発だ。浅慮ではあるが、根は悪い人物ではないんだろうなーと思いながら、さてどうしたもんかと考える。
周囲に与える影響を最低限にしたいのなら、断るのが最良の選択だろう。彼が、儀杖隊的な性格の強い陽光騎士団の団長であることから推測すれば、彼の実家はそれなりの立場にある家なんだろうし、ただでさえ聖月騎士団の人員移動で忙しい時に、陽光騎士団の団長が不祥事を起こした、なんてことになれば、多くの人が迷惑を被ることになるはずだ。
うん、断ろう。無暗に敵は作りたくないし、そうした苦労を他の人にかけるくらいなら、俺のプライドなんて安い物である。さて、どうやって波風を立てずに断ろうか。
「クロノ殿…こんなヤツ、ぶっ飛ばしちゃってください」
なんですって、レオナさん?驚いて、ランスに向けていた視線をレオナに戻した。そこには、頬をひくつかせて、怒りを隠そうともしていないレオナさんが、腕を組んでましましていた。思わず、ゴクリと唾を飲み込んでしまう。…男は女には敵わない、という事が、言葉ではなく心で理解出来た。
「ふふ…決闘を勧めてくれるとは…レオナ殿、やはり貴女は…」
ああもう、こいつは!!ただでさえ混迷を極める状況に、混沌と言うソースを混ぜ込む、幸せあたまが一匹。陽光騎士団の面々も、なにやら期待に満ちた視線でこちらを見つめていた。…噂でしか聞いたことのない黒騎士の武勇を、この目で見てみたい、という好奇心の方が、団長への忠誠に勝ったらしい。ランス、お前……。
「…良いでしょう。ただ、今日の決闘は『無かったもの』です。どのような結果になろうとも、他言無用とします」
その場にいる全員が、その言葉に頷いているのを確認してから、言葉を続ける。
「それと、ランスさん。決闘自体は承諾いたしますが、レオナさんを賭けて、という文言に関しては訂正を願います。彼女の心は、余人でしかない私達が賭けても良いものではありません」
そこだけは譲れなかったので、双眸を厳しいものにしながら、言葉を叩きつけた。他人に対して、こんな表情を向けたことはついぞなかったな、と思いながらランスを睨み付けると、彼はギクリ、といった感じに肩を震わせてから、そうですね、とだけ答えた。
「では、早速始めましょうか。使用する武器は…訓練用の木剣と木槍で構いませんね?」
「え、えぇ、それで構いません…」
なんで決闘を挑んできたお前さんが、そんなにビクついているんだ、と不愉快な思いが胸に混じるのを感じた。俺に一睨みされたくらいで霧散してしまう程度の情熱ならば、ハナから決闘など挑まなければ良いのに。多くの人に迷惑をかけても構わない、それくらいの気骨で俺に挑んできたのだろうが。
胸を焦がす憤激を自覚する。どうして俺は、こんなにも怒っているのだろうか。ああ。そうか。そんな気はなかったにせよ、レオナを賭け事の賞品のように扱ったことに、俺は怒っているのだ。怒りという感情は嫌いだ。自分も、他人も傷付ける。だけど…誰かを想って燃やす怒りは心地良かった。この世界に来てからというものの、新しい発見ばかりだな、と苦笑する。その笑みをどのように曲解したのか、ランスは木剣を構えながら、2歩さがった。
「始まりの合図は、私が行いましょう」
俺とランスの丁度真ん中の位置に、レオナが立つ。それから、こちらに唇だけで『やっちゃってください!!』というメッセージを送ってきた。やれやれ、と心の中で苦笑いを浮かべながらも、俺が挑発されたことに、ここまで怒を発してくれたレオナを好ましく思った。俺も相当参っている感じだなぁ、と思いながら、木製の槍を構えた。
「し、勝敗ですが…気絶、若しくは降参で敗北としましょう!!」
ランスには一瞥もくれずに、俺だけを見つめるレオナを見て、対抗心が再燃したのか。語尾を強くしながら、ランスは敗北条件について告げてきた。…その木剣で何万発殴られようが、恐らく俺はそよ風程度にしか感じないと思うのだが、あえて教えてやる必要もないか。レオナによる、始まりを告げる合図を聞きながら、俺は獰猛な笑みを浮かべていた。
1撃、2撃、3撃とランスの斬撃が俺を襲うが、その全てを見てから回避する。時間がゆっくり流れているように感じる、という訳ではない。俺はこの斬撃の軌道を識っていた。どんなに俊敏な動作も、卓越した技術も。何百回と見た事があるものならば、それは退屈極まりないお遊戯に成り下がる。…敵意が混じった攻撃を受けて、初めて自覚したが、俺にはこうして戦った『誰か』の経験が、知識が身に付いている。ガルフレイク流槍術について、どこかで見たことがある、と思ったのは、この知識によるものだったのだ。
自分の中に、自分以外の経験と記憶が存在するという、根源的な気味の悪さ。吐き気がするが、今は闘志という炎でそれらを焼却処分した。
数十回に及ぶ斬撃の全てを躱され、ランスは焦燥に染まった表情でこちらを見た後に、一度間合いを離す。打ち込んできた全ての一撃が、必殺の気合を込めた物だったのだろう。肩で息をしながら、絶望を具現したような表情を浮かべるランスに、嗜虐心のようなものが湧いてしまった。
「どうしましたか?私はまだ一度もこの槍を振るってはいないのですが…」
先程受けた挑発を、返却してやる。木槍で右の肩をトントン、と叩きながら、左手でかかってこい、と誘う。言動と仕草、どちらが気に障ったのかは分からないが、ランスは激情に染まった表情で、突進してきた。恐らくは、彼が行い得る最速にして、最良の斬撃。だが、この程度のものは今の俺にとって、凡百のそれだ。
首筋を刈り取るようにして振るわれた斬撃を、最小限のダッキングのみで躱し、その直後、バネの様に上体を起こしながら、左脚と槍の石突を支点にした前蹴り…というほどの流麗さもないヤクザキックを、ランスの鳩尾に叩き込んだ。身体能力のセーブはちゃんと働いてくれたようで、蹴られた瞬間にランスが爆散するような事はなかった。しかし、砲弾めいたその蹴撃に、ランスはもんどりをうちながら、3mほど吹っ飛んだ。
気絶したランスに駆け寄った団員達が脈を確認して、ほっと安堵の息を吐くのを確認してから、レオナに視線を遣る。その視線にレオナは頷いてから、両手で俺を指し示した。
「勝者、クロノ殿。重ねて今日の出来事の口外を禁じます。良いですね?」
厳かに告げられた終幕の言葉に、陽光騎士団の人々が願ってもない、とばかりに何度も頷いていた。俺としても、今日の出来事が公になることは本意ではないので、レオナから再度念を押してもらえたのはありがたい。
「クロノ様…此度の寛大なる処置、陽光騎士団の副長として、感謝いたします。ランスは、レオナ殿の事でなければ、武勇に優れた優しい男なのですが…本当に申し訳ありません」
青い髪をした柔和な顔の騎士が膝をつき、臣下の礼を行いながら、詫びてきた。それに続けて陽光騎士団の人々も、膝をついて頭を垂れる。俺としては先程叩き込んだ蹴りで、怒りのほとんどは解消されていたので、もう怒ってはいない。
なんというか、ランスは恋に恋して、童貞をこじらせていたということなのかね。あれ…なんだろう、この湧き上がってくる同胞感は…。まぁ、特殊な性癖でもない限り、憧れの女の子が突如現れたヤツに持って行かれそうになったら、若さを暴走させてしまうものなのかもしれない。よし、許した。
「その謝罪、確かに受け取りました。今回の一件は、訓練中の事故で団長が負傷した…という幕引きにしたいのですが、それでよろしいですか?」
その言葉を聞いた副長は、心底から安堵した様子で、頷いた。
「重ねて、感謝いたします。団長が二度とこのような事態を起こさぬよう、私の妹たちをけしかけておきますので…」
えっ。どういうことなの…。その話詳しく、と聞こうとしたところで、レオナに横合いから思い切り抱き着かれた。
「やはりクロノ殿は最高です!!圧倒的な膂力と魔力、舞踏の様に鮮やかな槍捌き!!そしてなにより、無礼を働いた騎士をも寛大にも許す度量の深さと優しさ…もう、絶対に離しません!!」
ぐっはあ…。今までのアプローチは、少し距離を置きながらの散発的なものだったのだが、それが至近距離からの断頭台めいた一撃に進化しとる…。うりうりと頬を擦り付けてくるレオナに、自分からもしっかりと身を寄せた。下世話な話だけど、色々とけしからん柔らかさが心地良かったのです。
そんな訳で。ちょっとした気分転換のつもりで出かけた散歩に端を発する、爆破あり、バトルあり、美女からの抱擁ありというハリウッド映画のような、俺の午後は終りを告げたのだった。
【ランス・フィルレイン】
陽光騎士団団長。金髪碧眼の22歳。ディルーダーと呼ばれる日中にあらゆる能力がブーストされる種族であり、剣技自体は中の上程度だが、その身体能力は特筆に値する人。基本的には善人なのだが、こと恋愛に関しては近視眼的な人物であり、自分こそが正義、と思い込んでしまう傾向がある。今回の件も、彼の中では権力に笠を着たクロノが無理矢理レオナをものにしようとしており、自分は彼女を守る騎士なのだ!!みたいな考えのもとで、決闘を挑んだ。レオナ的にはたまに合同で演習を行う人、程度の認識だったのが、救えない。
【陽光騎士団の副長】
意外と策略家。この一件のあと、予告通りにランスに妹たちをけしかけて、彼の貞操を刈り取らせ、めでたく団長の地位に納まった。