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追放された聖女ですが辺境領主と幸せになります。禁術で自滅した偽聖女と王太子の完治?無理ですね。

作者: ささい
掲載日:2025/12/04

王城から呼び出しがあったのは、朝の出来事だった。


「聖女エミリシア様、王太子殿下より直ちに謁見の間へお出でいただくよう、

 とのことでございます」


使者の言葉を聞き、私は胸騒ぎを覚えた。

王太子殿下はこの一年、私に対して冷たい態度をとっていたからだ。


それまでは、聖女見習いの私に優しく声を掛けてくれていた。

つらいことはないか、必要なものがあれば言ってほしい。

優しく丁寧な対応は、大変な聖女修業の心の支えだった。


けれど、侯爵令嬢リディエッタ様が神殿へ来られるようになってからは、

王太子殿下の態度に変化が現れ始めた。

優しかった声は硬くなり、私の不出来を叱責する言葉が増えていった。

温かかった視線も冷ややかに、鋭いものになっていったのだ。


謁見の間は、すでに多くの貴族たちで埋め尽くされていた。

私は玉座の前に進み、ひざまずいて深く頭を下げる。


「エミリシア、貴女はもう聖女ではありません」


王太子ユーベルト殿下の冷たい声が、謁見の間に響き渡った。

私は床の大理石の模様を見つめたまま、顔を上げる気力さえ失っていた。



「教会は十年前から貴女を聖女として育て始めました。

 なのに今日まで、貴女は一度たりとも奇跡を起こしたことがない。

 病人を癒すこともできなければ、作物に祝福を与えられたこともない」


その通りだった。私は何もできなかった。

八歳の時、教会の司祭たちが私を「聖女の素質がある」と言って引き取った。

灰色の髪と灰色の瞳、額に浮かぶ小花のような白い聖印がその証だと。

その時、まだ存命だった先代聖女ルチアーナ様が私を祝福してくださった。

「この子は本物ですよ」と、温かな光に包まれ、

呆けている私に優しく微笑んでくださった。

あの光の感触、命を慈しむ温もりを私は今でも覚えている。

それが、本物の聖女の力だった。


けれど、ルチアーナ様は私が教会に来て半年後に天に召された。

それからというもの、どれだけ祈っても、どれだけ修業しても

私には何の力も現れなかった。

「この子は本物」——ルチアーナ様の言葉だけをよすがに、

いつか必ず力が目覚めると信じて、責められる日々に耐えてきた。

けれど十年が経ち、十八歳になっても状況は変わらないままだった。


「それに対し、リディエッタ嬢は違う」


ユーベルト殿下の声が僅かに熱を帯びた。

私は思わず顔を上げた。

玉座の傍らに美しい女性が立っていた。

ブロンドの髪、青い瞳、優雅な立ち振る舞い。

侯爵令嬢リディエッタ・フォン・エーデルシュタイン。

王太子殿下の筆頭婚約者候補だと言われている。


「リディエッタ嬢は、真の聖女の力を持っています。皆様にお見せしましょう」


リディエッタ様はユーベルト殿下の言葉に頷き、ゆったりと一歩前に出た。


「では、お見せいたしますわ」


リディエッタ様が微笑んだ。その笑みには、どこか勝ち誇ったような色が浮かんでいた。

彼女が高く手をかざすと、シャランと銀の三連ブレスレットが華やかな音を立てた。

眩い光が謁見の間を満たした。

金色の光の粒子が舞い、まるで天から降り注ぐ祝福のようだった。

居合わせた貴族たちが息を呑み、感嘆の声を上げる。


「素晴らしい……」

「これが、真の聖女の力……」


私は呆然とその光景を見つめた。

確かに美しい。眩い。

けれど、何かが違う。


この光には温かみがない。

聖なる力特有の命を慈しむような優しさが感じられない。

ルチアーナ様の光は、触れるだけで心が満たされるような温もりがあった。

けれど、リディエッタ様の光は冷たい。

まるで、生命のない宝石が放つ光のようだ。


でも、そんなことを言っても誰も信じないだろう。

現に謁見の間にいる全員が、リディエッタ様の力に心酔している。

本物の聖女の光を知っているのは、この場では私だけなのだから。


「リディエッタ嬢こそが真の聖女です」


ユーベルト殿下が声高に宣言した。


「エミリシア、貴女は聖女を騙った罪により、王都からの追放を命じます」


追放。 あまりの衝撃に言葉の意味が理解できなかった。

だけど、すぐにその残酷な意味を理解し私は愕然とした。


「殿下、私は……」


何か言わなければと口を開いたが、言葉が続かなかった。

私を連れてきたのは教会や王家の人が決めたことじゃないの?

いつ私が貴方たちを騙したの?

でも何と言えばいいのか。

聖印があっても私には奇跡が起こせないのは事実だ。

リディエッタ様にはあんなに眩い光を生み出す力がある。


「弁明はありませんね?」


首を横に振った。

何を言っても無駄だと、直感が告げていた。

ユーベルト殿下の目には、もう私の姿は映っていない。

その視線は、隣に立つリディエッタ様だけを捉えている。


「では、明日の朝、王都を去りなさい。行き先は辺境の村ミューレンベルク。

 王都に戻ることは許しません。反省し慎ましく生活しなさい」


衛兵に促され私は謁見の間を後にした。

廊下を歩きながら、これまでの十年間が走馬灯のように蘇った。

必死に祈った日々。力が現れないことを責められた日々。

それでも、いつか必ず人々を救える聖女になれると信じていた。


その全てが今日で終わった。

王城の敷地内にある神殿も見納めになるのかと、豪奢な白い建物を見上げる。

十年過ごした、聖女になるための修行と生活の場。

与えられていた小さな部屋に戻ると、すでに私の荷物はまとめられていた。

質素倹約こそ美徳だと教えられてきたから、簡素な服と僅かな私物だけ。

聖女の白い衣は、もう二度と袖を通すことはない。



翌朝、粗末な幌馬車に乗せられ、私は王都を出された。

辺境の村、ミューレンベルク。

地図で見たことはあるが行ったことはない。

王都から馬車で三日はかかる辺鄙な場所だと聞いた。


聖女として何も求められなくなることに、寂しさと安堵がこみあげてくる。

祝福をくださったルチアーナ様への申し訳なさだけが

私の心を重くした。

だから、ルチアーナ様への感謝と祈りだけは忘れずに捧げよう。


これからは静かに暮らせる。もう人の目を気にしなくていいんだ。

結果なんて何も関係ない、ただ祈るだけの日々もそう悪くない気がする。

そう自分に言い聞かせながら、私は埃っぽい車内で身を縮めた。

かなり少ない給金を貯めていて良かった。

切り詰めれば5日は食料を確保できそう。



ミューレンベルクは、想像以上に小さな村だった。

石造りの家が二十軒ほど、麦畑に囲まれて建っている。

村の中心には小さな広場があり、井戸と教会があった。


「あんた、旅の人かい?」


井戸のそばを通りかかると、水を汲んでいた老婆が声をかけてきた。


「はい。この村に移住させていただくことになりまして」


「ふうん。よそ者は珍しいねえ。領主様のところに挨拶には行ったかい?」


「まだなんです。先ほどこちらに着いたばかりで。

 領主さまはどちらにいらっしゃるかご存じですか?」


「村の北の屋敷さ。ここらのよりは大き目の建物が見えるだろ?

 レオフィリス様は良い方だからね、きっと泊まる場所も世話してくれるよ」


老婆に礼を言い、教えられた通り私は北に向かった。

屋敷といっても、王都の貴族の邸宅と比べれば随分と質素だった。

二階建ての石造りの建物で、周囲を低い塀が囲んでいる。

門をくぐると、中庭で一人の男性が薪を割っていた。

黒い髪、精悍な顔立ち。質素だが仕立ての良い服を着ている。二十代半ばだろうか。


「あの、すみません」


男性が顔を上げた。青灰色の瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。


「旅の方ですか?」


「はい。この村に滞在させていただきたいのですが、領主様にお会いできますでしょうか」


男性は斧を置いて、汗を拭った。


「ああ、領主なら俺です。レオフィリス・ミューレンベルクと申します」


私は驚いて目を瞬かせた。領主自らが薪割りを?


「驚かれるのも無理はありません。辺境の領主など、こんなものですよ。

 使用人も少ないですし、自分でできることは自分でする。それで、貴女は?」


「エミリシアと申します。事情があって、王都から……」


「ああ、事情は無理に話さなくていいですよ」


レオフィリス様が手を上げて、私の言葉を遮った。


「この村に来る人は、皆、何かしらの事情を抱えてる人が多い。

 いちいち聞いてたら日が暮れるよ。大切なのは、これからどう生きるかです。

 エミリシアさん、貴女はこの村で何をして生きていきますか?」


私は少し考えた。

祈りを捧げるのは私の個人的な決め事だ。

それ以外に村の役に立てることをしなければ。


「人の役に立てることがあれば、お手伝いしたいです」


「それは助かります。村の教会で手伝いをしてもらえますか?」

 シスター・マルタは高齢で一人では大変そうなので、

 住む場所も教会に部屋がありますから、貴女も部屋を探す手間が省けます」


「ありがとうございます! 早速うかがいますね」


レオフィリス様は薪割りを中断して教会までの案内を申し出てくれた。

道中、村の決まり事も教えてもらえた。

おかげで村の人に失礼を働かずに済みそうで安心した。


こうして、私の辺境での生活が始まった。

シスター・マルタは優しい老婦人で、突然現れた私を温かく迎えてくれた。

教会の仕事は掃除や洗濯、村人の相談に乗ること、困りごとの手伝いなど、

地味だが心のこもった対応が必要なものだった。


村の人々は素朴で親切だった。

私がなぜ王都から来たのか誰も詮索しなかった。

ただ、「エミさん」と呼んで普通に接してくれた。


レオフィリス様とも、時々言葉を交わすようになった。

彼は週に一度、教会を訪れて、シスターと村の様子について話し合っていた。


私には毎日欠かさず続けていることがあった。

夜明け前、まだ誰も起きていない時間に礼拝堂へ行き、祈りを捧げる。

ルチアーナ様への感謝と、天上での安らぎを願う祈り。


「貴女が信じてくださったのに、私は聖女になれませんでした」


声に出して呟いた。

あの温かな光で私を祝福してくださったのに、私は教会で何も成し遂げられなかった。

それだけが、今も心に引っかかっている。

力は目覚めないまま終わってしまった。


でも、祈ることだけは続けようと決めていた。

ルチアーナ様が信じてくださった私として、せめて心だけは聖女であろうと。


薄明かりの中、静かに手を組む。

この祈りを誰かに見せるつもりはない。

これは私とルチアーナ様だけの、ささやかな約束だった。


祈りと仕事、そんな心穏やかな日々が一ヶ月ほど続いた頃だった。

ある日の午後、私が井戸で水を汲んでいると、見慣れない商人が近づいてきた。


「おや、珍しい。こんな辺鄙に聖印を持つ娘がいるとは」


男は私の額を注視していた。私は思わず手で額を覆った。


「まさか、追放された偽聖女とかいう……ははあ、なるほど。

 王都で役に立たなかったから、こんな辺鄙な地に捨てられたってわけか」


男の声は大きく、周囲の村人たちの視線が集まった。


「違います」


「違う? じゃあ証明してみろよ。ほら、奇跡の一つでも起こしてみせろ」


「その必要はありません」


低い声が響いた。レオフィリス様がすぐそばに立っていた。


「この村の住人に対し、無礼な物言いは許しません。

 商人、名を名乗りなさい」


男は一瞬怯んだが、すぐに不遜な笑みを浮かべた。


「へえ、辺境の領主様がお出ましか。俺はただ事実を——」


「事実?」


レオフィリス様が一歩前に出た。


「貴方が知っているのは、王都で流れた噂だけでしょう。

 この村で、エミリシアさんがどれだけ人々のために働いてくれているか、

 貴方は何も知らない」


「しかし聖女として」


「エミリシアさんは、この村の大切な住人です。

 それ以上でも以下でもない。

 商売を禁止されたくなければ、すぐに立ち去りなさい」


さすがに商いを禁止されたくはないのだろう、

男は捨て台詞を吐いて去っていった。


「大丈夫ですか、エミリシアさん」


レオフィリス様が優しく声をかけてくれた。


「はい……ありがとうございます」


「この村では、貴女は貴女自身でいればいい。過去の肩書きなど関係ありません」


その言葉に、胸が温かくなった。ここには、私を守ってくれる人がいる。

またあの商人にからまれたら大変だと、レオフィリス様に付き添われて教会に戻った。


教会の小さな応接室で、シスター・マルタが淹れてくれたお茶を飲む。

レオフィリス様も一緒だった。


「あの商人は以前から各地で悪評が高いんです」


レオフィリス様が眉を顰めた。


「詮索好きで、人の噂を売って歩く。エミリシアさんのことも、

 王都で仕入れた話を面白おかしく言いふらすつもりだったのでしょう」


「すみません、ご迷惑をおかけして」


「謝る必要はありません」


レオフィリス様が真剣な顔で私を見た。


「エミリシアさん、貴女は何も悪くない。

 王都で何があったのか、俺は知りません。

 でも、貴女がここで一生懸命生きていることは知っています。

 それで十分です」


「レオフィリス様……」


「この村の人々も、貴女のことを大切に思っています。

 だから、もっと自信を持ってください」


彼の言葉に、涙が溢れそうになった。

追放されてから、誰も私の味方になってくれなかった。

でも、ここには私を信じてくれる人がいる。


「ありがとうございます」


「礼を言われることではありません。当然のことです」


レオフィリス様は優しく微笑んだ。


「それに、俺自身が……エミリシアさんに、

 この村にいてほしいと思っているので」


その言葉の意味を考えようとした時、

シスター・マルタが部屋に入ってきた。


「あら、お二人とも良い雰囲気ね」


シスターのいたずらっぽい笑顔に、

私とレオフィリス様は慌てて視線をそらした。



いつもの礼拝堂の掃除を終え、明日の礼拝の準備を始めようとした、そのとき——


「エミさん、大変なの!」


教会の扉が勢いよく開いて、村の娘が飛び込んできた。


「どうしたの、アンナ?」


「村の子供たちが、急に熱を出して倒れているの! もう十人以上……」


疫病!? 私は立ち上がった。


「案内して」


村の診療所代わりの集会所に、病気の子供たちを抱いた母親が集まっていた。

見ればどの子も高熱で苦しそうにうめいている。

付き添いの母親たちは、不安そうな顔で子供を看病していた。


「医者は?」

「隣町に呼びに行ったけど、今日は来られないって……」


私は子供たちのそばに膝をついた。額に手を当てると、焼けるように熱い。

どうすればいい?

薬草は? 水分は? 冷やすのは?

頭の中で神殿で学んだ知識を必死に引き出す。

落ち着いて、まずできることをしなければ。


「水をたくさん飲ませて。体は冷やさないように。

 でも熱さは感じてるだろうから、

 少しでも苦痛を和らげるよう濡れた布を額に当てて」


私は村人たちに指示を出した。

それから、一人ひとりの子供のそばに座り、手を握った。


「大丈夫よ。すぐに良くなるから」


優しく声をかけながら、額を撫でる。

夜が更けた。子供たちの熱は下がらない。


このままでは……。


私は目を閉じて、祈った。

神様、どうかこの子たちをお救いください。

何度も何度も祈った。でも、何も起こらない。

やはり私には、力がないのだ。

絶望が胸を満たしかけた時、一人の幼い女の子が激しく咳き込み始めた。

呼吸が苦しそうだ。


「この子が一番危ないかもしれない……」


誰かの言葉に、その子の母親が泣き崩れた。

私は迷わず女の子を抱き上げた。小さな体が、熱で震えている。


「お願い……死なないで……。ルチアーナ様、私はどうすれば⋯⋯」

 「助けたい。神様、どうか、どうか力をお貸しください……」


その時だった。

胸の奥から何かが溢れ出した。

温かい光が私の体から女の子へと流れ込んでいく。

それは私が初めて感じる感覚だった。

命を慈しむ、優しい光。

女の子の呼吸が落ち着き、熱がみるみる下がっていく。


「嘘……」


母親が目を見開いた。

私は女の子をそっと母親に返すと、次の子供のもとへ向かった。

一人、また一人と、子供たちに手を当てる。

光が、私の手から溢れ出す。

これが、聖女の力。

ようやく、目覚めたのだ。


朝日が昇る頃には、全ての子供たちの熱が下がっていた。

集会所の外で、レオフィリス様が難しい顔をして待っていた。


「エミリシアさん」


疲れ果ててふらついた私を見て、レオフィリス様が慌てて肩を支えてくれた。


「貴女はやはり……」


やはり。レオフィリス様は私のことを知っている。

彼は領主だ。得体のしれない人間を調べもせず、

易々と教会に住まわせたりはしない。

知ってても、あの商人の言葉を否定してくれたのだ。


「今日の事、誰にも言わないでくださいますか?」


「なぜです?その力があれば、汚名を雪げるでしょう。

 王都でもやっていける。教会での地位も得られるはずです……」


私は首を横に振った。

そんなものはもう私には必要なかった。

この優しい辺境の人たちと過ごす日々のほうが大切なのだ。

汚名を返上するよりもずっと。


「王都には、もう戻りたくないんです。

 戻るなと言われましたし、戻りたい場所もありません。」


レオフィリス様は何も言わず、ただ頷いてくれた。



村の子供たちの経過をレオフィリス様と見て回る。

みんなあの苦しそうな姿が嘘のように元気だった。

駆け回り、笑い合い、母親たちを困らせている。

私はちゃんと治癒できたんだ。


「エミさん、ありがとう!」


一番重篤だった女の子が私に抱きついてきた。

昨夜、この子の小さな体が熱で震えていたことを思い出す。

もう助からないかもしれないと思った。

でも今、この子は私の腰に腕を回して、満面の笑みを浮かべている。


「元気になってよかった。でも、まだ無茶はしちゃだめよ」


頭を撫でると、女の子は照れたように笑って母親のもとへ駆けていった。


「エミリシアさんのおかげです」


レオフィリス様が静かに言った。


「この村は医師がなかなか居ついてくれず、いつも隣町まで出るしかなかった。

 急な病には間に合わないことも多かった。貴女のおかげで誰も失わずに済んだ」


村の宝である子供を救えた喜びは何物にも代えがたい。

けれど、それ以上に胸を打ったのは、レオフィリス様の次の行動だった。

彼は深々と頭を下げた。辺境とはいえ領主が、私のような者に頭を下げるなんて。


「ありがとうございます。本当に」


「レオフィリス様、お顔を上げてください」


慌てて彼の肩に手を伸ばしかけて、はたと止まる。

触れていいものか分からなかった。

レオフィリス様が顔を上げると、私たちの距離が思いのほか近いことに気づいた。

青灰色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。


「まだ、私は力が安定して使えるか自信がありません。

 でも、できる限りのことはしたいです。この村のために」

「力は……使えるに越したことはないかもしれません」


レオフィリス様は少し言葉を選ぶように間を置いた。


「でも、無理はしないでください。貴方だって大切な村の住人なのですから」


大切な、という言葉が胸をくすぐる。

私も村の住人として認められているのが嬉しい。


「それに……」


レオフィリス様が視線を逸らした。

普段は堂々としている人なのに、どこか落ち着かない様子だった。


「貴方が倒れたら、困るのは村だけではないので」


その言葉の意味を問い返す前に、レオフィリス様は歩き出してしまった。

私は慌てて後を追った。


「レオフィリス様、今のはどういう……」

「次の家に行きましょう。まだ半分も回っていません」


はぐらかされた。

でも、彼の耳がわずかに赤くなっているのを私は見逃さなかった。

不思議と、嫌な気持ちはしなかった。


あの何もできず、責められた日々。

「役立たず」「偽物」と蔑まれた十年間。

その苦しかった思いが、少しずつ溶けていくのを感じた。


ここでは、私は私のままでいい。

力があってもなくても、私を見てくれる人がいる。

それが、どれほど救いになることか。

立ち止まっていた私に、レオフィリス様が振り返った。


「エミリシアさん、どうかしましたか?」


逆光の中、彼の姿がやけに眩しく見えた。


「いえ、何でもありません。行きましょう」


小走りで追いつくと、レオフィリス様は何も言わずに歩調を緩めてくれた。

並んで歩く。肩が触れそうで触れない距離。

それが今の私たちには、ちょうどよかった。



それから数日後、レオフィリス様に呼ばれて私は屋敷を訪れていた。


「エミリシアさん、貴女と話があります」


応接室に通されると、レオフィリス様が真剣な顔で私を見つめた。


「実は、王都から使者が来ました。王太子殿下が、重病に倒れたと。

 リディエッタ様の治療では効果がなかったそうです。

 それどころか、殿下の容態は悪化している。そして……」


レオフィリス様が言葉を切った。


「リディエッタ様自身も、体調を崩しているとのことです。

 使者は、この辺境にも聖女を探しに来ました。

 私は、貴女のことは話していません。でも……」


「行かなければ……なりませんね」


黙って聞いていたが、私は静かに言った。

レオフィリス様が驚いたように顔を上げた。


「エミリシアさん、貴女を追放した相手ですよ。放っておいても……」


「それは、できません」


私は首を横に振った。


「私は聖女です。人の命を見捨てることはできません。

 誰が許すと言っても、神と、何より私自身が許せません。

 たとえ、その人が私を傷つけた人でも」


レオフィリス様は長い間、私を見つめていた。

その表情には、怒りとも悲しみともつかない複雑な感情が浮かんでいた。


「貴女を追放した相手ですよ」


静かだが、強い声だった。


「貴女を偽物と断じ、弁明の機会すら与えず、王都から追い出した。

 そんな人間のために、なぜ貴女が命を削らなければならないのですか」


「でも、私は聖女です」


「聖女である前に、貴女は一人の人間です」


レオフィリス様の声が少し荒くなった。

普段冷静な彼がこんな感情を露わにするのは、初めてだった。


「あの連中のために傷つく必要はない。

 貴女には……貴女には、ここで穏やかに暮らす権利がある」


その言葉が胸に染みた。

私のことを、こんなにも考えてくれている。

でも、だからこそ。


「レオフィリス様、ありがとうございます。そう言っていただけて、本当に嬉しい」


私は真っ直ぐに彼の目を見た。


「でも、私は行きます。王太子殿下のためではありません。私自身のために」

「……貴女自身の?」

「見捨てたら、私は一生後悔する。あの人たちと同じになってしまう。

 助けられるのに助けなかった人間に。だから、行かせてください」


レオフィリス様は何も言わなかった。

ただ、苦しそうに眉を寄せて私を見つめていた。

長い沈黙の後、深く息を吐いた。


「……分かりました。では、私も同行します」


「え? でも、領地のことが……」


「数日なら問題ありません。シスター・マルタと村の者たちに任せます」


「でも……」


「貴女一人で行かせるわけにはいきません」


レオフィリス様が一歩近づいた。

「貴女が決めたことを止める権利は、俺にはない。

 でも、せめて傍にいさせてください。何かあった時に、貴女を守れるように」


「……ありがとうございます」


「礼には及びません。俺が、そうしたいだけですから」


レオフィリス様は照れたように視線をそらした。

その横顔を見て、私は思った。

この人がいてくれるなら、どこへでも行ける。

たとえ、あの冷たい王都であっても。



三日後、私たちは王都に着いた。

王城の一室に、ユーベルト殿下とリディエッタ様が横たわっていた。

二人とも顔色が悪く、生気がない。

侍医が私に説明した。


「リディエッタ様が治療の儀式を行った際、何かが起きたようです。

 殿下の容態が急変し、リディエッタ様もその場で倒れました」


私は二人のそばに近づいた。

手をかざすとすぐに分かった。

二人の体内にどろりとした禁術の残滓が溜まっている。

生命力を蝕む暗い力だ。


「これは……」


リディエッタ様が身に付けている銀のブレスレットに

暗い力の痕跡が強く残っている。

これは魔道具だ。禁術を付与していた?


私は銀のブレスレットに手を当てた。

ゆっくりと慎重に聖女の力を流し込む。

暗い力が光によって浄化されていく。

二人の呼吸が安定し、顔色が戻ってくる。

でも、完全には消えない。

禁術の根は深い。これ以上は私には無理だ。


「できる限りのことはしました」


私は侍医に向かって言った。


「でも、禁術の力は根が深くて……これ以上は……」


首を横に振り言葉を濁す。

侍医が深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。命を救っていただいただけでも……」


二日後、ユーベルト殿下が目を覚ました。

リディエッタ様も意識を取り戻した。

しかし、二人とも完全には回復しなかった。

殿下は右半身に麻痺が残り、言葉がうまく出てこないようだった。

かつて私を冷たく断罪した、あの流暢な弁舌は失われていた。

自力で立つこともできず、食事にも介助が必要だという。


リディエッタ様はさらに深刻だった。

禁術の反動で魔力の源が焼き切れ、二度と魔法を使えない体になっていた。

あの眩い金色の光を放つことも、もう叶わない。

強い倦怠感に苛まれ、数刻起きているだけで寝込んでしまうほどだという。

華やかな社交界の花と謳われた美貌も、病で窶れて見る影もなかった。


「聖女の力」を失ったリディエッタ様との婚約は、当然のように解消された。

エーデルシュタイン侯爵家は、娘の禁術使用が露見したことで宮廷での立場を失った。

リディエッタ様は侯爵家の辺境領へ送られ、静養という名の軟禁生活を送ることになるという。


ユーベルト殿下は、王位継承権を放棄した。

国を治める力も、民の前に立つ体力も、もはや残っていなかった。

弟君が新たな王太子となり、殿下は静養地の離宮で一生を終えることになった。

かつて私を「偽聖女」と断じた二人が、今や誰の目にも触れない場所へと消えていく。

皮肉なものだと思った。



意識の回復を確認してすぐに私は城を後にした。

レオフィリス様が、門の前で待っていてくれた。


「帰りましょうか、エミリシアさん。ミューレンベルクに」


「はい。……レオフィリス様」


「はい?」


「これから、ずっと一緒にいてくださいますか?」


レオフィリス様が立ち止まり、私の手を取った。


「もちろんです。貴女が望むなら、一生」


私たちは王都の門を出て、乗り合い馬車の発着場へ向かった。

手を繋いだまま、二人とも顔を見合わせられずに歩く。

自分でも驚くほど大胆な言葉を口にしてしまった。


気まずいけれど離れがたくて、寄り添ったまま馬車に乗り込んだ。

横目でレオフィリス様を見ると、普段は冷静な彼の耳まで赤くなっている。

それに気づいて、私も頬が熱くなった。

お互い照れてしまい、沈黙が続いたが、繋いだ手だけは離さなかった。


しばらくして、ミューレンベルク行きの馬車が走り出す。


王都は、もう戻りたい場所ではなかった。

今の私には戻れる場所がある。戻りたいと心から思える場所がある。

辺境の小さな村。そこに、私の居場所がある。

そして、私の大切な人がいる。




命を見捨てなかった。浄化はした。治癒は。



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