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悶々日記  作者: 平井淳
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03_2025年6月某日

 私はどうしようもなく、弱い。

 ストレスを感じると、つい、口が勝手に食べ物を求めてしまう。しかも、それが困ったことに「米」である。パンでもパスタでもない、米。コンビニのおにぎりが、まるで私を見透かしているかのように棚の中央で光って見えるのだ。ええ、私は今日も、その誘惑に敗北した。


 健康には気をつけているつもりだった。いたって真面目に、節制などという言葉も理解しているつもりだった。

 だが、気がつくと私は、おにぎりを二個も買っていた。いつものようにサラダチキンを添えることすら忘れ、米、米、そして米。無意識にそれを選んでいた。昔に比べて、食べる量は確かに減った。にもかかわらず、何かを詰め込まずにはいられないのだ。

 空腹ではない。心が飢えている。


 体重は、二十歳の頃に比べて十五キロも落ちた。

 ある年、突如として減量に取り憑かれ、糖質制限にのめり込んだ。炭水化物を敵と見なし、米もパンも麺も断ち、鶏むね肉とササミばかりを食べていた。あれはなんだったのだろう。いま思えば、あの禁欲的な食生活も、ある種の自傷行為だったのかもしれない。


 あれから五年。少しは食事量も増やし、筋トレなどというものにも手を出した。五キロ戻ったが、それ以上は増えていない。人からは「努力家」と見られているのかもしれない。

 だが私は知っている。これは努力などではなく、怯えである。太ることへの、取り返しのつかぬ何かを喪うことへの。


 最近、また米の摂取量が増えている。

 仕事が辛くてたまらないのだ。昼のひととき、米を噛みしめている間だけ、私は少しだけ自分を許せる。

「私は日本人だ。米を食べて、なにが悪い」と開き直る自分がいる。ダイエット中に抑圧された欲望が、いまになって反動として噴き出しているのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。


 世間では米の価格が上がったとか、備蓄米がどうしたとか、ニュースが流れているが、私はどうでもいいと思ってしまう。新しい米だろうが、古かろうが、私には関係ない。ただ、ただ、私は米を食べたいのだ。それだけが真実だ。


 今日も、仕事の帰りにコンビニへ寄った。そして、おにぎりを一つ。大きな、鮭のやつ。駅のホームで電車を待ちながら、立ったまま、むしゃむしゃ食べた。まるで野良犬のように。

 なんということもない夕暮れの風景だが、私はその時、妙に満たされていた。空腹ではない、心が。


 帰宅後は、サラダとみそ汁、そして納豆で夕食を済ませた。

 夜は米を食べない。それは、かつての糖質制限の名残りだ。もうそのルールは終わっているはずなのに、私はいまだに囚われている。痩せるためというより、安心するために。


 米を食べ過ぎないようにしている。

 けれど、今日は少しやりすぎた。ベルトが、いつもよりきつい。ああ、なんということだ。明日は控えめにしよう。

 いや、控えめにできるといいな、と願うだけだ。人間なんて、結局のところ「ほどほど」がいちばん難しいのだ。

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