一
兄妹もいなく親に両方先立たれ天涯孤独になったのが十七の頃だった。中卒で学業ドロップアウトし親がいなくなった時の絶望感や悲しみは生涯テツは忘れないだろう。それからバイトを何個かするか容量が悪く頭の回転も遅いテツはミスを重ね職場の空気を悪くしてしまう。
何度かクビになった頃の帰り道でテツはリズムのいい音が聞こえ窓から覗いて見たのがボクシングとの出会いだった。
「すげぇ」
リングの上で相手を翻弄している動きが鳴らす音が響き隙を突くようにパンチを繰り出すと絵に描いたようなカウンターが決まる。その光景全てがテツの視線を離してはくれない。
「やってみるか坊主」
老人からの誘いに首を上下に動かし答えると中に入れてもらい生まれて初めてグローブをつけ何度かパンチを出す。不恰好だがテツは楽しかった。ただ腕を振り回す事が楽しく狂ったように滅茶苦茶にパンチを出しジムの生徒は唖然としてしまう。
「やりたい……これ面白い!!」
それからは毎日が短く感じるほどにテツは働いた。近くのラーメン屋の店主に頭を下げ雇ってもらい。昼はラーメンを作り夜はひたすらにボクシングに打ち込んだ。最初はグローブ着用は認められずロードワーク、筋トレと地味だったが我慢し続けていき一年が経過した頃には立派な練習生になっていた。
「お疲れ様でした!!」
元気よく挨拶しジムを帰ろうとするとジムの会長に呼び止められ話を聞くとテツは言葉を失う。
「俺がプロに!!」
プロを意識した時もあったが遠い存在だろうなくらいにしか考えてなかったテツには会長のプロ試験への誘いは魅力的。迷う所はあったが挑戦してみる事にした。
「……っ」
四方系のリングでテツは踊る。互いにヘッドギアをしているが勝ちたいという眼光が相手から鋭く貫かれるように感じるが冷静さを保つ。相手はインファイトを得意とするが付き合わない。頭を低くし一直線に突っ込んでくる相手に対しテツは下からのショートアッパーで応戦すると――
「ハァハァ」
背中に浮かび上がる汗が冷たくなり呼吸が急に激しくなり肩まで揺れてしまう。先ほどまで集中していたはずなのにそれが切れてしまう光景……相手はリングに大の字に倒れ審判が頭の上で腕を振る。その日テツはプロになり泣きながら会長に抱きついた。
「テツゥウゥゥゥ!!」
リングを勢いよく叩く会長の姿が薄暗く見え意識が朦朧とし見上げると眩しいライトが見え手足の感覚が少しづつ戻ると気付く。倒されたのだと――…プロの世界は厳しい。テツは人の何倍も練習したつもりでも通用しない。
プロのリングでテツはサンドバックのように叩かれ途切れそうな意識の中で何度も問う。
「なんでだよ……同じ人間だろ……どうして手が届かないんだよ。どうしてこんなにも力が違うんだ」
才能がない。その一言で片付けられてしまう。ある程度までいけるがそこから先は別世界のように相手は強く、会長が引退の一言を下した。これ以上は危険と言われたテツに悔しさはなかった、誰よりも自分が感じてしまう。
「ありがとうございました」
誰もいない暗いジムに頭を下げてテツのボクシング人生を終わる。結局何の成果も上げず弱いから駄目。それから負の連鎖のように働いてたラーメン屋も潰れボロアパートでふて腐れているとジムの先輩からの紹介で誰でも受かる仕事を紹介される。
それが交通誘導との出会い。最初は立っているだけで金が入ると思っていたが甘くは無い。夏は脱水症状で倒れる誘導員が何人も出て冬には手足の感覚が無くなるほどに過酷な仕事だった。
しかし生きるためには働くしかない。どんなに辛くても野垂れ死ぬよりかはマシ……そう思い気付けば三十三と中年になっていた、人生の半分近く生きたテツがふと振り返ってしまう。
「糞だな」
事務所でたっぷり説教を受けしばらく自宅待機と言い渡され十年以上住んでいるアパートに帰る。PCを起動しいくつかのサイトに目を通すと寝転がりモニターから漏れる光で照らされた染みだらけの天井を見て思う。
「このまま交通誘導してても未来なんてないよな……ただ泣きたくなるような給料で飼われるだけ、やめよ。仕事のせいにするな俺……俺が、俺が駄目なだけなんだよな――うぅ」
情けない。惨め。そんな感情が溢れ上がりいい歳したバリカンで揃えた坊主頭のおっさんは隣人に聞こえないよう声を殺して泣いた。振り返れば何一ついい事なんてない。彼女も一度も出来ず、貯金は十万も超えた事もない。
「一つだけいい事あったなぁ~――…友達が出来た」
学生の頃から腐れ縁で付き合ってる友人達を思い浮かべ少しだけ笑う。こんな落ちぶれた自分と馬鹿をやってくれる友達がいる。それがテツにとって唯一のいい事だった。
「寝よ」
もう考える事すら面倒になり睡魔に身を任せ意識をテツは今日も疲れた体を休めていく。