第一話 清掃員ヤマモト
第1章「朝、清掃員ヤマモト」
アラームが鳴る前に目が覚める。
窓の外はまだ灰色。朝ってやつは、ここアッシュシティじゃただの“少し明るい夜”にすぎねぇ。
ベッドは簡易ポッド。温水循環と空気清浄の機能だけがまともに生きてる。
外装は割れてるし、壁に貼ってる保温フィルムも数年前の冬から剥がれたままだ。
でも寒くはない。義体の神経じゃ、寒さってのは“過去の記憶”でしか感じられない。
「……よし」
声に出す。意味なんてない。
ただ朝に言う言葉ってのは、脳みそを“起動”させるスイッチみたいなもんだ。
コンロの上の鍋に水を入れて、栄養カプセルを溶かす。
色は灰色。味は無。
それでも、流し台に手を置いてスチームを吸う瞬間だけは──
なんとなく、生きてる気がするんだ。
義眼を調整して、制服に袖を通す。青地に黄帯。市の“都市維持局”のマークは掠れて見えない。
だが、この服を着てる限り、誰にも文句は言われねぇ。
ドアが開く。空気が重い。
でも、その重さすらも、もう慣れちまった。
「第六班、清掃開始。区域B-12から」
記録端末が無機質に言う。誰も聞いてない。だけどログには残る。
それが“仕事”ってやつだ。
俺は清掃員──ヤマモト。
たまに配達ドローンとすれ違うくらいで、誰とも話さない日が続く。
吸引ユニットを起動させ、路面の油と屑鉄を収集していく。
通りの片隅には、昨夜撃たれた誰かの義体が転がってる。上半身はなくなってた。
警察も企業も見向きもしない。そういうのは“清掃員”の仕事だ。
ゆっくり近づき、スキャンする。違法モジュールや爆薬がなければ、そのまま吸収ユニットで回収。
チャリン、と音がした。義眼が転がった。
「……いい出来だな」
つい、そう呟いた。
壊れていなければ部品取りに使える。
俺には趣味があるんだ。
夜中、自宅の裏でスクラップ義体を組み立てる。
壊れた腕、動かない脚、メモリが抜けたAI──
それを少しずつ繋ぎ直していく。
それで何かになるわけじゃない。
でも、それだけが**“時間が進んでいる”って感じられる瞬間なんだ。**
「……今日も、まあまあだな」
見上げた空は、ただの薄灰色。
明日も、たぶん変わらない。
崩れかけた柵の向こうに、古いクロームの残骸が積まれている。
酸化した鉄の匂いと、油が混ざった腐臭。
いつもと同じ光景だ。
けど、その山の中に──光ってるものがあった。
球体。
義眼だ。クローム製。
拾い上げて、布で軽く拭いた。
傷がない。
まるで新品みたいに、光沢を残していた。
そんなはずはない。
こいつは間違いなく“死体の山”から出てきたんだ。
スキャンしてもデータはなし。反応ゼロ。
でも……見た気がした。
金庫室のドア、積まれた札束、点滅するランプ。
一瞬だけ、脳に焼きついた“映像”のようななにか。
「…………」
義眼をもう一度見つめた。
ただの部品にしか見えない。
……まあ、いいか。
拾ったものは、持ち帰る主義だ。
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第2章「静かなずれ」
二日目の朝も、灰色だった。
ポッドの中で目を開けて、空気の流れを感じる。循環音が、いつもより少しだけ高い気がした。
でも多分気のせいだ。
栄養カプセルの味が、今日は妙に渋かった。
湯の温度が不安定で、舌を少し火傷した。
「昨日のが古かったのか……」
言いながら、苦味を口の中で転がす。
だが、パッケージは新品だったはずだ。
……まあ、いいか。
制服に袖を通し、清掃班ログを起動。
「第六班、清掃開始。区域B-13、時刻05:11」
今日は裏路地だ。ドローンの進入が制限されてるせいで、人間の足が必要になる。
この街にまだ“人手”が求められてることが、妙にありがたく感じる朝だった。
地面に広がった油のシミを吸い上げ、割れた義手の破片を拾い集める。
その中に、小さなメモリチップが混ざっていた。
濡れていたけど、スキャンすると何か反応があった。
「……?」
小さなノイズが、頭の中でパチッと弾ける。
たぶん、義体の同期系が反応しただけだ。
でも──
一瞬、見えた気がしたんだ。
薄暗い部屋。鋼鉄の箱。緑色のランプが点滅して──
いや、違うな。そんなもん、どこにもなかった。
俺は頭を振る。気圧のせいだ。
昨夜拾った義眼を机に並べていたことを思い出して、思わず笑ってしまった。
あんなにピカピカの義眼が、使い物にならないなんて。
映像データも空っぽ。
スキャンした時は何かが見えた気がしたけど──
気のせいだ。
そうに決まってる。
「……なあ」
自分でもなぜ口を開いたのか分からなかった。
誰もいない部屋に話しかけるように、俺は呟いた。
「本当に、何もなかったよな?」
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第3章「少しだけ遠回り」
三日目の朝。
出発予定時刻を五分だけ過ぎた。
いや、寝坊したわけじゃない。ただ、義眼のケースを探してたんだ。
あの眼球、まだ捨てていない。
何の映像も残ってないはずなのに、気になって仕方がなかった。
昨夜もずっと机の上で転がしてた。
角度によって、光の反射が変わるんだ。
青白く……それも、なんというか、記憶の中の光みたいな……
「やめだ」
声に出して、義眼を布に包んで作業着の内ポケットにしまう。
清掃班の端末にログイン。
表示された巡回ルートはB-14──
でも、今日は少し遠回りしてB-12から回ることにした。
あの倉庫街の裏手。
“偶然”通りかかった、ってことでいい。
警備ドローンはルート逸脱を感知したが、巡回理由を“インフラ点検補助”に切り替えてごまかした。
清掃員ってのは便利だ。街のどこを歩いても不審に思われない。
……ただ、誰からも見られていない限り。
B-12の裏路地。崩れかけた倉庫群。
昨日と同じような光景。でも──
「あれ?」
ドアの錠前が変わっていた。
さびついて、もう何年も使われてないように見えたのに。
スキャンすると、反応はゼロ。デジタルロックじゃない。
ただの鉄。
それでも、昨日はなかった。確かに。
義眼を取り出して、そっとかざす。
光が、跳ね返る。
……見えた気がした。
あの部屋、また。
鋼鉄の箱、スチールの床、緑のランプ。
だが、目を離すと──ただの壁だった。
「…………」
そのまましばらく立ち尽くしていた。
何かを思い出そうとしていたのか、それとも……忘れようとしていたのか。
夕方、ログのタイムスタンプを見て、俺はようやく我に返った。
今日、清掃……ほとんどやってねぇじゃないか。
「おいおい、さぼってる場合かよ」
笑った声が、かすかに裏返った気がした。
胸ポケットの中で、義眼が、少しだけ熱を持っていた。
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第4章「映像の続きを探して」
義眼の中に映っていた“何か”──あれが何だったのか、やっぱり分からない。
だけど、気づけば、俺は毎晩あの映像を思い返してた。
スキャンには何も残っていない。
なのに目を閉じると、あの緑のランプが点滅してるのが見えるんだ。
……記憶なのか?妄想なのか?
清掃作業の合間、他人の義体を見ても、同じような反応は出ない。
でも、あの義眼だけは──まだ熱を持ってる気がする。
「第六班、B-15清掃完了。次、B-16」
端末が喋る。
声が、今日は妙に高かった。
ノイズか?
いや、ただの聞き間違い。たぶん。
昼の休憩時間、俺はポッドに戻らず、倉庫街のベンチで過ごした。
あの路地の前。
鍵のかかった鉄扉は、今日も同じ場所にある。
……いや、ほんとに?
先週まで、あんな扉あったか?
このあたり、清掃ルートで何度も来てる。見逃すはずがない。
見間違い?
……違うな。
義眼を取り出し、じっと見つめる。
何も表示されない。でも、まぶたの裏に浮かぶんだ。
ドアが開く。
金属の床。山積みの札束。
あの映像に続きがある気がしてならない。
「……開けたい」
俺は思わず、そう呟いていた。
義眼が、かすかに温度を変えた。
その夜、眠れなかった。
ベッドに寝転がっても、天井が金属の壁に見えた。
心拍が一定じゃなかった。義体のバランサーが誤作動を起こす。
頭の中に、ドアの音が鳴っていた。
開く音。閉まる音。開く音。閉まる音。
開けろ。
開けろ。
開けろ。
あの金さえあれば──
「……くそ、寝れねぇ」
夜のポッドで、俺は起き上がり、机の引き出しを開けた。
工具を出す。
義眼をテーブルに置く。
ゆっくりと、分解を始めた。
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第5章「視界のゆがみ」
義眼を分解した夜から、夢を見るようになった。
俺は義体だから、普通は夢なんて見ない。
脳の大半は記録補助と並列処理に置き換えられてる。
昔の睡眠みたいな“夢”はもう失われた機能のはずなんだ。
けど、あれは夢だった。
錆びた鉄扉が開いて、中に光が差して──
紙幣が風に舞って、誰かが、誰かが俺の名を呼んでいた。
目覚めたとき、掌が濡れていた。
汗、ではなかった。
オイルだ。
ポッドの縁を触った指に、義眼の潤滑剤が付着していた。
昨夜、作業机に置いたはずなのに──なぜここに?
「……入ってたのか?」
俺の眼を、義眼が“覗き返した”気がして、慌てて鏡を見た。
違う。まだ、自分の目だった。
けど、白目の奥が少し、焼けたように赤くなっていた。
視界に微かなノイズが走る。
ふわりと、世界がブレた。
……そして──見えた。
鉄の床。
緑のランプ。
数字のキーと、真新しい金庫。
ノイズじゃなかった。
あれは、“続き”だった。
あの金庫は本当にある。
まだ開いてない。
開けるにはコードがいる。
「スキャン……できるか……?」
手が勝手に、義眼をスロットにかざす。
義体にはない、生身の手のような震えを感じた。
義眼は反応しない。
けど俺の中で、映像が勝手に再生された。
画面の中の俺が、金庫の前に立っている。
「……俺か?」
記録じゃない。これは……何だ?
データじゃない。これは予告だ。
“この先に、あの金庫がある”──それを、義眼は俺に教えている。
俺は選ばれたんだ。
他の誰にも、見えていない道。
それを見つけたのは俺だ。
それだけで、胸の中が熱くなる。
息が速くなり、視界の輪郭がぼやけていく。
今日の巡回?
清掃班の記録?
そんなもん、どうでもいい。
俺はもう、あの金庫の番人なんだ。
手に入れなきゃいけない。
あの金を──あの場所を──俺が……
「俺が開けるんだ……俺だけが……!」
⚔️第6章「クロームの騎士」
ツナギの上に、作業用の外骨格を装着した。
排熱ユニットは歪んでて、本来は回収班の重作業用だ。
だけど今の俺には、ちょうどいい。
パワーアシストのバックパックに、バッテリーを二枚差し込む。
高負荷運用は禁止されてる。けど──今夜は特別だ。
義眼をポケットから取り出す。
いつの間にか、それを“目”じゃなくて**“勲章”**みたいに扱ってる自分に気づいていた。
右胸の作業ポケットに、布で包んで丁寧に収める。
スキャン機とフラッシュランプを腰に吊るし、電気ノコとバールを背中に固定する。
「清掃班、装備完了──区域、G-11。任務内容:不明物回収、重要区画防衛」
自分で自分に命令を出す。
誰も聞いてない。でも、いいんだ。
だって俺は今、英雄の任務に就いてる。
倉庫街へ向かう途中、複合企業のパトロール隊がいた。
話しかけられた。たぶん、警戒された。
俺は「作業中だ」とだけ答えた。
……会話の内容は覚えてない。
ただ、俺が金庫の座標に近づいていることは確かだった。
義眼が、微かに震えてる。
ポケット越しに、鼓動のような振動が伝わる。
あの金が、俺を待っている。
誰にも渡すわけにはいかない。
俺が、守らなきゃいけない。
倉庫の裏口に着いたとき、スチールの扉が──
初めて、“開いていた”。
……誰かが入った?
違う。俺を迎えたんだ。
これは、通過儀礼だ。
英雄が聖域に足を踏み入れる瞬間。
奥へ進む。
赤外線ランプが点滅してる。古い防衛ドローンが休止状態で壁に沈んでる。
俺の存在をスキャンしていない。
認識されてない──じゃない。
俺が“仲間”として識別されたんだ。
ヤマモトは、ただの清掃員だった。
でももう違う。
今の俺は、
クロームの騎士だ。
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最終章「ただひとつの光」
奥は、思ったより狭かった。
義眼に焼きついた映像よりも、ずっと。
でも、あるはずだった。
あの金庫が。
あの山積みの紙幣が。
「…………」
錆びた床にひざをつく。
呼吸が重い。
冷却ファンが異音を立てて回る。
義眼を取り出し、静かに覗き込む。
中では、まだ──緑のランプが点滅していた。
見えるんだ。
俺の目には、確かに。
金庫の扉が、ゆっくりと開いて──
光が、溢れて……
「おい、そこのヤツ」
後ろから声がした。
ハッと振り返ると、武装した複合企業の保安部隊が数人、銃を構えて立っていた。
「識別コード不明。挙動異常。排除対象を確認──」
「待て……俺は……英雄だ……」
「発砲許可、降りました」
ヤマモトの背中に、電磁衝撃弾が撃ち込まれる。
その場に崩れ落ちると、装備がガシャリと音を立てて散った。
義眼が、ポケットから転がり出る。
コンクリートに当たって、転がって──
光を反射した。
保安隊のひとりが拾おうと手を伸ばしたが、
上官が止めた。
「やめとけ。データ残ってるかもしれん。焼いて廃棄しろ」
「でも、中に何か──」
「関係ない。こいつはもう“なかった”ことにされてる」
数時間後。倉庫は封鎖された。
ヤマモトの名前は報告書に載らず、死亡ログも記録されなかった。
義眼は焼却炉に投げ込まれ、音もなく消えた。
だが──その義眼が映していた最後の映像だけが、なぜか記録ファイルに残っていた。
鉄の箱、揺れるランプ、そして……
微笑んだヤマモトが、金庫の前に立っていた。