クロノの一日(1)
クロノは大体、こんな感じで毎日を過ごしていますよ、というエピソードです。
修行回に見せかけた、シロディール回です。そして主人公の鈍感具合を薄めながら、ラブコメを展開させるのは難しい!!
「えっと…こう振りぬいてから、石突で跳ね上げるように薙ぎ払う…そしてトドメ、ですか」
「うんうん、そんな感じだね。ただ、少し腰回りに余分な力が入っているかな。それと踏込をもう少し強めてもいいかもね」
『オニイチャン、がんばって!!』
迎賓館での生活にも慣れ始めた10日目の早朝。場所は皇宮の庭園。俺は、ディノの声援を受けながら、ガルフレイク国内でも5指に入るらしい槍使い…シーク・アルブスに鉄槌の王を用いた戦い方について指導を受けていた。
俺の不器用な戦闘技術については『お前ほどの身体能力があるのなら、下手な型を覚えるよりも、不器用に戦った方がよほど強い』という老師の育成方針の為なんです、と今までは言い訳をしていた。しかし、こうして表舞台に出てきた以上は、近い将来俺以上のチート性能を持つ能力者…率直に言えば、俺と同じように召喚された人々が、目の前に立ちふさがらないとも限らない。
もちろん、可能な限り対話による解決を図っていきたいけれど、ナチュラルボーンキラーみたいな輩が召喚される可能性も無きにしも非ず。そんな時に、蹂躙される人々を見つめながら、涙を流して力尽きる、なんて展開だけはご免である。
個人的には、異世界に召喚者がたくさん出てくる展開って嫌いなんだけどなーとか思うのだが、例の召喚者の少女が、こちらのそんな考えを斟酌してくれる訳もなし。仮に、相手が俺以上のチート性能を持っていた場合。戦闘面で、こちらが上回ることが出来る点があるとしたら、それは経験と技量だけ、だと思う。
そこで、皇宮の警備隊員であるシークに頼み込んで、明け方からお昼まで、こうして修練に付き合ってもらっている。今年で21歳になるそうなのだが、糸目で、艶のある茶のくせ毛という要素のせいで、最初は年下だと思っていた。
教え方は、非常に分かりやすく、丁寧。そして褒めて伸ばすタイプらしく、今まで叱責らしい叱責を受けたことがなかった。これは個人的にはとてもありがたい。叱責されると、相手がどんなにこちらの事を想って言ってくれていることが分かっていても、モチベーションががっつり下がるタイプなので。
「さて、そろそろお昼だね。それじゃあ最後に、一式から五式までの流れを通しでやってみようか」
はい、と意識的に張り上げた声で答えてから、鉄槌の王を構える。ガルフレイクは国父であるガルフレアが槍を好んで使っていた為に、伝統的に槍術が発達している。刺突、薙ぎ、払い、殴打。そうした技術を全て含んだ一連の動作が一式から五式までの型で、この型と幾つかの派生技によって、ガルフレイク流槍術は構成されている。つまり、この型が全て、とまではいかなくとも非常に大きなウェイトを占めているだ。
吐き出す息の量を調整して、集中力を高める。腕だけではなく、全身の動きを意識し、踏み込みのタイミングと深さを把握しながら、鉄槌の王を振るう。疲労はしていないはずなのに、多量の汗をかいていた。瞳に汗が流れ込み、視界が狭まるが、一連の動きは体が覚えてくれている。普段ならば感じることのない、鉄槌の王の重さを認識し、それを利用して、舞踏めいた動きを実現させる。五式の最後。全力を込めた刺突で、虚空を穿つ。
「うんうん、大したもんだ。基本動作に関しては、もう文句はないかな。しかし……ふむ、指導者としてこういう言葉は迂闊なのかもしれないけど…才能の塊だね、君は」
『やっぱり、オニイチャンは何をしてもすごい人なの!!』
どうやらシークのお眼鏡に適う動きをすることが出来たらしい。そのことにまず安堵した。それと、俺は割と不器用な方だと思うぞ、我が大きな妹よ。
…そう、俺は基本的に不器用な人間のハズなのだ。小学生の頃に運動会でやらされたダンスでは、振付を最後まで覚えられず、居残りをさせられて、泣きながら踊らされた記憶があるし、柔道の投げ方・組み方も習った次の週には忘れてしまうような人種である。そんな神経は存在しないらしいが、ようするに運動神経が良いとは言えないのだ。
しかしどうしてか、このガルフレイク流槍術を俺は理解出来てしまっていた。なんというか、子供の頃に何度も見たビデオの内容を憶えているように『ああ、こうしたら、こうなんだな』と漠然としてはいるのだが、理解できるのだ。初心者が最初に躓くらしい、槍の握り方も、理想的な保持の仕方を最初から行えていた。
最初はその『出来過ぎる違和感』に戸惑ってしまったのだが、ある程度練習をすると、そうした違和感は霧散し、まるで自転車を乗りこなすように、鉄槌の王を扱えるようになっていた。
俺本人は、武道経験があるなんて、口が裂けても言えないような文系人間なのに、である。これもチートの一部なのだろうとは思うのだが、チートというには若干弱いような。理解力や集中力がブーストされている、とかなら分かるのだが…なんとなく分かる、ってのちょっと薄弱な感じがする。だとすれば、これは他のチートの断片、と理解するべきなのだろうか。
いや、情報がまだ少なすぎるな。今はまず、目の前の修練に集中しよう。思考を切り替える為にも、深呼吸をする。それから姿勢を正して、シークに頭を下げた。
「ありがとうございました!!これからもご指導ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願いします!!」
「うん、僕としても見込みのある人に、技術を伝承できるのは嬉しいよ。こうして指導することで、見えてくる境地ってものもあるし。こちらこそ、これからもよろしくね」
鷹揚に頷きながら立ち去るシークの表情は、明るかった。彼が立ち去るのを見送ってから、その場に倒れ込む。大の字に寝ころびながら、大きく息を吐き出した。修練の最初の頃は、違和感のせいで、何度も同じような失敗をしてしまっていた。不器用なやつだ、と激怒されやしないかと、内心怯えながら修練を積んでいたのだが、シークはそんな俺に、根気強く指導してくれた。
シークが少しずつ、順を追って教えてくれるお蔭で、自信を失わずに、今のところ修練を積むことが出来ている。まるで、俺の特性や癖を知り抜いているかのような、素晴らしい指導だったように思う。どんな分野にも達人ってのはいるものだな。
『オニイチャン、お疲れ様なの。そして、運動をした後のオニイチャンは素敵な香りがするの』
「ちょ、ディノ、くすぐったいって!!」
寝転んでいた俺を鼻先でつつきながら、すんすんと匂いを嗅ぐディノ。その鼻先を抱きかかえるようにして、撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らしてきた。愛いヤツめ、もっと撫でまわしてやろう。はた目から見たら、どう見てもティラノサウルスに捕食される青年、というB級ホラーな光景な訳だが、気にしない。
ディノは、この庭園での生活を随分と気に入ったそうで、午前中は俺の修練に付き合い、午後は蝶やトンボを追いかけて過ごし、夜は俺が寝泊りをしている部屋の窓近くで眠る、という日々を過ごしている。ディノ曰く、命を取ったり、取られたりという緊張感を感じずに生きることが出来るのは素晴らしいことなの、とのこと。…野生を生きた彼女による、鉛の様に重い金言だった。
亜龍から龍に昇格したお蔭で『食物を摂らなくてはならない』という生物としては必要不可欠な頸木から、解き放たれているディノだが、だからといって何も食べないのは精神衛生上、よろしくない。なので、今は近隣の漁港で獲れる新鮮な魚を庭園まで運んでもらい、それを食べるようにしていた。魚だってタダではないだろうし、お金とか大丈夫なのだろうか、とノアにこの前聞いてみたのだが『魔物災害により被るはずだった被害を考えれば、向こう10年ディノさんにお魚を食べて頂いてもお釣りが来ます』ということらしい。
ちなみにディノは何を食べても口臭や体臭といったものが変わらないらしく、主食が魚類になっても、深緑の道を歩む時に感じる様な『大自然』といった感じの香りがする。初夏に吹く夜風の様な、甘さを含んだ緑の香りだ。
しばしディノをわしゃわしゃと撫でまわしていたのだが、不意にぐぅ、とお腹が鳴った。む、お腹が減ってきたな。あまり激しい動きをしたわけではなかったのだけど、集中して動くとやはりお腹は減るものだ。
『えへへ、オニイチャンもお腹すいたの?お腹のむしさんが、ぐぅ、って鳴いてたよ?』
「うん、そうだね。俺もお腹が減ってしまったから、ご飯を食べてくるよ。またあとでね、ディノ」
俺が立ち上がると、ディノはうんうん、と頷いた後に、魚が配られる場所へと歩いて行った。今までが肉食中心の生活だったので、魚の味という物がとても新鮮に感じられるらしく、ディノは毎日の食事を楽しみにしているようだ。うむ、ディノが幸せそうでなによりである。そんな事を思いながら、俺は全身にまとわりついた汗を洗い流す為に、自室へと向かった。
「あ、シロディールさん。こんにちは、お出かけですか?」
「あ、クロノ殿…えっと、うん。お散歩がてらに買い物をしてこようかなー、って思って」
自室へ戻る途中、シロディールに出会った。レオナやシロディールといった聖月騎士団の人々は、今から3日前に、俺の親衛隊として独立した行動を行う、という任務を拝命したそうだ。なので現在、迎賓館の2階には俺が滞在しているが、1階には聖月騎士団の人々が住みこんでいる。
つまりはちょっとした共同生活なわけで、こうして廊下を歩いていると、聖月騎士団の人々に出会う事が多々あった。そうした中でも、シロディールと出くわす確率は、飛び抜けて高いように思う。そのたびに、他愛もない世間話をよく楽しんでいた。
私服なのだろう、淡いレモン色のワンピースを着ていて、とても可憐な姿をしている。服装や、髪を結んでいる白いリボン等から、全体的にふんわりとした印象を受けるけど、足元は白いタイツとクラシカルな黒の革靴というシンプルなコーディネイトをしていて、しっかりとまとめているなぁ、と感心する。そういえば、3日に一回非番の休みがくる、というふうに話していたと思うから、今日がその日なのかもしれない。
「こんにちわ、クロノ殿…えっと。今からお昼ご飯かな?」
「はい、修練でかいた汗を流してから、そうしようかと思っています」
台衿を掴んで、シャツの中に風を送りながら答えた。シロディールはとても気さくな性格をしていて、かなり砕けた感じで会話をすることが出来る、貴重な存在だった。今ではちょっとした冗談を交えた会話も交わせるようになっていて、そんな人がいたことはなかったけど、仲の良い女友達、って感じだ。なので、少し気の抜けた所作をしても笑って許してくれるだろう。そう思っていたのだが…
「ク、クロノ殿?ここは一応迎賓館なので、そういう所作はよしたほうが良いのにゃ…」
これは二重に珍しい。所作について指摘するシロディール、というのも珍しいが、語尾が猫っぽくなっているのも珍しかった。他の団員が言うには、極度に緊張した時なんかに、つい出てしまう癖のようなものだと聞いていたけど…
「そうでしたね、すみません。無遠慮でした」
風を送り込むのをやめると、シロディールは目に見えて、ほっとしたような表情を浮かべた。うーむ、そんなにも無礼に見える所作だったのか。やはり、教科書だけでは礼儀作法というものは身に付かないのかもしれない。
「えっとね、別に無遠慮、とまではいかないんだけどね?ちょっと個人的に困るというか、なんというか…」
頬を赤く染めながら、決まりが悪そうに微笑むシロディール。個人的にあの動作が好きではない、という事だろうか?なんというか、少し奇特な感じがするが、世の中そういう人もいるのだろう。
「そういえば、最近は配置換えで慌ただしく動いていたようですが…調子を崩していたりはしませんか?」
「うん、元気にやってるよ。配置換えによる引継ぎとかも、スムーズに終わったしねー」
雑談を交わしながら、迎賓館の廊下を二人で歩く。現実世界において、こうして女の子と一緒に歩く、なんて経験をしたことはなかったので、色々と新鮮だ。シロディールの、色めく花の様に変化する表情を眺めているだけでも、楽しい気持ちになってくる。ただ、一つだけ気がかりなことがあった。
「あの…シロディールさん?顔が物凄く赤くなっていますけど、大丈夫ですか?」
「はにゃ!?」
赤面症というヤツなのだろうか。シロディールの雪原の様に白い相貌が、熟れたリンゴの様に赤く染まっていた。今までも、こうして話をしていて少し頬が赤いな、と思うことがあったけど、今日は格別に赤い気がする。多少は好いてもらっているかも、とは考えていたから、もしかしたらそういうものに起因するものなのだろうか、と自惚れていたけれど。ここまで紅潮していると、熱があるんじゃないだろうか、という懸念が生じてくる。
「だ、大丈夫…熱なんてないのにゃ」
言葉少なに、手でこちらとの壁を作るシロディール。これは…どうしたものか。女性遍歴なんて、学校の行事でアブラハムを歌いながら手をつないだ辺りで、更新をストップしている俺では、対処が出来なかった。『俺の事が好きなのかい?』とか聞いてしまえば、スッキリするのだろうけど、ドンファンじゃなし、度胸的に無理な話だ。それに違います、と言われてしまったら、なんかもう色々と取り返しがつかない気がする。
さりとて、このままにしておくのも、躊躇われる。本人はスムーズに引継ぎが行われた、と言っていたけれど、急な配置換えで聖月騎士団の人々が、かなり慌ただしく動いていたのを、俺は知っているからだ。睡眠時間の変化や疲労というもので、覿面に体調を崩す人というのは結構いるものだし、女性は特にその傾向が強いように思える。
ついでに言えば、聖月騎士団がそうなのかは分からないが、体育会系って風邪をひいたりする事を『根性が足りない』と非難する悪癖があったりするしね。その辺を慮って、平気な振りをしているだけ、という可能性もある。…よし、ここは額に手を当てて、熱を測るくらいはしておくとしよう。
「そうは言いますが、熱があったら大事ですよ」
「!?」
少し俯いて深呼吸をしていたシロディールの額に、膝をつきながら手を当てる。かなり汗をかいていたようで、しっとりとした手触り。そして、シロディールの額は出来たての砂糖菓子の様に、熱かった。これは、間違いなく熱があるという状態なのでは…。
膝をついたせいで視線が低くなり、シロディールと目が合う。空色の瞳が、俺の存在を認めると、せわしなく泳ぎ始めた。しかし、口元はにへら、といった感じに緩みきっている。
「にゃー!!払うから!!色々と払うから、勘弁してほしいのにゃー!!」
えっ。払うって、何を払うんですか、シロディールさん。そんなツッコミを心中でするや否や、頬を真紅に染めたシロディールは、凄まじい速度で迎賓館の廊下を駆け抜けて行った。先程まで、迎賓館での所作に関して語っていたとは、誰も思わないような、鮮やかなスプリントフォームだった。
どうしよう。俺はいつの間に、シロディールにあんな反応をされてしまうような虎の尾というか、フラグというか、そんなものを踏み抜いたんだ?たまに会ったら世間話をするくらいの面識しか、今のところは持っていないのに。普通人に好意を持つ時って、何かしらの大きな出来事を経るもんじゃないのか。
それとも、普通は話をしているだけで恋仲みたいなものに発展するものなのか?そういえば、歌の文句で『いつのまにか君を視線で追っていた』みたいなのを聞いたことがあるような。でもアレってただしイケメンに限る、って但し書きが付くもんじゃなかったのか。
いや、そもそもシロディールのあの反応は好意からの行動なんだろうか…普通に考えれば、そう見えるけれど、この世界の人は好きでもない人にもああいった反応をするという可能性も残されている?
結局俺は、食堂に来ないことを不審に思ったディアナに話しかけられるまで、自室の前でしどろもどろ、なんて形容が良く似合うほどに狼狽え続けたのだった。
『獣人系の亜人は強者の香りが好き』+『運動後のクロノ』=『 』
みたいなエピソードでした。
主人公の恋愛観は小説や漫画で構成されているので、フラグが立つような大きなイベントがなければ、好きになられたりはしない、というふうに認識している所があります。きっと、ディアナさんの指導が入るでしょう。
来週は少し重たいお仕事が来そうなので、次の投稿は少し軽めの幕間になると思います。
【シーク・アルブス】
皇宮警備隊隊員。21歳。茶髪で鳶色の瞳。槍の腕前だけでなく、罠や投擲といった搦め手も得意としており、総合力で相手に勝るタイプ。庭園にて、一人で鉄槌の王を振り回していたクロノに話しかけ、修行を付けることを約束してくれた。隊長及びその他の上司にも報告済みらしいが…。