幕間 交渉の終わりと、シロディール
相変わらずのレオナさん。そして…
おや?シロディールの様子が…?
黒騎士に招かれて、砦の食堂に集まった聖月騎士団の面々は、はしたなくならないように気を付けながらも、兜を外した黒騎士をみつめていた。商業の都であるガルフレイクには数多くの人種が来訪する。しかし、彼の様に黒い髪をした者は、非常に珍しかった。強いて言えばヘラクレア帝国の帝臣に数人いるくらいか。
そして、その相貌は、特別整っているわけではなかったが、それ故に親しみやすく、また優しさを宿せば慈悲深い表情に、厳めしさを宿せば冷厳な印象を与える様な…希少な夜色の髪も相まって、例えようがない、神秘性を宿したような容姿であった。
ちなみにレオナの好みには直撃だったらしく、頬の内側の肉を噛みながら、にやけそうになるのを懸命にこらえている。その様子をシロディールは横目でみつめ『あーあ、処置なしだわ、これ』といった感想を胸中でぼやくのだった。
さて、どのように口火を切るべきか。レオナは、気を抜けば緩みそうになる頬を気合で抑え込みながら、思案した。こういう場合はまず、相手の素性を聞いて、相手と自分の格について認識した上で交渉に入るのが一般的だ。今回については、黒騎士殿を無条件に上位として扱うように通達されているが、相手の素性も知らずに交渉など出来ようはずがない。レオナは商人ではなかったが、それでも成功した大商人から交渉のなんたるかを教えてもらったことはある。即ち『まずは相手を知ることからはじめよ』
「黒騎士殿、申し訳ございませんが、略式ではあるものの、こうした催しの際には両者の素性というものを明かしてから行うのが、我が国の慣例でして…失礼ですが、貴方様の素性を聞く名誉を、私どもに与えて頂けませんでしょうか?」
「あぁ。そうでしたね、私が何者であるかをまだお話していませんでした。私は、この暗黒大陸に流れ着いた廃船の中で産声を上げていたところを、この大陸で己が限界を見極めんと修行していた老人に拾われたのです。あの人は、決して自分の事を語ってはくれず、日々厳しい修行を私に課していましたが、その根底には優しさがあったと…思います。あの人は、最後まで私に名を与えてくれず、また自身の名前を教えてはくれませんでしたけどね…」
その言葉に何人かの騎士達が、瞳を潤ませていた。基本的に聖月騎士団の団員は蝶よ花よ、と育てられたいわゆる『恵まれた家庭に育った女性』である。その為、純粋とも単純とも言える気性を持つ人物が多かった。故に朴訥だが、在りし日を思い出すような口調で語られる黒騎士の境遇に、悲哀を強く感じていた。感受性の強いシロディールに至っては、床をポタポタと水滴で湿らせている。
レオナはというと、廃船の中で産声をあげていた、という点に着目し、思考を深めていた。暗黒大陸に流れついたということは、必然的にこの辺りの海域を航行していたということになる。しかし、彼女が知る限りでは、暗黒大陸の近海で赤子を乗せた船が座礁した、という記録はなかった。
だが、暗黒大陸にはフロンティアという側面だけでなく『流刑地』という側面もまた、存在する。父王に反乱を企てた王子。王の寵姫と関係を持ってしまった騎士。そうした、様々な事情で国内で処刑することができない人物を『転属』させるのである。
そこまで考えて、レオナは一つの推測に辿り着いた。黒騎士殿はヘラクレア帝国に縁のある人物なのではないだろうか、と。黒い髪はヘラクレアにおいては、その希少性から権威の証とされていたはずだし、龍を従えるという特異性も、多くの亜龍を擁する龍騎士団を抱えるヘラクレア帝国をその出自とするのなら、ある程度の説明がつく。
これは、少し厄介なことになったかもしれない。この事実を知れば、ヘラクレア帝国がアレコレと詮索してくるのは間違いないだろう。なにしろ『力狂い』と揶揄されるほどに力というものを信仰している武断の国である。黒騎士殿のあの力を見れば、聖人を招くような、図抜けた歓待を行うであろうことは明らかだ。しかし。しかしである。黒騎士殿は渡しませんから。絶対に、渡しませんから。
ここまでの思考を数秒の間に行い、レオナは華やかな笑みを黒騎士に向ける。その笑顔には好意だけでなく、微妙に焦燥感のようなものも含まれていたが、そのことに気が付くめざとい者は、この場にはいなかった。
「そうでしたか…貴方様の出自をお話しいただけたこと、我々にとって望外の喜びです。私どもガルフレイクはその人物が持つ実力と徳性をもって品格を評する開明なる国。誓って、貴方様に対する評価は曇りはしません。むしろ、貴方様を弾劾するような輩が現れるのなら、我らが威光を以て、打ち捨ててみせましょう!!」
このセリフに、何人かの騎士が瞳に驚きの色を混ぜた。前半部分は良い。黒騎士がどのような人物であれ、使者の判断で全面的な容認を与えてもよい、との指示は出ている。しかし、後半部分はとらえようによっては、他国が黒騎士殿に文句をつけてきた場合も貴方を守りますよ、というようにもとれる。だとするなら、それはかなり踏み込んだ内容だ。
しかし、考えてみれば、黒騎士は何から何まで、規定外の存在である。なれば、その交渉においても多少の規定外があってもおかしくはない。特使として選ばれたレオナにはそれなりの権限が与えられてもいる。恐らくだが、この発言もその権限に含まれているのだろう…数人の、政治というものに聡い騎士達は、そう考えることで驚きの感情を静めた。
実際には、他国の干渉というものを強烈に意識した…黒騎士殿をとられたくない、という私情も含まれる…危機感による独断に近い発言ではあったのだが、幸いなことに、黒騎士はそのような言葉遊びに長じている訳ではなかった。その為、この発言の影響は、黒騎士のガルフレイクに対する好感度を上げるだけに留まった。
「貴方様の素性、了解いたしました。我々に貴方様への理解を深める、という栄光をお与えくださったこと、心よりの感謝を捧げさせていただきます…それでは、続きまして使者である私どもの素性を紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
『えぇ、もちろん』と微笑む黒騎士に、くらくらしながらも、レオナは丹田に力を込めてこらえた。黒騎士殿との交渉はまだ始まったばかりだ。我が国を来訪して頂く為にも、全力で交渉に当たらなくては。レオナは心中で頬を叩き、気合を込めると、そうした内心を封じ込めて黒騎士に微笑みかけるのだった。
交渉が成功裏に終わり、船への情報伝達も終えた聖月騎士団の面々は、疲れた者は部屋で休み、体力に余裕のある者は、砦の一室に集まって、姦しく会話を楽しんでいた。本来なら、暗黒大陸に滞在している最中に楽しく話し合う、などということは考えられないのだが、去り際に黒騎士が放った『私とディノがいる状態で、砦を襲うような魔物はもうこの辺にはいませんので、どうか安心してゆっくり休んでください』という言葉が緊張感を弛緩させていた。
「ふぅー、黒騎士殿ってすごく紳士的な方だったね。正直なところ、暗黒大陸に住んでる、って情報を聞いた時はその…蛮族みたいな方だと思ったんだけど」
「そうですね、厳しい生まれを呪わずに、あんな風に人を思いやれるように育つなんて…育ての親である老師殿がとても徳のある人物であったということもあるのでしょうが、きっとあの方の魂は生来からとても美しいものであったに違いありません」
口々に、本人が聞いたら身もだえしながら、土下座しそうな所感を話し合う団員達。それらは、非常に好意的なものだった。女性という属性を全く考慮せずに接することこそ素晴らしい、とする風潮がやや強いガルフレイクにおいて、女性を労わるという男性は意外と少ない。
勿論、皆無というわけではないのだが、そうした人物は得てして、下心が透けて見える人物であることがほとんどであり、いわゆる『ハズレ』認定をされることが多いのだ。そういった意味で、下心なく当たり前のように女性に着席を勧めたり、自分の実力を誇示せずに女性に安心感を与える黒騎士の所作は、彼女たちのとって非常に好ましいものとして映った。
…黒騎士としては、単に自分だけが椅子に座り、女の子を冷たい石の床に片膝つかせているという状況がなんともいえず、嫌だっただけで、そこまで深く考えて行動した訳ではなかったのだが。
「はぁ…レオナ、やっと眠ったよ…もう、部屋で恋愛詩の朗読を始めた時はどうしようと思ったけど…」
「あ、シロディール副長…なんというか、その…お疲れ様です」
げそり、としながら部屋に入ってきたシロディールに団員の一人が労いの言葉をかける。交渉が成功し、黒騎士が2階に去って行ったあとのレオナの喜びようと言ったら、新年と誕生日が同時に訪れたようだった。誰彼構わず抱き着いて回り、急に静かになったと思ったら、ふふふ、と笑い始めるのである。
確かに、あれだけの実力を持った人物と面識をもつことに成功しただけでなく、本国における交渉にまで漕ぎ着けたという功績は素晴らしいものだ。今後の交渉の推移次第では、相当な昇進も考えられるし、高位の勲章を賜ることもできるだろう。
しかし、レオナの喜色にはそうした打算的な色は全く含まれていなかった。純粋に黒騎士殿といられる時間が増える、という未来予想だけで、あれだけ喜んでいたのだ。それが分かるだけに『黒騎士殿ってちょっといいかも』とそこはかとなく思った団員も、嫉妬の念を抱くことなく、彼女を応援する側へと回っていた。
「そういえば、副長。これは私の友人から聞いた話なんですけどね?初めて黒騎士殿を見た副長が『ゴロゴロしたいにゃー!!』って言ってたってんですが…その辺はどうなんですか?」
「うっ。その友人、後で誰だか教えてね?シメるから。…そうだね、正直なところ、予想以上に良い香りだったかなぁ。あの人にゴロゴロできたら、すごくいいかも、とは思った。でも、やっぱり私はレオナの恋をまずは応援したいかも」
ここで言う『ゴロゴロ』とは異性の胸に顔を埋めて『相手の香り』というものを思い切り楽しむ、獣人系の亜人特有の恋愛行為を指す。特殊な嗅覚を持つ獣人達は、視覚以上に嗅覚で相手の良し悪しを判断する。そんな彼らにとって『圧倒的強者である異性の香り』というものは嗅ぐだけで頭を甘く痺れさせるような、万金に値する素晴らしいものなのだった。
「黒騎士殿の胸に顔を埋めて、うにゃうにゃ、ってして耳をなでてもらえたら…うおっと、よだれが出てきた…。うん、それはすごい素敵なことだとは思うんだけど、ここは我慢。女の友情は恋で壊れるが必然、ってお芝居でもやってたからねー。レオナとはこれからも良い友達でいたいし…」
「うーん、でもレオナ団長、副長が相手なら全然気にせずに、第二夫人の座を用意するんじゃないですか?流石に一番は譲ってくれないかもだけど…」
周期的に魔王軍による『大破壊』があるメリクリウスにおいて、未亡人の生活保障や種の存続という実利的な問題もあって、婚姻関係は王族や貴族だけでなく、一般庶民も一夫多妻が基本である。もちろん、複数の妻を養うことができるだけの実力や財力、あるいは権威というものは求められる。
しかし、逆にそうした物を持つ者ならば、強い資質を次代に多く残すためにも、多くの妻を娶ることが義務とさえ思われている風潮があった。黒騎士殿なら、まず権威と実力は問題ないし、仮に冒険者ギルドに登録すれば、あっという間に一財産稼ぎ出すであろうことは間違いない。そんな事を思いつつ、団員の一人はシロディールへの追及を続けた。
「あー、どうだろうねぇ。まぁ、その可能性は無きにしも非ずだけど…私も流石に『ゴロゴロしたい』ってだけで男女のお付き合いまで考えることはないし、まずは様子見って感じにしておきたいと思うのですよ」
まぁ、予想外に性格までよかったので、かなり心揺さぶられてはいますがね。そんな胸中の思いを飲み込みながら、シロディールは余裕を装った苦笑を浮かべる。しかしその偽装は、この手の話題に疎い彼女たちにですら、容易く看破出来るような残念な出来だった。団員たちはニヤニヤを押し殺し、努めて真面目な表情で会話を続けた。
「でもですよ?本国に帰ったら、絶対黒騎士殿と関係を持とうとする人が増えると思うのです。黒騎士殿の私書箱が恋文で埋まる、なんて冗談みたいなお話も、あるかもですよ?」
「あー、それはあるね。絶対あると思う。私のお父様って、お城やお偉方の家に色々な品を卸している商人なんだけど、水面下で高価な装飾品や香水、あと、あの…その、寝所で使うお香が飛ぶように売れてる、って話を出掛けに話していたもの」
「にゃっ!?マジで!?あまりにも手回しが早すぎるでしょう!?」
苦笑をひきつらせるシロディールを、団員たちはニヤニヤしながら見守る。黄金色の猫耳をきゅ、とちじこまらせながら狼狽えるシロディールに、団員たちはちょっとした嗜虐心をそそられていた。
「えー、だってガルフレイクですよ?黒騎士殿みたいな爆弾級の利益につながりそうな人材を、見逃す訳ないじゃないですか」
「うぬぬぬぬ…確かにそうだけどさ。流石に女皇陛下とお会いする前にアプローチをかけるような輩はいないでしょう…いない…よね?」
語尾を弱めながら、訥々と確認するように話すシロディール。団員たちはそんなシロディールに『さぁ…?』とすっとぼけたようなリアクションを返すのだった。
「うむむむ…そうだね、明日辺り、レオナと話し合ってみる。けどね!!これはあれだよ!!この前読んだ小説で『利潤に寄って来る女は総じて蛇より疎ましい』って言ってたから!!黒騎士殿がそんな娘達の応対をして、ガルフレイクに愛想を尽かさないように、その為に色々と画策するんであって、私がそうしたいとか、そんなんじゃないからね!!」
うんうん、と自分の正しさを確認するように腕を組み、頷くシロディールを眺めながら、団員たちは妙にツヤツヤした面持ちで、微笑むのだった。
ちなみに、主人公は自らの生まれを語る時に備えて、部屋で一人、鏡を眺めながらセルフお芝居を練習していました。
やったね、主人公!!努力が報われたよ!!
…盛大な勘違いも生まれましたけどね。この勘違いが、主人公の嘘が物語に、どのように影響していくのか。
ちなみに筆者の好きな言葉は『嘘も方便』『嘘から出た誠』です(笑)誓って裏目ったりはしませんので、これからも力を抜いてお読みいただけると幸いです。