晩餐会、そして無自覚な黒騎士
主人公は自身に寄せられている好意を認識はしていますが、それがどの程度なのかは測りかねています。なので、自分の改まった言動が相手にどの程度の影響を与えるのか、という点に思いが至っていません。そして加速する勘違い(笑)
「ダイヤモンドシュリンプの香草焼き・ガルフレイク仕立てになります。この料理は初代皇帝ガルフレアが最も好んだとされている料理でして…黒騎士殿にも気に入っていただければ幸いなのですが」
「えぇ、海老特有の濃厚さを残しつつも、泥臭さは香草で見事に消している…大変美味しく思います。どうか、後でこの料理を作った方に直接お礼を言わせてください」
うんめえええええ!!あまりの美味しさに腰を抜かしそうになるのを堪えながら、宮廷政治学の教科書に載っていた『料理に対する最上級の賛辞』を口にする。船旅一日目の晩餐会。美しい装飾品と、巨大な木をまるごと使用したと思しき円卓が置かれた食堂に案内された俺は、特使であるレオナと一緒に豪勢な晩餐を楽しんでいた。
正直なところ、俺はこの晩餐会に対してあまり期待をしていなかった。一説によれば、現代人は17世紀の王侯貴族よりも優れた食生活を送っているそうな。だとすれば、文明レベルがルネサンスくらいだと推測されるガルフレイクの食文化というものもおして知るべし、だ。
スパイス分に欠けたステーキみたいなのが出てくるんだろうなー、くらいに思っていたのだが、そんな奢りは完膚なきまでに粉砕される事となった。玄妙にして、美味。現実世界でも食べたことのないようなレベルの料理ばかりだった。まぁ、貧乏苦学生だった俺が食べた事がある高価な料理なんてタカが知れてはいるのだけど。それでも、こんなの食べてたら駄目になってしまう、と危機感さえ覚えるくらいに美味しい料理ばかりだった。
そして、素晴らしいのは料理だけではなかった。常に隣に控えてくれている黒のスーツを着込んだ女性…ディアナ・リオールが、最適な飲み物や食器の類をこちらが気が付く前に、サッと用意してくれるのだ。少し胡椒が欲しいかな、と思えば、心を読んだかの如く、いつの間にか胡椒が盛られた小皿が食卓に置かれている。驚いて聞いてみると、飲み物の好みや、お皿の上の料理を口に運ぶ順番…添え物をどのタイミングで食べ、主菜をどれくらい噛んでいるか…といった事柄や、表情という物から推測しているのだという。
異世界ヤバイ、マジヤバイ。この世界に来て、色々なことで驚いてきたけれど、地味にこの食文化の充実というものに一番驚かされたような気がする。そんな驚きと喜色が顔に出ていたのだろう。斜めむかえの席に座っているレオナの表情も、この前の交渉時より随分と和らいでいるように感じる。
今日のレオナは白を基調としたドレス姿だった。彼女自身が浅黒い肌をしているので、その対比そのものが一つの美しさを醸し出している。首元には真珠の首飾りが巻かれていて、華美過ぎず、また地味過ぎない輝きを彼女に付与していた。あと、そういう目的があるのかどうかは分からないが、コルセットなどによって胸がすごく強調されてて、視線をあえて上に設定しないと、色々と困る感じだった。
総評すれば、今日の彼女は絵の中の姫君めいた美しさと、魔的な妖艶さを併せ持っていた。真紅の瞳がこちらをとらえる度に、ドギマギさせられる。純潔なる男には、少し毒気が強いです…いや美人さんと食事ができる、というのは喜ばしいことなんだけれど。
「最高の晩餐でした…私も、料理に関しては一家言あるつもりでしたが、所詮は井の中の蛙でしたね。本物の技量を持った方々には遠く及ばない。その研鑽と技量の深さに、心からの感謝と敬意を捧げたいです」
「ガルフレイクの食文化をそこまで評価していただけるとは…調理師、そして給仕の者達もその言葉を聞けば、光栄の至りに存ずるでしょう。…ところで、黒騎士殿はご自分で料理を作るのですか?それは…いつの日か、是非食べてみたいものですね」
「えぇ、もちろん喜んで。誰かの為に料理を作る、というのは思うに幸せの一つの形だと思うのですよ。貴女のような聡明にして見目麗しい女性に対して、その幸せの形を見ることが出来る、というのは素晴らしいことです」
全ての料理を食べ終え、食後のお茶を飲みながら、俺とレオナは他愛のない会話を重ねていた。まだ宮廷政治的な言葉には慣れないが、今のうちに慣れておかないと後で泣きを見そうだ。情報収集と会話の練習も兼ねて、会話を続ける。打てば響く様に、返事を返してくれるレオナとの会話がとても楽しい、というのもあるのだけど。
「どのような料理が得意なのですか?私はお魚が好きなので、魚介料理は得意なのですが…」
「そうですね…私の場合、料理というものを教えてくれたのが老師だけだったので、どうしても創作料理のようなものが多くなってしまいます。手に入る材料も限られますので、魔術を多用してもいました」
ちなみに俺は飲食系のバイトで長い事働いていたので、大抵の物は自分で作ることができる。あえてえぐみや苦さを加えるとか、酸味を増やすことで甘さを増進させるといった上級技術には手が出ないけど、いわゆる家庭料理の類なら、それなりの自信がある。
「料理に、魔術を使う…ですか?申し訳ありません、無学にして、魔術を用いた料理というものに理解がおよばないのですが…お言葉から察するに、火や水といったものを魔術で用意する、ということではないのですよね?」
あれま。料理に魔術を使う、という概念は存在しないのか。熟成を魔術で早めたり、味を多少操作するくらいはしてそうだと思ったんだが…これは少し、困ったことになったかもしれない。『作成能力』をここで開陳してしまってもいいものだろうか。あの能力は、使いようによっては単純な腕力よりも、優れた性能を発揮するチート能力だ。不用意な情報開示は避けるに越したことはないが…
まぁ、いいかな。俺の返答をワクワクと相貌を輝かせながら待っているレオナを見て、まず単純にそう思う。それから取って付けたような感じになってしまったが、実利的な理由を付与していく。
レオナ達と最初に交渉を行った際に『遠見の水晶』と呼ばれる遠方の景色を映像として出力できる魔道具で、俺が大目玉を倒した事を知った、ということは聞いている。だとすれば、多分虚空から砦にあった武器を『作成』していたのは見られているだろう。いつかは知られることなのだろうし、ガルフレイクへとの間に信頼関係を醸造する為にも、ここで情報開示を行うというのは悪手ではないと思う。
…それに戦略的な事から離れた本音を言えば、彼女との間にこれ以上嘘を重ねるというのは勘弁願いたかった。元々腹芸が得意な方ではないし、恐らくではあるけど、純粋な好意を向けてくれる女の子を騙すというのは非常に重たい。これで相手が事務的な対応しかとらない人物だったなら、それなりに器用に立ち回りもしたのだろうけど。
「えぇ、私独自の魔術がありましてね…ところでレオナさん、先程のデザートも素晴らしい物でしたが…まだお腹の方に余裕はありますか?」
「え…?あ、はい。そうですね、少しくらいなら余裕はありますが…」
それは良かった、と返してから指を鳴らす。小気味よい音と共に、お皿に乗せられたチョコレートケーキがテーブルの上に現れる。このケーキは、かなり大きなイベントで、欧州一のパテシィエと呼ばれていた職人が作ったものを再現した物だ。生地の間にはラズベリーと洋酒を合わせたペーストが練りこまれていて、個人的にはこの世で一番美味しいと思っているケーキである。
「こ、これは…あの、どういった事なのでしょうか…虚空から、上品なお菓子が…」
驚きに目を丸くしているレオナ。その驚きようがなんとも面白くて、つい微笑んでしまう。先程までたおやかな笑顔を浮かべて、不動であったディアナも、この事態には驚いたらしく、興味深そうにケーキを眺めていた。人前でなければ、快哉を挙げていた所だが、それは我慢して『作成能力』について説明をする。
「そんな魔術があるなんて…私も、魔術についてはそれなりのものであると自負しておりましたが、魔道とは果てしなく深遠なる学門だったのですね…己の不省を恥じる思いです」
「私のこの『作成』は体系的な魔術から大きくはみ出した、言わば枝葉のような物です。誰かに教えようとしても難しいですし、おそらく魔力という側面から、他の方が使用するのは不可能でしょう。だから、貴女が恥じる必要など、何処にもないのですよ」
やはり俺の『作成能力』は異端過ぎる能力だったようだ。その衝撃が強すぎたせいで、この情報開示による信頼感の演出が全く上手くいっていないように思える。説明を聞き終わったレオナの表情は、やや曇り気味だった。このままでは、こちらが差し出した代価の割に、随分と実入りが寂しいことになってしまう。うーむ…気恥ずかしくて気が進まないのだが、ここは仕方がない。直球でこちらの考えを伝えてみよう。
「レオナさん」
「あ…はい、なんでしょうか、黒騎士殿?」
俺は出来る限り真剣な表情をして、レオナの瞳を覗き込むように見つめた。うー、くそ。物凄い恥ずかしい。心臓が痛い。まるで毒沼に佇んでいるみたいに、精神力がすり減っているのを感じる。あるいは上級者向けな女性下着売り場における男一人、みたいな気分。
「私は、貴女方を信頼しています。故に、この能力についても情報を開示しました。貴女方との道行きが、分かたれぬことを願いたい。しかし私は、人より力が強いだけの、無学な人間です。貴方達と共に生きて行く為に。どうか、貴女の力を貸していただけないでしょうか」
口がカラカラに渇き、頬が紅潮しているのが、鏡を見ずとも分かる。前半部分で、ガルフレイクをとても信頼しているということを表明しながら、へりくだる。そして後半部分ではレオナに協力を仰ぐ。俺の思い上がりでないのなら。多少の好感を、彼女が抱いてくれているとするならば。この嘆願で、まだまだ色々と足らない所のある俺を、フォローしてくれると…思う。
「はい…そのよろ、こんで…えっと、これからも幾久しく…共に歩みましょう…」
「ありがとうございます!!貴女の助力が得られるのなら、どのような困難も切り払うことが出来るでしょうね」
よし、なんとかレオナの協力を得ることはできそうだ。それに、あれだけ直球な言葉で貴方達と共にありたい、と主張したのだから、味方とまでは判断してくれなくても、ガルフレイクに対してそれなりに好意的な人物である、と判断してくれるだろう。
「その…黒騎士殿?私、少しだけ…その、熱があるみたいで…今日は、この辺りで中座させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「それは大変ですね…船の上で体調を崩すのは良くない。すみません、そこのメイドさん。レオナさんをお部屋までお連れいただきたいのですが…」
ご自愛下さい、と肩を貸しながらレオナをメイドに預けた。すると、先程までこちらから話しかけなければ、微動だにしなかったディアナが話しかけてきた。その表情は相変わらずたおやかな笑みだけをたたえているが…口元にある、あの表情はなんだろう…読み取れない。
「黒騎士殿は、異性とお付き合いしたことがないのですよね?」
えっ。いや、確かにその通りだけど、いきなりだな。しかも半ば確信に満ちている感があるし…。真意が読めない問いに、適当にはぐらかす事も考えたが、この人、なんだか得体のしれない凄味がある。アメジストのような光彩を放つ瞳に射抜かれると、どんな虚飾もたちまち暴かれてしまうような気分にさせられる。なので、ここは正直に答えよう。
「はい、そうですね。…異性とお付き合いしたことはないです…」
「ふふ、正直にお答えいただき、ありがとうございます。その御礼といたしまして、一つだけアドバイスを。貴方はご自身に寄せられている好意という物を過小評価し過ぎておられます。貴方は、大変に魅力的な人です。その事を自覚なさった上で、異性とはお付き合いなさった方が、よろしいかと存じます」
咎める、といった刺々しさが全く存在しない、包み込むような助言。これが大人の女性というものなのだろうか。俺も若者特有の反骨心めいたものを、それなりに持ち合わせているつもりなのだが、彼女の助言には素直に従いたくなった。自分に自信を持つというのは、案外難しいことだ。それ以上に、相手の好意というものに自信を持つというのは、難しいことだけれど、努力してみたくなった。
「助言、感謝します。難しい道行きになるとは思いますが、努力してみます」
「はい、頑張ってください。貴方なら、きっと出来るはずです。こう見えて、人物眼には自信があるのですよ、私」
単純な、彼女以外に言われたのなら『簡単に言ってくれるな』と多少の怒りすら感じてしまいそうな励まし。だけれども、その言葉は自然と心の中に染み込んだ。言葉の根底が若者の未来への、祝福めいた想いで編まれていたからだろうか。
「その…もう少しだけ、貴女の助言を聞きたいのですが…お時間はよろしいでしょうか」
「ふふふ…自覚がないのは、罪ですよ?…まぁ、今日くらいは容赦いたしましょう。助言のお供に、どのようなお酒をお望みですか?」
「甘いのでお願いします。苦いの嫌いなので」
なにがおかしかったのか、心底愉快そうにディアナは笑って、では思い切り甘いものをお作りしますよ、と色とりどりの瓶が収められた手押し車を持ち出してきた。正直なところ、俺はお酒という物にあまり良いイメージを持っていなかった。しかし、今はこういう席で飲むお酒は悪くない、むしろ良いものだとさえ思えた。流れる様なディアナの所作に感銘を受けながら、どんなお話が聞けるのだろうか、と俺は期待に胸を膨らませるのであった。
レオナには主人公のセリフが『貴女方』ではなく『貴女』で聞こえていたと考えていただければ、大体合ってます(笑)
【ディアナ・リオール】
帝都にある老舗バー『リオール』のマスター。紫髪、紫色の瞳。25歳。ヴァイパー族と呼ばれる蛇の特徴を持った亜人で、微かな表情変化や体温の揺らぎという物を知覚できる六感と優れた人間観察眼を併せ持っており、交渉というものに不慣れなレオナを補佐する為にこの船に乗り込んだ。彼女の的確なアドバイスを求めて、リオールは3年先まで予約が埋まっているとか。今回は、レオナの好意を自覚していない主人公の状態を危うく思い、不敬を問われる覚悟を助言を行った。結果、予想以上に素直な黒騎士に好感を持った様子。