1-6章 異変
その日の夜、クレアと合流した俺は飯屋で夕食を摂っていた。
初日にクレアが薦めてくれたここは安い上に美味く、稼ぎの少ない俺でも安心して利用できる。
「どうだったの、ラウルとの立ち合いは」
愉快そうに問い掛けてくるクレアに即答せず、野菜を咀嚼している間に振り返る。
ラウルはさすがゴールドの冒険者で、スピード・技術ともに圧巻の一言だった。パワーは俺の方が優っていたが、それだけではダメだということを教えてもらった気がする。
「良い経験になったよ。あと、クレアに稽古を付けてもらえる自分が、どれだけ恵まれてるかってことにも気づけた」
クレアが僅かに目を丸くした。
いざ立ち合いが始まって驚いたことに、武器での立ち合いに於いて俺とラウルには然程の実力差は無かったのだ。ラウルにはゴールド冒険者として培ってきた実戦経験がある。にも関わらず、俺はラウルとやり合えてしまった。ラウルは確かに一流だと思うが、クレアに比べると動きにムラも多く、技のキレも威力も想定を遥かに下回った。
「ありがとう。クレアのおかげで、俺はちゃんと強くなれてるみたいだ」
無意識に溢れた感謝。鶏肉に齧り付いた俺はクレアを見やり、そこで初めてクレアが固まっていることに気が付く。
「どうした、食わないのか」
「……食べるわよ。恥ずかしげもなく感謝を口にできるのは、クロの良いところよねぇ」
クレアの言っていることが分からない。感謝を口にするのに恥ずかしがる必要がどこにあるというのか。
俺の顔からそれを読み取ったらしく、クレアは「あ、もういい。何でもない」とつっけんどんな態度になったが、俺は合流したら言おうと思い温めていた話題をここで切る。
「ところでクレア」
「何よ」
「魔力維持は超高等技術だってラウルから聞いたんだが」
「え"んっ!」
お行儀よく小さく千切って食べていたパンが、咽に詰まりかけたらしい。激しく咽び込んだクレアは水を流し込み、ジョッキを卓に置いた。
「余計なことを……」
ここには居ないラウルに向けて、クレアが怖い顔をする。そんなクレアに説明を促すよう視線を注ぎ続ける俺。
今さらクレアの修行方針に疑いはないが、なぜ超高等技術を基礎と偽って教えようとしていたのかは知りたい。しばらく沈黙の攻防が続いたが、こういう時に折れるのは決まってクレアだ。
「別に嫌がらせで嘘ついたんじゃないわよ? 実際、魔力維持できる刻印者とできない刻印者じゃ、生存率も大きく違うし」
観念して話し出したクレアは、バツが悪そうにそっぽを向いている。
「その……私も、クロが初めての弟子だから慎重になってたのよ。刻印を扱えるようになった途端、ゼデスを前にしたら無茶な攻撃を仕掛けちゃうんじゃないかって心配で」
「超高等技術を身につけるまで黒炎を出させないようにしたと」
補足するように言うとクレアは無言で頷いた。クレアの修行は実践方式でスパルタだが身につくのは早く、教え方としては上手い。そんな彼女が今まで弟子を取ったことがないというのは驚きだったが、その後の白状についても、特段腹を立てるようなことは無い。
クレアは敢えて省いていたが、俺が旅立ちを決意した理由が理由なだけに、クレアが心配するのも分かる。実際に今は落ち着いているが、ゼデスが再び目の前に現れた時、俺は自分がどんな行動に出るかを断定する自信は正直ない。そういう意味では、クレアが俺に隠して遠回りさせようとしていた事にも深く納得できた。俺がクレアの立場だったとしてもそうするだろう。
俺は服の下に隠れるネックレスに一瞬視線を落とし、小さく息を吐き出してから最後の肉を口に運んだ。たっぷり咀嚼し、呑み込む。
「約束する。無茶はしないし、ちゃんと維持の訓練も続ける。だから明日から、ちゃんと炎の使い方も教えてくれ。ゼデスがいつ現れるか分からないんだし、クレアと一緒にいない時、自分の身くらいは自分で守れるようになっておきたい」
「うっ、分かった……けど本当に約束だからね。無茶はしないこと。危なくなったら逃げに徹すること。この2つはちゃんと守って」
「ああ、約束だ」
まだ心配そうに真紅の瞳を揺れさせるクレアを安心させるように、ネックレスを指しながら笑ってみせた。クレアとネックレスに誓うという意味を込めた俺のジェスチャーに、クレアもようやく微笑む。
明日からは黒炎を扱う訓練が始まる。平和なこの町では不要だったが、この先は必ず必要になる力。あと数日はナチャーロに滞在する予定だとクレアから聞いているので、その間に黒炎を自在に操れるようになっておく。
自身に言い聞かせるように決めた課題。その課題を達成するのを、現実は待ってくれない。
日も昇らぬ早朝、緊急事態を告げる鐘の音が町に響き渡った。
けたたましい鐘の音で跳ね起きた俺とクレアは、太陽が顔を出し始めた時分にギルドに駆け込んだ。中は騒然としており、俺たちの後からも次々と冒険者がやってくる。
「南方の森にてゼデスを確認したと報告がありました」
ナタリーがこんな時でも落ち着いた様子で報告書を読み上げる。南と言うと俺とクレアがやってきた方角だが、その時にゼデスの姿はなかった。奴らはどこでどうしてどのように出現するのかが不明で、それゆえに対処が遅れがちになる。
ゼデスについて分かっているのは大きく分けて『人の正の感情を喰らうこと』と『人が多い場所に多く出現する傾向が強い』こと、『刻印の力でないと殺せない』ことの3つだけだ。
クレアがレルゲン村に来ることになったのは、王都に居るというゼデスの研究家が叩き出した憶測を裏付けるためでもあったと、クレアから聞いている。願わくば一刻も早く、その観測法を確立してほしいと願いながらナタリーの続きに耳を傾ける。
「現時点で確認されているゼデスの数は100。このナチャーロへ向け緩やかに侵攻しています」
レルゲン村を襲った数より遥かに多いゼデスに、冒険者たちの騒めきが大きくなった。ナチャーロのような人口が300に満たない田舎町の近くに、どうしてそれだけのゼデスが現れたのか。緊急事態に追い討ちを掛ける異変に、浮き足立つ者が後を絶たない。
「みんな、何かを忘れてやしない––––かッ」
こんな緊急事態でも平常運転のラウルが、声高に剣を掲げた。細身の剣身が美しい派手な剣と、黄色地に銀の装飾が眩しい派手な男の声に、ギルド内が静まり返る。その僅か数秒後、先ほどまでの騒めきを遥かに凌駕する歓声がギルドを飛び出し、町を揺らした。
「そうだ! ゼデスが何体いようと関係ねぇ!」
「ああ、俺たちには炎姫が付いてる! ブラック冒険者の【 炎姫 】クレア=エカルラートがっ!」
「そうっ、この僕が付いてるからには……あぁ、うん。そうだよね、炎姫が付いてるよ、うん」
素に戻ったラウルが剣を鞘に収める。居た堪れない、居た堪れなすぎる。
「大丈夫か?」
さすがに無視するには可哀想が過ぎるので、剣を交えた仲でもあり先輩でもあるラウルを気遣うが、当のラウルは相変わらず微笑んでいた。
「何も問題ないよ。みんなの士気が上がるのなら、その先頭に立つのは僕じゃなくても良いのさ」
器が大きいラウルの発言に、俺は歓声の中心にいるクレアを見た。クレアといいラウルといい、刻印者には人格者しか存在しないのだろうか。
「そうだクロ。炎姫からあと数日もすれば君たちが町を発つと聞いたんだけど」
「ああ、そうみたいだな」
「良ければこの騒動が片付いた後、町を発つ前に一度僕の家に遊びに来ないかい? 妻も紹介したいし」
突然の誘いに困惑を隠せない。俺とラウルはこの数日付き纏われ付き纏い、なけなしに剣を交えただけの関係でそれ以上でも以下でもない。どうしてそんな誘いが出るのか疑念しか出てこず身構える。
「別に取って喰おうってワケじゃないよ。そうだね、端的に言えば僕は君を気に入ったんだ。強さも然ることながら、君を見ていると不思議と希望が湧いてくる。そんな風に思える男に会ったのは初めてなんだ」
「買いかぶり過ぎだ。会って6日そこらで何が分かるんだよ」
会って1日足らずでクレアを全面的に信頼した俺が、自分のことを棚に上げて言う。それに対するラウルの反応は爽やかな微笑みだった。
「こういうのは時間じゃない、フィーリングさ」
清々しいほど真っ直ぐに語るラウルになんと返せば良いか分からず、俺は頬を掻いた。僅かな沈黙が生まれてしまったが、このまま会話を終えると何か負けたような気がするので、とりあえず思いついたことを口にする。
「お前、普通にしてた方が良いぞ。あの変な話し方はやめたらどうだ」
「アレは僕自身を鼓舞するためでもあるんだよ。僕は昔から臆病な性格でね。自信を付けるために男らしい口調を心掛けていたら、いつの間にかああなってたんだ」
「変だって自覚はあるんだな」
俺のぶっきらぼうな返しに笑ったラウルに、少し迷った挙句、呟くように言う。
「考えとくよ、行くかどうか」
「勇気を出して言ってみるもんだね。返事を楽しみに待ってるよ」
ナタリーからの報告が終わり、南へ向かい始める冒険者たち。会話しながらもちゃんと聞いていた俺とラウルのところへクレアがやってくる。
「聞いてた通り、私たち3人が要よ。クロは左翼、ラウルは右翼で私が中央。2人は他の冒険者がアシストしてくれるから、目の前のゼデスを確実に斃すことだけを考えて」
深く頷いたラウルが先立ってギルドから出ていく。俺も外へ出ようとした時、クレアが袖を摘んできた。
「もっと早く炎の扱い方を教えていれば良かったわ。ごめんなさい、私の我儘のせいで却ってクロを危険な状況にしちゃった」
らしくないと思った。昨晩のようにその瞳は心配から酷く揺れているように見える。
「大丈夫、無茶はしない。魔力を使い過ぎてぶっ倒れないように、巡りで覚えた出力でやってみるし、ヤバそうなら村の時みたく時間稼ぎに徹する。だから、そん時は助けてくれよな」
ゼデスが迫っていると聞いても不思議と落ち着いていた俺が言うと、クレアはぐっと頷き、瞳にいつもの力強さを取り戻す。やっぱりクレアの瞳は、その光を放っている方が似合っている。
「クロの初陣ね。熱くなり過ぎないように、熱く燃えなさい」
「なんだそりゃ。けど……分かった。熱く燃えてやるよ」
チリチリと俺の拳から火の粉が舞う。
クレアに鍛えてもらって、今の俺はあの夜よりずっと強くなっている。今度こそ守ってみせる。ナチャーロに暮らす人たちの日常を。




