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悶々日記  作者: 平井淳
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04_2025年6月某日

 七月に大災害が起こるらしい。

 誰が言い出したのか知らない、そんな不確かな話を、私は今、半分ほど信じてしまっている。滑稽だと思うだろう。私もそう思う。

 しかし、近頃の私は実に脆い。何もかもが不安でたまらず、ちょっとした噂話さえも、胸の奥にじくじくと染み入ってくるのだ。


 これまでは、そんな話を鼻で笑い飛ばせた。予言だの、終末思想だの、そんなものは詐欺師の口上にすぎないと決めつけていた。しかし今の私は違う。私は弱くなった。ひどく、ひどく弱くなってしまった。

まるで、世界の終わりを心のどこかで待っているような気持ちさえ、ある。


 楽しいことなんて、一つもない。

 私はもう、生きることに何の期待もしていない。世界は壊れている。経済は不安定だし、遠い異国では今日も誰かがミサイルに吹き飛ばされているらしい。

 それに比べて、私の平穏な日々など、どれほど脆いことか。この日常がある日突然、音もなく崩れ去ることを思うと、私はただ黙って震えるしかないのだ。


 最近はよく考える。

 ――私の人生、もうピークは過ぎてしまったのだろうか。

 この先に、何か楽しいことが起こるだろうか。誰かが私を愛してくれる日が来るのだろうか。

 そんな問いにすら、私は答えることができない。気力も、体力も、希望も、何もかもが少しずつ削れてゆく。


 もし、本当に七月に大災害が起きて、すべてが終わるとしたら。

 私は叫びたい。「この人生、なんだったのだ」と。

 真面目に通った職場、つつましく続けた節約、健康のための慎ましい食事。それら全てが、馬鹿みたいに滑稽な行為として、瓦礫の下に埋まってしまうのか。


 それでも――それでも私は死にたくないのだ。

 不思議なことに。

 こんなにも生きづらく、救いのない世界なのに。私は、まだ死にきれない。納得していない。

 この中途半端なまま、人生を閉じることなど到底できない。私はまだ、自分の生き様を諦めたくないのだ。


 仮に災厄を生き延びたとしても、世の中は荒れ果てていることだろう。

 行きつけのコンビニも、満員の電車も、気だるいオフィスも、すべてが泥と火に塗れるかもしれない。それでも私は、生き延びる準備をしてしまった。

 保存食と非常用トイレを買い込んで、まるで意地のように。――なんと人間らしい行為だろう。

 私は、まだ自分の命を手放せないのだ。それが少し、可笑しくて、少し、安心だった。


 明日が恐い。未来が恐い。死ぬのが恐い。

 恐怖と恐怖の間に挟まれ、私はぺしゃんこになっている。

 ああ、できることなら、恐怖という感情を取り外して、机の引き出しにでもしまってしまいたい。

 私はただ、愛と勇気だけが欲しかったのに。今、私にはどちらもない。


 こんな臆病なまま、何もできずに、時代の渦に飲まれて死ぬだなんて。

 そんな終わり方は、まっぴらだ。


 今日も、私は仕事に行った。

 大災害が起きれば、仕事など無意味だというのに。

 それでも、私は明日も、会社へ行く。

 それが滑稽だと知りながらも、私は行く。

 たとえ可能性が1パーセントでも――未来が続くその可能性が、ほんの僅かでもある限り、私はこの人生から、逃げ出すことを許されないのであった。



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