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千切れた糸

作者: 西頭直

 運命なんて信じない。そんなものがあるなら早く訪れるものだと思っている。

 

 小学生の頃好きだった、長い髪が印象的な女の子は気が付いたら不良になっていた。バレーを踊っていた綺麗な足で上履きの踵を踏み、ワルとつるむような子になってしまった。

 中学校ではお互いに好き合っていたと周りからも噂されていた僕たちは、結局結ばれることなく終わってしまった。何故だかは未だに分からない。僕がラブレターを出して好きだと言った瞬間、彼女は遠のいた。それまでは僕が部活動のためジャージに着がえるたびにカッコいいと言ってくれていたのに。

 僕はその都度落ち込み、何が悪かったかを考えた。しかし答えは出なかった。

 高校に入ると僕の心はもはや醜くなってしまい、人を好きになることなんてできなくなった。共学の高校なのに交際は一切なし。学校を往復する毎日。摩滅しきった日常。同級生との喧嘩。何も食べない昼食。

 あぁ僕は一生このままで終わるのかと思った。それが間違いだと気づいたのは大学に入ってからだった。


 その娘は僕と同じ学年、同じ年で僕より一ヶ月ほど遅く映画研究部に入部した。

 映画研究部は当時活動が活発で入部して数ヶ月で撮影ができた。今では考えられないけれども。

 彼女は薄い茶色に染めた髪をしていて、綺麗な瞳を持っていた。そして腕は細く象牙細工のように美しかった。どことなく暗く知的で、セクシーだった。

 僕は一目見た途端、恋に落ちた。何をしていても何を考えていてもその娘のことが気になって仕方なかった。これが運命の出会い?赤い糸?とりあえず既成用語で分析してみる。だが、彼女を見るとそんなものは吹き飛んでしまう。

 当時の僕はバイトや勉強で忙しく、部活には部会の時以外行かなかった。彼女の方もどうやら部室には顔を出していないようだったのでほっとした。

 毎週金曜日部会のある日、彼女に会えるだけで幸せだった。彼女はひっそりとドアを開け、ひっそりと隅っこに座る。目が合うと彼女は決して自分からそむけない。それがなぜか嬉しくて、でも僕は何だか照れ臭くてまともに見られない。

 恋と言い、愛と言う。恋や愛とは何だろう?さっぱり分からないけどこれが恋愛というなら悪くない、と思った。


 名前を呼べるようになったのは半年も経ってからだった。その頃既にメロメロだった僕は自分の感情を持て余していた。

 学部が一緒だから同じ授業になることもある。偶然を装って隣に座ると動悸が止まらなくなる。

 そっと横顔を盗み見る。するとそこには女神が座っているように見えた。

キスしたいわけではない。ましてや肉体関係なぞを望んでいたわけでもない。ただずーっと側にいてその顔を眺めていたかった。

 薄々普通の恋ではないと分かっていた。ただ少し話し、気まぐれに笑いかけてくれて、それだけでよかった。

 自分でも理解できないこの感情は僕にとって初めてのことだった。

山形の祖母の家に行った帰りに土産を買ってきた。部活の連中には適当にお菓子を。彼女には何度も選び直した、いい匂いのする匂い袋を。

 駅で一人だったのを見かけて声をかける。そしてお土産だよ、と言って渡す。彼女は嬉しそうな顔で包みを空け、匂い袋と分かるといい匂いとうっとりした。

「これ、私にだけ?」

 実はそうなのだが、シャイで臆病な僕はそうだよとは言えなかった。

「余り物・・・その、ゼミで余っちゃったから・・・」

 これは完璧なミス。このときそう、君だけにとっておきのプレゼントとでも言っておけば、今後の展開は変わっていたかもしれない。でもこの時はこれでも精一杯だったのだ。恋人になって欲しいのか、そうでないのか。

 この戸惑いを抱えたまま、僕はなんとか進級し三年生になった。彼女は成績もよくて先生にも褒められていたようだ。キャンパスを颯爽と歩く彼女を見かける。それだけで動悸が激しくなり、眩暈がする。声をかけようとした瞬間、僕は一体何を話せばいいのか分からなくなり、結局見送るだけ。その視線は情熱に満ち溢れ、でも視線だけでは彼女は振り向かない。熱い息を吐きまた吸う。やっぱり好きなんだろうか?そうに違いない。この人は僕の目の前に降り立った女神なのだ。戸惑いと情熱でむせ返りそうになる心を抱いて僕は少し笑った。笑うしかないといったところか。

 周囲の人間が変な目で僕を見る。でも僕にとって彼女以外はかぼちゃだ。小学校・中学校でも教わったではないか。他人はかぼちゃと思え、と。たまには先生もいいことを言う。


 そんな毎日が続いたある日のこと。部活の用事で部員全員が部室に呼ばれた。その中にはちゃんと彼女もいて僕は心臓をバクバクさせながら挨拶をした。用事は文化祭の打ち合わせだった。僕ら映画研究部は毎年店を出していて、それなりに好評だった。

 打ち合わせが終わり、部長が解散を告げるとそれぞれ残る人、帰る人、授業に行く人に分かれた。僕と彼女と数人の後輩は残り、他愛もない会話に花を咲かせた。すると後輩の一人が僕に煙草を勧めてきた。

 僕は幼少の頃から体が弱く風邪も引きやすい体質で、病気になることを人一倍恐れていた。だから煙草を吸うなんて全く想像の外にあった。僕は何度も断ったが彼は一本くらいなら大丈夫と言う。それで彼女をちらっと見ると煙草も吸えないの?と言いたげな目で僕を見ていた。それで決心がついた。一本くらいなら害はない。依存することもないだろう。

 後悔するばかりで反省のない過去と読み間違えばかりする未来。「今」しか見えない僕は彼女の関心を買いたい一心で煙草に火を点けた。煙が肺に入ってくるのを感じて少しむせた。彼女が面白そうに笑っている。その笑顔を見られただけでも僕は嬉しかった。彼女も煙草を吸うことを知ったのはもうすこし経ってからだった。


 家に帰ると僕はピアノを弾く。少し前から気に入っていた「暗い日曜日」という曲。この曲は一九三二年にブダペストの小さなカフェで作曲され、それこそ全世界で大ヒットとなった。シャンソンから始まり欧米を渡り、日本でもカバーされている。僕は聴いたことがないけれど、ジブシー音楽にもアレンジされているらしい。

 この曲の凄さはそれだけではない。当時これを聴いて自殺した人が多発したことから「自殺の聖歌」と言われもはや伝説化されているのだ。

 ピアノの音色に乗せて彼女のことを考える。あぁやっぱり僕は貴女を愛してしまったよ・・・。


 戸惑いが確信に変わり、季節も夏から秋へと移ろった。彼女を愛していると確信したものの、僕は相変わらず臆病で告白どころか遊びに誘うこともできなかった。彼女といると心臓が高鳴り、話すことすらできないのだ。

 彼女が先輩と付き合っていると噂に聞いたのはそんなときだった。丁度僕は新たなお土産を渡すつもりで、映画制作を懸命にやっている彼女のもとへ行ったのだ。先輩はいなくてチャンスと思ったが、一心不乱の彼女を見てると浮かれている場合ではないと思い留まった。

 飲み会の席で彼女と先輩が連れ立ってやってきたとき、噂は事実だったのだと確信した。このときの僕の喪失感を理解できるだろうか?愛してやまない彼女に愛を告げられず、別の男に獲られたのだ。その男は破壊王とでも言うべき男で部の中でも女性に関する揉め事が多く合った。可愛い子には片っ端から声をかけ、相思相愛の恋人を引き裂いたこともある。また軽々しく愛の言葉を囁き、その数は一〇をくだらない。そんな男に彼女を獲られて僕は愕然とした。

 言葉にしなければ伝わらない。それが僕の信条なのだけれでも、たくさんお土産やプレゼントを渡して薄々感づいていたとも思う。

 文化祭の買い物の帰り、仲良く歩く彼女と先輩を見つけた。喪失感が僕を襲い、思わず自転車ごと転んでしまった。幸い中身は割れないものばかりで傷が少し付いてしまっただけだけど、僕の心はまるで死んでしまったかのように壊れてしまった。

 それからの僕はまるで眠れなく、とうとう精神科に通うようになってしまった。

 ピアノを弾いていても音楽を聴いていても、映画を観ても思い出すのは彼女のこと。友人に相談すればさっさと忘れて新しい恋をしろという。でも人の心はそう簡単にいくものではない。特に僕の場合は好きになってから自覚するまでが長かったせいかうまくいかない。

 僕は旅行が好きでよく独り旅に出かける。煩悩をなくすため、山寺に行ってみたがそれでもなくならい。むしろ彼女と行きたくてメールをしたほどだ。

 それ以後、僕は一箱でやめていた煙草を吸い始め、お酒の量も格段に増えた。周りは心配してくれるがその声さえ耳障りで、僕は確実に堕落していった。

 

 彼女とは別に授業クラスが一緒になる女の子がいた。ダンス部に入っていて身体は引き締まり、話して行くうちに悪くないと思った。どちらから先に誘ったのか今では覚えていないけど、僕らはいつしか授業後、遊ぶようになった。行き先は主に中国関連の店。その子は中国が好きで中国語の勉強もしっかり受けていた。

「やがちゃん、さぼっちゃだめだよ」

 その声に励まされて僕はしぶしぶ授業にでる。

 映画が嫌いということで、出かける先は横浜中華街や立川の中華祭り、それから遊園地にも行った。こういうのは付き合っているというのだろうか?

 自暴自棄になって欲求不満だった僕は立川の帰りに終電ぎりぎりでホテルに誘った。すんなりとはOKしてくれなかったけど、結婚を前提にならいいということで僕は殆ど二つ返事でその子を抱いてしまった。

 それから僕たちの関係はギクシャクしてしまった。その子はやたらと僕にしゃべらなくても理解を求めてくるし、逆に僕は言葉にしなければ理解できない。

 何度も喧嘩をし、結局その子は去っていってしまった。最後の捨て台詞を残して。「あんたは自己中心過ぎるのよ。少しは私のことも考えて!!」

 僕はこの言葉に志賀直哉の「小僧の神様」を思い出した。誰かに何かを与えることは例えその人の為でも通じなければいけない。僕にはそれが足りなかった。

 暗い家に暗いまま中に入って酒を飲む。一番好きな映画「カサブランカ」を観ながら僕は泣いた。その日は酒を片手に眠ってしまったようだ。翌朝母が悲しそうにこぼれた酒を拭いていた。

「カサブランカ」は男の中の男ハンフリー・ボガードがかつての恋人のために心の涙を飲んで安全な国アメリカに送り出す映画だ。何度も見直して同じ場面で泣いてしまう。ハンフリー・ボガードが最愛の女性を送り出すシーンとバーで再会するシーンだ。彼女とその子がオーバーラップしてきて僕は再び泣いた。

 それ以来、コンビニで買ってきた安酒を飲みまくり身体を壊した。そしてその後遺症として未だに薬を飲んでは吐く日々が続く。


 彼女が卒業する間際、僕は彼女を呼び出して最期の別れと告白をしようとした。プリザードフラワーという一年間持つ花は、僕を忘れないで・・・という思いを込めたものだ。

彼女は大手アパレルメーカーの秘書に就職が内定していて忙しそうだった。僕は無理矢理時間を作ってもらって所沢まで会いに行った。

 これが最期だ。覚悟を決めて彼女を待つ。少し遅れるという彼女のメールに若干の辛さと、まだまだという気持ちが混ざり合う。愛していると言えるかどうか。この期におよんで僕はまだ迷っていた。

 彼女がやってくる。素敵な服装だ。最も彼女にかかれば似合わない服などないと思うのだけど。緊張が押し寄せ気持ち悪くなってくる。

 

 喫茶店に入り、最初は無難な話をする。就職のことや部活のこと。僕は身体を壊したせいで留年してしまったのだ。彼女が笑ったり深刻そうな表情をする。僕はといえばそれに振り回されて空回りばかり。我ながら情けない。

 そして、いよいよ渡すときが来た。僕は荷物を手に取り彼女に手渡す。誕生日と卒業祝いと就職祝い、それに僕の気持ちを全て包んで。彼女は喜んで受け取ってくれた。

以前メールしたとき好きな花を教えてもらったからか、この為なの?と何度も訊いてくる。また僕は照れてその時は考えてなかったけど、なんて答える。馬鹿者!しっかりしろ!!心の声が僕を激しく攻め立てる。

 あっという間に約束の一時間が過ぎて彼女は消えていった。結局言い出せなかった。愛している。付き合ってくださいとは。

 雑踏が聞こえない。耳鳴りがする。僕はただ呆然と立ち尽くしていた。


 それから三ヶ月が過ぎた。祖母が脳卒中で倒れたという報を聞き、兵庫にいた。祖父や祖母の見舞い以外にすることがない。正直暇を持て余していた。音楽もない。あるのはテレビだけ。幸い携帯は持っていたので友人とメールしたり、電話したりして暇を潰していた。

まだ忘れられない。彼女の様々な表情が僕の脳裏を横切る。思い切って電話してみようか?二日迷った挙句、電話してみた。出てくれない。泣きそうになる。

 次の日メールがあった。僕は声が聞きたいと送った。すると彼女からすぐ電話がかかってきた。時間に直したら短いだろうけど、その時話したことを僕は一生忘れない。

 告白してふられた。ただそれだけ。でも僕と彼女の赤い糸は切れてしまった。

 もう会えない。会うことは許されない。忘れなければならない。全てが嫌だ。僕は大量の睡眠薬を飲んで眠りに就いた。これなら夢も見まい。一年後には忘れられるはず。そう信じて。でも忘れられないことも自明のことだったのだ。こんな成長の仕方は嫌だ。嫌だ。忘れたくない。僕を好きになってとは言わない。側にいて。たまに笑いかけてよ。ねえ、御願いだから。

 

 千切れた糸。彼女は僕の中で永遠に女神として生き続けるのだ。


誰でも一生に一人は心の中に誰かを住まわせることがあります。その結末が幸福であれ、不幸であれ、過程自体は幸福の範疇に触れているのではないでしょうか。作中の「僕」は幸福な結末を迎えることはできませんでしたが、よく考えると男女が結ばれる確率は低いのです。

男Aが女Bを好きでも女Bが男Aを好きでないなら成り立ちません。また女Cが男Dを好きでも男Dが女Cを好きでないなら恋愛に発展しません。更に男Eも女Fもお互いを気にしていなかったら話にならないのです。結局男Gと女Hが二人とも好き合ってこそなのです。そうしてみれば恋愛がうまく行くなんてとても大変なことです。もちろん人の心は中学生の数学で習う方程式ではありませんから、彼らがいつ急変するか分かりません。

それはともかく楽しんで読んでいただけたら幸いです。

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