風
「こんにちは!」
その男は即席の笑顔で近づいてきた。
「今ヒマですか? もしよかったらそこでお茶でもしません?」
ナンパだ。
「急いでるんで、すみません」
「ちっ、ブスのくせに⋯⋯」
足早にその場を離れると、また別の男が近づいてきた。
「あの」
声をかけられる。
「どこ行くんですか?」
「どこでもいいでしょ」
「え〜気になるなぁ〜」
「すいません、急いでるんで」
まったく、雨だというのに羽虫の多い街だ。
「ただいマスカルポーネ蕎麦湯」
誰もいない部屋に帰宅の挨拶をすると
「おかえリッチーブラックモア大先生」
高音質の幻聴が出迎える。
テレビをつけると、猿が木の上からカニに柿を投げつけるシーンが映った。実写で。
「はぁ⋯⋯」
昔からため息ばかりの人生だった。
日に2度もナンパされるなんて、私はそんなにも「いけそう」なんだろうか。
⋯⋯⋯⋯またブスって言われたなぁ。
慣れてるはずなのに、やっぱりつらい。
昔からあだ名がずっとブスだった。
小学校中学校では、男子たちにすれ違いざまに「ブス!」と叫ばれることが多かった。
高校2年の時、同じクラスだった奥田和実に言われた「服は可愛いけど、顔はオバサンみたいだよね」という言葉が忘れられない。友達だと思っていたのは私だけだったんだ。
今の職場では歓迎会で偉いおじさんに「ふかわりょうのほうが美人」と言われて以来ずっとブスキャラだし、ブスの大会があったら優勝間違いなしだ。
眠し。激眠し。
「おやすミ〜ンミンミンミンミ〜ン⋯⋯ジィィィ〜〜〜⋯⋯」
誰もいない隣の布団に挨拶をする。
「おやすミソ」
スッキリした幻聴。
そんな毎日だ。ブスと言われても、それはいつもとなんら変わらない、風のように過ぎていくだけの日々の一部。背景がなんか喋っただけ。明日には忘れる。忘れる。忘れる。忘れろ。
╲クックドゥードゥルドゥー╱
「おはよウニキャビアフォアグライクラホットケーキ軍艦」
寂しさゆえに。
「おはヨン様!」
シュッとした幻聴。
顔洗って歯磨いて、パン食べて、化粧して、出勤や。毎日めんどくさ。生きるのめんどくさ。
「あの」
歩いていると、後ろから声をかけられた。こんな朝からナンパ? 断ったらまた酷いこと言われるのかな。やだな⋯⋯
振り返ると、爽やかイケメンがいた。
「これ、落としましたよ」
彼の手には私のハンカチーフがあった。
「あ! ありがとうございます!」
人の善意に触れるのが久しぶりすぎて、少しテンパってしまった。
「いえいえ、どういたしまして」
そう言いながら、私の顔を見つめる男性。あんまり顔見られたくないんだけどな⋯⋯
「あの⋯⋯」
「あっ、すいません! ちょっと知り合いに似てる気がして⋯⋯えーっと誰だったかな⋯⋯」
あー、このパターンね。分かってますよ、あのブサイク芸人に似てるんでしょ。それ知り合いじゃなくて芸能人ですよ〜微妙に記憶違いですよ〜って教えてあげたいけど、それ言っても空気悪くなるだけだし、もし自力で思い出しても言わないだろうし、この時間ただの無駄な
「思い出した!」
あー、思い出したのね。はいはい。
「俺の初恋の人だ!」
はいはいワロタワロタ⋯⋯⋯⋯え? 初恋の人って言った?
「あ〜思い出せてスッキリした〜! それじゃ!」スタタタタ
ああ、行っちゃった⋯⋯




