1-2章 生きる選択
崩れた屋根から射し込んだ陽が、俺の意識を浮上させる。
目を開けると、いつの間にか朝を迎えていた。
あの時、ゼデスの群れを1人で屠る少女の後ろ姿を最後に、俺は気を失ってしまったようだ。
––––死に損なった。
空虚な胸に何かを見出そうと、手を当てる。
「っ!?」
服の上から胸を弄った。
ネックレスが無い。部屋を見回しても見当たらない。どこかで落としたのか。
寝かされていたベッドから飛び降りた。全身を酷い虚脱感が襲い、ゼデスにやられた右腕と横腹が痛んだが無視する。
誰も居ない家屋から外へ出て、自分がロッゾの家に居たことを把握した。
焼け崩れた建物しか残らない村では、大幅に数を減らした村人達が各所で作業に当たっている。
ロッゾの姿もあった。生き残ってくれたことに、安堵と罪悪感が同時に押し寄せる。しかし今は声をかけている場合ではない。俺はまたロッゾに背を向けた。
丘を上がり教会に辿り着く。外にあった神父の亡骸も、聖堂にあったクネル達の亡骸も無い。すでに誰かが移動させた後だった。
「––––ッ!」
拳を柱に叩き付ける。拳に血が滲んだが、その痛みすら空虚に感じられた。
外に出た俺は、教会前の草地を掻き分けネックレスを捜す。道中にソレらしき物は無かった。あるとすればここ以外にない。
「なんで……なんで無いんだよッ」
ロッゾの家を出てから、2刻も掛けて捜した。ここの草地は子供でも、1刻かければ捜索し終えるほどの広さしかない。なのに見つからなかった。
「アレが無きゃダメだ……アレを持って会いに行くんだ、アイツらに!」
無いと分かっていながら、草を掻き分ける。
「捜し物はコレ?」
背後から声をかけられ、勢いよく振り返った。
ゼデスを屠った真紅の炎を操る、刻印者の少女がいた。膝ほどまで伸びた黒髪が風に揺れ、真紅の瞳で俺を見下ろしている。その手には、クネル達がくれたネックレスが握られていた。
「驚いたわ。あなたが運ばれた家に行ってみたら居ないんだもん。普通、刻印を発現させた直後って1日は倒れるものよ? タフねあなた」
「返せよッ!」
反射的に声を荒げてしまう。
少女は眉を寄せたが、ネックレスを投げるでもなく、俺に近付き手渡してくれた。
「拾ってあげた恩人に対して、随分な物言いじゃない」
クネルより小さいのに俺より歳上に感じる。そんな不思議な少女に言われ、俺は逡巡の後、頭を下げた。
「……ありがとう。助かった。これで」
––––みんなのところへ逝ける。
言葉を呑み込み立ち上がる。切れていた麻紐は丁寧に結び直されていたので、そのまま首から下げ、少女の横を抜けた。最期は聖堂で迎えよう。中には瓦礫やガラス片もある。自害するのに不自由はない。
「死んでも意味ないわよ」
覚束ない足取りで教会に入ろうとした俺に、再び少女の声が届いた。
俺は目を見開き、ゆっくり少女に向き直る。
「……は?」
そう返すのが精一杯だった。
二の句が告げず視線を送り続ける俺を、少女は憐れむでもなく淡々と告げる。
「死んだらそこで終わり。物も持っていけないし、誰にも会えない。だってそうでしょ? 死後の世界なんて、本当に在るか分からな––––」
「うるせえよ……もう……邪魔しないでくれ……」
確かな意志を持って語る少女の言葉を、酷く嗄れた声で遮った。
「お前は俺を助けたつもりかもしれないが、それは違う。邪魔しただけだ! そもそも、お前がもっと早く来ていたらこんな事にはならなかった! 間に合わなかったくせにッ、善行を積んだつもりになって悦に浸ってんじゃねえよ!」
間に合っていれば、神父もクネル達も死なずに済んだかもしれない。
少女が鎌を弾き飛ばさなければ、今頃みんなに会えていたかもしれない。
確かに死後の世界なんてものが在るかは分からない。けど分からないってことは、在るかもしれないってことだ。
「俺は……俺は死にたいんだッ!」
言葉に込めた想いが少女に届いたのかは分からない。俺の怒号は、ただの八つ当たりだ。行き場のない自分への怒りを、少女に転嫁しているだけの愚かな行為だ。
「そう……」
息を荒げ睨みつける俺に、少女は静かに囁いた。
「なら死ねば?」
視界が真紅に染まった。
眼前にまで迫った真紅の棒が、俺の視界を覆い尽くしたからだ。
ゼデスを貫き、砕き、燃やした致死の突き。このままいけば棒は俺の頭部を貫き、確実な死を運んでくれる。
––––みんなに、会える。
口元に淡い笑みを浮かべた俺の左手が、勝手に閃いた。
寸前のところで棒を逸らし、握っていた右拳を少女に振るう。
「へえ」
少女が笑った気がした。最小限の動きで拳を躱した少女が、俺の腕を掴む。
「うッ!?」
肺の中が空になり、背中に鈍痛が広がる。
何が起きたのか分からなかった。俺はいつの間にか、青い空を見上げる形で寝転がっている。
「躱すどころか反撃してくるなんて、見所あるわよ」
顔を覗き込んでくる少女の瞳を、呆然と見詰める。
何が可笑しいのか、目を細めて笑った少女は俺の右腕を引っ張り、上体を起こさせた。思考が纏まらない俺の耳に、鈴のような声がスッと入り込む。
「あなたの心は『生きたい』って言ってるみたいだけど?」
全身が震えた。どの感情がそうさせたのかは分からない。
俺は勝手に棒を弾いた左手を、固く閉じた。
「……違う。反射的に動いただけだ。生物としての本能がそうさせた。俺の心は、死を望んでる」
「頑なね。じゃあ、ありきたりな言葉で問うわ」
「…………」
「あなたの大切だった人たちは、あなたが死ぬことを望んでるの?」
「ッ––––!」
確かに何の工夫もない、ありきたりな言葉だった。両親を失った7歳の頃にも、似たようなことを何度も言われ聞き飽きた。
分かってる。誰かに言われるまでもなく分かってるんだ。本当は、全部分かってる。
「……辛いんだ」
視界が歪んだ。
「一度全てを失って……新しく出来た守りたいモノも、また守れなかった」
少女は何も言わない。
相槌を打つでもなく、ただ俺の隣に立っている。
「備えてたつもりだった……ガキの頃何度も見た、傭兵だった父さんを真似て……時間を見つけては、訓練、してた」
心中を吐き出すほど、声が揺れてしまう。
「間に合わなかったのはお前じゃない、俺だ……俺の油断が、みんなを殺した。もう逃げ出したい。生きた先にまた同じことが起きると思うと、脚が竦む。俺のしてきたことは……全部、ただの自己満足だった」
「自己満足で終わらせないために、これから沢山の人を救えばいいのよ」
その言葉に、俺は顔を上げた。
少女は微笑んでいた。その真紅の瞳は遠くを見ている。現在ではない、遥か遠くを。
「……出来るワケないだろ……何も守れなかった、俺なんかに」
–––– クロ兄ちゃんなら出来るよ ––––
目を見開く。
視線をまた落としかけていた俺は、弾かれたように少女を見上げた。
声も違う。話し方も。それでも今のは、アイツらの言葉だと感じた。
「バナードって人から、あなたと教会の家族のこと聞いたのよ。特にクネルって女の子の話をね。きっとその子なら、あなたにそう言った筈よ」
少女が、俺の首から下がるネックレスを示す。
「他の子達もそう言う筈。神父様も。それに、私もね。そんな素敵なネックレスを贈ってもらえるような人が、誰も助けられないなんてこと、ある筈がないもの。もしそんな不条理があるなら、その不条理を私が焼き尽くしてあげる」
頬に温かいモノが流れた。
クネル達の亡骸を見た時も、神父を手にかけた時も、心中を吐露した今も……流れることが無かったモノ。
10年前に枯れたと思っていた涙が、とめどなく流れ落ちていく。
言葉は出なかった。
吐き出したい後悔や懺悔は、すべて叫びとなって空へ消えていく。沢山の手が、俺を撫でた気がした。
錯覚かもしれない。それでも今は、その余韻を噛み締めていたかった。
––––その日の夜は、生き残った村人全員で、亡くなった者達を供養した。
埋めた亡骸はゼデスとなる。そんな言い伝えが残るこの国では、火葬するのが習わしだ。
最後に見たクネル達の顔は、どこか微笑んでるようにも見えた。
70人居た村人は16人までその数を減らし、生き残った者は町へ移住するそうだ。
「本当に良いの? みんなと行かなくて。今ならまだ追い付けるわよ」
顔を見せ始めた太陽の光を浴びながら、少女が揶揄うように言う。
「ロッゾさんやバナードにも言われたよ。良いんだ。……ってかお前から言い出したんだろうが」
「ふふっ、あなたの覚悟を再確認しただけ。あなたが村の人たちと行きたいって言っても逃さないわ。黒炎の刻印者なんて、初めて見るもの」
悪戯っ子みたいに笑った少女が、小さな手を差し出す。
「自己紹介が遅れたわね。私はクレア。クレア=エカルラート。ただの冒険者で、これからはあなたの師匠でもあるわ。私のことはお師匠様と呼びなさい」
「誰が呼ぶか。もう知ってるみたいだけど、俺はクロ。よろしく頼む……クレア」
クレアの手を握る。その小さな手から想像もできないほど、力強く握り返された。
「さっ、行きましょ。約束通り、道中でビシバシ鍛えたげる!」
「望むところだ」
後悔は消えない。だけど俺は生きる選択をした。
より多くの人を、絶望から救うために。
踏み出した俺の背中を、村から吹いた風が押す。服の中で揺れるネックレスが、微かに熱を帯びた気がした。




